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幕間.強い思いと生き抜く意志

 このテネシアと呼ばれる大陸には、大国と呼ばれる国が三つある。神聖アインシュバルツ王国とサーディルナ聖王国、そしてルルレイア帝国である。


 北の聖王国と南の帝国、そしてその二国を分断するように横たわるアインシュバルツ王国。これらの国はいずれも広大な国土を誇り、巨大な大陸はほぼ三つに分かたれていた。


 大陸には山、森、水面などの人が住めない場所や、魔物の棲家となっている場所も多い。しかしこれら三国によって大陸の凡そ四割が人の領域となっており、そして徐々に拡大してもいる。

 特に顕著なのは帝国だ。乱世が終わり余力が生まれたのだろう。今まで未開拓だった場所が徐々に人の領土に変わっており、帝国の国土は増加の一途を辿っている状態であった。


 そんな国土であるが、現状は帝国が最も大きく、次いで王国、最後に聖王国という順となる。そのため国力もそれに比例して――と考えるのだろうが、しかし実際は全くの真逆で、聖王国が最も大きな勢力を誇る一方、帝国は最も劣ると目されていた。


 それは国としてどれだけ盤石であるかが肝要だからである。軍事力や政治的な安定、経済力など多くの要素を包括して考えた場合、若い国である帝国が一歩劣ると考えられるのは自然な事である。


 それに帝国は南部を武力でもって平定した新国家であるため、各地での反発も未だ散発的に起こっている有様だ。国家泰平と言うにはまだ遠く、不安定さは拭えない状態だった。


 一方で聖王国は千年以上の歴史を持つ伝統ある国である。かつて王国だったサーディルナは、長い時の中で慈愛の神ファルティマールを信仰するようになり、聖王国へと変わった。

 その信仰が(くさび)となって国家を非常に堅牢としている。僅かの事では揺るがぬ強大な国家として、人々の常識にあり続けていたのである。


 さて、それら二国と比べて王国はというと、四百年程の歴史を持つ、比較的長く続く安定した国家である。

 大陸中央に鎮座するゼーベルク山脈に育まれた豊かな土壌と、豊富な資源が経済を活性化させており、その影響で人の暮らしも比較的裕福だ。信仰も主神フォーヴァンを崇めているがそこまで排他的でもなく、ある程度の寛容さも持ち合わせていた。


 慈愛の神以外への信仰には眉を顰めがちな聖王国と比べればほどほどに自由で、未だ不安定な帝国に比べれば十分な安定感がある。

 それなら王国が最も強大な国ではないのかと思いそうなものだが、違う。そうでない理由は、王国と魔族との戦い――聖魔大戦にあった。


 三百年前、王国は一度魔王に滅ぼされている。その後王国領土を取り戻したが、大きく減少した人口や、蹂躙され尽くした国土をもとの状態に戻すには、非常に長い時を必要としたのだ。


 三百年経った今でも、王国の人口は三国の中で一番少ない。乱世が終わったばかりの帝国より少ないのだ。

 そしてそこに第二次聖魔大戦があった事もあって、更に人口が減少した。そう言った事情から、王国の国力は聖王国の次と目されているのだ。


 ただ、もし魔族に滅ぼされたのが帝国であったなら、復興以前に反帝国勢力が決起して、再びの乱世に逆戻りして、そのまま歴史に飲まれて消えただろう。

 そしてこれが聖王国であったなら、魔王侵攻時に王族を逃がすという決断をせず、信仰を掲げ玉砕覚悟で突撃し、完全に滅亡した可能性が高かった。


 王国であったからこそ魔族に一度滅ぼされても復興できたのだと、多くの歴史家が考察している。

 その理由として先ほど述べたゼーベルク山脈の存在や、ある程度寛容な国民性などが上げられるのだが。


 その中の一つに必ず上げられるもの。

 それは二国に比べて非常に多く保有する、鉱山の存在だった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 洞窟の中にガツ、ガツ、と鈍い音が響く。目の前の壁につるはしを振り下ろしていた彼女は、一度腕を下ろすとつるはしから手を放し、かじかんだ手にはぁと息を吹きかけた。


「はぁー……っ。はぁー……っ」


 煙のような白い息が手を包み込み、少しの暖かさが戻って来る。しかし真冬の洞窟はあまりに寒く、すぐに手先は冷気で覆われてしまう。

 彼女は手を少しの間さすっていたが、さぼっていると思われれば兵士の怒鳴り声が飛んで来てしまう。すぐにつるはしに手を伸ばし、採掘をまた始めるのだった。


 マイツェン領で赤蛇を名乗り、数々の町を脅して金銭をせしめていた紅焔(こうえん)傭兵団。その傭兵団に加担したばかりかミゼナの町を襲う手引きすらしたという事で、彼女シルヴィアはここルヴェル鉱山にて二年の服役を言い渡されていた。


 彼女の他にも多くの罪人がこの鉱山で働いており、今も至る所からつるはしを打ち付ける音が反響して聞こえてくる。ここルヴェル鉱山は王国でも有数の大きな鉱山で、五百以上の数の罪人が採掘を行っている。

 だがここに鉱夫は一人としていない。そこには非常に大きな理由があった。


 鉱山というのは山にあるものだ。山の斜面に洞窟を掘り、そこから鉱物を採掘するわけであるが、そこで大きな問題が一つある。

 場所は人の住まない山の中である。そう、魔物の生息地のど真ん中にあるという問題であった。


 これが弱い魔物の生息地であれば軍の人海戦術でもって駆除すれば良いのだが、強力な魔物となるとそうもいかない。そしてどうしてか良質な鉱物が採れる鉱山ほど、強力な魔物が多く生息する危険な場所にあった。


 ここルヴェル鉱山も例に漏れずその類である。いや、その中でも有数の、相当に危険な場所にある鉱山だった。

 質の良い鉱物が採掘できる一方、鉱山の中には暗い場所を好む魔物がうようよと生息している。かと言って外に出たならば、そちらにも肉を好む魔物が生態系を築いている。


 そのような場所に鉱夫など連れて来れば、魔物に餌をやるに等しい行為である。そういった事情から、鉱山とは重要な資源であると共に、命を失いかねない危険地帯という認識が、大陸では半ば常識となっていたのだ。


 とは言え、鉱山で採掘できる鉱物は非常に貴重である。特に銀や金は宝飾品や硬貨、魔力を通しやすい性質があるなど、使用用途は多岐に渡る。

 他にもミスリルが採掘できる鉱山や、石炭が採れる炭鉱などもある。これらは対外的にも強力なカードとなり、事実過去に聖王国とは大量のミスリルの輸出を巡って、相当有利な条件で契約をした事もあった。


 国としては、そんなカードになり得る物を目の前にして、手を引くのはあまりに惜しい。そこで王国が目を付けたのが、罪を犯した罪人達であった。


 このルヴェル鉱山には、ある程度戦闘能力のある罪人が鉱夫として送り込まれる。シルヴィアもランクC冒険者であったため、ここに送られたのだ。

 でなければ彼女の送り先は、流刑地と呼ばれるガゼマダル領であっただろう。

 そこでは碌な食糧は出ず、飢餓で死ぬ罪人が絶えない。しかしこのルヴェル鉱山では、食事は一応三度出た。


 固いパンと、くず野菜と謎の肉を煮込んだどろどろのスープという食事だ。この謎の肉は固い上臭みが強く、美味しさとは無縁である。

 そのため中にはこの肉が、この鉱山で死んだ人間の肉だなどと言う者もいた。だがそれを無視さえすれば、ここでは空腹とは無縁で済んでいられた。


 そのため食事事情はガゼマダル領よりもずっと良い待遇だった。だからルヴェル鉱山の方が良かったかと問われれば、シルヴィアは全く頷く気になれなかったが。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 つるはしを振り上げ、目の前に振り下ろす。洞窟の中には魔石式のランプが点々と掛けられており、一日中明るさがあった。

 このルヴェル鉱山では魔石式の道具が惜しみなく使われている。シルヴィアが今掘っている壁も、兵士達が昨日、魔石式の削岩機と発破装置を使ったたため、大きなひびが入っていた。


 これらの魔石はランプで五等級、削岩機や発破装置は四等級の物が使用された、買えば金貨が飛ぶ高級品である。それだけにランプは丸一日魔力の補充なしに光っているし、他の作業装置も簡単に壊れる事が無い。


 鉱山ではこういった高級品は作業の効率化によりほぼ必須である。ただどうしても人力に頼らなければならないところもあり、そのため今シルヴィアは目の前の壁のヒビにつるはしを叩きつけ、崩しているというわけだ。


 ぼろりと崩れた壁が、シルヴィアの足元にごろごろと転がる。かじかんだ手とは反対に、彼女の額には大粒の汗が浮かんでいる。

 シルヴィアの手はあかぎれと潰れたマメで既にぼろぼろだ。しかし彼女はそれでも作業を止めず、つるはしを壁に突き立てていた。


 この鉱山に来てから、彼女は真面目に作業に当たっていた。毎日毎日懸命につるはしを握る彼女は、今や模範囚として扱われていた。

 だがそんな彼女をあざ笑う罪人達は多かった。このルヴェル鉱山では作業に当たる罪人達の死亡率は極めて高く、三日に一人は誰かが死んでいる。そのため服役を終えるまで生きられる可能性が非常に低い事を、誰もが知っていたのだ。


 それに、今までにも模範囚はいたが、彼らも気付けばいつの間にか姿を消していたのだ。

 模範的だとしても、死ぬときは変わりなく死ぬ。優遇は無い。

 そのため模範囚はいつも皆の嘲笑の的だった。


 今日もまた朝、シルヴィアは数人の男達に絡まれて、真面目に働く事をあざ笑われた挙句、体をあちこち触られそうになった。

 助けてくれる者は一人としていない。遠巻きにニヤニヤと見るばかりだ。

 幸いシルヴィアは冒険者で、そんな罪人をあしらう実力はあった。ただこんな扱いは連日の事であり、シルヴィアも流石に辟易していた。


 だがそんな状況でも、彼女は毎日を必死に生きていた。ふぅふぅと荒い息を吐きだして、今日もつるはしを振り上げる。

 がつんと弾ける音がして、壁がぼろぼろと崩れ落ちる。朝から必死に作業に当たっていたため、これで崩せる壁は見る限り無くなった。


(これ以上掘るのは無理ね。兵士を呼んで来なくちゃ)


 作業の継続には削岩機と発破装置で壁を崩さなければならない。

 そう思いシルヴィアが顔を上げた時だった。


「うわあああああーっ!」


 後ろから叫び声が聞こえてきて、彼女ははっと振り返る。そこに見えた光景に、シルヴィアは思わずつるはしを両手で握りしめた。

 そこにいたのは今朝絡んで来た男の一人だった。だが問題はその後ろ。巨大な百足がぎちぎちと音を鳴らしながら、男へ鎌首をもたげていたのだ。


 五メートルを超える長い体と固い装甲、そして激痛を伴う神経毒を持つ、ランクCに分類される肉食の魔物。この鉱山に生息する巨大百足ジャイアントセンチピードだった。


「た、助けてくれーッ!!」


 男は必死の形相で助けを求めてシルヴィアへ手を伸ばす。だがすぐに足がもつれ、その場にどしゃりと転がった。

 巨大百足ジャイアントセンチピードはそんな男へ間髪入れず飛びかかって行く。男はあっと言う間に百足の牙に捕まって、高々と持ち上げられてしまった。


「た、助け――ぅボェッ!!」

 

 耳を塞ぎたくなるような声を最後に、男は腰から両断されてしまった。成れの果てがぼとぼとと地面に落ちていく。

 そんな様子をシルヴィアは、飛び出そうな悲鳴を何とか押し込み、見ている事しかできなかった。


 巨大百足ジャイアントセンチピードは早速男の体をむさぼり始める。その間シルヴィアはつるはしを固く握り、息をひそめる事しかできずにいた。

 シルヴィアのいる場所は細い通路の奥だった。つまり、逃げ道は百足のいる方向にしかなかったのだ。


 ぎちぎちと不快な音を鳴らしつつ、巨大百足ジャイアントセンチピードは男の体を食べ尽くした。その間も頭部の太く長い触手は、次の獲物を探すようにあちこちへと向けられている。

 シルヴィアは息をひそめ、体を固くしてそれを見つめていた。もし見つかれば次は自分の番だ。


 彼女は生まれて初めて、心から神へ祈る。

 しかし、その願いは聞き届けられなかった。


「――っ」


 巨大百足ジャイアントセンチピードは再び頭を上げると、今度は彼女の方へ頭部を向けたのだ。

 数えきれない程ある足が奇妙に動き、生理的嫌悪感を煽る。そして次の瞬間、巨大な百足が彼女に襲い掛かってきた。


「あああああああーっ!!」


 彼女は次の瞬間、つるはしを脇へ放り投げていた。唯一の武器を捨てるなど普通ならばしないだろう。だが彼女のこの行動は自暴自棄になったわけでもなく、錯乱したわけでもない。

 彼女に戦い方を仕込んだ、養父の教えによるものだった。


 養父は彼女に斥候役としての戦い方を小さな頃に叩き込んだ。それは身軽さを売りにする戦い方だった。

 今目の前にいる敵はどうしたってつるはしで倒せるような相手ではない。ならば重りにしかならない無用な武器など、捨てた方がまだ助かる見込みがある。


 体を軽くし、強みを生かす判断をしたのだ。絶望的な状況だったが、しかしシルヴィアはまだ生きる事を諦めていなかった。


 彼女は頭上から襲い掛かってくる巨大百足ジャイアントセンチピードの牙を体を捻って避けると、そのまま百足の巨体の横を全力で駆ける。

 百足の体はあまりにも大きく、坑道の殆どを占めている。しかしその大きさがあだとなり、すぐに反転できないはずだ。


 頭さえ避ければ生き残れる可能性がまだあると、シルヴィアは遮二無二足を動かして巨大百足ジャイアントセンチピードの横を必死に走った。

 彼女の思った通り、百足はすぐに彼女を追って来なかった。このままなら逃げきれる。そんな希望が胸に湧き、シルヴィアは更に強く地面を蹴る。

 そして見えて来た巨大百足ジャイアントセンチピードの尻尾。シルヴィアはその横を通り過ぎようと、そのまま駆けて行ったのだが――


「あうっ!?」


 突然尻尾の先端についた針のような触手が鞭のようにうねり、シルヴィアをバシンと打ち据えたのだ。


「あぐっ!!」


 坑道の壁に叩きつけられたシルヴィアは、くぐもった声を上げて倒れ込んでしまう。その間に巨大百足ジャイアントセンチピードは坑道の壁を使って器用に反転して、再びシルヴィアへと襲い掛かった。


 シルヴィアは地面を転がるが、巨大百足ジャイアントセンチピードの牙が彼女の細腕をざっくりと切り裂き、鮮血を噴き出させた。同時に猛毒がシルヴィアの体に流れ込み、彼女は痛みに叫び声を上げた。


「うあああああーッ!!」


 途端に走った激痛が彼女から思考力を奪う。大声を上げながらのたうち回るシルヴィアを、巨大百足ジャイアントセンチピードはゆっくりと頭をもたげ見下ろす。そして先程の男と同じように、獲物を食おうと襲い掛かる。


 シルヴィアが最後に見たものは、牙を広げて迫って来る巨大な百足の頭部だった。



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「ん……。あ……?」


 次にシルヴィアが目を開いた時、目の前にあったのは巨大ムカデの顔ではなかった。体がだるくて起こせないが、しかし彼女はすぐに自分がベッドに寝かされていると分かった。


 顔だけを動かして左右を見ると、そちらにもベッドがある。壁は土でできた茶色の壁であり洞窟の中である事には変わりが無かったが、自分達が暮らしている部屋よりも随分と文明的――罪人達は基本的に床に雑魚寝だ――である。

 一体ここはどこだろう。シルヴィアがそう思った時だった。


「気が付いたか」


 突然声を掛けられて、シルヴィアの顔が自然とそちらへ向く。そこには一人の兵士が立っており、シルヴィアをじろりと見下ろしていた。


「……こ、こ……は?」

巨大百足ジャイアントセンチピードに襲われたのは覚えてるか? 奴は俺達が駆除したが、毒を食らったお前が倒れていたため、ここに運び込んだというわけだ」


 つまりここは兵士達の救護室なのだろう。シルヴィアは体を起こそうとするが、しかし兵士はそれを少し慌てて制止した。


「待てっ。奴の毒をまともに食らわなかったのは運が良かったが、それでもまだ体に痛みがあるはずだ。回復するまではもう少しかかる。それまでは休め」


 兵士達は毒を食らった彼女をここへ運び込みすぐに解毒薬を使ったが、それでも強烈な神経毒はシルヴィアの体をそうとうに痛めつけた。そのため彼女の体はまだ回復を欲しており、平時より高い熱を持っていた。


 完治するまで休めと兵士は言う。熱のため頭がくらくらしたものの、しかしシルヴィアはその言葉を俄かには信じられなかった。


「どう、して……」

「見捨てなかったか?」


 やっとの事でシルヴィアは言葉を絞り出す。兵士はその先を自ら口にしつつ、水差しを手に取り木のカップへ水を注ぐと、シルヴィアへ飲めと差し出してきた。

 シルヴィアは少し戸惑うものの、熱を持つ体と乾いて張り付いたような喉が水を欲しており、素直にカップを受け取った。


「俺達の任務は罪人の監視と鉱山の管理であり、お前達を守る事は二の次だ。危険であれば見捨てる事もある。だがな、だからと言ってどんな場合でも見殺しにするわけじゃない。俺達だって兵士としてのプライドがある」


 ここでは罪人達よりも兵士達の命の方が優先される。そのため罪人を見捨てる事も確かにあるが、それでも人の命を助ける事は兵士の責務であり、そして何よりも彼らは人である。良心があった。


 皆を見捨てるわけがないと言う兵士を見ながら、シルヴィアはカップの水を一口飲み込む。その水は温く少し臭みが残っていた。しかしシルヴィアにとっては今、この水が何よりも美味しく感じられた。


「食べろ。……こう見えて栄養はある」


 ほうと息を吐き出すシルヴィア。すると目の前にずいとトレイが差し出された。

 そこにはいつもの固いパンと、謎肉の入ったくず野菜のスープが置かれている。差し出してくる兵士はずっと変わらず仏頂面だ。しかし彼の態度には、隠しきれない優しさがあった。


 どうしてかシルヴィアは似ても似つかない兵士に、嫌いだった養父を感じた。

 無言でトレイを受け取ると、スープを一匙口に入れる。いつも不味いと思っていた肉は、今日は少し違う味がした。


「……ねぇ」

「ん?」

「この、肉。なんの……肉?」

「お前を食おうとした巨大百足ジャイアントセンチピードの肉だ」

「ぶふっ」


 思わず噴き出したシルヴィア。だが兵士はそんな彼女を気にもせず話を続ける。


「いつもは外の笑い猿(ラフィングモンキー)の肉だが、あいつらは筋張っていて不味くてな。巨大百足ジャイアントセンチピードの肉は美味い方だ、よく噛んで食え」

「美味しい、方って……」


 笑い猿(ラフィングモンキー)はその名の通り、人をあざ笑うような仕草を見せる、老婆のような顔の猿である。ニタニタと笑いながら相手を挑発し、それに乗って隙を見せた相手を隠れていた仲間と共に襲い、生きたまま貪り食うのだ。


 今まであれを食べていたのかとシルヴィアはげんなりする。いや、今口に入れたムカデ肉も大概であるが。


「それじゃ俺は行くぞ。それを食ったら寝ておけよ」


 無言になってしまうシルヴィア。兵士はそんな彼女を置いて、その場を颯爽と去っていく。


「なぁ、聞いて良いか」


 しかし彼は数歩離れたかと思えば、どうしてか突然立ち止まった。


「……な、に?」

「お前、どうして模範囚なんてやってるんだ。ここがどういう場所か、お前だって知っているだろう」


 兵士は振り返らずに問いかける。シルヴィアは持っていたスプーンを置いて、少しの間時を置き。

 自分の首にかけたネックレスを手に握りながら、静かに答えた。


「謝りたい、人が、いるの。償わないと、いけない人も、沢山、いる。だから私……こんな場所で、死んで、いられないの」


 そうか、とだけ小さく返して、兵士は今度こそ部屋から出て行った。

 兵士は思い出す。この鉱山は数えきれない程の罪人の墓場となってきたが、しかし無事に出て行った人間がいないわけでは無い。

 そしてそのいずれもが模範囚であり、誰もが生きて帰るという強い意思を持っていたと。


 兵士達は皆、罪人とは距離を取るよう指示をされている。それはいつ死ぬか分からない罪人に情を持てば、いずれ潰れてしまうからに他ならない。


「あ、兵長。どこに行ってたんですか?」

「大した用じゃない。何かあったか?」

「いえ、この報告書なんですけど――」


 しかし彼はそれを破り、シルヴィアに少しの手を差し伸べた。故郷にいる、どこか自分の妹に似ているシルヴィアに。

 気の強い所もまた、妹にそっくりだった。


 彼女の刑期は二年。そして自分がここの任期を終えるのも後二年だ。

 これは偶然か、それとも何かの因果だろうか。


「あの、兵長? 聞いてます? リベリオ兵長ー?」


 シルヴィアの口にした思いには、この鉱山を無事に出られるかもしれないと思わせる強さがあった。

 この直感が確かなら、少しくらい目をかけても良いかもしれない。


(しかしあの顔――久々に面白いものを見れたな)


 ムカデ肉を噴き出したシルヴィアの顔を思い出してくつくつと笑いながら、リベリオはそんな事を考えるのであった。

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