幕間.王都にて 白龍姫の説教
清々しい青空が広がる冬日和。王都西にある駐屯地に設けられた訓練場で、激しい金属音が響き渡っていた。
戦うのは二人の人物。一人は胴体鎧をまとい、短槍に大盾を構えた茶色の髪の女性だ。
彼女の名はジェナス。第二師団長でもある彼女は、向かって来た剣先を盾で受け流すと、右手の短槍を突き出す。その突きはあまりにも無駄がなく、そして鋭い。相手の胴へ吸い込まれるように突き進み、穿つと思われた。
「流石、良い突きですね。鋭い」
が、相手はこれを僅かな体捌きのみで避ける。左後方への重心移動で突きを華麗にかわした相手は、白縹色の髪をふわりと揺らしながら形の良い唇に弧を描き、余裕たっぷりに小さな笑みを見せる。
「――ハァッ!」
そうして再び太刀を叩きつけるように繰り出してくる。とてもではないが、これを受けるジェナスは笑う気にはなれなかった。
「くぅ……っ!」
盾から伝わるあまりにも重い衝撃に、彼女は奥歯を強く噛み締めた。ジェナスの身長は女性としては高い部類で、成人男性とあまり変わらない。そのため女性の中では力がかなりある方なのだが、しかし今太刀を振るう自分より少しだけ上背の低い女性は、完全にジェナスの力を凌駕していた。
(これが人族と龍人族との差か……っ! とてもではないが、受けきれんっ!)
ジェナスの額から滑り落ちた汗が、鼻をつたい顎から滴り落ちる。そう、ジェナスが今手合わせをしている人物。それは白龍族の姫である、ヴェヌス・ラト・イル・シェンティッドであったのだ。
いつもは白龍族特有の、白と黒のツーピースドレスを着ている彼女。だが今日は非常に珍しく、その上から彼女愛用の白の胴丸――白龍族の使用する鎧だ――をまとい、ジェナスの前に立っていた。
「ジェナス様、少し早さを上げますわよ!」
「えっ、ちょっ、待って――」
「待てと言われて待つ方はいませんわ! 覚悟なさい!」
言うが早いか今度は目にも止まらぬ連撃がジェナスを襲う。先ほどよりも一撃一撃の重さは軽い。だが衝撃は依然として人を超えていた。
太刀の連撃を受けて、盾が持って行かれそうになる。このまま守りに回ってはいずれ防御をこじ開けられるであろう。
ジェナスは槍を握りしめた。
「はぁぁぁぁあっ!!」
大盾で太刀を殴り飛ばすように跳ね除けて、槍の連撃を叩きこむ。一撃、二撃と太刀に弾かれるも、ジェナスは槍を握る手に力を籠め、更に突く。
ヴェヌスの唇が緩やかな弧を描いた。
(どちらが疾いかの勝負。ジェナス様は堅牢な守りが高く評価されている方。だから攻めも堅実かと思いきや、意外と大胆なのですね。――面白い)
次の瞬間、彼女は太刀を振り下ろしていた。
「はぁぁぁあーッ!」
「せぇぇぇいッ!!」
女性二人の雄たけびが正面からぶつかり合う。突きと斬撃は幾度となくぶつかり合い、その度に火花を派手に散らした。
まるで大金槌同士がかち合うような重い衝撃音が訓練場に鳴り響き、びりびりと空気までをも震わせる。ジェナスの顔は鬼気迫るものがあり、ヴェヌスの顔からも余裕の笑みが消えていた。
女傑二人の気迫は凄まじく、肌までビリビリとひりつかせる。少し離れた場所でこれを見ている白龍族の男――ヴェヌスの護衛だ――は、このまま押し切れた方が勝者になると、二人の迫真の攻撃を食い入るように見つめていた。
だが。
「何っ!?」
驚愕の声を上げたのはヴェヌスだった。突然ジェナスの槍の軌道が変化し、打ち払おうと思っていた穂先が顔目がけて飛んできたのだ。
「くっ!」
彼女は首を動かしてそれを避ける。が、そこへ今度は低い姿勢からの突撃がヴェヌスを襲った。
大盾がヴェヌスの視界を埋め尽くす。
(”盾突撃”――!)
気付いた時にはもう遅く、ヴェヌスは宙を舞っていた。
「姫!」
護衛の白龍族が思わず声を上げる。ヴェヌスの体はくるくると回転しながら舞い上がり、そのまま地面へと落ちて行く。
このままなら地面に激突する。そんな想像が護衛の頭を一瞬過ぎるも、しかしこの心配は杞憂であった。
ヴェヌスはそのままくるりと反転すると、ジェナスの後方にふわりと華麗に着地したのだ。しかもそればかりか感激したように、ぱち、ぱち、ぱちと、三回拍手までしてのけたのである。
「あの攻撃の畳みかけ方は素晴らしいですわ。流石第二師団長のジェナス様。お見事な腕前です」
はぁはぁと息を荒げるジェナスの背中に声を掛ける白龍姫。彼女は機嫌良さそうな笑みを浮かべて平然とそこに立っている。
先程攻撃したのはジェナスで、受けたのはヴェヌスのはずだ。しかし二人の様子は全くの逆だった。
さもあろう、ヴェヌスは”盾突撃”を受けるあの一瞬の内に、直進する盾に太刀を振り下ろすと同時に跳躍し、高く跳ぶ事で衝撃を完全に避けていたのだ。
あの一撃を完全に対処されてはもう、ジェナスも脱帽するしかなかった。
「恐縮です。しかし、やはりヴェヌス様の実力は底知れませんね。私では到底相手になりそうもありません」
息を整えつつそう返すジェナス。しかしその言葉の何かが不服だったのであろう、ヴェヌスは顔から笑みを消し、少しむっとした表情で彼女を見返した。
「それは謙遜が過ぎますね。精の使用無しであれだけ我らに抗えるのです。人族で、しかも女性である貴方が。我らに敵わずとも、卑下する必要は全くありませんわ」
今ヴェヌスが言った通り、二人は精の使用なしというルールで試合を行っている最中だった。
だがジェナスは人族であるのに対し、ヴェヌスは龍人族だ。そもそもの身体能力に差があるため、通常なら人族が敵うはずが無かったのである。
元々精は魔物などの、強大な敵に抗うための技術である。逆に言えば、それが無いなら生まれ持っての差を埋める事ができないのは当然の理屈だった。
とは言え、それを自分を負かせた相手に言われても面白くない。もやもやとした感情が胸に湧き上がり、ジェナスは思わず黙ってしまう。
その不服そうな感情は、表情にも隠しきれていない。しかしそんな感情を相手に抱かせた張本人であるヴェヌスはと言えば、悔し気なジェナスを見て、どうしてか小さく笑っていたのであった。
なぜ二人がこうして戦っているのか。事の発端は、ヴェヌスの一言だった。
王都からエイクが出奔した際に話をした事が縁となり、二人は度々一対一で会話をするようになっていた。
ただこれをヴェヌスは友人とのお喋りと考えていたのに対して、ジェナスは貴人との対談のように考えていたために、二人の仲が進展する事があまりなかった。
これを不満に思ったヴェヌスは、対話で仲を深める事を諦め、龍人族流で深めようと考えたのだ。つまり、戦いの中で分かり合おう作戦である。
白龍族の姫とはいえ、同時に彼女は武人だった。要するに脳筋だったのである。
彼女はまず、少し手合わせしませんかとジェナスを訓練場へ誘ってみた。だがそう言われた時、ジェナスはその誘いを控え目に拒否した。丁重に扱うべき人物に武器を向けるなど、彼女の性格的にあり得なかったからだ。
まあ押しに弱いジェナスは結局押し切られてここにいるわけだが。しかしそんな理由があって、ジェナスは今まで本気でやる気がなく、付き合い程度に流して戦うつもりだったのだ。
ヴェヌスはそれが大層不満だった。
そこでヴェヌスは相手にやる気を出させるために、ジェナスの闘争心が程よく高まって来たところであえて軽く挑発をした。
我らに敵わずとも卑下する必要はない――裏を返せばそれは、人族が龍人族相手に勝てると思っているのか? という意味と同義である。
この台詞がどう効いたかは、ジェナスの顔を見れば一目瞭然であった。
「――と、言うわけで。お互い消化不良のようですし、次は精解禁で致しましょうか」
「え?」
嬉しそうに両手を合わせて言うヴェヌスに、ジェナスは居を突かれたように目を丸くした。
「わたくしも次は本気で参りますわ。当然獲物は本来、わたくしが使用する物を使わせて頂きますね」
「……え? えっ!? ちょっと、ヴェヌス様!?」
今まで使用していた太刀を鞘に納めて腰から外し、手招きした護衛に手渡すヴェヌス。彼女は狼狽えるジェナスに目を細めたかと思うと、虚空に向かって真っすぐに手を伸ばす。
「来なさい。風花霧雪――」
途端、ヴェヌスの周囲に淡く輝く霧雪がふわりと生まれた。
その光の結晶は伸ばした白龍姫の手に集まると、細長く形作っていく。ジェナスが瞬きを二度もしない内にそれは一本の大太刀となって、ヴェヌスの手の中に納まっていた。
これこそが白龍族の至宝、大太刀風花霧雪。主と認めた者と常に共に在り、呼びかけに応えどこにでも現れる、特殊な力を秘めた不壊の大太刀である。
ヴェヌスはこの大太刀を普段から持ち歩いていない。だが武人として本気で戦うその時に初めて、己の全力を託すに相応しいこの至宝を呼ぶのだ。
つまりこの風花霧雪と打ち合うと言う事は、白龍姫の全力を真正面から受けると言うことであって。
まるで氷のように白く輝く大太刀に、ジェナスは思わず一歩後ずさる。しかしヴェヌスはそんな彼女へ、大変良い笑みを見せた。
「では死合いましょう。ジェナス様、お覚悟を」
その龍眼は、まるで獲物は逃がさんとでも言うように自分を捉えて離さない。
ジェナスはこの時、押しに弱い性格をどうにかして直したいと心から思った。
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その後二人はたっぷり一時間は鍛錬に励む事となった。結果、ジェナスは今両手を膝に付き、ぜいぜいと荒い息を吐きながら地面を見つめている。
あまりの疲労に顔を上げられないジェナス。息を吐くごとに鼻先から汗が滴り落ち、地面に黒い斑点を作り出す。
こんな情けない姿は部下には見せられない。この訓練場に他の者がいないのは幸いだったと、ジェナスは今更そんな事を考えていた。
言うまでもなく、第二師団長と白龍姫の戦いは様々な者の目を引いた。しかし立ち寄ろうと近づけば護衛の白龍族がギロリと鋭い目を向けるため、皆すぐに去っていくのだ。
護衛は二メートル以上の体躯の筋肉質の男である。ただでさえ厳めしい見た目だと言うのに、今彼はヴェヌスから人払いを頼まれてもいて、睨め付ける迫力は凄まじいものとなっていた。
だからジェナスは周囲を気にせず、こうして情けない姿を披露していたわけなのだが、一方でヴェヌスはと言えば満足げな笑みを浮かべつつ、手巾で軽く掻いた汗をぽんぽんと拭っている程度だった。
「久々に良い訓練ができました。ジェナス様、感謝致しますわね」
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、そんな感謝欲しくなかったとジェナスは切に思った。
「しかし故あって長居させて頂いておりますが、少々考え物ですわね。ここは過ごし易くはありますが、ですが我らには聊か甘美に過ぎるようです」
「え? ヴェヌス様、それは一体どういう意味でしょうか」
「ここはあまりにも、生きていくに楽過ぎますもの」
顔を上げたジェナスにヴェヌスは言う。三度三度決まった時間に豪華な食事が目の前に運ばれて、何もせずとも生きていける。そんな暮らしは魅力的ではあるものの、しかしそんな環境は人間から強くあろうとする意欲を奪ってしまうと。
「意志の強い者であれば、そんな楽とも戦えるのでしょうけれど。わたくしはそもそも楽な暮らしと言うものとは無縁でしたから、馴染んで行く自分が少し怖くもありますね」
白龍族は元々、ゼーベルク山脈にある高峰の内の一つ、リッテヒルの麓北部に存在する洞窟――カヴァーン大洞窟に住んでいた。
巨大な鍾乳洞であるそこは特異な生態系が構成されており、更には植生も独特で、それら目当ての冒険者が立ち入る事も少なくなかった。
しかし奥まで立ち入れば、巨大毒蜘蛛やレイクサーペントなどの強力な洞穴生物も生息しており、冒険者らを容赦なく襲った。そのためカヴァーン大洞窟は魔窟以上に危険な場所であると、王国北西部では非常に有名な場所であった。
しかし白龍族はそんな大洞窟の最奥に集落を構えていたのだから驚きである。
そんな場所に住んでいたのだから、ヴェヌスの言う通り楽とは無縁だったのだろうとジェナスにも想像できた。
しかし実際に目で見たわけではないために、何と言って良いかも分からない。
ジェナスは荒い息を吐きながら、ヴェヌスを見つめるだけだった。
「わたくしが全力を出したのはいつが最後でしたか……。ああ、そうそう。そういえば、帝国が攻めて来たあの時依頼でしたわね」
だが次にヴェヌスが発した言葉には、思わず口が動いていた。
「帝国が攻めて来た時……。もしかして、スティアと戦っていたという、あの?」
「あら、ご存じでしたか」
その時第二師団は、魔王軍との最後の戦いを迷いの森で繰り広げていた。だから話で聞いた限りだが、ジェナスはずっと不思議だったのだ。
どうして目前に布陣する帝国軍の目の前で、スティアとヴェヌスが一日中全力で戦う事態になったのかと。
また第三師団長の奇策だったのではないかと言う声もあった。しかしジェナスはエイクから直接聞いていたのだ。
二人が勝手に戦い初めて仰天した。そして理由も分からず終いでわけが分からなかったと。
「なぜヴェヌス様はスティアと戦ったのですか? 当時、一触即発の状況だったと聞いています。そんな帝国軍の目の前だったと言うのに……。何か理由があったのでしょうか」
「スティアの事は呼び捨てですのね」
「え? 何ですか?」
「何でもありませんわっ」
ほんの少し拗ねたように言ってから、ヴェヌスはこほんと咳払いをする。
「あのポンコツ娘がどうしようもなくポンコツだったので。ですから、ちょっとばかり叩いて治して差し上げようかと思っただけですのよ」
「ポ、ポンコツ? それに、叩いて治す、ですか? ……国境付近の草原を一面荒野に変えたと聞いていますが」
「そのような事は大した話ではありませんわ」
ジェナスの引いたような言葉に、ヴェヌスはうふふと華麗に笑った。
「何せ自分に自信が無いからと言うだけで、殿方に恥をかかせたのですから。そのようなポンコツ娘には、分からせてやらないといけませんでしょう?」
ヴェヌスが言った意味を理解しようとしたが、ジェナスにはついぞ分からなかった。首を傾げる彼女を前に、ヴェヌスは当時の事を思い出す。
エイクのプロポーズを断ってしまったと号泣するスティア。もうここにはいられないと逃げようとした彼女に、ヴェヌスは風花霧雪を手に襲い掛かった。
一日をかけて戦いの中で説教し、逃げる事だけは止めさせたヴェヌス。しかしスティアは今度、自分に自信をつけさせて欲しい、冷たい口調や立ち振る舞いを直したいとヴェヌスに泣きついてきたのだ。
(そんなものを気にする方ではないと言うのに。全くどうしてあの方の話となると、あの子はああもポンコツになるのでしょうね)
今もエイクと共にいるであろうスティア。どこまでも強く、そしてどこまでも臆病な友人を思い出し、ヴェヌスはくすりと小さく笑う。
彼らを追う自分の部下からの連絡はまだない。しかし急ぐ理由はないのだ。もうしばし、待つ事を楽しもう。
最終的にエイクに、自分達を裏切ったけじめをつけさせれば良いのだから。
ヴェヌスは「ふふふ……」とほほ笑みながら風花霧雪を指でそっと撫ぜる。大太刀に映り込んだヴェヌスの龍眼が、怪し気に淡く輝いていた。
「あ、そう言えばジェナス様。王都から部下を放った件ですが、それはもうわたくしから王子殿下に報告致しましたので、もう秘密にする必要はありませんよ」
「うぇえッ!?」
素っ頓狂な声を上げたジェナスにヴェヌスはため息を吐く。
「どうしてそれを私に言って頂けないのですか!?」
「こう長期間あの子達がいなければ、流石に殿下も気づくでしょうに……」
エイクへ放った手勢は白龍族の中でも一、二を争う、白龍族きっての武人達。ヴェヌスの弟と妹であった。
パレード直前に王都を発った事は王子に知られたくなかったものの、時期がこうもずれれば何とでも理由のつけようがあろう。事実ヴェヌスはエーベルハルトへ、弟と妹を近況報告のため里に戻したと説明し、王子にも納得させていた。
だがジェナスはこんな事も予想できなかったと、目の前でわなわなと震えている。
(この子もどこかポンコツ臭がしますわね……。伯爵になると聞きましたが、この調子でやっていけるのでしょうか)
王城に住んでもう半年近い。貴族の流儀など知らないが、貴族という生き物の面倒臭さを既に察していたヴェヌスは、あまりにも正直すぎる友人候補を若干心配そうに見やった。
(とりあえず……この子もちょっと、お説教をしましょうか、ね?)
ヴェヌスは心の中でほくそ笑む。本能が何かを察してぶるりと震えたジェナスだったが、それが一体何なのか、彼女は全く知る由も無かった。




