341.王都にて 二人の密会
日も落ちて、風の音すら聞こえない静かな夜。外は思わず身を抱きしめてしまうような、冬場特有の凛とした寒さに包まれている。
吐息は白く煙り、深い闇に溶けていく。そんな夜更けに外出など、誰もが御免こうむりたいはずだ。
皆がそんな寒さを忘れ、ベッドの中でぬくぬくと夢路を辿っている頃合いに。
ここに一人、哀れ外から手を擦り、屋敷へ訪れた者がいた。
「あ~……温いですなぁ~……」
パチ、パチ、と爆ぜる暖炉に手をかざし、人心地つくのはピンクブロンドを後ろで縛った小柄な女性。彼女は背負っていた非常に大きな背嚢を部屋の隅に置いた後、暖炉の前に陣取って、寒さから逃れた喜びを一人存分に噛み締めていた。
「まったく、一週間で王都まで走れとか悪魔ですかってんですよ。私をイエローピジョンか何かと勘違いしてるんじゃないですかねっ。――まあ五日で辿り着いてやりましたけど! ふっふーん! さっすがローズちゃん、その俊脚は大陸一!」
冒険者ギルドが運営する黄鳩便の、運搬役であるイエローピジョン。その鳩と勝手に張り合うのは”断罪の剣”のⅨことローズであった。
彼女は自分に指示を出したリーダーの顔を思い出しつつ、暖炉の前でどうだと自慢げにほくそ笑む。温かさを放つ暖炉の炎が、ローズの無意味に邪悪な顔を赤々と照らし出していた。
「……なるほどな」
そんな時、彼女の背中に低い声が届いて、ローズは顔だけで振り向いた。
そこに座っていたのは一人の白髪の男であった。
それは王国宰相のデュミナスである。今彼らは密会の最中である。人目を忍んでやって来たローズを自室へ招いたデュミナスは、彼女から受け取った手紙の封を開けて、丁度中身を読み終えたところであった。
デュミナスは目の前のローテーブルへ、読み終えた手紙を置く。ローズはそこでようやっと立ち上がると暖炉の前から場所を移し、宰相の対面に置かれた一人掛けのソファへぽすんと座る。
顔には悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「ご理解頂けましたかー? 宰相閣下?」
そのあまりの無遠慮さに宰相がじろりと見れば、ローズはパッと姿勢を正して取り繕う。それをじっとりと眺めていたデュミナスだったが、彼は小さく嘆息した後、再びテーブルの上の手紙に目を落とした。
「この内容に間違いはないのじゃな? ローズよ」
「あ、今は任務中なのでⅨでお願いしまっす!」
「……で、問題ないのじゃな?」
「もっちろんでございます! このローズちゃんに間違いなど、あろうはずがございませんっ!」
自信満々に胸を張るローズに、デュミナスは眉間に手を当てた。
自分はまだ年寄りではないと思うものの、しかしこの若者のテンションに付いて行くのは、流石に厳しいものがある。
とは言え目の前の相手は貴重な情報源である。聞かずに帰れと言うわけにもいかず、彼は一度嘆息すると、再びローズに目を向けた。
「ならば、”断罪の剣”四人をもってしても打ち取る事ができなかった、と言うのは真なのだな?」
「はい、そうでございまっす! 四人はエイク様ご一行に挑みかかるも、ぼこぼこにされた挙句まんまと逃げおおせられまして。もっと戦力を増やした後に、再度襲撃するとの事でございます!」
デュミナスは手紙をチラリと見る。ローズは一方的にやられたように話すが、報告には痛み分けのように書かれていた。だから実際はそちらが真実なのだろう。
ただそれでも、エイク一行が”断罪の剣”相手に逃げおおせた事は、デュミナスにとって無視できない事実である。
湧き上がる感情を噛み締めつつ、彼はまたローズに問いを投げた。
「ここには書いておらんが、再び仕掛けるまでにはどの程度の期間が必要じゃと考えておる」
「うーん、どうでしょうねー。リーダーは何も言っていませんでしたけど、仲間をもう二人集めたり、壊れた盾を直したりと時間がかかりそうですからねー。私の見立てだと二か月はかかると思いますよー」
「二か月か。ふむ」
デュミナスはしばし腕を組んで考えた。二か月と言うとそれなりに時間がある。となれば自分が取るべき行動は、一体どういう形が最良であろう。
デュミナスはテーブルを人差し指でコツ、コツ、とゆっくり二度叩いた後、
「……次の手を打っておくべきか」
そう小さく溢して、ソファからゆっくり立ち上がる。そして後ろに置かれた机に座るとペンを取り、何やら手紙を書き始めた。
「このお菓子、頂いちゃっても良いですかねー?」
「好きにせい」
「それでは遠慮なく! おおっ、これはこれは、センフェルチェのシュトレンじゃないですかー! あの店貴族御用達の予約制なんで、私じゃあ買えもしなくって……頂きます! ――ん~っ! 甘くて美味い!」
目の前の菓子にフォークを伸ばし、ばくばくと食べ始めたローズを無視しながら、デュミナスは淀みなく手を動かして一通の手紙を認めた。そしてそれを封筒に入れると、また新しく何かを認め始め、それも同じく封筒へ入れる。
そしてキャビネットから蝋と印章を取り出して、唱えた”灯火”で蝋を溶かすと、どちらの封筒にも蝋を垂らして、バージェス侯爵家の印章を押した。
「おおっ、随分と見事な手際ですねー」
「封蝋なんぞ数えきれん程押してきたからな。こんな物、もう見なくても押せるわい」
「それはそれは、流石宰相閣下。苦労が偲ばれますねー」
ソファに体を預けもぐもぐとシュトレンを頬張るローズの、あまりに適当な労い方にため息を返した後、デュミナスは席を立つと再びローズの対面にあるソファへ座り、彼女の目の前に二つの封書を並べて置いた。
皿とフォークを手に持ちつつも身を乗り出すローズに、デュミナスはまず左の封書をつと前に出す。
「これをお前に渡す。バージェス侯爵領の騎士団長ヘイムダル宛だ。しかと届けよ。そして」
彼は次に右の封書を前に出す。
「これはお前の身を保証するものだ。北へ抜ける際に必要となるだろう。これを使って――」
「アルバーン領から北へ抜けて、バージェス侯爵領へ行けって事ですね」
ローズの言葉にデュミナスは小さく首肯した。
アルバーン領は王都から少し西にある領で、北部へ抜ける道を持つ、王都に一番近い領である。
バージェス侯爵領は北部のやや西に位置している。アルバーン領を経由して行くのが一番早いと言うわけだ。
そこまで聞いたローズは持っていた皿とフォークをテーブルに置く。そしてデュミナスに対して慇懃に、その頭を下げたのだ。
「その任務、拝命致します」
そう言った彼女は二つの封書を恭しく受け取り、ウェストポーチに丁寧にしまう。彼女らしくもなく随分と畏まった態度である。が、再び顔を上げた時にはもう、いつもの軽薄そうな顔つきに戻っていた。
「ではではっ、しばらく休んだ後にでも行って参りますねっ」
「そうせよ。ルーゼンバークから王都までたったの五日で走ったのだ。随分と体に負担もかかったじゃろう」
「そうそう。そうなんですよねー。まったく、嫁入り前の美しくも可憐なこの体に、傷でも付いたらどう責任取るって言うんですかねー? なーんて」
けらけらと笑うローズ。デュミナスも相手をするのに疲れたのか、呆れてものが言えないような顔をする。
「よく回る口じゃ……”断罪の剣”はこんな者を窓口に置くほど、人材が不足しておるのか?」
「嫌ですよぉ! そんなに褒められると――その余ったシュトレン貰って行って良いですか?」
「人材不足はどこも同じか……」
テーブルの上の菓子を指差すローズに、デュミナスはもう相手をするのも疲れたのだろう、「好きにせよ」と言いつつ手で軽く払うような仕草を見せた。
「もう良い。下がれ」
「はいはーい。”断罪の剣”のⅨ、確かに報告致しましたっと。おっと、これは回収させてもらいますねー。証拠隠滅隠滅ぅー」
彼女は邪険に扱われた事を気にするでもなく、先程デュミナスが見ていた自分達の報告書を丁寧に回収すると、ついでに菓子も手早く回収して、ぽんとソファから立ち上がる。
そして部屋の隅の背嚢を両手に抱えると、そのまま部屋を出ようとした。
「あ、あのー、宰相閣下。ドア、なんですけど。開けてもらっても宜しいですかねー? あははは……」
だがそんな状態ではドアを開ける事ができず、気付いたローズは申しわけなさそうに声を上げた。
デュミナスは渋い顔を見せるものの立ち上がり、ドアを開けて彼女を通す。
「あ、どーもどーも。いやー至れり尽くせりで申し訳ないですねー」
ドアを通りながらローズはそんな事を宣う。その姿を見ていると、ふとデュミナスの目に、彼女の腰の後ろに刺された短剣が映り込む。
その短剣の柄には赤い宝玉のような物が輝いている。それはまるで先ほどの暖炉の炎のような、赤い輝きを放っていた。
「それではこれより任務に当たらせて頂きまっす! 朗報をご期待下さいっ!」
振り返ったローズはそう元気に言った後、屋敷を一人出て行った。部屋に残ったのはデュミナスと、夜らしい静けさだけだ。
彼はそんな静寂の中で再びソファに体を預けると、先ほどの報告をまた思い返す。
狙われて逃げられた者はいないと言う噂すらある”断罪の剣”。だが彼らはその手を逃れるばかりか、抗い退けたのだと言う。
目を瞑っていたデュミナスは、しばらくしてゆるりと口角を上げた。
「やはり”断罪の剣”程度にはやられぬよな。ふふふ……そう来なくてはつまらぬ」
彼はひじ掛けに両手を突き、ぐっと立ち上がる。目尻には深い皺が刻まれていたが、しかし次の瞬間彼の表情は、ふっと厳しいものに変わる。
「焦るなデュミナス。この機が訪れるのを、お前はずっと待っていたのであろう? 奴の首級を上げ、皆の墓前に供える日を……。バルティ、リーナ……今少し待っていてくれ。必ずや、死をもって奴に償いをさせてみせるからの」
静かに目を閉じたデュミナスは、何やらぶつぶつと独り言を溢し始める。パチパチと暖炉が爆ぜる音が部屋に響いて、そして彼は再び瞼を開いた。
そこにあったのは深い茶色の瞳。その瞳はまるで爆ぜる炎のように、ギラギラと怪しく輝いていた。