339.一時、相談会
代官ヘルブラントとの会談が終わった時、外はもう真っ暗だった。
一行は勧められた夕食を取ってから、各々の寝室で就寝した。そうして日が開けた翌朝に、一行は屋敷の一部屋を借りて再び膝を突き合わせていた。
一つのテーブルを囲んで互いの顔を見つめ合う一行。ベルナルドがそれぞれの目の前に湯気の立つティーカップを配り、フィリーネの後ろにそっと控える。
そのタイミングでまず切り出したのはカークだった。
「昨日の話、皆さんはどう思われましたか?」
牢から出たばかりの頃はかなり顔に疲労を浮かべていた彼だったが、二日間ベッドでよく眠れた事もあり、顔色は随分と良くなっていた。
彼が皆の顔をぐるりと見回すと、遠慮がちに口を開いたのはフィリーネだった。
「わたくしは、代官様は嘘は言っていないように思いましたが……」
フィリーネはそう言いつつも、ベルナルドの様子をチラチラと伺っていた。
昨日の会談で色々とやらかしたため、昨夜は就寝前にチクチクとお説教があったのだ。加えて貴族同士の会話――ヘルブラントの事は特に、あまり信用し過ぎるなとも注意された。
フィリーネ自身は代官の言う事を疑わしく思えなかったが、ベルナルドにそう言われていた事を思い出して言葉が徐々に萎んで行く。
だからであろう、
「私もフィリーネさんと同じで、特に嘘を言っているようには思いませんでした」
「そっ、そうですよね!」
リリから援護が入ると、フィリーネは途端に喜色を顔に浮かべたのだった。
とは言え、それは一瞬の栄華であったが。
「いえ。あれは何か隠しておいででしょう」
間髪入れずベルナルドがそう言い放ったのだ。それはあまりにも強い断定的な否定で、リリとフィリーネが揃って目を剥いた程だった。
「遺憾だが私もだ。閣下は我らの質問に答えると仰っては下さったが、だがそれでも立場上、答えられない内容もあったのだろう」
意外な事に、これに真っ先に賛同したのはオディロンだった。彼はエリート騎士であり、貴族というものに対して抱く信頼は非常に厚い男だった。
しかしそんな彼もルーゼンバークの代官には思う所があったようだ。この事にカークは一瞬驚くが、しかし堅物のオディロンにとってこの町での経験は悪い事ばかりでは無かったようだと、顔に思わず微笑が浮かんだ。
「僕も同意見です。悪意から騙すという感じは受けませんでしたが、でも真実をそのまま話したという感じも無かったです。何か事情があるんでしょうね。それが何かまでは分かりませんが、相手は貴族ですし、まあ色々とあるんでしょう」
カークが思い出すのは代官が話した、エイクが任務を受けていたという点だ。勘だが、あれは嘘であろうとカークは睨んでいた。
しかしカークは、なぜ代官がそんな嘘を付かなければいけないか、そこが分からなかった。ヘルブラントが金に汚い貴族と言う事はカークも知っている。しかしそんな相手を動かせる程、エイク達が大金を持っているとも思えない。
ならば金以外の何かがあるのかと思うも結局その肝心な所が分からず、その先の真実は見えてこなかった。
せめて問題の夜に、自分もリリと共に外に駆け出せたていたら。
牢に捕らえられていた自分の間抜けさが恨めしい。笑顔の裏にそんな苦さを隠しながら、カークは再び口を開いた。
「とは言っても、僕らがする事は何も変わりません」
「先生を追う、と言う事ですね」
「はい」
合いの手を入れるフィリーネに、カークは首肯する。
「でも、エイクさん達の行き先が結局分からないままなんですよね……。折角この町で会えたのに」
と、そこでリリがしょんぼりしながら口にする。
先日の会談でエイクの行方を知りたいと言ったリリに対して、代官はまず、エイクからリリへ伝言があったと口にした。
それは援護してくれた事に対する感謝と、そんなリリを置いて町を去らなければならない事の謝罪だった。
薄々察してはいたものの、エイク達は既にこの町から去った後だったのだ。
そして頼みの綱である代官だが、彼はエイク達の行方について、具体的な場所を知っていたわけでは無かった。
彼が知っていた事は、騒動のあった夜、第三師団の兵士が北門から北を目指して走り去ったため、北に向かったのではないかという、状況からの推察でしかなかったのだ。
今まで一行はエイクの足取りを追ってこの町に来た。その甲斐あって会えたのに、また振り出しに戻ってしまった。
リリの落胆は大きい。しかしそんな彼女へ、オディロンが忌々しそうにフォローを入れた。
「リリュール様、奴が行く場所など決まっております。奴の故郷はここより東、オーレンドルフ領。王都からはるばるここまで来たのです。行かないはずが無い」
第三師団長エイク。かつて天秤山賊団を率いていた彼の故郷はここマイツェン領の東隣にあるオーレンドルフ領である。
この町からはもう目と鼻の先だ。エイクが故郷を離れてより五年。向かわない可能性は限りなくゼロに近いはずだった。
「じゃあこれからまた東に向かうわけですね」
「先生の故郷……一体どのような場所なのでしょうか」
リリとフィリーネは早速オーレンドルフ領に思いを馳せる。エイクの故郷と言うことで、否応なく二人の期待が膨らむ。
そこには一体何があるのだろう。二人の顔にそんな思いが浮かび始めるが、しかしそんな呑気さを叩き切るような冷たい声が、彼女達の意識を引き戻しす事になる。
「待って下さい。その前に、僕から言いたい事があります」
「カーク君?」
その声を発したのはまさかの、いつも柔和だったカークであった。
「オーレンドルフ領はこのマイツェン領よりずっと治安が悪い場所です。犯罪、殺人、略奪などが日常的にある領なんです。今までのような旅行気分で行けば、あっと言う間に身ぐるみ剥がされて、最悪奴隷落ちです。そんな場所に、僕達はこれから向かおうと言うわけです」
「ど、奴隷!? 王国では禁止されているではありませんかっ!」
「フィリーネ様。仰る通りですが、ではこれはご存じですか? 帝国では奴隷制度があると言う事を」
「――まさか、王国の人間を帝国で奴隷に!?」
カークの言わんとしている事を瞬時に理解して、フィリーネは淑女らしからぬ大声を上げた。
他国から人間を攫い奴隷として売りつけるなど、あまりにも冷酷で非情な行為だ。フィリーネはそんな非道を行う人間がこの世に存在する事など、今まで考えた経験も無かった。
あまりの衝撃に言葉を詰まらせてしまうフィリーネ。そのため彼女の後に続いたのは、不快そうに腕を拱いたオディロンだった。
「ふん、そんな人間は逆に倒してしまえば良かろう。所詮悪党、我々の敵ではない。襲って来るなら叩き潰すまでだ」
オディロンは当然だろうと言い放った。悪は倒す――そんな単純明快な思考が彼の態度からありありと伝わってくる。
勧善懲悪という言葉もある通り、それは正しい考えであろう。だがカークはこれをバッサリと切り捨てた。
「今回のような事があってもですか? オディロンさん、僕らがこの町で兵士に囲まれた時、十人以上いたと思います。もし同じような状況になった場合、オディロンさんはあれを何の被害も無く、何度でも倒してみせると言えるのですか?」
二週間前、町で悶着を起こしたオディロンとカークは、町の衛兵達に囲まれるという事態に遭遇した。結果牢屋にぶち込まれてしまったが、しかし今はこうして何とか、五体満足で牢から出る事ができている。
だがこれがもし悪党相手であったなら、戦いを避けるという手段は使えないはずだ。その時オディロンは誰も傷つけず敵を倒せるのかと、カークは彼に厳しく問うた。
カークがちらりと見た先には、リリとフィリーネの姿があった。オディロンは彼の意図を察し、ぐ、と黙り込む。そして絞り出すような声をカークへ返した。
「ごろつき程度の有象無象が集まったところで大した力になりなどしないだろう。私一人でも十分やれる」
「五年前の話ですけど、オディロンさんは王子殿下を護衛して王都を脱する一団にいたんですよね」
「……何が言いたい?」
カークの口にした話は、オディロンにとっては思い出したくも無い記憶だった。
王都を襲撃した魔王軍を前にしながらも、尻尾をまいて這う這うの体で王子を連れて逃げ出したのだ。
無理やり引きずり出されたその記憶に、オディロンの声は低くなる。先程からのカークの態度も相まって、部屋の空気もピリと張り詰めたものへと変わってしまった。
カークとオディロンは、まるで睨み合うように見つめ合う。これにフィリーネとリリはおろおろと視線をさまよわせるばかりだ。
しかし射貫く様な目を向けられているカークはと言えば、まるで怯む様子もなく、真っすぐにオディロンを見返していた。
「オーレンドルフ領でエイクさん達に襲われたんですよね。その時、エイクさん達は一体何人で襲い掛かってきたか、覚えていますか?」
そう言われてオディロンはかつての事を思い出す。あれは北部へと渡るためオーレンドルフ領に入り、領の北西端にある北への抜け道を目指して行軍していた時の事だった。
北への抜け道は、王国中央に鎮座するゼーベルク山脈に作られたトンネルを通ると言うものだ。そのため王子ら一行は山へと向かい北に進んでいたのだが、その道は街道と言うにはあまりにも荒れている、石や岩がそこらに散乱する凹凸の激しい場であった。
更に、周囲に立ち並ぶ木々も視界を邪魔し――枯れ木ばかりで鬱蒼とはしていなかったが――、警戒濃くして進む王子軍は、精神的にも肉体的にも消耗を強いられる事になったのだが。
そんな時、百に近い山賊達が突然現れ、彼らの進路を塞いだのだ。
それはオーレンドルフ領で一大勢力を誇る大盗賊団。つまり、エイク率いる天秤山賊団であったのだ。
幸いその山賊達は王子軍に襲い掛かって来る事は無く、襲ったのは手違いであり水に流して欲しいと、話し合いで解決する事となる。
だがもしあのまま戦いとなっていたら、当時三百程度だった王子軍は、果たして無事に北部へ渡る事ができただろうか。
カークは珍しく真剣な表情でオディロンを見つめていた。その眼差しに頭の冷えたオディロンは、彼の瞳を見ながら考える。
答えは言うまでも無かった。
しかしそれを口にする事は、彼の自尊心が許さなかった。
「……君の言いたい事は分かった。だが行かぬという選択肢は我らにはない。我らに課せられた任務は奴を王都へ連れ戻す事だ。放棄するという事はあってはならない。そうだろうカーク君」
「ええ。その通りです」
「――君の考えを聞かせてくれ」
その口調からオディロンの決意が感じられ、カークは真剣な顔つきをふっと柔らかく崩した。
「まず一つ。オディロンさんだけでなく皆さんにもお願いしますが、何があっても兵士に喧嘩を売るような真似は止めて下さい。オーレンドルフ領の兵士はオディロンさんの言うごろつきと殆ど変わりません。もし何かあった場合僕が対応しますから、僕に任せて下さい」
「む。だが、それは状況にも――」
「オディロンさん。僕を信じて下さい」
言葉を言いかけたオディロンだが、カークから真剣な眼差しを向けられて、その言葉を飲み込んだ。
初めは騎士と兵士と言う壁のある関係だった。しかしこの四か月という旅の中で、オディロンとカークの信頼関係は非常に強固なものとなっていた。
「分かった。君を信じる」
「ありがとうございます」
真剣な顔つきのオディロンに頷いた後、カークは二つ目、と続きを話した。
「単独行動はしない事。それに、何かする場合は一人で決めず、必ず誰かと相談するようにして欲しいんです。できれば僕かベルナルドさんと一緒にいてもらうのがベストです」
「ベルナルドと?」
「はい。ベルナルドさんもあの領について明るいのでは?」
フィリーネに問われ、彼女の後ろに目を向けるカーク。ベルナルドは穏やかに微笑みながら、そこにしゃんと立っていた。
「そこまで詳しくはございませんが、オーレンドルフ領には私も何度か訪れた事がございますね」
「え……そうなの? 一体いつ?」
「ほっほ。さて、あれはいつでしたか。まあ今、そのような事は良いでしょう」
ベルナルドは軽く笑って受け流すと、話をすぐに本題へ戻した。
「お嬢様。確かにオーレンドルフ領は、カーク様の仰る通りの危険極まりない場所でございます。ハルツハイムと同じように振舞われれば、身の安全は保障できかねます。どうか行動には細心のご注意を」
「わ、分かったわ」
にこやかな表情で怖い事を言う執事に、フィリーネはごくりと唾を飲み込んだ。心なしか顔も青ざめている。そんなフィリーネにカークはゆるゆると顔を横に振った。
「そのために僕らは最大限、できる限りの事をしようというわけです。で、三つ目ですけど。これはリリュール様へのお願いになりますね」
「え、私ですか?」
「はい」
三つ目と聞いて今度は何だと神妙に聞いていたリリ。しかしここで突然思わぬ話を振られて、彼女はぽかんと口を半開きにした。
「幸い僕らは代官様と知己を得ました。とは言ってもあの方は僕らには全く興味がないので、協力を取り付けるのは不可能です。ただですね、どうしてかリリュール様にはかなり執着しているみたいなんですよね」
「え……そうですか?」
「はい。で、ですね。オーレンドルフ領に行くまでに少し対策をしたいんですけど、実はちょっとお金が入り用でして。何とか代官様から捻出して頂けないかな~と思っているんですよねぇ」
言いにくそうに曖昧に笑い始めるカーク。だがその内容は貴族を金ヅルにしようという、とんでもない内容だった。
「カークさん、流石にそれは……」
「いえいえっ! 不当に出させようとかは全然思ってないですよ! 本当ですって! そんな目で見ないで下さいよ~っ!」
フィリーネにじっとりと見つめられ、カークは慌てて弁明する。そして今度はリリに対して、慌てて自分を弁護もした。
「あ! でもリリュール様が嫌であれば、勿論他の手を考えますよ! 絶対にして欲しいとか、そんな事は無いですから! どうします!?」
思いがけない言葉に目を瞬かせていたリリ。しかしカークに問われると我に返り、少し逡巡した後、彼に問い返す。
「それはエイクさん達を追うために必要なものなんですよね?」
「ええ、それは勿論そうですね!」
「ヘルブラントさんに何か、悪い事をするような内容ですか?」
「え? あ、いいえ。お金は随分使わせる事になると思いますけど。でもあの方はリリュール様に何か贈りたいみたいだったので、丁度良いんじゃないですか?」
「そういうものですか?」
そうだと言われても、リリはカークの言う理屈がよく分からなかった。
そもそも何かを贈られるような理由すら分かっていないのだ。うーんと悩むリリだったが、そこへ助け舟を出したのはベルナルドだった。
「リリュール様。理由はどうあれお相手は貴族ですので、あまり断り続けるというのも先方の面子を潰す事にもなります。ある程度受け入れた方が良いかと存じますよ」
「そういうものですか……」
リリは貴族の面子など知らないし、なぜヘルブラントが自分に執着しているのかも分からない。しかし今ここで分かったのは、それがただただ面倒であると言う事と、それをカークが解決してくれそうだと言う事だった。
「まあ言った手前なんですが、僕もリリュール様に何か欲しい物があるなら、そちらを要望した方が良いのだろうなとも思いますが……何かありますか?」
カークに再び問われたリリは、今度はにっこりと微笑みを浮かべた。
「それじゃあ、カークさんに全面的にお任せしますね」
人族の事を理解したいとは思う。
しかし、よく分からない面倒事は御免こうむりたかった。
リリはそれを、カークに丸投げする事に決めた。