338.ヘルブラントとの会談
「先生が……!? ヘルブラント様、それは一体どういう事なのでしょうか!?」
真っ先に反応したのはフィリーネだった。身を乗り出すようにしてヘルブラントへ問う態度は淑女らしからぬものである。
そのため隣のベルナルドに咎めるような目を向けられてしまうが、彼女はそれと気づかぬ程に、先程のヘルブラントの言葉に気を取られていた。
それもそのはず、フィリーネの知るエイクは師団長とは思えぬような、破天荒かつ自由過ぎる人間だった。緘口令を敷くなどと言った厳格な命令は彼女の印象からは程遠く、全く信じられなかったのだ。
だからフィリーネがこれを疑ったのも致し方がない事だ。だが彼女に驚きの目を向けられても、ヘルブラントはあいまいな笑みを浮かべつつ、勿体ぶるようにわざとらしい咳ばらいをした。
「貴殿らは師団長の友人のようだ。それにこちらの手違いで迷惑をかけた事もある。話す事に問題はないと思うが、だが他には漏らさぬよう願う」
そうして彼は今回、この町で起きた事を話し始めたのだ。
「実は昨夜、この町に魔族が出てな。その事が発端となり、町の一角が壊滅的な被害を受けたのだ」
「なんと、魔族!? 町は無事だったのですか!?」
今度声を上げたのはベルナルドだ。彼は魔族と聞き驚愕を隠せない。
「いや実は――それは魔族ではなかったのだ」
しかしヘルブラントはそう言いつつ一つの物を取り出して、そっとテーブルの上に置いたのだ。
「これは……マスク、でしょうか」
「覆面。しかも魔族を模した……。成程、そう言う事ですか」
カークとベルナルドがほぼ同時に小さな感想を漏らす。テーブルの上に乗せられたのは、タヌキの頭部の形をした被り物であったのだ。
「あっ、結構可愛いですね、これ」
「え……か、可愛い、でしょうか……?」
ヘルブラントの一番近くに座っていたリリが手を伸ばし、びろんとマスクを広げて見せる。リリは楽し気に笑うものの、フィリーネは横に引き延ばされたタヌキの真顔を見て、引きつったような声を出していた。
「それで。卿はこれが一体何だと仰るのか」
皆がそれに釘付けになるが、そんな中ただ一人違う反応を示したのはオディロンだ。彼はちらとマスクを一瞥しただけで、再び鋭くヘルブラントを見据えたのだ。
疑惑を隠さないオディロンは威圧感すらまとっており、並みの者なら怯んだ事であろう。
だがヘルブラントは、そんなオディロンへ目を細めるだけだ。騎士が子爵を威圧するという不敬に対しての言及すらしなかった。
「どうやら第三師団に秘密裏に与えられた任務だったようでな。今回の件は、代官である私にすら秘匿された作戦だったのだ」
「その、秘匿された作戦とは?」
ヘルブラントは低い声を上げたオディロンに対し、
「敗走し、どこぞへと消えた魔族らを釣りだし捕縛するための作戦だ」
と応えたのだった。
「第三師団はこの町で、その作戦の途中だった。だが魔族に扮した兵士共をある連中が魔族と勘違いして攻撃したのだ。その結果町には少なくない被害が出てしまった……それが今回この町で起きた顛末だ」
「その、ある連中とは一体何者なのでしょうか」
「”断罪の剣”と名乗っていたそうだが。それ以上は私は知らん」
話を続けるヘルブラントに質問を投げたのはベルナルドだ。彼はこんな状況でも普段通りの穏やかな表情だったが、しかし代官から返ってきた言葉に、ほんの一瞬だが顔を固くする反応を見せた。
「”断罪の剣”……」
フィリーネが小さく呟く。リリも珍しく真剣な目を代官へ向けていた。
「第三師団は”断罪の剣”と交戦の末町から退避したそうだ。だが町に被害を出してしまう事となり、私が調査に乗り出すと考えたのだろう。だからこうして代官の私に連絡をして来たのだ。任務についての説明と、緘口令を敷くようにとな」
そこで一旦言葉を切ったヘルブラントは、じろりとオディロンへ目を向けたのだ。
「想定外の事態さえなければ代官にも秘匿しようという作戦だ。一体誰から下された任なのか、想像できるのではないかね? ならば師団長という立場でありながら私に緘口令を敷けと命令するのも理解できよう。完全な越権行為だからな」
緘口令を敷く場合、その町においては代官か、その上司である領主でなければ下す事ができない。師団長にはそのような権限も無ければ、代官へ命令する権利も無いのだ。
無論状況に応じて相談などはあっても良いだろう。だがこれが命令となれば話は変わった。
ヘルブラントはそこを指摘し、第三師団に与えられた任務が誰から下されたものか想像しろと、オディロンへ言ったのだ。
実はこの話、ヘルブラントは真実を話していない。エイクは緘口令を敷いて欲しいとお願いしただけで、命令などしていない。そしてエイクは企てに強力してくれと伝えただけなので、当然第三師団に任務を与えた上なども存在しない。
だがヘルブラントは、どうせ彼らには口外を禁ずるのだから、信憑性が高まるならどれだけ嘘を交えても構わないと考えていた。
そして今はこの、権力に忠実そうな男を納得させられればそれで良い、とも。
「どうだ? 王宮守護騎士であるという君なら、すぐに察せると思うが」
少し臭わせて顔を見れば、相手もその意味に気付いたようだ。
「……失礼した。どうか続きをお願い致す」
オディロンは鼻から大きな息を吐きだすと、そう言って両腕を組み、むっつりと口を閉ざしてしまうのだった。
「宜しいでしょうか!」
次に声を上げたのはカークであった。彼はピンと手を上げ、ヘルブラントを真っすぐに見つめていた。
「君は?」
「王国軍第二師団、第二大隊第四中隊所属、カークです! 発言を許可頂けますか!」
「許可しよう」
「ありがとうございます!」
カークは勢いよく立ち上がり深々とお辞儀をした後に、ヘルブラントへ疑問を投げる。カークは先程ヘルブラントがした会話に、少しの不自然さを感じていた。
「詳細はお話しできませんが、我々は王都を離れた第三師団長を連れ戻すよう任務を受けております。ですがその第三師団長がこの町で任務に当たっていたと言うのはどういう経緯なのでしょうか」
連れ戻せと言われている人物が遠くの地で別の任務を受けていた、と言うのは確かに少々不自然であろう。
そこにカークが疑問を感じたのは別段おかしくなかったが、しかし相手は然る者、曲者の貴族であった。
「さあ、私も詳しくは知らん。だがお前達は第三師団長を連れ戻す任務を受けているのであろう。知りたいのであれば直接本人に聞く事だ。もしかしたらまた近くにいるかも知れんぞ」
ヘルブラントは興味の無さそうな声を出し、そちらでやれと言ってくる。そればかりか言外に、早く任務に行けと言ってのけたのだ。
彼にとってカーク達は金にもならない邪魔者だ。早く出て行って欲しいからこそのこの言葉であり、それが分かった貴族のベルナルドとオディロンは、内心面白くなく感じていた。
また質問したカークと言えは、ここまでバッサリ切って捨てられては返す言葉もない。
「そうですか……失礼致しましたっ!」
カークは諦めて素直に着席するしかなかった。勿論内心は納得していない。だが貴族を相手に追求できる程のカードが無い今、引き下がるより他なかったのだ。
代官は今回の件について当然説明すると先程口にしたが、どうにも胡散臭い。ベルナルドはどうすべきかと一人思案する。
(どうやら我々を歓迎する気が無さそうですな。この代官はあまり良い話を聞かない貴族……色々と聞きたい事はありますが、また面倒事となるのは避けておきたい。深い追及は止めた方が良さそうですな)
ルーゼンバーク代官の人となりはベルナルドも良く知らないが、しかし良い噂を聞いた事は一度も無い。
自分一人ならともかく、今はフィリーネやリリも一緒なのだ。彼女らの身の安全を確保する方が優先と、彼は素早く判断をした。
ただ、牢へ入れられていた事に関しては、ここで口にしなければならないだろう。しなければ逆に不自然だ。
ならば軽く突いておく事にしようと考えて、ベルナルドはその口を開いた。
「閣下、私から宜しいですか。ただ今ご説明頂いた件とリリュール様が投獄された件について、一体どういう関係があるのかご説明願えますか」
「うむ。それについては本当に心苦しく思っているのだ」
するとヘルブラントは意外にも、眉を八の字にしてそう口にした。
「そちらの青龍姫様はエイク殿と知己があったため、”断罪の剣”と交戦中だった第三師団の援護に入ったらしいのだ。だがその戦闘中に兵士共に見つかってな。容疑者として捕らえられたというわけだ」
ヘルブラントがちらりと見れば、リリもこくりと首肯した。
「この町は容疑者を言い分も聞かず牢に入れるのですか」
「貴殿はハルツハイム伯爵家に仕えているのであったな。このマイツェン領はそちらと違って狼藉者も多い。故に、取り締まりは厳しく行っている。青龍姫様を巻き込んだ事は申しわけなかったが、この町の治安を守るためだ。非難は甘んじて受けるが、この町を守る代官としてこの方針を変えるつもりは無い」
ベルナルトの軽い非難にも、ヘルブラントは平坦にそう返した。確かに特に違法ではないため、これを強く非難する事はできない。
しかしこの説明、もっともらしく聞こえるのは気のせいだろうか。もやもやとしながらもその気持ちを胸の奥へ押し込んで、ベルナルドは次の質問を口にした。
「リリュール様の件に関しましては理解致しました。リリュール様、恐れ入りますが、この件についての話は一旦後にさせて頂いても宜しいでしょうか」
「はい」
頷いたリリを確認してから、ベルナルドはまた話を続けた。
「では続きまして。閣下、オディロン様とカーク様が二週間もの間投獄されていた件についてはご存じでしょうか」
「うむ、遅まきながら報告を受けた。が、どうやら完全にこちらの落ち度のようだ。申しわけない事をしたな。投獄した兵らは今は謹慎中だが、近いうちにクビにするつもりだ」
「クビ、ですか」
「うむ。いい加減な報告を上げ、彼らを放置したのだ。兵の本分を疎かにする無能はこの町には必要ない」
確かに職務を全うしない兵は解雇されても仕方がない。だが、ベルナルドはどうにも、この男が本当の事を話しているとは思えなかった。
(カーク様とオディロン様が牢から出されてからまだ一日も経っていない。だと言うのに、兵をクビにする判断があまりにも早過ぎる。この男は本当に、この件を精査したのでしょうか……?)
ベルナルドはそんな疑惑から一瞬口を閉ざしてしまう。するとそこへ、ヘルブラントが畳みかけるようにこう続けた。
「この程度で溜飲が下がらんというのであれば、もっと重い罰を科す事も考えるが。言ってみよ、そちらにはその権利がある」
と、ベルナルド、そしてオディロンとカークにも目を向けたのだ。
オディロンとカークはちらりと目配せをし合う。解雇以上となると相手は兵士だ、普通なら与えられない体罰などの刑罰もあり得た。
借金地獄か。鞭打ちか。それとも大罪人が送られるルヴェル鉱山もしくは流刑地ガゼマダル行きか。
二人は確かにあの待遇には我慢がならなかった。だが流石にそこまでを望んでもいなかった。
二人は無言でベルナルドを見る。顔を見て、ベルナルドも理解したようだ。
「いえ、それ以上は望みません」
「そうか。随分と寛大な事だ。奴らは貴殿らの広い心に感謝せねばならんな」
二人の意思を伝えれば、ヘルブラントは呆れたような声で了承する。こうしてこの町で受ける事になった不当な待遇について、決着がつく事となったのだった。
一行にとってはスッキリしない終わりであろう。だが彼らにとって、今現地の貴族と事を構えるのは好ましくなかった。
とりあえずこれ以上想定外の事が起きずに済んだかと、ベルナルドはほうと小さな吐息を漏らす。
一方で、ヘルブラントも面倒な会話の終わりに内心安堵の息を吐いていた。
ヘルブラントは彼らを適当に立てつつも、真面に相手をする気は全く無かった。
彼らを立てるのは理由あっての事だ。エイクに魔石を貰った事。そして彼らがリリの同行者であったからに他ならない。
同行者の心象は良くしておくに越したことは無いのだ。そして粗方の話が済んだ今、彼にとってはここからが本題であった。
「あの、ちょっと良いでしょうか」
(――来たっ!)
どうアプローチをしていくか。ヘルブラントが考え始めたそんな時、その相手から声がかかってきて、彼はどきりと胸を弾ませる。
「ヘルブラントさんにお願いがあるんですが……」
控えめに手を上げたのは、彼が重要視する本人、リリであった。
(先程の、牢に入れられた件だな。さて、一体何を要求されるか……うぇひひっ)
彼はそう思いつつもそんな感情はおくびにも出さず、
「ええ。何でしょうか青龍姫様」
と声を上げる。ヘルブラントの発した声は今までとは全く違った、非常に好感の持てる音色をしていた。
青龍姫は文字通り青龍族の姫である。今の王国は龍人族との友好を重んじる方向へと舵を切っており、無礼があってはならない事はヘルブラントも知っている。
それなのに彼はリリを牢に投獄してしまった。いかにこの町の治安のためとは言え、貴人を投獄などすればただでは済まない事は明白だった。
だからヘルブラントは、リリからどんな――例えば、この街に一番の豪邸を建ててくれなどど要求されようとも、はいと言うつもりでいた。
彼は金のためなら命を投げ打つのは当然と考える男である。
リリはエイクから良くしてくれと言われた人物だ。エイクから受け取った金分の依頼を遂行するため、彼は何としてもリリには牢獄に入れた事を許容し、かつ機嫌を良くしてもらう必要があったのだ。
そんな事とは知らない周囲は、彼の突然の豹変に目を丸くした。だがリリは特に気にすることも無く、続いて彼へそのお願いを口にした。
「先程カークさんが言った通り、私達はエイクさん達を追っているんです。ヘルブラントさんは、エイクさん達がどこへ言ったかご存じではありませんか? もしご存じなら教えて欲しいんです」
そのお願いはあまりにも、ヘルブラントが考えていたものとはかけ離れていた。
思わず目を見開くヘルブラント。そんな彼を見るリリの目は、少しのブレも無く真っすぐに彼を捉えていた。
ヘルブラントはリリを牢に入れた事を非常に気にしていた。だが一方のリリは彼とは違い、自分が牢に入った事を殆ど気にはしていなかった。
町で暴れた事は事実だし、容疑者を逃がさないようにする処置は当然だ。もしこれが人族が青龍族の里で暴れたという逆の立場なら、自分達もそうしただろう。
だから自分は不当に入れられたのではないと、リリはそう考えていた。
もちろん二週間もの間牢に入れられていたオディロンとカークの事には思うところはあったけれども、しかしそれについては落ち度があったと彼は先程正直に認めたばかりだ。
それに彼は自分達を牢から出すため、あんなに必死に走って来たではないか。
リリの彼へ抱く心象は、彼が考えるよりもずっと良かった。つまりリリとしては、自分が牢に入れられたのは当然の事であり、こうして出てきて謝罪もされたのだからもう良いか、という心境だったのである。
「そ――んな事、ですか? そんな事は勿論お話し致しますが。そう、他にもっと何かありませんか? 遠慮なくご要望頂いて構いませんよ?」
リリにはヘルブラントを追求する気が全くなく、ただ気になる事を質問した。
だがこれが予想外の効果をもたらす事になる。
「……? いいえ、他には特に何もありません。あっ、そう言えば、ここに来て初めて貰った食事は美味しかったです! あれ、どこかで買えますか?」
「か、買えるかなどとんでもないっ! 私がご用意いたしますよ! ええ、いくらでも言って頂ければっ!」
ヘルブラントにとって大切な物は金である。その金をむしり取ろうとする人間は、彼にとって唾棄すべき敵である。
だが金というものは皆が欲する物であり、だからこそ懐柔するのにも役立つ。だからヘルブラントはリリの心を金で買おうと画策していたのだが、しかしここで予定が狂った。
リリは彼に何か金品を要求するでもなく、ただ友人の行き先だけを問うたのだ。
完全に想定外である。ヘルブラントは珍しく焦り声を上げていた。
「ほ、他にはございませんか? 何でも言って頂けましたら、お好きな物を用意致しますよ! 何かございませんか!?」
「え? あの、それよりも私はエイクさん達の行方を――」
「何と、必要ないと!? そ、そんな馬鹿なっ! あ、いえ、これは、違うのですよ! うぇひひひっ!」
「は、はぁ……?」
このままではリリの心象は悪いままだとヘルブラントは焦りに焦る。
「ドレス、アクセサリー、宝石など! どんな品物でもご用意致しますが!?」
「い、いえ。別に私はいりませんけど……」
「うぇひぃっ!? な、なぜぇっ!?」
彼はそれから、リリをもてなそうと必死に言葉を尽くす事になる。しかしリリはすぐにエイクを追いたいからと、ヘルブラントの要求を一顧だにせず、ただ探し人の行方だけを彼に問うた。
これについにヘルブラントは、叫びながら立ち上がった。
「すぐに旅立つと!? いえいえっ、そのような事は仰らずに、どうかしばしご滞在を! 精一杯おもてなしをさせて頂きますので! うぇひ、うぇひひひっ!」
「は、はぁ……」
彼は必死にリリを行かせまいと押し止める。その熱意はすさまじく、流石にリリも引いていた。
だがそうも熱心に引き留められれば、流石に断り続けるのも角が立つ。結局リリ達は折れる事となり、屋敷に二日の滞在をする事となった。
「滞在して頂けると! それは! それは僥倖っ! それではアッセル子爵家精一杯のもてなしをさせて頂きますぞっ! うぇひひひっ!」
その返事を聞いた時のヘルブラントはどうしてか額に汗を浮かべながら引きつったような笑いを浮かべていたのだが、一行がその理由を知る事は最後まで無かった。