337.牢獄の中の三人組
「夜が、明けますね……」
鉄格子を見上げながらカークが呟く。彼の視線を追えば確かに、黒一色だった外の色に、僅かな白が混じり始めていた。
「一体僕らは、いつまで牢に入れられていなきゃならないんでしょう……はぁ」
この町の兵士達と悶着を起こし、牢に入れられたのは今から二週間も前になる。その間カークとオディロンはずっとこの冷たい石の牢の中で、暮らす事を強いられていた。
ハルツハイム伯爵家の家令であり、ヴェーゲナー男爵でもあるベルナルドが兵士達と話をつけてくれたため、ある程度の不便は解消できている。
食事はベルナルドが真面な物を用意してくれるし、三日に一度体を拭く事も許された。だからカーク達は長く牢に入れられているにも関わらず身綺麗ではある。
だがいるのは牢の中だ。今は冬。石造りの牢は寒々しく、カーク達の体から熱を容易に奪う。
ベルナルドは暖を取る物の持ち込みも交渉してくれたが、流石に脱獄の懸念もあると、物を牢に入れる事は許可されなかった。
カークは王国軍の中でも上澄みの兵士であり、オディロンも王宮守護騎士を任ぜられたエリート騎士である。多少の寒さで参るほど柔な鍛え方はしていない。
しかし息も煙る牢の中で、彼らは二週間も耐えて来た。それに、すぐに出られると思っていた予想を裏切られ続けている事もあっただろう。
彼らの心はここに来て流石に、余裕が無くなり始めていた。
「ぬぅ……ッ! 私は……私は……っ」
「……オディロンさん?」
そしてそんな時、彼らの他にもう一人連れて来られた者がいて。
「私は――もう我慢の限界だーッ!!」
胸に燻ぶらせていた感情は、容易に爆発したのである。
「ちょ、ちょちょちょちょっ! 待って待って! オディロンさん待って!」
「待ったさ、ああ待ったさ。だが――私はこの王国の騎士としてこの理不尽かつ不合理な状況をもうッ! 看過する事はできんのだァーッ!!」
オディロンは突然激昂し、体からオーラを立ち上らせ始める。カークはこれに焦るものの、オディロンはもう止まらなかった。
「このような場所に青龍姫であるリリュール様を入れるなど、愚挙! 愚昧! 愚劣ッ! 二週間というあまりに長い時をやっても自分達では何も判断できぬ無能の極みの兵士共よ! この王宮守護騎士オディロンが、一人残らず矯正してくれるわッ!!」
我慢が限界を超越したオディロン。その最大の理由は、今牢の隅ですやすやと丸くなって眠っている一人の人物にあった。
昨日の事だ。この町で暴挙を働いた者達がいたらしく、兵士達はその関係者と思わしき容疑者を捉え、この牢に放り込んだ。
それがなんと彼らの連れである、青龍姫リリであったのだ。
牢にいた二人は当然、町でそんな事が起きていた事など知らなかった。だがリリが町で暴れるなど、余程の理由があってもあり得ない。当然こんな牢に入れる必要など無いと、声を大にして主張した。
だがルーゼンバークの兵士達は容疑者であるからと聞く耳をもたず、それどころか犯罪者同士仲良くしろと、女性であるリリを男性二人のいる牢へ問答無用でぶち込んだのだ。
兵士へ飛びかからんばかりのオディロンをカークが必死に宥めたため、彼は何とか一日は我慢した。
だが、一日が彼の限界だった。オディロンの怒りはもう限界を突破し、天を焼き焦がす程に猛り狂っていたのだ。
「ぬぅおおおおおおおーッ!!」
鉄格子を両手でがっしと握り、オディロンは咆えた。黒の鉄格子はぎしぎしと悲鳴を上げながら、徐々にくの字に曲がっていく。
カークはそんなオディロンを、必死に宥めようと言葉をかける。
「落ち着いて下さいオディロンさん! そんな事したら、いくら何でも言いわけ出来なくなりますよ!?」
「言いわけなど、無用だーッ!!」
「何言ってるんですか!? 正気に戻って下さい!」
「私は正気だ! 正気に戻ったッ!! この様な牢の中で過ごすなど、今までの方が正気では無かったのだっ!」
男二人は怒鳴り合うように話をする。冷たい石牢は声を反響させ、わんわんとうなりを上げている。
だがこんな状況でもリリは未だにすやすやと寝息を立てている。産まれてからずっと洞窟暮らしだったリリにとって、牢の中は故郷と似ており、居心地はそう悪くなかったらしい。むしろいつもより熟睡できていた程だ。
だがそんな事はオディロンは知らない。知っていたとしても関係なかった。
ここは牢で、リリは青龍姫だ。それだけで理由は十分だった。
「ぅおおおおあああーッ!!」
オディロンの体が眩いばかりのオーラを放つ。すると鉄の格子はまるで粘土のように、ぐにゃりとひしゃげて大口を開ける。
「ああああーッ! 何をしてるんですかオディロンさんーッ!?」
人間が通り抜け出来る程に開いた鉄格子に、カークは頭を抱えて悲鳴を上げた。
唯でさえ不審者扱いされているというのに、脱獄なんてしたらどう言葉を尽くしても犯罪者一直線である。
今この場には自分達の身を保証してくれて、かつこのルーゼンバークで顔が利く人物がいない。最悪即縛り首でもおかしくない状況なのだ。
「元に戻して下さい今ならまだ間に合いますッ!」
地獄への片道切符をその手にして、カークはオディロンに掴みかかった。しかしオディロンは悪びれもせず、むしろ誇らしげに胸を張る。
「心配無用ッ! この町の兵士なぞ、このオディロンが成敗してくれるわッ! どけカーク君!」
「いや成敗しちゃ駄目ですよ!? 何言ってるんですか! あ、ちょっとっ!」
「ううーん……どうしたんですかぁ?」
何とかオディロンを止めたいカークだが、オディロンは牢の外へずかずかと出て行ってしまう。その騒ぎでようやっとリリも目をこすって体を起こすが、時はすでに遅かった。
「一体何の騒ぎだッ!?」
「な――!? だ、脱獄だっ! 脱獄だーッ!」
騒ぎを聞きつけた兵士達が槍を手に駆けて来てしまったのだ。彼らは牢から出ているオディロンを見て、立ち所に大声を上げた。
槍をこちらへ向けて構える兵士達。しかしオディロンは体からオーラを立ち上らせたまま、平然と彼らを睥睨していた。
「来たな痴れ者共めが……リリュール様をこの様な石牢に投獄した罪、この私が償わせてくれるわッ!」
オディロンは素手である。しかし武器を構えている兵士を前にしても、ずんずんと無警戒に歩いて行く。
確かにオディロンは王宮守護騎士の中でも、王族らの警護を任ぜられた近衛騎士――つまりエリートである。徒手空拳でも一般の兵士なぞ相手にならないだろう。
だが今、そんな事は問題ではない。問題はそこではないのだ。
カークは慌てて牢から飛び出して、オディロンを後ろから羽交い絞めにした。
「すみませんね兵士さん達! この人長い間牢にいて頭がヤバくなっちゃったんですよ、ハハハ! 今連れ戻しますんで――ほらオディロンさん行きますよ! 迷惑かけちゃ駄目でしょう!」
「迷惑をかけられているのはこちらだ! 離せカーク君! このオディロン、もう容赦せんッ!」
二人は兵士の前で激しく揉み合った。流石にこんな状態では、リリの寝ぼけた頭も異常事態と気付いたらしい。
「えっ、一体何をしてるんですか!? ――って何ですかこの鉄格子!?」
眠気も吹き飛び、リリは二人に続いてひしゃげた鉄格子から飛び出した。だがもう一人牢から出て来た事が、かえって兵士達の警戒心を煽ってしまう。
その場は一触即発の様相へと変わる。オディロンと兵士とのぶつかり合いはもう、避けられないように思われた。
「待て待て! お前達、待たんかぁっ!」
だがそんな時、男の大声が牢に響き渡ったのだ。
声の主らしき男はこちらへ全力で走って来る。その後ろには鎧を鳴らし、慌てて走って来る多くの兵士達の姿もあった。
突然の事に虚を突かれ、カークとオディロンも呆けてしまう。そんな彼らの下へ男はずかずかと歩いてくると、槍を突き付けていた兵士達の頭を「この馬鹿者!」と叩きつつ、三人の前に歩み出てきたのだ。
「ふむ」
男は三人を素早く観察すると、リリに目を向けて一つ頷く。かと思えばニッコリと笑い、こんな事を言ったのだ。
「青龍姫リリュール様とお見受け致します。馬鹿な部下共が大変失礼致しました。私はこの町の代官、ヘルブラント・アッセルと申します。今回の件、色々と手違いがございまして……お詫びもさせて頂きたいので、まずは私の屋敷へお越し頂けないでしょうか」
もちろんご友人も一緒にと笑顔を見せるヘルブラントを前にして、三人は思わず顔を見合わせてしまった。
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牢を出た三人は、入れられる前に押収された武器を受け取った後、ヘルブラントの屋敷へと招かれる事となった。
人の良いリリはこれを全く疑っていなかったが、しかしオディロンとカークの二人は違った。二週間もの間牢に入れ続けられた事もあっただろうが、普通代官が突然牢に現れるという事はまずない。だから二人は裏でもあるのかと訝しみながら屋敷へと足を踏み入れたのだ。
だがそこで待ち受けていたのは本当の歓待だった。ヘルブラントは今までの疲労もあるだろうからと彼らを大きな風呂へ入らせた後、豪勢な食事を三人へ提供し、その後はそれぞれの客室へと押し込んで、まず疲れをとるよう三人へ勧めたのだ。
リリは膨れたお腹に満足しながらいそいそとベッドに潜り込んだが、分断されたという事もあってオディロンとカークはまだ訝しんでおり、すぐにはベッドに入らなかった。
しかし石畳の上に薄い布を敷いただけという寝床で二週間過ごしていた彼らには、柔らかなベッドという誘惑はあまりにも強烈だった。
結局賽は投げられたのだと腹を決め、二人はベッドに体を沈ませ泥のように眠った。
そうして三人が再び揃ったのはその日の晩。
先に起きていたリリがヘルブラントに伝えたため、屋敷にはハルツハイム伯爵の娘フィリーネとベルナルドの姿もあった。彼らは実に二週間ぶりに一堂会し、客間のテーブルにつく事となったのだ。
メイドがワゴンを押して入ってきて、皆の前に紅茶を配っていく。高い物を使っているのだろう、芳醇な香りがふわりと漂い始めるが、そこにいる誰もが手を付けず、ヘルブラントを真っすぐに見据えていた。
リリですら手を伸ばす気配が無い。そんな一同の様子にヘルブラントは微笑んでいたが、実のところ内心は、少々面倒だなと舌打ちをしていた。
「それではヘルブラント様。今回の騒動についてのご説明をお願い致します」
そうしてベルナルドが口火を切る。ヘルブラントは子爵位。更に癖が非常に強い貴族だ。そうと知っていたカークは、まず出だしを男爵であるベルナルドに任せるのが妥当だろうと、皆に既に説明済みだった。
「そちらには大変迷惑をかけたからな、無論話すつもりだ。だがその前に、約束して欲しいのだ。今回の件については口外しない事を」
「なんだとっ」
だがそれもすぐに崩れる。最初に声を上げてしまったのはオディロンであった。
「まさか不正を隠蔽するおつもりかっ。そのような腹積もりであればこのオディロン、王宮守護騎士の名において絶対に約束する事はできませんっ!」
オディロンは訝しみながらも、自分達を牢から解放してくれた王国貴族であるヘルブラントの、良心を信じたいと思っていた。だからこそその思いを踏みにじられたように感じ、顔に怒気を浮かべて立ち上がった。
「いや、そうではない」
だがこれに対してヘルブラントは、彼を片手で制して言った。
「命令があったのだ、この件について緘口令を敷けと。貴殿らの友人であると言う、第三師団長からな」
思いもよらない言葉を受けて、皆の顔には驚愕が浮かぶ。そんな中ヘルブラントだけは余裕の微笑みを浮かべていた。