333.大団円と、そして
「どうやら森の外には誰もいないようです」
森の外の様子を確認してきたノエルが俺達をぐるりと見回して言う。面が割れていないのはノエルと親父さんだけ。だから彼女に偵察をお願いしたのだが、どうやら”断罪の剣”の待ち伏せは無かったらしい。
俺達は視線で会話を交わした後、無言で頷き合う。そして意を決して森の外へと出る事にした。
数分程歩いて森の外へ出るとノエルの言ったように人の気配はまるでなく、月明かりに照らされた平原と、町へと続く一本伸びる道があるだけだった。
俺は小さく息を吐く。奴らの待ち伏せが絶対あると思っていただけに、この予想外の事態は気味の悪さがあるものの、同時にありがたくもあった。
「連中、諦めたのか?」
「いえ、と言うよりも恐らくは……」
「恐らくは?」
俺の呟きをスティアが拾う。しかしその先を言わない彼女に焦れたのか、ガザが先を促すように声を掛けた。
「この前の戦いで向こうも少なくない手傷を負いましたから、任務遂行に支障があると考えて一旦引いたのでは、と」
「一旦、ね……」
襲って来た四人に対して与えた手傷に決定的なものはなかったが、しかしスティアの言うように、軽傷でもなかったのは間違いなかった。
連中がそれをどう捉えたのかは分からない。だがここから引いてくれたのなら、こちらとしても都合が良かった。
「エイク殿。連中の事はどうする?」
「どうもこうも、襲って来ないなら放っておこうぜ。俺はもう関わりたくねぇよ」
「そうか……」
ガザは俺の答えを聞くと妙に真剣な顔をして、ふいと町の方角を見やる。
「もっと鍛えなければ。……次にまみえた時には汚名を返上させて貰うぞ」
そしてガザは両拳を固く握り締めながらぽつりと溢した。
その決意は頼もしいが、だが次だなんて不吉な事を言わないでくれ。永遠に遭いたくねぇわ、あんなはた迷惑な連中にはよ。
「それであればルーゼンバークには戻らない方が宜しいですわね。彼らがまだ町に滞在している可能性もありますし。確か次の目的地はバイゼルでしたわよね?」
「ん? ああ」
町の方角を見るガザを見ているとスティアが会話の続きを口にして、俺はそちらへ向き直る。
「オーレンドルフ領に入る前に、山ほど買い溜めしておかなきゃならないからな」
バイゼルはこのマイツェン領東端に位置する、最後の大きな町である。何か揃えたいのであればこのバイゼルが、事実上の最後の町であった。
と言うのも、ここより東には俺の故郷オーレンドルフ領と、大罪人の流刑地ガゼマダル領、そして不毛の大地と呼ばれる荒野地帯しかない。
オーレンドルフ領を含めてここより東は土地は痩せ、木々は枯れ、食べ物は育たず、動物魔物も飢餓に飢え死ぬ、極めて貧しい場所である。
食料は金以上に貴重であり、硬貨は価値を失っている。物資を購入するなど現実的に不可能に近い。だから旅に必須な物資に関しては、バイゼルで調達するより他なく、どうしても立ち寄る必要があったのだ。
「食い物なんかは最低でも三か月分は欲しい所だが、そうなると買い占めるくらいの気持ちでないといけないかもな」
「バイゼルへの道は、この近くだとルーゼンバークから南に伸びる街道しかありませんわね。念のためその街道も使わない方がよろしいでしょう」
確かに。俺達が東へ向かっている事は”断罪の剣”も承知しているだろう。なら道中での待ち伏せも考えられるため、避けた方が無難なのは間違いなかった。
「避けて行くの? えーちゃん」
「それっきゃねぇだろ。よし」
俺を見上げるホシに首肯して言う。
「ここから真っすぐ東に向かおう。街道も何もない場所を突っ切る事になるが、奴らの待ち伏せ考えればそっちの方が安全だろ」
俺がそう提案した時だった。
「大将。もしかしてそのバイゼルってところでも、連中が待ち伏せしてるって可能性はないんスかね」
鼻先にしわを寄せたデュポに痛い所を突かれて、俺は頭をがしがしと掻いた。確かに俺達が次にバイゼルに向かうルートはかなり読みやすい。ならバイゼルで網を張っている可能性も高いのは自明の理だった。
「お、おいデュポっ。不吉な事を言うんじゃないっ」
「でもよぉオーリ。そのバイゼルってところが主要な場所なら敵もそう考えるのが普通だろ?」
「まさかデュポに正論で言い負かされるとは……」
「なんで俺馬鹿にされてんだ?」
オーリが焦ってデュポを窘めるが、デュポの言う事は真っ当だった。
実は俺もそこには気が付いていた。だが物資の確保を考えれば、バイゼルに向かうのはどうしても避けられないため言葉にしなかっただけだった。
「バイゼル以外で物資を補給できる場所があればな……」
「エイク殿、物資とは何だ?」
俺がそう独り言を溢すと、そこに口を挟んだのは親父さんだった。
「それがな――」
俺は俺達の目的と、物資が必要な理由を話す。すると合点がいった親父さんは、ふむと小さく頷いた。
「屋敷にはそれなりの貯えがある。それを使って貰っても構わんぞ。ノエル、この人数だと屋敷の貯えではどの程度もつ?」
「そうですね……。つい最近、冬に入る前にと用意したばかりでしたので、薪や油などの燃料は一季節分はございます。ただ食料品につきましては、節約して一月と言ったところかと」
「おおっ。薪が潤沢にあるのはありがたいな! 本当に貰って良いのか?」
季節は冬となり、これから寒さが増していく。野営なども考えれば燃料は必需品であった。
「こちらには返しきれん程の恩がある。遠慮せず貰ってくれ」
声を上げた俺に親父さんがにこりと笑う。
これは渡りに船だったな。後に残るは食料の問題だが。
「ん? どうしたバド?」
ここで俺の肩を突いて来るのはバドだ。彼は俺と目が合うと、ばたばたと何か踊り出した。久々の肉体言語だ。でも全然分かんね。
俺は困ってスティアを見る。スティアも困った顔で俺を見返していた。
「たぶん……現地調達すればいいよ、みたいな事を言っているのでは?」
「料理は自分でするよって言っているかも!」
スティアとホシが何とか翻訳すると、バドは少し逡巡した後にこくりと頷く。ちょっと翻訳が違ったみたいだが、概ね言いたい事は合ってたっぽい。
だが現地調達か。それはちょいと現実的じゃ無いな。
「忘れたか? 長い事王国軍が駐留してた影響で、この辺りには魔物や動物が殆どいなくなっただろ。実際ルーゼンバークに来てから一匹でも見たか? 現地調達はちと現実的じゃ無いな」
肩を落とすバドを見ながら、俺は顎を撫でる。
「だが、そうだな……。それじゃあ北のクアッドラに行ってみるか」
「クアッドラ?」
「ああ」
きょろりとこちらを向いたホシに顔を向けながら俺は言う。
「バイゼルに比べりゃごく小さな町だが、かき集めれば一か月分くらいは手に入るかもしれん。シャドウの中にも半月分くらいあるし、そうすりゃ二か月半だ。それだけあればまあ、何とかなるだろ」
少なくとも暗殺されるよりはマシである。俺は言いながらも、もうクアッドラに行く方向に心がかなり傾いていた。
「クアッドラに向かう途中に大きな森も一つありますしね。その森にも寄って行きましょう」
「バドさんの言う通り現地調達できれば、という事ですね」
「ええ。休むのにも丁度良いですし、寄らない手はありませんからね」
ロナの相槌にスティアがにこりと笑みを返した。なるほどね、身を隠すなら森の中ってな。”断罪の剣”から逃げる今、そういう配慮も必要だろう。
どうやら取るべき方針は決まったようだ。俺は皆の顔をぐるりと見回して、異論がないのを確かめた後、口にした。
「それじゃあ今のうちにさっさとずらかるか。あんな連中にまた絡まれたら堪らねぇしな」
「でもえーちゃん。りりちんは?」
「あっ」
が、そういやまだやる事があったのをホシに突っ込まれて思い出した。
俺をじっとりと見つめるホシから目を逸らしつつ、俺は懐に入れていたそいつに手を伸ばした。
「ノエル。悪いが頼まれてくれるか?」
「私ですか?」
「ああ。まだ今は夜明ける前だ、アンタなら容易いと思ってな。こいつをルーゼンバークの代官……子爵のヘルブラント・アッセルに渡してくれ」
懐から出したのは一通の手紙。そして大きめと小さめの、二つの革袋と、一つの小さな木箱だった。
ノエルは受け取りつつ不思議そうな目を俺へ向ける。
「これは?」
「何、奴への餞別さ。奴は信頼できないが、だが逆に最も信用ができる。こいつを使えばな」
このルーゼンバークで王国軍を一年以上駐留させた代官、ヘルブラント。奴を嫌う貴族は多いが、だが俺はその清々しいまでにクズな所が嫌いではなかった。
奴にならリリを任せられる。俺から代官の屋敷の場所やこの手紙についての話を聞いたノエルは、軽くカーテシーを見せた後町へとかけて行き、すぐに姿が見えなくなる。
「えーちゃん、あれで大丈夫なの?」
「ああ。問題ねぇよ」
「少し心配ではありますが……。わたくしも問題ないと思いますわ」
もう彼女の姿も無い道を見つめながら、俺達はそんな会話をしていた。
「そうなの?」
「ええ。まあどちらかと言えばノエルの方が心配ではありますが」
「のえちんが心配なの? 何で?」
「いえ、日の出までもう一時間ほどしか時間がありませんから。無事に戻って来られるのかと」
「心配ないぞラスティ」
「お父様」
そんな話をしていると、そこへ親父さんが口を挟んだ。
「ノエルは潜入捜査もお手のものだ。手紙を要人に渡すなど赤子の手を捻るより容易い。場所も分かっているのだ、すぐに戻るさ」
「でしたら良いのですが」
二人の会話にはもう過去のわだかまりなど欠片も感じられない。ふと会話が途切れた瞬間、何気無く見たスティアの横顔に、俺は釘付けになる。その顔はどこかいつもよりも穏やかで、憑き物が落ちたような表情だった。
不意に考えていた事が頭に浮かび、俺の口からついて出た。
「良かったじゃねぇかスティア」
「え?」
「お前、自分が親に愛された事なんてないって前に言ってたけどよ。でもそれが間違いだって分かったじゃねぇか」
目を見開くスティアへ、俺はからりと笑った。
「お前の名前も、たぶん母親から貰ったもんだろ? 親の愛情を受けてないなんてとんでもねぇ誤解だったが、だがそんな事実もここに来なければ分からないままだったんだ。お前は最後までルーゼンバークに行くのを嫌がってたけどよ、ここに来て大正解だったな」
「貴方様……」
スティアはしばし目を丸くしていたが、ふ、と目を細めると小さく頷いた。
スティアの言っていたようにルーゼンバークを避けていたら、この結果は訪れなかった。それどころかスティアと親父さんの誤解は永遠のものとなり、スティアの血縁者はこの世から消えていただろう。
これ以上の最良は無かった。
良で妥協するな。最良を奪い取れ。
山賊の矜持を最も良い形で果たし、結果手に入れたのが目の前の光景ならば、文句のつけようなどあろうはずもなかった。
「いや、ラスティエトラの名を貰ったと言うのは少し違う」
そしてそこにまた、更に一つの最良が加わる。
「ラスティエトラとは本来、別の意味があるのだ。だがその言葉が我らには馴染みがなくてな。それに出会った当初、妻は名前というものを持っていなかった。だから私はその意味を、妻の名前として呼んでいたのだよ」
「そうなのですか? その意味とは?」
スティアは父へ疑問を口にする。親父さんは優しい瞳でスティアを見返した。
「ラ・スゥティ・エ・トゥーラ……これは精霊の言葉で”光の大精霊”を意味するそうだ。私はその言葉から、妻をラスティエトラと呼んでいたのだ。妻も気に入っていたしな」
「精霊の、言葉……」
「そうだラスティ。そしてお前の名前の元となったラ・スゥティという言葉もまた、ある意味があるのだ。ラは”大いなる”。そしてスゥティは”光よ”。この二つを繋げたラ・スゥティは、直訳すれば”大いなる光よ”となるが……精霊にとっては少し違ってな。こんな意味なのだそうだ」
一拍置いて彼は告げる。自分の妻が娘に名付けたその意味を。
「”光あれ”、と――」
それは娘の未来を願った母親の願いだった。
察しが良いスティアが分からないはずは無く、彼女は零れそうなほど目を見開いた後、顔を背けて下を向く。そんな娘を見つめる親父さんは、どこかほっとしたような顔をしていた。
妻の思いを告げられたからだろうか。これからこの二人には家族としての時間がたっぷりある。ゆっくり仲を深めて欲しい所だが、しかしそれはそれとして。
俺からも彼女へ一つ、言ってやりたい事があった。
「と言うかスティアよぉ。お前、忘れちゃいないだろうな」
「え?」
下を向いていたスティアがこちらを向く。何を言われているか分からない様子の彼女へ、俺は昔の話を持ち出した。
「お前、言ったよな。自分は誰にも、両親にすらも愛された事がない。憎まれた事しかない。そんな人間が誰かに愛されるなど、幸せになるなど絶対に許されるはずが無い、ってな」
それは今から一年ほど前に、俺がスティアにプロポーズをした時の話である。
スティアはそう言って俺の告白を断ったわけだが、今となってはその考えが間違いだと分かったわけで。
俺はニヤリと不敵に笑う。
「で、だ。それが勘違いだったって分かったんだ、もうその理屈は使えねぇぞ」
「え、あ――え?」
「俺は諦めが悪くてね。今この場で返事を聞かせて貰おうかスティアさんよ。どうだ、俺と一緒に故郷に来てくれるか?」
まあ嫌と言ってもこの後故郷に戻るんですがね。ニヤニヤとスティアを見ていると、彼女は首から顔まで真っ赤に染まっていく。
そんな彼女は突然両手で顔を覆ったかと思えば、
「い、今は堪忍して下さいまし~っ!!」
そう言って迷いの森へと掛けて行ってしまった。
「なっ!? スティア殿、そっちは森だぞ!? また戻るつもりかっ!?」
「すーちゃん、待ってーっ!」
「がはははは! あいつ、まーた逃げやがったな!」
「おいエイク殿、今のは一体どういう意味だ? 事と次第によっては恩人の貴殿であっても容赦はせんぞ?」
その場には困惑の声や笑い声、そして怒声のようなものまでが上がり始める。だがそんなものを置き去りにして、スティアは走り去ってしまう。
やれやれ、ちょっと揶揄い過ぎたか。半分冗談だったものの、やり過ぎたかもしれないな。
「詳しい話を聞こうじゃあないか。なあエイク殿?」
「俺から説明してもいいんだがな。そいつはアンタの娘の口から聞いた方が面白いと思うぞ? はっはっは!」
何か怖い顔をして詰め寄って来る親父さんをなだめながら俺は笑う。このルーゼンバークに来てとんでもない目に合ってばかりだったが、俺はやっと一息つけそうな空気を感じていた。
更に同行者を二人増やして、俺達は目的地への旅を続ける。オーレンドルフを目指して王都を出てからもう四月が経っていた。
故郷はもう、目前だ。