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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第六章 迷いの森と闇の精霊

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332.説得の決め手は

 屋敷を影に入れる事ができるか、との問いかけに対してシャドウの取った行動は、マンドレイクのみっちり詰まった革袋を出す事だった。

 ……いや、何が言いたいのか全然分からん。何? これをどうしろって言うの? ホシの言うように、丸呑みにしろって事は無いと思うが。


「えーちゃん、これどうするの?」


 ホシがマンドレイクを持ったまま俺に聞いてくる。だがそんなもの俺が分かるはずも無い。


「食えって事、だよな? ……誰が? 俺か? いや……うーん」


 俺はそのジジイ顔の謎野菜を前にして、顎に手を当てながら考えをそのまま小さく口にする。


「これがあの、旦那様の口に入れられたと言う」

「言うなノエル」


 ノエルと親父さんの呟く様な声が聞こえる。シャドウに親父さんを煽るような意図はなかったと思うが、流石にこれは哀れである。

 親父さんは辛そうに顔を歪めている。そんな彼をチラリと一瞥してから、俺は再びシャドウに声を掛けた。


「こいつを使って何かしようって事だよな? だが誰に食わせるんだ? ――もしかして、お前にか?」

「貴方様、シャドウって、物を食べられるんですの?」

「分からん。けど、もう消去法でそれしかないだろ」


 シャドウが今まで何かを口にした事は一度も無い。というか、そもそも口があるかも謎である。

 だからスティアの疑問は最もだが、しかし俺達はユグドラシルの里で一度マンドレイクを食べており、大きな効果が得られないのは確認済みだ。ここでまた使えという事はまず無いだろう。


 そうするとノエルか親父さんかという話になるが、親父さんは先ほど使ったようだし、ノエルに使ったところでこの事態をどうにかできるようには思えない。

 となると可能性としては、もうシャドウしか残っていなかったのだ。


「どうだ? シャドウ」


 とは言え今までシャドウは自主的に、何かしたいとか欲しいとか、そういう事を伝えてきたことが無い。だから俺はそう思いつつも半信半疑だったのだが、


「どうやら当たりのようだぞ、エイク殿」


 腕を組んで見ていたガザが面白そうに言う。シャドウがうにょんと伸び上がり、大きな丸を作ったのだ。

 まさかと思ったが正解だったとは。自分の勘の鋭さが末恐ろしいぜ。なるほどシャドウの意図は分かった。

 だが一体どうやってこのマンドレイクをシャドウに使うのか。


「まあ、別に構わねぇけど。お前、どうやって自分にこいつを使うんだ?」


 俺がそう口にすると、シャドウは喜ぶようにうねうねと激しくうねり始める。そして革袋を持っているホシへ、くいくいと手招きするような仕草を見せ始めた。

 たぶんこれは持ってこいという意味じゃ無いな。中身を自分にくれとでも言っているような、そんな仕草に俺には見えた。


「これが欲しいの? いいよ! ほーれっ!」


 ホシも同じように感じたんだろう。袋の底を両手で引っ掴んだホシは、躊躇いなく俺の影へ中身をぶちまけた。


「あーっ!!」

「そんな、まさか全部!?」


 ぼろぼろとジジイ顔のニンジン(トッラ)が影の中へと落ちていく。ユグドラシルの里でマンドレイクが欲しいとゴネたロナとオーリが頭を抱えたが、ホシはお構いなしだった。


 革袋の中身は全部影に吸い込まれていく。その数二十はあっただろうか。

 シャドウはそれを全部飲み込むと、まるで準備万端とでも言うように二本の腕を突き出して、むん! と力こぶを作るような動作をする。


 そして――


「な!? ななな、なんじゃこりゃあっ!」

「あははは! しゃどちん凄いっ!」


 シャドウはゆっくりせり上がり始めると、そのままどんどんと大きくなっていき、屋敷の高さを軽く超えるまでに膨れ上がってしまったのだ。


「……なんと」

「ヒョエーッ! 何だありゃスゲェッ!」


 親父さんの呟きとデュポの笑い声が聞こえる。だが他の面々はあまりの光景に、ぽかんと見上げるだけだった。

 あの姿、まるで小山だ。同じく見上げる俺の前で、シャドウは上から下まで続く(うろ)のような空間を作り出すと、まるで巨大生物が飲み込むかのようにして、屋敷を一飲みにしてしまう。

 そして開いた口が開かない俺達を置き去りにして、シャドウはどぶんと影の中へ戻って行ってしまった。


「スゲースゲー! 屋敷が消えちまった!」

「おー! すげーすげー! あははは!」


 屋敷は消えてなくなって、後に残ったのは茶色の地面だけとなる。想像を超える事態を前に上手く言葉が出てこず、聞こえるのはホシとデュポが歓喜に小躍りする明るい声だけだった。


 俺は呆然としながら無言で足元に目を落とす。そこにいるシャドウは、どうだと言わんばかりにぷるぷると激しく震えていた。


 うん、凄かったよ、凄かった。確かに滅茶苦茶凄かった。ビックリし過ぎて言葉が出なかったよ。

 けどさ、いつも通りに収納するんじゃ駄目だったのか? 影に引きずり込むいつもの奴じゃ何がいけなかったんだよ。


 何が言いたいかって言うとさ。

 無意味な事にベストを尽くすんじゃねぇよバカ! お茶目さんかお前は! 誰に似たんだ全く!


「……屋敷は大丈夫なのでしょうか」


 しばらくして、呟く様なノエルの声が聞こえてはっとする。そりゃそうだ、あんな光景見たら不安になるのも無理はない。

 影の中でバラバラになってた、なんて事になったら目も当てられんぞ。


「悪い、デュポ、オーリ、あとノエル。シャドウの中に屋敷が入ってるか、ちょっと見て来てくれっ」


 俺は影の中には入れないため魔族達とノエルに頼むと、


「ガッテン! 行って来るぜ!」

「お安い御用だ」

「か、かしこまりました」

「アタシも行くっ!」


 と、三人はおまけのホシと共に影の中へ消えて行った。

 全く、ホシが行っても役に立たんだろうに。どうせ何も見えなかった、とか言って帰って来るだけなのに仕方のない奴である。


「まさか屋敷ごと飲み込むとは……。底知れんな、大精霊の力と言うのは」

「お父様」

「いや……そうだな。そうだった。そもそもが人が推し量れるようなものではないのだったな、精霊という存在は」


 がりがりと頭を掻いていると、親父さんとスティアの話し声が聞こえてくる。だが親父さんの声はどうしてか、少し嬉しそうなものだった。


 親父さんはスティアの頭に、微笑みながらぽんと手を置く。少し恥ずかし気にするスティアだが、彼女はその手を拒まずに受け入れていた。


 その姿はまるで普通の娘のようだ。俺が隣のバドに顔を向けると、彼もまたこちらに顔を向けた。

 俺と目が合ったバドは一度ちらりとスティアの方を向き、そしてまたこちらを向く。ゆっくり小さく頷く姿に、彼の心情がありありと現れていた。



 ------------------



 その後十分程して影の中から戻ってきた皆は、屋敷がそのままそっくりシャドウの中にありそうだと口を揃えて言った。


 ありそうだ、と言うのはシャドウの中は光が全くなく、何も見えない状態だからだ。シャドウの中に入り慣れている魔族達や、暗い中で生活し慣れているノエルは何とか屋敷の中を探索でき、そう判断できたようだが、一方興味本位で付いて行ったホシはやっぱり何も分からなかったようだ。


「ホシ、お前は何か分かったか?」

「ぜーんぜん! 真っくらくらの真っ黒け!」


 こんな有様である。お前何しに行ったんだ。まあ楽しそうだからいいけどよ。


「そういや今まで入れてた俺達の持ち物とかはどうなったんだ?」

「全て確認はしていないが、屋敷の外にあったようだぞ。恐らく今までの空間はそのままに屋敷一軒分を新たに拡張して、そこに屋敷をすっぽり入れたのだと思う」


 気になっていた事にはオーリが答えてくれた。なるほど、じゃあ屋敷が入ったことで容量が足りなくなって、今まで入れていた物が入らなくなると言う事はないらしいな。


 さて、これで屋敷の問題は解決したが、こっちはどうだろうかね。先程からもめている方向に目を向ける。

 そこには必死に説得するスティアと、眉間にしわを寄せる親父さんの姿があった。


「お父様、お一人でここに残るなどやはり無理です。また今回のような事が起きたらどうされるおつもりですかっ」

「ラスティ、分かってくれ。先程の戦いでキールストラ派の多くが倒れた。今私が離れては、万が一の時対処できん可能性があるのだ」


 親父さんをこの町にいさせたくないスティアと、出て行く事を渋る親父さん。二人の会話は先ほどからずっと平行線で、解決する兆しが見えなかった。

 まあ親父さんにとってもこの町を出て行くのは心残りだろうな。長い間ここに住んでいて、一族の行く末をずっと思い悩んでいたのだから。


 だが屋敷の問題が片付いた今、もう彼がこの町にいる理由は殆どないはずだ。

 そして俺が親父さんとスティアのどちらに味方するかと言えば、当然言わずもがなであった。


「まーだそんな事言ってんのかよ。さっきも言っただろ? もう完全に世代交代させたらどうだって。去り際ってのは見極めが肝要だぜ? いつまでも居座るおっさんは若い奴らに嫌われるぞ」


 笑いながら二人の会話に割って入ると、二人の顔がこちらを向いた。

 

「いや、しかしだな」

「あのキールストラの野郎に任せるんだろ? いい加減子離れしちまいな。ガキってのは過干渉の親を嫌うもんだぜ。少し離れて見てるくらいが丁度良いんだよ。この町にだって何かあったらまた戻れば良いじゃねぇか」

「……付き合ってくれると言うのか?」


 親父さんがこの森を出る際にシャドウの力が必要なら、戻る際にも当然必要になる。つまり俺もまたこの森に戻らなければならないと言う事だ。

 だがそんなものは今更である。


「んな事聞くんじゃねぇよ、水臭ぇな、当たり前じゃねぇか」


 そんな事を改めて聞くなと苦笑しながら、俺はスティアを手招きする。するとスティアと、ついでにバドとホシも、何だ何だと近寄って来た。


「どうされましたの?」

「いいから。もうちょい寄れ」


 俺は更に手招きし、スティアにこそこそと耳打ちする。すると彼女は信じられないとでも言いたげに、目を零れんばかりに見開いた。


「え!? そ、そんな事をしろと仰られましても――!」

「何言ってんだ。お前、ちょこちょこ俺にもするじゃねぇか。今更文句言ってんじゃねぇ、ここ一番、渾身の一発を頼むぜおい」

「ちょ、ちょちょちょっ! 貴方様、本気ですかっ!?」


 俺の両肩を掴んでがくがく揺さぶるスティア。だが俺は至って真面目であった。


「健闘を祈る」

「いのる!」

「無茶苦茶言わないで下さいまし!?」


 親指をピッと立てると、ホシとバドも同じ仕草でエールを送る。スティアが悲鳴のような声を上げるが、今はそれが一番良いのだ。お前の親父の事だ、後は任せた。


「うううう……」


 嫌そうな声を上げながら、スティアがとぼとぼと親父さんのもとへ戻って行く。親父さんはそんな娘の様子を困惑しながら見つめていた。

 さて、あの顔がどんなふうに変わるのか見ものだぜ。俺はスティアが親父さんの近くへ寄り、ふっと上目遣いで見上げる様を黙って見守った。


「ラスティ。何かは知らないが、だが私はこの町から出るつもりはないと――」

「お父様……っ」


 親父さんの言葉を遮るようにして出されたスティアの声は、震えるような音色を奏でていた。


「勝手なのは分かっています。でも私は……お父様とこれから一緒にいられるかと……っ。お母様の話なども、もしかしたら聞けるかも、と……そう思ってっ」


 はっと親父さんが息を呑むところへ、スティアは更に畳みかける。うるうるとさせたスティアの目から、涙がぽろぽろと零れ出したのだ。


 出たぞスティアお得意の”湧水(ウォーター)”を使った嘘泣きが。スティアの奴、俺の血が欲しい時とかにたまにするんだよな、この無駄に芸の細かいおねだり攻撃をよ。


 俺も最初はいきなりの事に滅茶苦茶ビビッて慌てたものだ。まあ≪感覚共有(センシズシェア)≫ですぐに看破したけども。

 だが親父さんはあれを演技と見破れるかな。あの親子は関係が随分とこじれていやがったからな、あのおねだり攻撃はきっと、親父さんには覿面(てきめん)に聞くだろうぜ。


「どうか、私の一生に一度のお願いを聞いて頂けませんか、お父様……? うっうっうっ……!」

「ラ、ラスティッ!?」


 スティアが止めの一撃を放つと、親父さんは面白いくらいに慌ててスティアの両肩をがっしと掴んだ。


「わ、分かったっ! そのくらい何という事は無いぞ、うむっ! だからもう泣く必要はないぞっ! な、なっ!?」

「……本当ですか?」

「ああ本当だとも! 私は絶対に嘘はつかん! よし、今すぐこんな町は出よう! ノエル、お前も良いなっ!?」

「渋っていらっしゃったのは旦那様だけですよ」


 どうやら無事陥落したようだ。全く簡単なのか面倒臭ぇのか分からん親父だぜ。

 アンタらはな、長い間負わなくてもいい不幸をずっと背負っていたんだよ。ここらでそんなもんは放り投げて、家族一緒に暮らしたって良いじゃあねぇか。

 

 大慌ての父親に肩を抱かれるスティアの顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。

 いつものすまし顔でない彼女はあまりにも新鮮で、思わず俺は笑ってしまった。

 いや、俺だけでなく、ホシも魔族達もノエルも、皆が皆笑っていた。


「すーちゃん顔真っ赤!」

「もう分かりましたから、止めて下さいましーっ!」

「ぐはっ!?」


 ホシに指摘されると、スティアが親父さんを思いきり突き飛ばす。その羞恥に染まった大声は、静かな森に大きく響いた。

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