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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第六章 迷いの森と闇の精霊

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331.シャドウの提案

 その後、侯爵は敗北こそ認めなかったものの、戦いを続けることは無意味と判断したらしく、闇夜(あんや)族達に戦闘を止めるように宣言した。

 戦いを止めれば、後に残るのは傷ついた者や息絶えた亡骸ばかりである。これにアーリンアッド公爵家は保有する治療薬を提供する判断をし、その決断が多くの闇夜(あんや)族達の命を救う事になった。


 襲撃した事を寛大に許した事。その上治療薬まで提供した事。彼らはアーリンアッドに対し、あまりに大きすぎる借りを作る事になった。

 親父さんがどこまで考えていたかは分からない。だがその借りがある限り、公爵家を脅かす者が現れる事は、今後しばらく起きることは無いだろう。


 死者と負傷者を抱え、立ち去っていく侯爵一派を見つめながらそんな事を思っていると、


「すまなかったな」


 と、親父さんが声を掛けて来た。


「あん? なんだ藪から棒に」

「この様な真似をされたのだ。オズヴァルドの首を取ってやりたかったのだろう?」


 俺は親父さんへ振り返る。皺だらけの老人から初老の男へと変わった親父さんの顔は、若かりし頃を想像できる精悍さがあったが、そんな顔に今浮かぶのは、しょぼくれたような感情だった。


 若返りに勝ち戦。良い事づくめだったってのに、しけた(ツラ)してやがんなぁ。

 俺はへっと軽く笑った。


「確かに奴にはムカついてたけどな、でも殺してやりたい程じゃねぇよ。アンタがぶん殴ってくれたからスカッとした。そいつでもう十分だ」

「……そうか」

「そんな事よりも、俺はそっちを気にした方が良いと思うぜ」


 俺はちらりと親父さんの隣を見る。そこにいたスティアは非常に不満そうな顔で、去っていく侯爵一派をじっとりと見ていた。

 親父さんも気付いたのだろう、スティアの顔を見て驚いたように目を見開く。だが俺がニヤリと笑いかけると、親父さんも困ったように笑ったのだった。


 死んだ者達は少なくなかったが、殺す事よりも倒す事を優先したため数は二十人程に収まった。俺自身甘いと思わなくも無かったが、結果として判断に間違いはなかったと言えるだろう。


 侯爵達が去ったこの場には、荒らされた地面と赤茶色に染まった跡、そして鉄の臭いだけが残った。

 そんな場所に残された俺達は、再び正門前に集合していた。


「改めて、エイク殿。そして他の者達も。闇夜(あんや)族の揉め事に付き合わせてしまってすまなかった。そして、この身を救ってくれた事に深く感謝する」


 親父さんはそう言って俺達に深く頭を下げた。後ろではノエルも同じように深々と頭を下げている。

 まあその面倒事のいくらかはシャドウ絡みだったように思うが、それに関しては実力で下してやったのだ、もう絡んでは来ないだろう。


 一件落着という奴だ。ならもう聞いても良いだろう。


「それは良いんだけどよ。聞いて良いか? 何でアンタ若返ってんだ?」


 老人から初老の男へと変貌を遂げた親父さん。皆もやっぱり気になっていたらしく、それぞれ反応をし始めた。


「わたくしも気になりますわ。どうして昔の姿に戻られたのですか? お父様」

「はいはいっ! アタシも気になる!」


 スティアが小首を傾げれば、ホシも元気に手を上げた。魔族達はあまり反応しなかったもののバドもこくこくと首を縦に振っており、これを見た親父さんはフムと、一つ首を縦に振った。


「実は私にもよく分からんのだ。負傷し、シャドウ様の中に入った後の事だ。ロナ殿とノエルに治療してもらったのは覚えているのだが……その後、何かよく分からない物を何者かに口に押し入れられてな。堪らずそれを飲み込んだのだが、どうもそれが私の魔核を再生させたらしい」


 親父さんは「あれは死ぬかと思った……」と遠い目をして言う。彼にとっては一大事だったのだろうが、しかしそんな感想は今どうでも良かった。


「魔核って何だ?」

「お父様、何かよく分からない物とは一体何でしょう」

「誰かって誰?」


 俺とスティア、ホシの疑問がかぶった。だが皆疑問点が違う。

 見たか、このまとまりの無さが俺達だ。

 思わず顔を見合わせていると、ノエルがまず俺の疑問に答えてくれた。


「魔核とはマナを生み出す臓器の事です。心臓に癒着するように存在する小さな臓器なのですが、我々闇夜(あんや)族はこの臓器が発達している程長く生きる事ができると言われております。それが再生したため、旦那様は本来あるべき姿に戻られたのだと推察致します」

「へぇ。その魔核って奴は俺達にもあるのか?」

「マナを宿す生物なら皆あるはずです。魔物にもあるくらいですから」


 なるほどねぇ。初めて聞いたが、その話通りであれば人族にもあるっぽいな。で、闇夜(あんや)族はその臓器によって寿命が変わると。

 ノエルの説明は簡潔明瞭で、簡単に理解できる内容だった。だが俺はその、口に入れられたという謎の物体に心当たりが全くなかった。


 生命の秘薬(ポーション)じゃないんだろう。なら魔力の霊薬(エリクシア)か? ま、まさかとは思うが……俺が作った激臭危険物、竜の大便(ドラゴンシット)だったとか……!?


 親父さんは死ぬかと思ったと言っていたし、可能性としては捨てきれねぇ。そのくらいの効果があっても良さそうな程、拷問級に臭いしな、あれ。

 ただの壊滅的に臭いブツで終わらなければ俺の苦労も報われるが、果たして。


「で、そのよく分からない物とは?」

「申しわけございませんが、私は見ていないのです。何せシャドウ様の中は明かり一つない暗闇でしたので」


 スティアの再度の質問に、ノエルが眉を八の字にして答える。まあそうだよな、あの中に入ると何も見えないんだ。だからその”何か”が何なのかは、ノエルが分かるはずも無かった。


 うーむと顎を撫でる俺。するとここでのんびりした声が後ろから上がった。


「あ、それですけど、たぶんマンドレイクだと思いますよ、どうもシャドウさんがレイグラムさんの口に入れたみたいなんですよね。匂いがそうでしたし」

「――あっ、アレかっ!」


 ロナの一言で唐突に思い出したのは、あの珍妙な物体だった。

 世界樹の里で手に入れた、万病を癒すとかいうニンジン(トッラ)状の何か。あの奇妙なジジイの顔がついた謎野菜を、確かに俺は山程持っていたのだ。


 俺達が食べても内勁(ないけい)――体内の(じん)を練る能力の事だ――を強化する程度の効果しかなかったため、病気に関しての効果は完全に忘れていたが、そういやそんな話もあったわ。それでティナやステフに持たせて帝国に送ったんだもんな。


 なんだそういう事かよ。やっと合点がいった。

 というか、やっぱ竜の大便(ドラゴンシット)はただの大便だったな。期待した俺が馬鹿だった。


「え? アレを調理せず、生で食べさせたんですの?」

「そうなりますね。生を丸呑みで」

「生を丸呑み!?」


 ロナの答えにスティアが目を丸くする。マンドレイクはニンジン(トッラ)よりも一回りはでかい。それを丸呑みとか拷問か? スティアの驚きも当然であった。


「待ってくれ! と言う事は、年老いた者がマンドレイクを口にすれば、永遠に生き続けられると言う事なのかっ!?」


 と、ここで口を挟んだのはオーリだ。どうしてか彼は目を輝かせ、こちらに走ってやってきた。


 確かに、親父さんはマンドレイクで若返った。もし食べ続ける事で若さを保てるのであれば、それは不老である事と変わりがない。

 その効果は闇夜(あんや)族限定なのかもしれないが、事実なら相当ヤバいブツである。また狙われる新たな理由が浮上してきてしまい、俺は渋い顔をしたのだが、


「いや、そうはならないだろう」


 と、それには親父さんがすぐに否定を返した。


「私は本来まだ老いるような年ではなかったが、魔核が機能不全に陥ったため、体が急速に老いてしまったのだ。ところがその魔核が正常に機能し始めたことで、体が元の状態に近づいただけだ。際限なく若返ると言う事は無いだろう。魔核を再生するだけでも信じられない事だがな」


 成程、本来の状態に戻っただけか。それならまあ許容範囲か、まったく冷や冷やさせやがって。

 ふぅと胸をなで下ろす俺だが、オーリの方はそれでも大いに喜んだ。


「それでも、若返りという現象が起きたのは事実だっ! 素晴らしいっ! やはり魔窟(ダンジョン)は不可能を可能にする可能性を秘めた神秘の塊だーッ!!」

「カノーカノーうるさいですよ。また殴られたいんですか?」

「ひぇっ!?」

「さ、行きますよ」


 オーリが小躍りしていると、やってきたコルツが襟首を掴んで引きずって行った。流石コルツだ頼りになるぜ。

 尻尾を股に挟んで引きずられていくオーリ。そんな彼を見送っていると、ぽつりとつぶやく様な声が聞こえた。


「若返ったのではなく、本来あるべき姿に戻った、という事なのですね。何にせっよ、お父様が無事で良かった……」


 スティアは胸に手を当てて、ほっと安堵の息を吐いていた。


 こんな結果になったのは予想外だったが、ともかく本当に親父さんを死なせなくて良かった。でなければどうなっていたか分からん。先ほど去って行った闇夜(あんや)族達も含めてな。


(しかし、シャドウがマンドレイクを使った、ねぇ)


 ふぅむと俺は顎を撫でる。怪我人、しかも老人に無理やり丸呑みさせたというのは頂けないが、しかしそういう行動を取ったと言う事はつまり、シャドウはマンドレイクの効果を正しく把握していたと言う事だ。


 思えばシャドウは精霊だ。ユグドラシルの里で聞いた話じゃ世界樹と精霊は無関係では無いようだし、その辺が関係しているのかもしれないな。


 足元に目を落とすと、そこには俺の影がただあった。昔から不思議な存在だったシャドウ。精霊だという事は判明したものの、結局不思議生物なのは変わらずだった。


「ラスティ、お前にも助けられたな。だがたった一人で突っ込むとは……あまり危険な事はしないでくれ。寿命が縮むかと思ったぞ」

「そう仰る旦那様が、最初に無茶をなさったと私は記憶にございますが」

「ノ、ノエル? い、いや、待て。今はラスティに言っているのであってな――」

「ご自分がなさったことをまず猛省なさって下さいませ」

「う、す、すまん……」

「あらあら。お父様もノエルには形無しですわね」


 俺がそんな事を考えている一方で、こちらは非常に良い雰囲気だ。親父さん、ノエル、スティアの三人が楽し気に話すさまを見ていると、不意にホシが俺の服を引っ張った。


「良かったね、すーちゃん」

「ああ。全くだ」


 バドも両腕を組みながら、満足そうに頷いていた。

 突然襲われるという至極面倒な目には遭った。だが目の前の光景を見ていると、そんな些事はどうでも良くなってくる。

 長い間仲間が抱いていた鬱屈を晴らす事ができた。そして仲間の大切な人を助ける事ができた。その結果は何よりも得難い成果だったと俺は思う。


 まあ贅沢を言えば被害が無ければ一番良かったが。それは望み過ぎと言うものだろうかと、俺はスティア達の後ろを見やった。


「後はこの屋敷だけどなぁ。流石にこのままじゃ不味いよなぁ」

「まっ黒ぼろぼろだもんね」


 そこには黒焦げになった屋敷と、崩れて原型を留めていない正門があった。

 見るも無残な有様で、廃屋さながらの外観にはため息しか出ない。そのうち倒壊しかねない様子で、すぐにでも直さなければいけない状態なのは明白だった。


 だが俺やホシは木造の家を建てた経験は多いが、石造りの家を建てた経験は全くない。他の仲間達にも直せるような者がおらず、要するにお手上げの状態だった。


「屋敷の事は心配いらん。私が何とかしよう」


 するとそんな俺達に気が付いたのか、親父さんがこちらを向いた。

 だが何とかと言っても一体どうするのか。


「何とかってなぁ……こう言っちゃあ何だか、アンタに伝手なんかあるのかよ?」


 容赦なく突っ込むと、案の定親父さんは苦笑だけを返した。


「貴方様、それはちょっと」

「いや、だってよ。そりゃ言うだろうが」


 見かねてスティアが苦言を呈すが、俺だってここは譲らない。

 親父さんとしては、これから旅立つ俺達に心配無用と伝えたかったんだろう。その程度流石に分かるが、だがこの公爵家が村八分――町八分か? の扱いである事はもうバレているのだ。


 そりゃ本当に何とかなるなら俺だってその配慮をありがたく受け取ったさ。

 だがそうでないならば、そんな水臭い事は無しにしたかった。


 それに思う事もあった。


「なぁ。アンタ、やっぱ俺達と一緒に来ないか?」

「何?」

「アンタと侯爵のやり取りを見て思ったんだよ。アンタはここにいない方がいいんじゃねぇかってな」

「……どういう事だ?」


 不思議そうに聞き返す親父さんに、俺は頬の傷を掻きながら答える。


「頼れる人間が近くにいるってのは心強いが、でもその上が偉大過ぎると、下はどうしても甘えちまうんだよ。肝心な時なんかは特にな。そうするといつまで経っても……下の奴は成長できねぇんだよ」


 自分で言ったにも関わらず、胸にしくりと痛みを感じてしまう。まだ引きずっているのかと自嘲する俺を、親父さんは不思議そうに見つめていた。


 俺が天秤山賊団の頭目になったのは今からもう十七年前。その時は前頭目――オヤジは存命だったのだが、結局俺のツメが甘かったせいで、オヤジに尻を拭わせた挙句死なせてしまったのだ。


 頼るべき人間がいると言うのは心強いものだ。だが今まで庇護下にあった者は、自分が引っ張る立場になったとて、庇護下根性はすぐに抜けてくれない。

 今まで自分を引っ張ってくれた者が近くにいれば余計に、だ。


「頼りになる奴ってのは時として、いない方が良い場合もあるんだぜ。この町にはもう、アンタはいない方が良いんじゃねぇか?」

「私はもう必要ない、と言う事か。ふふふ……それも良いかもしれんな……」


 親父さんは目を落として寂しげに笑う。だがそれは一瞬の事で、彼はすぐに顔を上げた。


「しかし言ったであろう、私はここから離れる気はないのだと。エイク殿が先ほど言った事とは関係なく、私はこの町を出る気はないのだよ」

「うーん」


 町に残る――つまり屋敷の事だよな。やっぱ親父さんのこの屋敷に対する思いは固いようだ。

 だがふと見れば、親父さんの隣にいるスティアが困ったような顔で俺を見ていた。


 スティアからすればこの状態で父親を残していくのは心配だよな。どうにかならんかと俺は腕を(こまね)く。

 と、そんな時後ろからガザが話しかけて来た。


「エイク殿。あの屋敷、シャドウ殿に入れてもらう事はできないのか?」

「おっ、それいい案じゃねぇ? 屋敷ごと入ればまるっと解決だしな!」


 デュポもパチンと指を鳴らす。確かに案としては良い。だが俺はそれが不可能である事を知っていた。


「無理だな。あの屋敷はでかすぎる」


 確かにシャドウは影の中に物を入れる事ができる。非常に頼もしい能力だが、しかしその容量に限界が無いわけではなかった。


 王都を出てすぐに俺達はアクアサーペントに出くわしたが、その素材を全て持ち帰る事ができず、結局バドが入る分だけぶつ切りにしていた。

 あの時の奴は魔物としては相当デカかったが、しかし流石に目の前に立つ屋敷程は大きくなかった。


 つまりシャドウの能力では、屋敷一つを収納できるような容量は最初からなかったのだ。


「一応聞いてみたら?」

「ん? んー……。どうだシャドウ。いけそうか?」


 ホシにも言われ、無理だよなぁと思いつつも相棒に声を掛ける。するとシャドウはうにょうにょと全体を波打たせ始めた。

 この反応は一体何なんだ。程々に付き合いの長くなってきた俺も初めて見る動きである。

 見方によっては何か考えるかのようにも見える動きだが。


「一体どうしたのでしょうか?」

「さぁ……どうだろうな」


 スティアが困ったように言うが、俺もそう返すしかない。俺達は黙って波打つシャドウを見つめ続ける。

 すると程なくしてシャドウはぴたりと動きを止めて、今度は別の反応を見せる。だがそれはできるできないという回答ではなく、彼にとっては初めて思われる、提案という行動だった。


「んん? 何だぁこの革袋は?」


 シャドウがぽいと俺の足元に出したのは、一つの大きな革袋であった。


「開けてみよう!」


 訝しがる俺をよそに、ホシが楽し気に袋を開けにかかる。そして中に手を突っ込むと、ホシは一つのものを取り出した。


「マンドレイクだ!」

「ええ……」


 予想外過ぎて尻から漏れたような声が出た。確かにホシが持っているのは、爺さんの顔がついている謎野菜だった。


「えーちゃんも丸呑みしろって事かなぁ?」

「俺に死ねって言ってんのか?」


 シャドウ初となる一つの提案。それは、全く意味が不明なものだった。

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