319.その者の性分
何度めか、再びドーンと大きな音が響いて屋敷全体がぐらぐらと揺れる。天井からパラパラと砂のようなものが落ちてきて、俺達の体でぱらぱらと跳ねた。
「そんな、お父様!」
「旦那様いけません!」
単身キールストラを迎えると言う親父さんに、スティアとノエルが慌てて詰め寄る。だが彼の決意は固く、二人を見る視線は全く揺らいでいなかった。
「何、奴らはこのアーリンアッドの権威を崩したいだけだ。直接戦うような事にはならんさ。それよりも早く行きなさい。ここで時間を使えば使う程、奴らにお前達を匿っていると疑惑を抱かれる事になる」
確かにそれは具合が良くない。だがここで彼を一人敵前に突き出すような真似をするのも気が咎める。
何より彼はスティアの親父さんである。屋敷に来た時のクソ親父が本性だったら喜んで敵に突き出しただろうが、それが誤解と分かった以上、そんな事は流石に止めさせたかった。
「アンタも一緒に逃げるってわけにはいかないのか?」
「そ、そうですわ! お父様も一緒に参りましょう!」
俺が言えば、スティアもいい案だと声を大きくする。
だが親父さんは首をふるふると横に振り、静かな声で否を返した。
「それはできん。私もまたこの森からは出られない宿命だ。そんな私が今ここで逃げれば、この森で生きる場所を失う事になる。そうなれば最後、生きていく術はない。これは我らの戦いなのだ。この闇夜族の行く末を決める、な」
その低い声には彼の確固たる意志があった。
決して許らないという彼の決意に俺達は何も返せず、口を開けない。そんな俺達の顔を前にして、親父さんはどうしてか、すぐにふっと笑った。
「それに、私はこの屋敷から離れる気はないのだ。何せここは私にとって何よりも大切な……。そう、かけがえの無いものが、あまりにも多く残っているのでな」
それはあまりにも優しげな表情であった。
屋敷に残った大切なもの。人もいない、寂れて目ぼしい物も殆どない、そんな状況で大切なものがあると言われて、分からない人間はそういないだろう。
彼にとって屋敷を離れられない程に大切なもの。それはきっと、一族を敵に回しても守りたかった、彼の愛すべき存在と共に暮らした記憶なのだろう。
「私はもう行く。ノエル、裏口まで案内して差し上げろ。そしてこの町からラスティ達を逃がせ。これが最後の命令だ」
「しかし旦那様っ、私は――!」
「エイク殿、頼みがある」
抗議するノエルを無視し、親父さんは俺に目を向ける。
「ノエルの事、貴殿に頼みたい。この屋敷を出た後、そのまま連れて行ってもらえんか」
「え、な、何を!? お待ち下さいっ!」
「ノエルはこう見えて腕が立つ。きっとその”断罪の剣”とやら相手にも十分戦力になるはずだ。これでも三百年前の戦も生き残った戦士だ、絶対に助けになると保証する」
突然の事にノエルが声を荒げて詰め寄るが、親父さんは俺の方だけを真っすぐ見つめていた。
「いや、だがな――」
とは言え俺は口ごもる。突然の頼みもそうだが、しかしノエルもまた闇夜族だ。
いくらなんでも森の外へ連れ出る事は出来ないんじゃないかと、俺の頭にはそんな思いがあったのだ。
そう言われてもと俺は頬の傷跡を掻く。が、俺はそこで気付いた。親父さんが意味ありげに、ちらりと俺の足元に目を向けた事を。
「頼む」
親父さんは再び俺を真っすぐに見つめてくる。その眼差しに俺は、彼がシャドウの能力に勘づいているのだと察した。
これを看破されたのは俺の人生の中ではたったの一回きりだ。その一度はごく最近、自分を大聖女とかのたまう曲者がやってくれたわけだが、それと同じことを目の前の男は指摘しているのだ。
ノエルを影の中へ匿えば、外へも連れて行けるだろう? と。
……これが夜王か。闇の神の加護を受けた闇夜族の王というのは、どうやら伊達ではないらしい。その目は年老いてなお力強く、俺は無意識に首を縦に振っていた。
「……ああ、分かった」
「感謝する」
「旦那様っ! 私はっ!」
ノエルの叫びに続いて大きな衝撃音が鳴り響き、屋敷がぐらぐらと揺れる。
そんな中親父さんはノエルに目を向けて、たったの一言こう言った。
「ノエル。どうか後を頼む」
「――っ」
そうして親父さんは返事を待たずにその場を歩き出す。彼の背中は杖を突く姿ながら妙に貫録があるもので、俺達に声を掛けさせる事を許さなかった。
だがそんな中彼は最後に一度振り返る。その目は他の誰でもない、何十年ぶりかに会った娘を見ていた。
「ラスティ。……達者でな」
スティアが息を呑むのが手に取るように分かった。
俺達は彼の背中を見送る事しかできずにいる。ノエルも覚悟を決めたらしく、彼の背中に深々と頭を下げていた。
何者かの攻撃は未だ続いており、屋敷は派手な音と共に激しく揺れている。
ノエルは親父さんの姿は見えない今もまだ頭を下げた姿勢で固まっていた。
親父さんの話しぶりでは、彼女と親父さんの付き合いは三百年以上あったようだ。こんな離別となれば感傷に浸るのも無理はない。
だが俺達はいつまでもこうしているわけにはいかない。それは親父さんの気持ちを裏切る行為でもあった。
そろそろ声を掛けたほうが良いかと俺は口を開きかける。しかしそれより一瞬早く、ノエルがゆっくりと頭を上げる。
その顔はあまりにも平静を取り繕ったものだった。
「それでは皆様こちらへ。キールストラの者達が嗅ぎつける前に、すぐに出る事に致しましょう」
「ちょ、ちょっと待って下さいまし!」
ノエルはすぐにこの部屋を離れようと俺達を急かすが、これに異を唱えたのはスティアだった。
「ノエルさん、貴方はそれで良いのですか!?」
「お嬢様。私の事はノエルと――」
「そんな話は今どうでも良いのです!」
スティアは激しく首を横に振る。いつも自分のペースを崩さないスティアだが、今の彼女は今まで見た事がない程に必死だった。
「お父様の事はこのままで良いのですか!? キールストラの者達がお父様を攻撃するような事があったら――!」
「……旦那様はキールストラ程度に後れを取るような方ではありません。それに旦那様も、直接戦うような事にはならないと先ほど――」
「屋敷を今こうして攻撃されているじゃありませんかっ!」
スティアが大きな声でノエルの言葉を遮る。それについては俺も同感だった。
親父さんは攻撃される事は無いと言っていたが、それは今までの話であり、今回もそうだという根拠はない。
今、奴らはこうして武力行為に及んでいる。ならば今日が初めて刃を交える日となっても不思議は無い。
いや、むしろ今日がその日ではないのかと、俺にはそう思えてならなかった。
「……旦那様が下された命令は、お嬢様を無事に森の外へお連れする事です。お嬢様、どうか旦那様の気持ちを汲んで差し上げて下さい」
「そんなっ! ノエル、貴方はそれで良いのですか!?」
「裏口から逃げよと、旦那様のご命令です」
必死なスティアに淡々と答えるノエル。だが俺は分かっていた。ノエルもまたスティアと同じように焦りと葛藤で、自分が今どう行動すれば正解なのか、内心決めきれていない事を。
まったく仕方がねぇな。ここで押し問答していても何も好転しない。
俺がわざとらしくでかいため息を吐きだすと、言い争いをしていたスティアとノエルが同時にこちらを向いた。
「裏口から逃げろって言ってもな、俺の勘だときっと裏口にもキールストラの連中が固めてると思うぞ。どう思う? ホシ」
「当たり前じゃない?」
「だよな」
今まで武力行使をしてこなかった連中が、突然強硬手段に訴えた。力頼みの山賊同士だったらよくある話だが、ここは迷いの森にある町の中で、争う相手も侯爵家と公爵家なんて名乗る権威ある家同士である。
更に彼らは闇夜族だ。武力衝突で負けそうになったら撤退するのが普通だが、彼らは森から出られないため撤退する場所がない。
そんな場所で一族同士表立って衝突するなんて突貫と変わらない。リスクがあまりにも大き過ぎた。
そんな事情もあってキールストラ侯爵家は、今までこの公爵家を物理的に潰そうと思わなかったんだろう。
だがそう考えると今の状況は逆に、そのリスクを負っても武力行為に踏み切ったという事でもある。
ならばこちらを確実に潰す算段で襲い掛かって来るに違いなく、裏口を抑えるくらいは当然するだろう。
獲物をみすみす逃がすわけがない。山賊だったら間違いなくそうする。誰だってそうする。俺もそうする。
「なら強行突破するまでです」
「まあそれも良いんだけどよ。そう言う話じゃねーんだノエルさんよ」
キッとこちらを見るノエルへ、俺は肩をすくめて見せた。
「さっき言ったばっかじゃねぇか。子供の気持ちを無視してやる事が子供のためだなんてのは、ただの一人よがりなんじゃねぇのか、ってな」
そして俺はスティアを見る。そこには今にも泣きそうな顔をしたスティアが立っていた。
まったく、いつものスティアらしくねぇ。俺はいかにも太々しく、彼女へニヤリと笑いかけた。
「お前はどうしたい? スティア」
「……え?」
「誰が何を言ってたかなんてどうでも良い。お前が、お前自身が今どうしたいかを言ってみろよ」
誰かに何かを言われて自分の意思を曲げるなんて、そんなもんは俺の性分じゃねぇ。自分の思うがまま行動する。そいつが山賊根性ってもんだ。
スティアは俺の顔を、口を半開きにして眺めていた。だがすぐにくしゃりと顔を歪ませて、まるですがるように口にする。
「お父様の力になりたい……っ! このまま逃げて、終わりたくない!」
だよな。俺は仲間達の顔を見る。
ホシが良い笑顔で笑っていた。その後ろでバドも、むんと両腕で力こぶを作っていた。
「そうこなくっちゃ面白くねぇ。それでこそ俺達だ。そうだろ?」
「はいっ!」
いい返事だ。スティアもやっと調子が戻ってきたみたいだな。
「よーっしやるぞー! しゃどちん、武器ちょーだいっ!」
いち早くホシがそう言えば影がぶるりと応え、皆の装備をぽんぽんと宙に吐き出していく。
飛び出した自分の装備を受け取る仲間達。だが吐き出す物の中には装備品だけではなく、中にいた仲間達の姿もあった。
「どうやら俺達の出番みたいだな? エイク殿」
「途中から話が聞こえていませんでしたが、今はどんな状況ですか?」
影の中からずるりと出て来たガザとコルツが俺達に問いかけてくる。だがどうしてか彼らは既に臨戦態勢で、装備もばっちり整っていた。
目ももの凄くギラついている。何だお前ら。一体全体何があった。
「姐さんのクソ親父をぶっ飛ばすんだろ!? やったるぜぇ!」
「落ち着けデュポ。それは詳しい話を聞いた後だ」
だが続いて出て来たデュポとオーリの台詞で気が付いた。そう言えば俺、途中から≪感覚共有≫切ってたわ。情報が中途半端なところで止まってたから、魔族達は今の状況がよく分かってないっぽい。
「ちょっと待てお前ら、詳しい事情はこれからする。だがまあ何だ。こっから暴れてやろうってのは間違いねぇから、気合いはそのまま入れといてくれや」
右拳を左手に叩きつける。今まで細かい話を色々と聞いたが、実のところああいう七面倒臭ぇ話は苦手なんだよな。
ホシじゃあねぇが、俺も暴れる方が性分に合ってるんだ。
突然の事に目を白黒させているノエルを尻目に、俺達は戦闘準備を手早く終わらせる。バドが全身を黒の鎧で固める頃には、魔族達への説明も終わっていた。
「状況は分かった。で、どうするんだエイク殿?」
ガザの問いかけに俺はニヤリと笑って返した。
「まずは裏を固めている奴を一人残らずブッ潰す。その後に正門へ言って親父さんを援護するぞ」
「正門は親父さん一人で大丈夫なのか?」
「奴ら闇魔法なんてのを使って来るらしいからな。俺達はまず三下で小手調べだ。ぱぱっと片付けた後正門に行けば大丈夫だろ」
「ふ……了解した」
ガザもまた牙を剥きだしてニヤリと笑う。他の面々も異論はないらしく、特に対案は出なかった。
さてやる事は決まった。あとは裏口へ行くだけだと皆を見るも、そこにノエルが慌てて俺達の間に割り込んできた。
「お、お待ちください! 勝手に行動されては旦那様のお気持ちがっ!」
「悪いな、俺は……いや。俺達は好きなようにやらせてもらうぜ。あんたらの事情は分かったが、それはそれ、これはこれだ。こんな状況で尻尾巻いて逃げ出すなんざ、性分じゃねぇのよ」
俺がチラリと視線を送ると、スティアもこくりと頷いた。皆も良い顔をしている。敵をぶちのめしてやる気満々の笑顔だ。
俺達の様子を見て絶句しているノエルへ、俺は更に声を掛けた。
「アンタだって親父さんをこのまま残して行って良いのかよ? そんな心残りがあります、なんて面しやがって。自分が今何をすべきかなんて、本当は考えるまでも無いんじゃねぇのか?」
そう言うと、彼女は奥歯を噛み締めるような顔をした。当たり前だ、彼女は長きに渡り親父さんを支えて来た、彼のたった一人の味方なのだから。
昨日今日知り合った俺なんぞに言われるまでもないはずだ。
黙り込んだノエルに対し、スティアがすっと歩みよる。
「ノエル、貴方も協力してもらえませんか。いえ、そうでなくても、せめて裏口まで案内して欲しいのです。お父様を助けるために、どうか」
「お嬢様……」
数秒見つめ合う二人。折れてか、ノエルがこくりと頷いた。
「さあて――そんじゃ行くぞ!」
『了解!』
皆の声が部屋に響き渡る。三百年前、人族と対立したという闇夜族。その力がどんなもんか、故郷への土産話にさせてもらおうじゃねぇか。
部屋を出ようとするノエルを追い、俺も駆けだそうとする。だがどうしてかスティアが追従しようとしてきて、俺はくるりと振り返った。
「バカ、何やってんだスティア。お前はこっちじゃねぇだろ」
「え? あ痛っ!」
俺はスティアの額を手の平でペーンと叩く。そして額をさするスティアの目の前で、やれやれと腰に手を当てた。
「いっくらなんでも親父さん一人ってわけにもいかねぇだろうが。お前が正門に行くと思ってたから、俺達は裏口に行こうって話をしてたんだぜ?」
「え? ……宜しいんですの?」
「聞くまでもねぇだろうが。お前をコケにした奴らをぶちのめすいい機会だろうが。何遠慮してんだよ、お前らしくもねぇ」
心配だと顔に書いておいて、そんな事を言うんじゃねぇよ。
「それによ、こんな機会なんてもう無いかもしれねぇだろ? 加減なんてする必要は全くねぇ」
俺は問うようにこちらを見る彼女へ、ふっと笑う。
「親子水入らずで、存分に暴れて来い!」
「――はい!」
彼女は迷うことなく体を翻し、俺達の逆方向へと一目散に駆けて行った。
へ、こんな状況なのに、あんな嬉しそうに走って行きやがってよ。しょうがねぇ奴だぜ全く。
「お嬢様……」
そんなスティアをノエルが心配そうに見送っている。
「あいつは大丈夫だ。こんな連中に遅れなんざ取らねぇよ。それよりもノエル、俺達は闇魔法ってのがよく分からねぇ。何かあったらサポート頼むぜ」
「承知しました。――では参ります!」
俺達は走り出したノエルに続いて部屋を飛び出していく。屋敷には俺達が慌ただしく走る音と、外からの轟音が鳴り響いていた。