315.闇魔法と月の女神
スティアが親父さんから真実を聞いてからしばし。今は落ち着きを取り戻し、親父さんの後ろに控えるノエルを除き、皆が再び椅子に座っていた。
スティアもまた黙って椅子に座っている。だが彼女は先程からずっと俯き続けている。その姿はこの屋敷に来た当時と同じように見える。だがそれは今までのように、周囲からの嫌悪に耐える姿ではなかった。
彼女の白い肌が耳まで真っ赤になっている事を見れば、なぜかは考えるまでもない事だった。
「やれやれ、これで一件落着か」
俺は背もたれに体を預けながら頭の後ろで両手を組む。感情が読める俺からすると、ああいうこじれた状況と言うのはどうにも昔から苦手であった。
俺にはすぐに分かるのに、他の人間には分からないじれったさ。どうしてあんな事になるのかと呆れさえするが、だがそれは感情が分かる故だろうとも思う。
まあ何にせよ丸く収まってめでたしめでたしだ。
「エイク様、ご協力頂きましてありがとうございます。もしエイク様がいらっしゃらなければ、旦那様とお嬢様はきっと一生すれ違っていたままだったでしょう。心より御礼申し上げます」
ふんぞり返る俺に対して、ノエルが礼を言って来る。彼女は本当に嬉しそうな表情を顔に浮かべている。だがその台詞を聞いた親父さんの方はと言えば、バツの悪そうな顔をしていた。
まあ今までの話の流れだと、スティアを貶して屋敷を追い出そうとしたのは親父さんだったみたいだからな。こんな顔にもなろうと言うものだ。
「私からも礼を言おう。エイク殿、だったか。貴殿のおかげで娘との仲を改善する事ができた。……心より感謝する」
その当の親父さんからも礼を言われ、俺は少しだけ居住まいを正した。
今回はスティアのためにという気持ちもあったが、半分は俺の我がままでもあった。なのにこうまで感謝されるとどうにもむず痒い。
俺が微妙な顔をしていると、ホシがニシシと隣で笑っているのが目の端に見えて、俺はそんなホシの鼻をむにーっと摘まんでやった。
親父さんはそんな俺達を黙って見ていたものの、だがすぐに小さく嘆息し、真剣な表情で再びその口を開く。
「とは言え私の考えは変わらん。ラスティ。お前達は今すぐこの屋敷を出て、森の外へ戻りなさい」
その口調には今までと違い棘は無い。だが内容は全く変わっておわらず、俯いていたスティアもハッと顔を上げた。
「お、お父様」
「キールストラの連中が何を企んでいるのかは知らん。だが何を考えているかは何となく想像ができる。ろくでもない事に巻き込まれる前に行きなさい。森の外へ出さえすれば、奴らとて追う事はできんからな」
親父さんはスティアの身を案じてそう言うが、だが俺達にも事情と言うものがあった。
ホシは「むー……」と口を尖らせ、バドは頬を指でぽりと掻いている。この森からすぐに出る事ができない事情を彼らも忘れてはいないようだった。
「ちょっと良いか? 悪いが俺達にはそうもいかない事情があってな……」
「何?」
俺は親父さんとノエルに、俺達がこの森に入った事情――”断罪の剣”との事を簡単に話す。
俺達が迷いの森に入ってから、まだ二日も経っていない。この森に立ち入った者が通常、迷った末二日か三日で出てくるという事を考えれば、奴らはまだ森の外に待ち構えているはずだった。
最低一週間は見なければ安心して出る事が出来ない。
俺が彼らにそう話すと、
「ふぅむ……」
と、親父さんは小さく唸りながら目を瞑った。
一度、二度、と、彼は何かを考えるように杖を床につく。コツ、コツ、と静かな部屋に音が響いて、その後彼はゆっくり目を開けた。
「そこはエイク殿の闇魔法で幻影でも見せれば良いのではないか?」
「……はぁ?」
だが俺は言われた事が分からず、彼へ疑問の声を返した。
闇魔法って何だよ。幻影ってどういう事だ。というか何で俺にそんな事を言う?
一瞬で色々な疑問が頭を巡ったが、答えは何も出てこなかった。
「お父様。エイク様はその、闇魔法は一種類しか使えないのです」
「何? どういう事だ?」
「どういう事と仰られましても……」
そんな俺を置き去りにして、スティアと親父さんが勝手に話を進めていく。
「待て待て待て! ちょっと待て!」
自分の事だと言うのに置いてけぼりは勘弁してほしい。俺は立ち上がり二人の会話に割って入った。
「おいスティア! お前、どういう事だ!?」
「え、え!? 何の事ですの!?」
「俺が聞いてんだよそれを!」
詰め寄られたスティアがうっとのけ反るが、そんな事は知ったこっちゃない。俺は更に彼女を質問攻めにした。
「俺が闇魔法を使ってるだと!? 俺ぁそんなの初めて聞いたぞ!? というか闇魔法って何なんだよ、あの侯爵の野郎も使おうとしていやがったしよ! 一体何のことか説明しろ!」
「え、ええ……?」
俺がそうがなり立てると、スティアは尻から出たような変な声を出した。
「貴方様、ご存じなかったんですの? 今もお使いになっている≪感覚共有≫。あれ、闇魔法ですわよ?」
「なん、だと……!?」
スティアは呆れたようにそんな事を口する。だが俺はと言えば、まともな言葉が出てこない。
ぱくぱくと口を開け閉めする俺を前にして、スティアは更に困惑気味に言葉を紡いだ。
「貴方様がシャドウと以心伝心でしたから、ああして自在に使っていたのだと思っていたのですが……違うのですか?」
「ちょっと待て。何でそこでシャドウが出てくる?」
「だって貴方様……。シャドウって闇の精霊ですわよ? ご存じなかったのですか?」
「ご、ご存じなかったわよ! 悪い!?」
びっくりし過ぎてオネエみたいな声が出た。……なんでだよ。なんでそういう事言わねぇで黙っておくんだよコイツはよぉ!
俺、シャドウは何か変な魔物だと思ってたんだぞ!? 闇の精霊って何なんだよ!?
「しゃどちんって闇の精霊なの?」
「おいシャドウ! そうなのか!?」
のほほんと言うホシの後に、叫ぶような俺の声が轟く。するとそれに応えてシャドウがぐにゃりと伸び上がる。
足元から上へと伸びた二本の影。それは腕のような形となり、そして大きな丸を俺達の目の前で作った。
いやちょっと待てやコラッ!
「まるっ! ――じゃねぇんだよバカ! 衝撃の事実だよ、おどけてる場合か! お前何でもっと早く言わねぇんだ!」
「しゃどちん喋れなくない?」
「うるせえ! そんなもん関係あるか!」
憤慨しながらシャドウと格闘していると、そんな俺の背中にノエルの落ち着いた声がかかった。
「旦那様。エイク様は闇魔法の事や精霊様の事についてご存じない様子。説明して差し上げてはいかがでしょう」
「いや、しかしあまり長い話はな――」
「して差し上げてはいかがでしょう?」
「う、うむ。分かった……」
ノエルの圧に屈する親父さん。流石ノエルさんだ、心遣いが違う。
親父さんが俺達を早くこの森から出て行かせたいという気持ちは分かるが、だがこのままじゃ色々分からない事が多過ぎた。
モヤモヤが溜まる一方である。出るにしても、それらを全部説明してからにして欲しかった。
「ああもう、ここに来てから分からねぇ事だらけだ。俺からも頼む、闇魔法の事とかシャドウ――闇の精霊の事とか。あー、それと闇夜族の連中が俺をここに連れて来た理由とか諸々、全部説明してくれねぇか」
「そこからか……。キールストラの連中は何も説明しなかったのだな」
俺が頼み込むと、親父さんは目を瞑って呆れたような息を吐き出した。そのため息は俺じゃ無く、奴らに対してのものだと思いたいです。はい。
「まあ、貴殿を招いたのはこちらのようだからな。アーリンアッドの恩人でもあるし、その程度ならお安い御用だ」
「悪いな、是非に頼む」
俺は快く頷いてくれた親父さんに少し頭を下げてから椅子に座った。
そんな俺を見た親父さんはまず、何から話そうか思案するようにして目を閉じていたが、程なくして口を開く。
「闇魔法とは闇の精霊の力を借りて発動する魔法の事だ。まあ、そのくらいは誰でも想像できるだろうが。だがこの魔法は水、火、土、風などとは全く異なる。闇魔法は生物の精神――心に影響を及ぼすものなのだ」
彼が最初に口にした言葉は、そんな内容のものだった。
「生物の、心……」
「そう。四属性魔法は主に、この世界に影響を及ぼすものだ。だが闇魔法はそれとは違い、ただ心にのみ作用する効果をもたらすものなのだ」
そう言われて俺は自分が使う魔法、≪感覚共有≫の事を考えた。≪感覚共有≫は生物の五感と感情、これら六つのいずれかを掛けた者同士で共有する魔法である。だが心で感じた何らか――つまり、見えたとか触ったとか聞こえたとか死ぬほど臭ぇとか、そんな心で感じたものを共有していると言われたら、そうかもしれないとも思えた。
「その効果は様々だが、心を癒す効果もあれば逆に破壊するものもあり、どんな影響を与えるかは使い手次第だ」
ふぅむと顎を撫でる俺を見つつ、親父さんは更に説明を続ける。
すると、はたと何かに気付いたらしいスティアが声を上げた。
「そう言えば先ほどキールストラの屋敷で、侯爵がエイク様に魔法をかけようとしていましたわね。一体何をしようとしていたのでしょう」
「恐らく洗脳だろう。奴らはエイク殿をルピナス様の使徒だと思っているようだったからな」
「せ、洗脳だと!?」
スティアと親父さんの会話に聞き捨てならない言葉が出て来てギョッとする。
確かに人の心に作用するのであれば洗脳もやりたい放題か。あそこでノエルが来なかったら、今頃俺はパッパラパーだったかもしれなかったわけだ。おっそろしい魔法だぜ。
思わずぶるりと身震いする。だがそんな俺に対し、ノエルが補足を口にした。
「闇魔法は強力な魔法ではありますが、生物には基本的に魔法に対して抵抗する力がございます。一度掛けられたら永遠に洗脳され続ける、等というような事はなく、どんなに長くても半日程度となるでしょう。それに先程旦那様も仰いましたが、闇魔法は心を癒す魔法もございます。使い方によって凶器にも薬にもなるというのは他の魔法も同じこと。その点はご理解頂きたく存じます」
心を癒す。そう聞いて思い出したのは、道中訪れたグレッシェルでの事だった。
あの町で出会ったフリッツと、その少し前に出会ったツンプイことルフィナ。二人は酷いトラウマを抱えていたが、最後にはそれに抗い、己を奮い立たせ、果敢に立ち向かって行った。
あの時、あいつらにトラウマを植え付けた代官の前で二人が啖呵を切る姿は、正直心が震える思いだった。だが闇魔法はそれを魔法で解決できるという。
凄い魔法だと思うものの、だが同時にトラウマを克服する際に人間が放つ心の輝きを知る俺は、どうにも味気ないなとも思ってしまった。
だがトラウマを植え付けられた側からすれば、魔法で治してもらえるんならその方が俄然良いよな。トラウマなんてもんは負うもんじゃないし、克服するのだって容易じゃないものなのだから。
「ま、物に色んな側面があるってのはそうだよな。確かに恐ぇ魔法だとは思ったが、必要以上に怖がってねぇよ」
「そうでしたか。それは失礼致しました」
怖い魔法であると同時に、優しい魔法でもあるというわけだ。俺が気にするなと右手をひらひらさせると、ノエルは小さな目礼を返した。
ほっとしたような感情がノエルから伝わって来る。たぶんこのノエルと親父さんも闇魔法を使えるんだろうな。だから俺達に不安を与えないように、こうしてわざわざ言葉にしたんだろう。
いらん気を使わせたか。俺がそう思っていると、今度はホシが声を上げた。
「ねーねー、すーちゃんも闇魔法が使えるの?」
その声に皆の視線がスティアへ集まる。当然使えるのだろうと俺は疑わなかったが、しかし意外にもスティアは首をふるふると横に振った。
「わたくしは無理ですわ。闇魔法は使えません」
「そうなの? 何で?」
「それは……わたくしが忌み子であり、ルピナス様の加護が無いから、と」
言いにくそうにスティアが言う。するとこれを聞いた親父さんの顔がたちまち不快感に大きく歪んだ。
「誰がそんな事をっ。キールストラの連中か? 奴らめ、今度会ったらただでは置かんぞ……! ラスティ、お前には光の精霊の血が半分入っているからな、闇魔法が使えんのはその影響だろう。だが何も気にすることは無いぞ。お前には光の精霊――母、ラスティエトラの加護がちゃんとあるのだからな!」
彼は怒りを露にする。娘を冷遇する冷酷親父から一転、今じゃただの親バカ親父にしか見えなかった。
「あ……ありがとうございます。お父様」
親子二人、大変良い雰囲気だ。だが俺は精霊の血って何だろうと思ってしまい、足元に目が向いていた。
俺と同じように思ったのか、バドも俺の足元を見ている。俺達二人の視線を受けて、シャドウが「何?」とでも言うようにぶるりと震える。
こいつも切ったら血が出るんだろうか。俺がそう思うと、シャドウはビクリと震えていた。
精霊と言われた時は驚いたが、だがよく考えたらそもそも精霊ってのもよく分からんし、今までの謎生物扱いから殆ど変わらんよな。
と、そう言えば少し気になっていた事があったんだった。俺は顔を上げ親父さんを見た。
「そう言えばよ、そのルピナスって神は月の女神なんだよな。その加護があると闇魔法が使えるってのは何でなんだ? 何か関係があるのか?」
まあ月と言うのは夜にしか出ないものだから、闇と関係があると言うのは雰囲気で分かるが。
となると月の女神と闇の神は親戚みたいなもんかねぇ。神って奴に親戚がいるのかどうかは知らねぇが。
そんな事を思う俺に、親父さんはこう返してきた。
「我々はルピナス様を尊信を込めて月の女神と呼んでいる。だがそれ以外の人間は異なり、ルピナス様の事をこう呼んでいるのだ――闇の神ルピナスとな」
親戚どころか同一神物だった。
なるほど、闇の神ルピナスか。それを聞いた俺は無意識に足元を見る。
俺の足元にいるのは闇の精霊シャドウ。俺は何となく、自分がここに呼ばれた理由を察してしまった。