313.本当の気持ち
俺は非常に混乱していた。スティアがハーフだと言っていたから、俺はてっきり人族とのハーフだと思っていたのだ。
それが蓋を開けてみれば精霊とのハーフだと? 夢にも思わなかった事実に、俺は思わず頭に過ぎった事をそのまま口走っていた。
「せ、精霊ってアレだろ? 魔法を使う時に手助けしてくれて、この世のどこにでもいるとか言う、俺達には見えないあの……えー……何だかよく分からねぇ奴」
「はい。その精霊で間違いございません」
「間違いございませんってな……。それに光の精霊なんて俺ぁ聞いた事がねぇ……っつーか精霊って子供とか産めんのか?」
「現にお嬢様が生まれております」
だからどうやって作るんだよ!? ……と危うく口走りそうになったものの、俺は何とかぐっとこらえた。
危なかった。こんな質問女にしたらブッ殺されても文句が言えねぇ。
一人胸を撫で下ろしていると、今度はホシがスティアに話を振った。
「すーちゃんのお母さん、精霊なの?」
「いえ……わたくしも初めて聞きました。お母様の事は全く記憶にありませんし、聞いた覚えもありませんわ」
「やはり、覚えていらっしゃらないのですね……」
すると二人の会話に、ノエルが残念そうに言葉を溢して入ってきた。
「お嬢様がまだずっと幼かった頃、奥様について聞きたいとよくせがんでいらっしゃいました。きっとお寂しかったのでしょう。よく話をしたものだったのですが」
「そう、なのですか……?」
「はい、それはもう」
意外そうな声を上げるスティアへ、ノエルはゆっくりと頷いて返す。
「そして先程申し上げた、軟禁された際もそうでございました」
そしてノエルは再び、先程の話の続きを口にする。
「お嬢様があの部屋にお入りになる前日に、旦那様がその理由についてお嬢様にお話しになったのです。ただその時お嬢様はまだ十にも満たなく、物心がついて間もない頃でした。ですから覚えていらっしゃらないのも当然なのですが……」
「説明、された……? これから軟禁するという事を、わたくしに?」
「はい」
「――わたくしはそれで納得したのですか!?」
「はい。ご自分で中へ入られました。大丈夫だと、自信満々にそう仰って……」
物心つく前と言うと、人族なら三歳くらいだ。難しい話なんて理解できる年じゃないし、その時話された事を正確に覚えていられる年でもない。
きっとその時スティアと彼らとの間に、現実に対しての乖離が生まれたんだな。
彼らはスティアを守るため軟禁していたが、スティアは軟禁されている理由が分からず疎まれていると勘違いをした。そういう事なんだろう。
「で、ですがっ! あの部屋に食事を運んで来る時、いつも貴方は……! お父様だって! いつも険しい顔をして、私を睨みつけていたではありませんかっ! いつも怒りを堪えるような顔をしているから……! だから私はっ!」
悲痛な声を上げながらスティアが椅子から立ち上がる。彼女は当事者であり、二十年も軟禁されてきた被害者だ。
到底信じられないと、彼女はノエルを睨むように見つめていた。
「……申しわけございません。あの部屋は……。あの場所は、元々奥様の部屋だったのです。あそこでしか私達は、お嬢様をお守りする事ができなかった……」
そんなスティアに対して、ノエルは絞り出すような声を出す。それは悔しさがありありと含まれた、彼女の悔恨が現れた声だった。
「どういう事だ? そこでしかスティアを守れなかった、ってのは」
何かどうにもならない理由があったのだと察した俺は、その理由を彼女に問う。
「私共闇夜族は、光に耐えられぬ種族でございます。あの部屋には奥様亡き後も、奥様の力――光の精霊の力の残渣が強く残っておりました。我々闇夜族にとって近づく事すら苦痛を伴うあの部屋は、光を苦にしないお嬢様を守るには最適の場所だったのです」
ノエルもまたそれについて、素直に答えを口にした。
「当時屋敷の者が次々と出て行くようになり、誰が暗殺者かも分からないそんな状況で、お嬢様をお守りするためには他に手段が無かったのです。謝罪をしようと許されない事は分かっております。ですが、お嬢様……今更ではございますが、申しわけございませんでした……」
「ではあの表情は怒りではなくて、苦痛に耐える表情だったと……? そんな、そんな事……っ!」
ただただ頭を下げるノエルに、スティアは動揺から瞳を揺らした。確かに苦痛に耐える表情は、見方によっては怒っているように見えなくもないものだった。
つまり彼らは自身が苦痛を伴うにも関わらず、それに耐えながら二十年もの間スティアの世話をしていたという事だ。
話すノエルも、そして隣の親父さんも。彼らの表情は悔いるような感情ばかりで、そして胸の内もまた同じく深い罪悪感と悔恨とが渦巻いていた。
俺はやっと見え始めて来た事実に納得しつつ両腕を組む。
つまりその部屋に入れたのはスティア一人だけで、仮に暗殺者が屋敷に入り込んだとしても、部屋自体が障害となりスティアを守る事ができたと言うわけだ。
確かに当時幼かったスティアを守るためなら最善の手だったろう。今ここにいるのが二人だという事実が、味方がいなかった事を証明しているしな。
そんな状況じゃ付きっ切りで守るってのも無理がある。いずれ隙を突かれるのは明白だった。
俺には彼らの話が嘘でないとはっきりと分かった。だが、とスティアを横目で見れば、彼女は下唇を強く噛み、拳を固く握りしめていた。
軟禁されてきたのは彼女だ。すぐには認められないだろう。
それにその年月も二十年と、あまりにも長すぎた。
それ以外の方法は無かったのかとも思うが、彼ら闇夜族はこの森から出られないのだ、他に手段など無いように思う。きっと問題が起きた時点で、打つ手は他に無かったんだろう。
だがもし事前に手を打っていたならばどうだ。
「一つ聞きたいんだがいいか?」
俺は親父さんへ目を向けた。
「そもそもそんなのは、光の精霊とねんごろになった時点で他の連中に話を通しておけば済んだ話なんじゃねぇのかよ?」
いくら闇夜族が光の精霊を忌み嫌っていたと言っても、ここは公爵家だ。一族に対する影響力はあったはずで、他の闇夜族に認めさせる事もできたのではないか。
俺はそう思い話を振ったのだが、これに親父さんは苦虫を噛んだような表情を浮かべていた。
「当然したさ。そして認めさせもした。だから妻には誰も手を出さなかったが……結局連中は、妻に抗う力が無かったため諦めただけだったらしい。妻が逝った後すぐに本性を現しおったのだ。卑怯者のする事よ。同族として嘆かわしいが……今何を言おうと、もう何の意味もない事だ」
と言う事は、親父さん達は打てる手は打ったが結局どうにもならず、スティアを軟禁するしかなかった、という事だな。
つまりここにいる誰にも落ち度は無かった。ただ周囲の思惑によって行動を迫られ、決断したに過ぎなかったのだ。
「ではここに来てすぐ追い出そうとしたのはっ」
それでもとスティアは親父さんに食い下がる。だが俺は声色で分かってしまった。
スティアは馬鹿じゃない。元山賊の俺なんかよりもずっと知識と知見に優れている人間だ。
心は認められない。でも事実が認めろと言っている。それを否定したくてもがいているのが、彼女の声に表れていた。
「無論、お前をすぐにこんな場所から遠ざけたかったからに他ならない。この町はお前にとって危険極まりない場所だからな」
「ではそう言って頂ければ良かったじゃありませんかっ!」
「変に里心でも付けば都合が悪かったからな。それだけだ」
スティアをじろりと見ながら鼻を鳴らす親父さんを、俺はじっと見つめていた。
彼の言葉は少々非情さがあるが、しかしその胸の内は温かさに溢れていた。これが分かるのは相手の感情が分かる俺だけだ。俺はこの気持ちを、本来知る権利のあるスティアにも感じてもらいたいと思っていた。
今から一年程前。南から迫る帝国に対抗するべく、俺達第三師団が迷いの森から南のリュッゲベルク辺境伯領へ行軍していた時の話だ。
進軍中に二十人程の神殿騎士を伴った聖女マリアが合流してきて、俺達は王国軍が迷いの森を突破した事を知った。そしてこの戦争も長くは無いと、そんな風に思った俺は夜中、スティアに対してずっと思っていた事を明かしたことがあった。
小っ恥ずかしいが、まあ俗にいうプロポーズと言う奴である。
当時のスティアは今と違って少々冷たい物言いが目立ったが、だがそれでも何くれと世話を焼こうとする態度もあって、俺を憎からず思ってくれていると俺は思っていた。
だから俺は、彼女がきっと受けてくれるだろうと少しも疑っていなかった。
だが、結果は否。スティアは俺の言葉を受けずに断った。
その時彼女が涙を流しながら言った言葉を、俺は今でも覚えている。
自分は誰にも、両親にすらも愛された事がない。憎まれた事しかない。そんな人間が誰かに愛されるなど、幸せになるなど絶対に許されるはずが無い、と。
その後、俺との間がギクシャクする事になったり、スティアの言葉遣いと態度が今の柔和なものに変わったりと、彼女に色々な変化があったのだが。
だが表面的な変化があったとて本質は何も変わらないと、俺はそう思っていた。
「これで分かっただろう、お前はすぐに屋敷を出て行くが良い。奴らはすぐにここを嗅ぎつけるはずだ。面倒事など起こしてもらっては困るからな」
「いえ。まだ分かりません。教えて下さいお父様。貴方にとって、私は……一体何なのですか……? お父様の本当の気持ちを教えて下さい……っ! どうかっ!」
親父さんに詰め寄り必死に声を掛けるスティア。俺はそんなスティアを見ながら≪感覚共有≫を切り、そして再びかけ直した。
「≪感覚共有≫」
勿論対象は親父さんとスティアの二人。そして共有するのは当然、二人の感情だった。
「む、これは……?」
「俺は面白い魔法が使えてな。あんたとスティアの感情を共有させてもらった」
驚く親父さんに応えつつ、俺は更に思いを伝える。
「今までのやり取りを見てよ、俺はあんたに一つ言いたい事があるんだ。子供の気持ちを無視してやる事が子供のためだなんてのは、ただの独りよがりなんじゃねぇのかってな」
「な、何!? 貴様に一体何が――分かったような口を利くな!」
いきり立ち立ち上がる親父さんを、俺は軽く手で制した。
「まあ聞けよ。俺はこれでも親の端くれでな、故郷にゃガキがこれでもかってくらいいるんだ。まあ実の子じゃあないんだが、それでも大切なガキ共だ。育てるのは苦労したが、まあ今ではいい思い出さ」
故郷の事を思い出す。もう離れて五年以上だ、当時ガキだった連中も、今はもう成人となっている奴も多いだろう。
当時の苦労を思い出し、軽く笑いつつ俺は言葉を紡いだ。
「子育てってのはもう体当たりでよ。ガキ共は馬鹿だが阿呆じゃねぇ。大人の機微に聡くて、ちょっとした事で鼻曲げたり泣いたりキレ散らかしたりともう手を焼かせまくってな。そういう時どうすると良いか、アンタ、分かるかい?」
親父さんをじっと見つめる。だが親父さんは何も応えない。いや、応えられないんだろう。
まともな子育てなんてできず、子供を軟禁して育てるしかなかった。それは彼にとってはただの不幸で、そんな彼にこんな事を聞くのは残酷ですらあったかもしれない。
だがだからこそ俺は同じ親として、彼に親として生きる事の嬉しさを感じてもらいたいと思っていた。
子供って奴は親にとっては複雑怪奇で、面倒で、理不尽で、わけが分からなくて。だが何者にも代えがたい、本当に大切な存在なのだと言う事を。
「そんな時俺は決まって本音でぶつかり合うんだ。いっくら親子だって違う人間だ、そうしなきゃ分かり合う事なんてできねえ。喧嘩になる事だってあるけどな、だがそれでも親子なんだ。それが終われば元通りよ」
成人を迎えた奴に山賊を辞めて独り立ちしろと言ったところ、俺はもうこの山賊団に必要ねぇってのか! と怒鳴り合いに発展し、一晩中殴り合った事があった。
鈍臭く何をやらせても駄目だったが、絵だけは非常に上手い奴がいて、まあそんな事もあるよなと楽観視していたある日、画家になりたいから山賊団を抜けさせて欲しいと号泣しながら土下座をされた事もあった。
子供といっても一人の人間だ。一人一人に思いがあり、親の考える事が必ずそれに沿うとは限らない。
だが互いを思う気持ちがあれば、気持ちはきっと通じるはずだ。こんなこじれた関係だとしても、俺の≪感覚共有≫があればきっと。
「さっきあんたが俺を怒鳴りつけた時、俺は無関係の人間だが――正直痺れたぜ。あそこまで真剣に娘のために怒れる父親が一体どれだけいる。……俺はな、それをアンタの娘に真っすぐぶつけてやって欲しいと思ったんだ。スティアの内心を知っているだけに、余計にな」
俺はスティアをチラリと見ながら、かつて聞いた台詞を父親へと伝える。
「アンタ知ってるか? こいつ、自分は幸せになる価値がないとか真剣に考えていやがるんだぜ。誰にも愛された事が無いからってな」
「――っ!」
スティアの顔が苦し気に歪み、ノエルがはっと息を呑む。そして親父さんはと言えば、まるで刃を突き立てられたかのように、顔を痛々し気に歪めていた。
この鋭い棘が刺さったような感情はスティアの胸の痛みだ。≪感覚共有≫を通じて親父さんも理解ができただろう。
親父さんが問うような視線で俺を見たため、真剣に頷いて返す。
彼は少しの逡巡の後、スティアの顔に目を向けた。
「ラスティ、それは違う」
そうして彼は意を決したように口を開く。それは彼とその妻の、過去の話であった。
「お前の母、ラスティエトラはな。お前を産んだ後、間もなく死んだ。だがそれはお前を身ごもる前に分かっていた事だった。私は闇の加護を持つ闇夜族。そして妻は光の大精霊。水と油のような存在だ、共にいる事が互いの寿命を削る事は、惹かれ合う前から分かっていた事だった」
「寿命を、削る……?」
互いにと言う事はつまり、親父さん自身の命にも関わるという事だ。それを理解してかスティアがはっと息を呑んだものの、親父さんはそこには特に言及せず、スティアを見つめながら話を続けた。
「だがラスティエトラはお前を産めば死ぬ事が分かって、それでも産みたいと望んだ。妻は本来住む世界が違う精霊だ、この世界に現れ続けるには限界があった。だから自分がこの世界に存在していた証が欲しいと、そう切望したのだ」
「お母様が……。ではお父様は、私の事を恨んでいるのではないですか……? 私が……私が、お母様を殺したも同然、なのですし……」
苦しそうに言うスティアを、親父さんは小さく首を振って否定する。
その時俺は見た。親父さんの眼差しが険しさを消し、穏やかなものに変わっている事を。
「そしてあの日、お前が産まれた。お前を閉じ込めていたあの部屋で、お前はこのノエルに取り上げられ、この世に産まれたのだ。私はあの日の事を今でも鮮明に思い出せる。大きな声で泣くお前を腕に抱きながら微笑むラスティエトラの姿と、その時言った言葉を、私は生涯忘れないだろう」
その時、親父さんは初めてふっと笑った。その顔は最初の気難しい表情が嘘だったかのような、優し気な表情だった。
「産まれてくれてありがとう。私に抱かれてくれてありがとう。貴方がこの世に産まれてくれた幸せを、私は絶対に忘れない。本当に大好きよ、愛しい愛しい私のラスティ――そう言いながらラスティエトラはこの世界から消えて行った。今まで見た事もないような穏やかな笑みで。……お前は本当に愛されて、この世に産まれて来たのだよ」
そして、と親父さんは最後の言葉を口にした。
「そんな妻が愛したお前を、どうして憎む事ができるだろう。いや、そうでなくともお前は、私にとってかけがえの無い大切な……愛しい娘だよ」
スティアの気持ちが彼に伝わるように、彼の気持ちもスティアに伝わっている。
どうして自分が虐げられていたのかという鬱屈。ずっと知りたいと願っていた父親の気持ち。
その言葉と感情が今、スティアを優しく包み込んでいる。
「大きくなったなラスティ。もう二度と会う事ができないと思っていたが……再びお前に会えて良かった」
その言葉を受けたスティアは、思わず両手で顔を覆った。
なお。
「えーちゃん、またぁ?」
「う”る”せぇ……! だまってろぃ……っ!」
俺もバドの陰に隠れて泣いた。こんなきったねぇ顔、今のあいつらの前に置いておけるかってんだ。
顔を覆うスティアの肩に左手を置く親父さんと、ハンカチを目に当てるノエル。そんな三人の姿を尻目に、俺はずびずびと鼻をすすった。