33.冒険者ギルドへ
あれから俺は背嚢に入れていた手製の手帳を広げ、それにペン――内蔵された魔法石に魔力を通すとインクが出てくる魔導ペンで、ちとお高い――を走らせていた。
バドの要求は相当にうるさく、これは室温でいいとか、こっちは室温より高めだとか、高すぎると駄目だとか、まあややこしすぎた。メモを取ってきて正解だった。
だがしかし。肝心のシェルトさんだが、彼女は字を読むことができなかった。
なので、そんなシェルトさんでも分かるようにと字に記号も交えてメモしていたのだが、なんだかごちゃごちゃとした自分でも良く分からないものになってしまっていた。
これじゃ駄目だと、結局それを元に今、また書き直している最中だった。
こんなんでいいのかと悩みながら、俺はペンを走らせる。
あまり細かく書くと余計分かりづらくなるだろうと、俺は室温未満、室温、室温と人肌の中間、人肌、それ以上の五段階で記録していた。
ちなみに記号は丸と線で顔を表したものにしており、室温未満が泣き顔、室温が悲しい顔、室温と人肌の中間が真顔、人肌が笑顔、それ以上が満面の笑顔だ。
ちゃんと書いているつもりだが、知らない人が見ると子供の悪戯書きにしか見えないだろう。書いてるのはいい年こいたおっさんだけど。
今はバドとシェルトさんが作業台に並んで、それぞれ生地をこねたり叩いたりしている。二人で並んで作業しているのは、こね方の違いを比較するためだそうだ。
確かにちょっとした違いはあるものの、しかしそれがどういう意味があるのかさっぱり分からない。他の三人も特にすることもなく、その様子をじっと見つめていた。
俺達の視線を浴びながら、二人は先ほどのオリーブ油を生地に混ぜ、またこね始める。しかしこれもすぐに終わり、今度は生地を丸く仕上げていた。
バドの指示で俺はまたメモ帳に真顔を書き込む。こうしてメモをすると良く分かるが、数度程度の差が細かく要求される作業のようだ。
後はそれがどう伴うかだが、それについては焼いた後でしか分からない。不安なのか、シェルトさんの表情も先ほどからずっと、緊張で強張ったままだった。
「それじゃ、ちょっと一息入れましょうか」
作業が一段落したのかシェルトさんがそう言って、ほぅと息をついた。
この状態で二時間ほど置いておくと、生地が膨らむらしい。何故か聞いてみたが、そういうものなのだそうだ。なるほど分からん。
と、ここで思い出したが、俺達は冒険者ギルドに行こうとしてたんだった。二時間もあるならその間に行っておいても良いだろう。
「すみませんが、冒険者ギルドに行かないといけない用事があるので、その間に行ってきます」
「まあ、エーチャンさん達は冒険者だったんですか?」
なんかシェルトさんの中で、俺の名前がえーちゃんになっている気がする。
確かにこの面子で俺の名前を正しく呼ぶ人間が誰一人としていないな。スティアは貴方様だし、ホシはえーちゃん、バドはそもそも呼ばない。そう勘違いされても仕方ないか。
「俺達は冒険者じゃないですが、ここで登録しておこうかと思いまして。あと、俺の名前はエイクですよ」
「あ、あら、それはすみません。この子がえーちゃんさんなんて言うもんだから、エーチャンという名前なのかと」
シェルトさんがユーリちゃんをチラリと見る。やっぱりそうだった。
ホシはもう慣れたが、シェルトさんにそう呼ばれるのは流石にちょっと恥ずかしいものがある。
訂正しておいてよかった。
「スティア、ホシ、バド。お前達はどうする? ここで待たせてもらうか?」
「わたくしは行きますわ!」
「あたしも行くー!」
「ホシちゃんが行くなら私も行く!」
スティアとホシが声を上げると、予想外にもユーリちゃんも元気良く手を上げた。一方バドは首を横に振る。パンのことが気になるのだろうな。
バドが行かないのは構わないが、しかしシェルトさんとバドの二人じゃ間が持たなさそうだ。
ホシが残ればユーリちゃんも残ってくれると思うが、アクアサーペントの肉を運ぶなんてことになったらホシの手が欲しくなるかもしれない。できるならついてきて欲しい。
「ユーリちゃん。悪いけど、ここでお母さんと一緒にいてくれるかな?」
「えー……。私も行ってみたい」
「ここにバドが残るみたいだから、バドの助手をして欲しいんだ」
「助手?」
「バドのお手伝いってとこかな? シェルトさんは今勉強中だから手が回らないこともあると思うし、シェルトさんのお手伝いも一緒に頼みたいんだけど、どうかな?」
「お母さんの……! うん! 分かった! お手伝いする!」
この子本当に良い子だな。鼻息荒く力強く頷いたユーリちゃんの頭を軽くなでていると、シェルトさんがすすすっとこっちに近づいてきた。なんだろう?
「あの、ちょっとお聞きしたいんですけど……。バドさんってさっきから全然喋らないんですけど、何か怒ってるんでしょうか?」
シェルトさんは心配そうにひそひそと耳打ちをしてきた。そういえばバドのことを全然説明していなかったな。どうりでシェルトさんがぎこちなかったわけだ。失敗した。
「あー、すいません。説明してませんでしたが、あいつ喋れないんですよ」
「え? あ、そうなんですか?」
「ええ、あと妙に無表情でしょう? あれ、昔からああなんで、気にしなくても大丈夫ですよ。別に怒っているわけじゃないんで。むしろあれ、喜んでると思いますよ」
「はあ、そうなんですか? ……なんだか不思議な人ですね」
あれでもシェルトさんとユーリちゃんの力になりたくてやってるんですよ、と一応フォローを入れておく。それを聞いたシェルトさんは、少し安心したようでほっとしたような顔をしていた。
まあそりゃムッキムキの大男が無言無表情で傍に立ってたら誰でも怖いわな。もう見慣れてて違和感がなかった。慣れって怖いな。
「それじゃスティア、ホシ、行こう」
シェルトさんのバドへの心配も多少薄れたみたいだし、ユーリちゃんもいるからここは大丈夫だろう。少なくともチサ村の件は今日中に報告しておきたいからな。
俺はまたフードをかぶり直すと、二人を連れ立ってクルティーヌを後にした。
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クルティーヌを出てから歩いて数分程。大通りを渡って少し歩いたところにその建物はあった。
木造二階建ての建物はあちこち火をかけられたような後があり黒ずんでいたが、ある程度の修繕は済んでいるようで穴までは開いていなかった。
ただその周囲にある建物は全壊に近い状態な上、道は石畳があった面影が残るだけでほぼ土がむき出しで抉れている。
ここでかなりの規模の戦闘があったのだということを、セントベルを奪還してから二年以上経つ今でも簡単に察することができた。
こんな状態だと、やはり冒険者は殆どいないのだろうか。
周囲に全く人通りが無いため少々気にはなったが、ここで二の足を踏んでいてもどうにもならないと、俺は冒険者ギルドへと足を進めることにした。
冒険者ギルドの中へと入ると、そこはがらんとしており、やはり殆ど人がいないような状態だった。
冒険者が受付で管を巻いたり、パーティ同士で話し合いをしているような光景を想像していただけに、その閑散とした状態は関係者でない俺にすら寂寥感を抱かせる。
ギルドの奥の方から、冒険者らしき男達のこちらを伺うような視線が向いたが、その視線にも意気を感じることができない。
そんな淀んだ空気の中、俺達は受付へと向かう。見れば受付はたったの一つしかやっていなかった。
俺はギルド全体の様子に目を向けながらそこへと向かった。
のだが、これが悪かった。
「すまない、少しいいだろうか?」
「はい? 何か御用でしょうか? ノホホホッ!」
――ノホホホッて何?
ギルド全体に拡散していた意識が急激に目の前に集中した。
「おっと、失礼致しました。わたくし、セントベルギルドの窓口をしております、グッチ、と申します。どうかお見知りおきを。ンノホホホッ!」
不味い変な人だ。
俺は迷うことなく踵を返す。
「すいません間違えました」
「ご用件はなんですかな!?」
「掴むな!」
奴はすばやく俺の手首を掴むと、逃がさんとばかりにしっかりと握ってきた。離してくれそうにもなく、どんな奴なのかと仕方なく振り返った俺は、ここで初めてその容姿をまじまじと見ることになった。
そこにいた男は、頭の両脇を刈り込み中央をアップにするというツーブロックの髪形に、鼻の下にはちょび髭、丸眼鏡に蝶ネクタイと、胡散臭さが服を着ているような男だった。
そんな胡散臭い男が椅子に座り、これまた胡散臭い笑みを浮かべていたのだから胡散臭さ120%である。
まさに胡散臭いという言葉の体現者だ。もう帰りたい。誰か助けてくれ。
「他の受付の方はいないんですかね?」
「今日も明日も明後日も、残念ながらわたくしだけですな! ノホホッ!」
「絶対人選を間違ってると思うぞ」
「これはこれはありがとうございます! ノホッ!」
「褒めてねぇよ……」
普通こういうのは綺麗な姉ちゃんがやるもんじゃないのか? セントベルギルドは絶対に頭がおかしい。断言してもいい。
しかし、こいつしか受付の担当がいないというのならもうどうしようもない。俺は諦めて、このグッチとか言う変な奴を相手に話をすることにした。
「なら仕方が無い……。まずは、この町の近くにあるチサ村の現状について話がしたいんだが」
「ふンむ? 少々お待ちを」
彼は胡散臭い手つきで羊皮紙を取り出すと右手に羽ペンを握り、左手をスッとこちらに向けた。どうぞ話してください、というわけだが、この仕草がまた非常に胡散臭い。眉をぴくぴく動かすな。
こんな奴で大丈夫なのかと心配しながら、仕方がないと、俺はあの村について詳しく話すことにした。
ちなみにスティアとホシは後ろで楽しくおしゃべりしている。こっちのことは完全に他人事だ。ちくしょう。
「ふぅむ、魔族と思わしき痕跡にアクアサーペントですか。これはこれは、それが本当であればこの町も人事ではないですなぁ」
「魔族と思われる者の残した物品と、アクアサーペントの一部を持ってきてる。それが証拠だ。検めてくれ」
「うーん、そうですな。ここではちと都合が悪いので、場所を変えさせてもらいますかな。ノホッ! こちらへどうぞ」
グッチの案内でギルドの中へと入った俺達は、比較的広い部屋へと通された。ここで検品するのだろうが、このままではちょっと不味い。これではこの男にシャドウのことがばれてしまう。
シャドウについては分からないことが多すぎるため、信頼できる人間以外には伏せているのだ。おかしな力を使うと変に警戒されても困るし、逆に価値を見出されて狙われるようなのもまた困る。
「すまん、ちょっとあんただけ部屋を出ていてくれるか」
「ノホッ? 何故ですかな?」
「見られたくない事情がある。何、すぐに済む」
「……かしこまりました。それでは廊下でお待ちしますので、終わりましたらお呼び下さい。ンノホホホッ!」
奇妙な笑い声を残してグッチは部屋を去って行った。あまり問い詰めてこなかったのは、冒険者の中でも同じように自分の情報が漏れないようにする者がそれなりにいるからだろうか。なんにせよこちらとしては都合が良い。
俺がシャドウにアクアサーペントの舌と、魔族達の棲家から持ってきた道具を出すように頼んでいると、難しい顔をしたスティアと普段通りの様子のホシが俺の傍で何やら話を始めた。
「なんだか変な方ですわね……」
「変なおじさん! でも、たぶん悪い人じゃないよ!」
「あら、それは良かったですわ。あれだけ胡散臭い方ですとどう対処していいか困っていたのですが、ホシさんにそう言って貰えると安心ですわね」
そう言ってスティアとホシは顔を見合わせてニコリと笑いあった。
ホシの直感はかなり当てになるため、これは問題ないと見ていい。少なくとも悪人ではなく、ただの変人なようだ。
……いや、それも問題だよ。変人を窓口に置くな。
影から目当てのものがずぶずぶと浮き上がり部屋に転がったのを確かめてから、俺は部屋のドアを開けて廊下へ顔を出す。すると少し遠くで待機していたグッチと目があった。
にんまりと笑みを浮かべた彼を手招きして呼び、部屋へと迎え入れる。スキップしてくるんじゃない。無駄に軽やかなのが癪に障る。
「こ、これは何処――オホンッ! いえ、なかなかの量ですな! ノホッ!」
何処から出したのか、と言い掛けたなコイツ。ただちゃんと言葉を飲み込んだのは高評価だ。
「ここにあるのが魔族の物と思われる全部だ。で、これがアクアサーペントの舌なんだが……」
と、そこまで言ってから黒こげになっている舌をそっと差し出す。
「……これがアクアサーペントの舌、ですかな?」
「……やっぱり無理があるか?」
「これは……何故こうなったのかは存じませんが、原型を留めていなさすぎですなぁ。一応担当にまわしておきますので、お時間を頂戴しても宜しいですかな? 他の物に関しても検品が必要ですので……明日の昼には併せてご回答できると思いますな! ノホッ!」
まあすぐには無理か。ただ一日でやってくれるのだからありがたいと思おう。
さて、後は一応チサ村の村長との約束も果たしておくとしよう。
「この件に関してはチサ村の村長からの意向もあるから、改めて現地での調査をお願いしたい。村の者達も不安がっているから、なるべく早く頼みたいんだが」
「ふむ。しかし、冒険者を動かすにはこれが必要なのです」
彼は胡散臭く人差し指と親指で円を作って見せる。しかし、その右手をわざわざ顔の左側に回す必要があるのか? ニヤリと笑うその顔も相まって非常に腹立たしい。
「この町にも危険が及ぶ可能性がある内容というのは承知しておりますが、それでもギルドから報奨金を出すとなると色々と面倒なのですな。こういった実害が出ていないものに関しては特に、ですな。そうですなぁ……ギルドからの依頼として出すには、早くても五日くらいはかかると思いますなぁ」
そのポーズはともかくとして、こいつの言うことはもっともだ。組織から金を出すなんていう場合、手続きやら根回しやら会議やら、色々な面倒事をこなさないといけないのは当然だろう。
だがそんなことは、俺も想定済みだった。
「それは、こちらから金を出すといってもかかるか?」
「本気ですかな? 何かご都合が?」
「それを言う必要があるのか?」
「……いや、失礼。ノホホッ! そうですなぁ、調査だけならランクC以上のパーティが望ましいでしょうな。魔族やアクアサーペントの討伐を含めない、とすると……銀貨7、8枚が妥当ですかな?」
「なら銀貨8枚は俺が出す。それで頼む」
「貴方様!? そこまでする必要があるんですの!?」
俺の中では自分で依頼を出すことを決めていたこともあり、とんとんと話が進んだのだが、ここでスティアが目を剥いて話に割り込んできた。
「自腹だし、いいだろ?」
「そういうことを言っているんじゃありませんわ!」
俺が肩をすくめて苦笑いすると、スティアがむくれてしまった。
チサ村の人達にはよくして貰ったというのに、不義理を働き嘘をつくことになってしまった。だからなるべく早く安心させてやりたいのだ。
彼らの不安そうな顔が脳裏に過る。スティアの言わんとしていることは分かるが、だがここは我を通させてもらおう。
「宜しいのですかな?」
「ああ。処理してくれ」
「かしこまりました。準備はしておきますが、実際に受理されるのはこれらの検品後となりますのでご注意ください。ノッホホーッ!」
よし、思った通りに話が進んだ。やっと肩の荷が下りてほっとした。
次は解体の依頼だな。
続いてグッチに解体してもらいたい物があると話をすると、また別の部屋へと案内してくれた。それらしいものを何も持っていない俺達を何も言わず通してくれるのは、先ほどの例があるからだろう。
次に通された部屋は三十メートル四方程度のスペースがある、ちょっと血生臭い部屋だった。間違いなく解体作業をする部屋だろう。
ただ中はがらんとしており、まるで活気が無いのが気にかかる。
「誰もいないみたいだが?」
「担当者なら今頃は、酒場にでもいるのではないですかな?」
「……は?」
「今、このセントベルギルドに解体を依頼するような冒険者がおりませんので」
しんと静まり返った部屋に彼の声が響く。飄々とした声に反して、彼は困ったような表情を胡散臭さの中に浮かべていた。
……じゃあなんで案内したんだよ。