311.最良を狙え
あの後、落ち着くまで少々の時間を要した。落ち着くと言うのはホシもそうだが、スティアの事も含まれる。
喚いていたホシは見た目にも分かりやすかろうが、しかしスティアの内面も相当に穏やかでなく、その事を俺はちゃんと理解していたのだ。
今ホシは頬を膨らませつつも黙って椅子に座っている。いや、むぅ~っと低く小さな声を上げているため、まだ不満は不満なのだろう。
一応言う事を聞き、我慢が見えるのは成長の証か。見た目は十年以上変わりがないが、精神の方はちゃんと大人へ近づいているらしい。牛歩のような成長だが。
その事は喜ばしいが、だが一番の問題はスティアである。彼女の様子を横目で見れば、彼女はまだ沈痛な面落ちで俯き座っていた。
(大丈夫……じゃあなさそうだな。でも当然か、スティアの奴、少しばかり期待をしちまったみたいだったからな)
俺は右頬の傷をぽりぽりと掻く。この屋敷に来た時に、あのメイドは旦那様も喜ぶだろうと口にした。その事でスティアの胸に少しだけ、本当にほんの少しだけだが、期待するような気持ちが浮かび上がったのだ。
いや、この場合は浮かび上がってしまった、と言うべきなのかもしれないが。
そのせいで突き付けられた現実が、彼女を必要以上に傷つけてしまった。
スティアがあんな涙を見せるなんて、五年一緒にいた俺でも数える程しか見た事がない。
それほど彼女にとってはショックな事だったのだ。しょっちゅう泣いている俺とは話が違う。
これからどうすべきかと、俺は立ってスティアの様子に目をやっている。バドもどこかおろおろとしながら俺達の間に目を漂わせていた。
皆無言のままどうすべきか悩んでいた。だが父と娘との関係なぞ、流石に俺でも繊細な問題だと分かる。
どうにも口を挟むのが難しく、だからか最初に口を開いたのは彼女であった。
「もう、行きましょう」
その声はいつものように明るくて。
だがそれでいて辛さを押し殺したようなものだった。
「あのメイドを待つ必要はありません。ここを出るなら町を出て真っすぐ行けば良いだけですから、案内など不要ですわ。すぐに出る事にいたしましょう」
俺達の視線を一身に受けるスティアは、困ったような笑顔を浮かべていた。
その笑顔が張り付けたようなものに見えたのは、気のせいでは無いはずだった。
「すーちゃんいいの? あのじじいブッ飛ばさない?」
「良いのです。わたくしは気にしておりませんわ。さ、参りましょう」
ホシにふっと笑顔を向けたスティアは静かに椅子から立ち上がり、俺達の顔をぐるりと見回す。かと思えば返事を待たず、俺達を置いて歩き出してしまった。
もうこんな場所にはいたくないという気持ちが彼女から伝わってくる。
だがその感情は諦めてと言うよりも、俺には逃げ出すように感じられた。
お節介などいい迷惑かもしれない。だが俺はその背中に声を掛けずにはいられなかった。
「……本当に良いのか?」
俺の呼びかけにスティアはぴたりと足を止めた。彼女はすぐには反応せず、その場に無言で立っていた。
だが俺はそれに構わず、そのまま彼女の背中へ話しかける。
「このまま出て行ったら、もう二度とここには来ないんじゃないのか? ……今生の別れになるぞ」
俺には昔妻がいたが、実の子供は授からなかった。だがそれでも俺をオヤジと慕ってくれる息子や娘が故郷には多くいた。
山賊なんてものをやりながらも、俺も一応は誰かの親であった。だからこの状況は、他人が口を出すような問題でないと思いつつも、どうしても口を出さずにはいられなかった。
人の感情が分かるからこそ、余計にそう思わされた。
スティアはくるりと振り返り、俺を無言のまま見つめてくる。だが表情が彼女の胸の内を雄弁に訴えかけて来て、俺も思わず鼻の奥につんと来てしまう。
(ああ、分かってたさ。そんな顔見なくても、お前の気持ちぐらい俺にはな)
今までスティアは故郷に戻りたいなどと口にした事は一度も無い。
ここの町の者を同族でありながら嫌悪していた事も知っている。
ここに来て初めて知った事だが、同族である闇夜族をヴァンパイアと呼ぶ事もまた、彼女の感情の現れだったんだろう。
そんな彼女の事を思えば、このまま町を去る事も正解の一つではあるのだろう。
だが俺は山賊だ。欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる無法者だ。
だから無法者は無法者らしく、我がままだろうと自分が一番欲しいものを手に入れてやろう。
何よりも目の前でしけた面をしている、かけがえの無い奴のために。
「スティア、俺に少しばかり時間をくれないか? ほんの数分で良い。ここで皆と一緒に待っててくれ」
俺はスティアを真っすぐに見返しながら、一つの提案を口にした。
「貴方様。それは――」
「なぁに。お前を預かる身としてな、ちょいとばかしお話して来るだけよ。もしかしたら物理的な話になるかもしれねぇがな」
「ならあたしも行きたい!」
スティアの顔がはっと強張ったため、俺はおどけて肩をすくめた。後半は当然軽いジョークだ。だがこれを真に受けて、ホシがばっと手を上げた。
馬鹿め、それじゃ話し合いにならねぇだろ。ただのカチコミだそれは。血の雨でも降らせる気か。
「お前はここにいろ」
「えーっ!!」
「良いから。ちょっと耳貸せ」
抗議の声を上げるホシの耳元で、俺はごにょごにょと耳打ちをする。最初は不服そうに聞いていたホシだったが、すぐに真剣に聞き始め、最後にはニッと笑顔を見せた。
「じゃ、ちっと待っててくれよ」
「あ……」
俺が行こうとすると、スティアが戸惑うように手を伸ばしてくる。だが俺はそれに構わず、スティアの親父とメイドが消えて行った方へ向かう。
何か声がかかるかと思ったがその考えは否定され、結局俺はそのまま部屋を抜けて廊下へ出た。
さてあの二人はどこへ行ったのか。部屋を出た先は明かりが全くない廊下が伸びている。
俺は”灯火”を唱えると、足音を消しながら廊下を真っすぐ進んで行った。
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廊下を歩いていると、ある部屋に差し掛かった際に何者かの声が聞こえ、俺はドアの前で足を止めた。
そっとドアに耳を当てると、スティアの親父とメイドのものだろう話し声がぼそぼそと聞こえてくる。声は潜められており、内容までは聞き取れない。だがそんな内容になど俺は全く興味が無い。
俺はドアノブに躊躇なく手を伸ばし、ドアを勢いよく開け放った。
「ちょいと邪魔するぜぇ!」
「えっ!?」
その部屋は住み込みの使用人に割り当てられるような、こじんまりとした小さな一室だった。
家具らしきものは殆どなく、机と椅子が一脚ずつあるのみの、がらんとした小さな部屋。そんな中にいたのはやはりスティアの親父とメイドの二人だった。
椅子に座る親父さんと、それと向き合う形で話していたメイドの二人。だがそんなところに俺が突然入ってきて、彼らはバッとこちらを向いた。
だが俺はそんなものには構わず、ずかずかと中へ入って行く。
メイドは目を丸くして立ち尽くしていたものの、椅子に座っていた親父さんの方は、これにすぐに渋い顔を見せた。
「家人の部屋にノックも無しに入って来るとは、客人とは言え聊か無礼が過ぎると思わんかね」
「おっと悪ぃな。まぁ許してくれや、俺は教育なんてものをちゃんと受けた人間でなくてね。なにせ山賊なんてやってた人間だからなぁ! ガッハッハッ!」
「……何だと?」
俺の言葉を聞き、親父さんの眉間に深い皺ができる。メイドもまた驚きの表情から一転、すっと感情が失せたような顔に変わった。
やはり俺が山賊であった事を知らなかったらしいな。普通なら山賊と知られて良い事なんてないが、だが今この状況は、俺にとっては好都合だ。
にわかに警戒し始めた彼らの前で、俺はニヤリと不敵に笑った。
「おいおい、そう怖ぇ顔するんじゃねぇよ。俺はただ、アンタに礼を言いに来ただけだぜ? あの女がアンタの娘だって聞いてよ、一応親には礼を言っておくのが筋だと思ってなぁ。素直に手放してくれて感謝するぜ、親父さんよ」
「あの女……ラスティの事か」
「そうそう、そのラスティよ。もしアンタがあの女を返せとでも言ったらどうしようかと思っていたんだがよ、良かったぜ。あんなに都合の良い女、そうそういねぇからなぁ」
「都合の良い女だと?」
スティアが偽名を使っていたのはここに来て初めて知った事だが、そこは今はどうでも良い。
偽名の件を軽く流しつつ、俺は目の前の二人の胸の内を盗み見ながら言葉を紡いでいく。彼らの感情を逆なでするように、俺はオーバーアクションで肩をすくめて見せた。
「ああそうよ。顎で使われても文句の一つも溢さねぇ。行く場所もねぇから離反の可能性もねぇ。どんな無理難題でも押し付けてやれば勝手にやって帰って来る。こんな使い勝手のいい女が他にいると思うか? ハッハッハ! いねぇだろ!? 金で買われた奴隷だってもっと反抗的だ! 他にいるんなら紹介して欲しいくらいだぜ!」
俺は殊更愉快そうに天を仰いで哄笑する。そしてむっつりと黙ってこちらを鋭く見据える老爺の鼻先に、ビッと指を突き付けた。
「お前が捨てた娘は俺が上手ぁ~く使ってやるからよぉ、アンタらが心配する必要はなぁんにもねぇぜ。あいつが擦り切れて指一本動かなくなるまで、大事に大事にこき使ってやるよ! ガーッハッハッハッハァッ!!」
椅子に座るその老爺は俺の顔をじっと見つめていた。だがただ黙っていたわけじゃあない。
深い皺が刻まれた白い顔は朱に染まり、杖を突く両手はぶるぶると震え、眼は俺を射殺さんばかりの光を灯らせ、俺を真っすぐに睨みつけていた。
彼の心は怒りと言う感情で埋め尽くされていて、そしてそんな激情に任せ、彼は激しく立ち上がる。
「貴様……! 貴様! 貴様ァッ!!」
そして老爺は俺に杖を突きつけて、怒りのままに怒鳴り声を上げた。
「貴様のような輩に娘を任せてなどいられるかッ!!」
「おおっと。アンタが言ったんだぜ、愚かな娘に居場所は無いってな。アンタにとっちゃ処分したいくらいのクソだったんだろ? それをありがたく貰ってやろうって言うんだ、逆に感謝されても良いくらいだと思うがねぇ」
「言わせておけば、ぬけぬけとッ!」
散々煽り倒された事で老爺の激情は留まるところを知らず、彼を突き動かす。
そしてその怒りによって、今まで絶対に口にしなかったであろう台詞を、俺はついに言葉として引き出した。
「ラスティは、ラスティは――私のたった一人の娘だッ! 貴様のような下郎になどくれてやるものかッ! 命ばかりは助けてやる、今すぐ去ね! それともこの場で私に殺されたいかぁッ!!」
老爺の隣でメイドもまた俺に鋭い視線を向けている。
彼女もまた老爺と同じ気持ちなのだと、彼らの感情が俺に訴えかける。
それが理解できたからこそ、俺は笑った。
「そいつを聞きたかった」
俺は彼らに背を向けて、後ろのドアを開け放つ。そこに立つ人物を見た二人は怒りを瞬く間に驚愕へと変え、零れそうなほど大きく目を見開いた。
「お父様……」
そこに立っていたのはスティアであった。彼女の心は乱れに乱れ、そんな感情が顔にも表れており、実に複雑な表情を浮かべていた。
そんな彼女の後ろにはホシとバドもいて、俺と目が合うとホシがニッと笑みを見せる。
俺が親父さんを煽り倒すから、頃合いを見てスティアを引っ張って来いと伝えていたのだが、実に良いタイミングだった。
ホシもこれでいて山賊だ、息は当然ピッタリだった。
俺は人の感情が手に取るように分かる。だから嫌悪をむき出しにしようと、見下し蔑もうと、それが”フリ”であるなら完全に看破できた。
スティアは帰ろうと言っていたが、あのまますごすご帰ってたまるかい。俺は隠された真実への道をこの目で見たんだからな。
普通の正解なんざまっぴらごめんだ。
俺は山賊。強欲な山賊。だからこそどんな時も、常に最高の結果を狙うのよ。
山賊心得その十一 ―― 良で妥協するな。最良を奪え。
ホシとバドがビッと親指を立てる。俺もニヤリと笑いながら、小さく親指を立てて返した。