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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第六章 迷いの森と闇の精霊
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309.罵倒には罵倒を

「…………え?」

「聞こえなかったのか? 黙ってろって言ってんだよブスがッ」


 俺の言葉を最後に、部屋の中はしんと静まり返った。

 連中はぽかんと口を開け、俺の顔を凝視している。まるで時が止まったかのように、その場に座って固まっていた。


 そんな凍った時の中、しばらくしてルチアがぐらりとよろめいた。彼女は倒れこそしなかったもののテーブルに右手を突き、もう片方の手で胸を押さえて苦しそうに息を吐いている。

 それが合図となったのか、侯爵もようやく動き出した。


「エ、エイク殿。今のは、私の聞き間違いか?」


 侯爵は躊躇いがちに俺へ問いかける。だが俺はそれにフンと鼻で笑って返した。


「ああ? 何だよ。俺はこいつにブスって言ったんだ。それがどうかしたか?」

「ど、どうかしたか、だと? 貴殿、何を言っているのか分かっているのか!」

「ブ、ブス……この私が……ブス……? そんな……そんな事って……」


 娘を馬鹿にされた侯爵は、怒り心頭に俺を睨みつける。一方娘の方はショックを隠せないようで、言われた言葉を弱々しく繰り返していた。


「いくら何でも無礼であろう! 貴殿はルチア殿とは今日初めて会ったはずだ! 初対面の淑女に対して何と言う暴言をっ!」


 ルチアの右隣に座っていたどうたら伯爵が立ち上がり声を荒げる。まあそうだよな、無礼だと怒るのは普通の反応だろう。俺だってそのくらいの分別はある。

 だがそうと理解しつつも言ったのには理由がある。絶対に無視できない理由があったのだ。


「何を怒ってるのか分からねぇな。俺はお前らの流儀に則って返事をしただけだぜ? それの何が気に食わねぇ?」 

「わ、我らの流儀? 一体何の話だ?」

「分からねぇってのか? ええ?」


 俺は侯爵、そしてルチア、うんたら伯爵と、連中の顔を順繰りに見回す。しかし奴らはこれに何も応えられず、困惑顔で俺の顔を見返していた。

 ふん、いい度胸をしていやがる。ならこれからそれを教えてやろうじゃねぇか。


「ホシ」


 俺はスティアを挟んで隣に座るホシを呼んだ。


「うあ?」

「……お前、また寝てたな?」

「う、ううん? 寝てないよ?」


 ホシは焦ったようにぷるぷると首を横に振る。だがそんなのは口元の涎を拭いてから言いやがれ。

 ……まあいい。嘆息しつつ、俺はホシに指示をした。


「例の奴頼むわ」

「例の奴?」

「おいおい、寝ぼけてんじゃねぇぞ。 その口を閉じろって、あれだ」

「おー! 了解了解!」


 頼むぜもう本当によ。がりがりと頭を掻く俺を尻目に、ホシはえへんと咳ばらいをする。

 そしてホシはこう切り出した。


「その口を閉じなさい無礼者!」


 それはとても大きな声だった。だがその声色はいつもの幼いものとは全く違う。

 まるで大人の女性のような、美しい音色を持った声だった。


「お前のような忌み子が私に対等な口を利くなど――恥を知りなさい!」


 その声を聞いた連中の反応は二つに分かれた。なんたら伯爵以下四人は不思議そうな顔をしている。だがルチアと侯爵の二人だけは気づいたようで、はっと目を見開いていた。


 そうだよなぁ。心当たりがあるはずだよなぁ。何せこの声はそこの女、ルチアの声を真似たものなんだからよ。

 本人のものかと思う程、ホシの声はルチアと酷似している。ホシは女の声真似が滅茶苦茶得意なのだ。これはホシの数少ない特技の内の一つだった。


「呪われた子が、思い上がりも甚だしい!」


 ホシはその声のまま、淀みなくルチアの言葉を最後まで紡ぐ。


「もしその程度も理解できないと言うのであれば――今、消してしまいますよ」


 終わりにコホンと咳払いをして、ホシはその口をにっこりと閉じた。胸を張って得意そうである。

 だがそんな子供の得意げな顔を前にしても、奴らは様々な表情を浮かべながら押し黙ったままだった。


 またも部屋は静まり返る。だがな、俺は面倒臭ぇのは嫌いなんだ。

 俺は顔を強張らせている親子二人を睨みつけ、責めるように低い声を浴びせる。


「そこのブスが昨日言ってくれた事だがよ、よくもまあこんな事が言えたもんだよな。人を侮辱するのが無礼だってんなら、お前らのスティアに対する扱いは無礼じゃねぇのかよ。そこんとこどうなんだ、ああ? ――黙ってねぇで何とか言ってみろやコラァッ!」


 スティアはこいつらに俺を連れてくるよう指示されていた。まあスティアはそのつもりが無かったようだが、しかし結果としてこうなった以上、労い一つあっても良いのではないかと思う。

 だのにここであったのは労いなんてものじゃない。彼女に対しての強すぎる嫌悪感と侮蔑のみだった。


 スティアはこの扱いを、良いか悪いかは別として、受け入れてはいるようだ。だがそれを俺達にも受け入れろと言うのは到底無理な話であろう。

 俺なんか先程からずっと、怒鳴らないように気を付けていたくらいだ。そこの女――ルチアの声を聞いてから今の今までずっとな。


 俺の怒りのこもった眼差しに、ルチアは顔を青くするばかりだ。まさか聞かれていたとは思ってもいなかったんだろう。

 しかし父親の侯爵はと言えば、馬鹿にしたような表情を見せながら、ふんと鼻から息を吐き出していた。


「成程、どうやら貴殿は勘違いをしているようだ。その者は我ら闇夜(あんや)族の汚点とも言うべき存在。本来ならば生かしておく事も許されん者なのだ。それを我らはこうして生かしているだけでなく、屋敷への滞在も許している。慈悲深いと称されこそすれ、責められるような事は何一つ無いのだよ」


 その口調はこちらを諫めるようでいて、嘲るような感情も含まれているように感じられるものであった。

 ますます頭にくるが、だがそんな頭でもこの台詞から、奴らが自分達に何一つ非がないと思っている事がはっきり分かる。

 俺もまたふんと鼻から息を吐き出して返した。


「それはお前らの慣習か、しきたりみたいなもんか?」

「ご理解頂けたようで何よりだ。こちらにはこちらの事情がある。口を出さないでもらいたい」


 俺と侯爵が言い合う最中もスティアはずっと俯いたままだ。何を言うでもなく、口を堅く閉ざしている。

 だが、俺は相手の感情が分かるんだ。隣に座るスティアの感情が分からないはずが無い。そのせいでどうだと言わんばかりの侯爵の顔に、怒りが更に増すばかりだった。


「お前らの事情は分かった。だがな。――何で俺達がそれを尊重しなきゃならねぇ?」

「は?」


 侯爵は実に不思議そうな顔をして俺を見つめてくる。まるで俺達が奴らの都合に合わせるのが当然であり、異を唱える可能性すら考えていなかったとでも言うような顔だ。

 本当にムカつくなこいつらよぉ。怒りを抑えるのもそろそろ限界だぜ。


「言っても分からねぇか? 俺達の事情を尊重しねぇ連中をよぉ、何でこっちが尊重してやらなきゃならねぇんだって言ってんだよバカがっ!」


 俺はダンとテーブルを叩きつけて立ち上がった。


「スティアはなぁ、俺達の仲間なんだぞ! 仲間を馬鹿にされたら普通誰だって頭に来るだろうが! お前らだってそいつを馬鹿にされて腹が立ったろうが! 想像力の欠片もねぇのかっ!」


 俺はビッとルチアに指を突き付ける。


「それともお前らは、自分達の事情は考慮しろ、でも俺達の事情は知らねぇって、そんな事を言いやがるのか!? それこそ無礼千万だろうがっ!」

「い、いや、そんな事は断じて――」

「じゃあどういう事だって聞いてんだよ! 雁首揃えて説明する事もできねぇのかテメェらは! その口は飾りか!? ああ!?」


 俺が怒りに任せて立ち上がると、闇夜(あんや)族も皆慌てて立ち上がる。これを見たホシとバドも立ち上がり、部屋の雰囲気が剣呑一色に染まった。

 睨む俺に闇夜(あんや)族の連中はどうしたものかと動揺を隠せずにいる。だがその口から謝罪の言葉が出てくる気配は全くない。

 それだけで彼らがスティアをどう思っているか分かってしまい、俺は握りしめた拳をまた、テーブルに打ち付けようとしたのだが。


「貴方様、もう、良いですから」


 これを制止したのは、スティア自身だった。

 ずっと下を向いていた彼女が、顔を上げこちらを見上げている。その表情には、申しわけなさそうな、悲しそうな、様々な感情が浮かんでいる。

 だが俺がそこに一番感じたものは、諦めという感情だった。


「わたくしの事はお気になさらず、話を続けて下さいまし」


 スティアは俺の握り固めた拳にそっと手を伸ばし触れてくる。ふっと顔を微笑ませるが、無理をしているのが丸わかりだった。

 詳しい話を聞いたことは無いが、しかしスティアがこの町に長い間いたことを俺は知っていた。こんな人未満の扱いを、彼女は長い間受けて来たのだろう。


 それを思えば頭に来て仕方がないが、だが俺がこいつらを怒鳴りつけても何も変わらないだろう。

 こいつらがスティアを見下すのはもう筋金入りだ。誰に言われようと変わらないのなら、俺にできる事はここからさっさとおさらばする事だけだった。


 となりゃあこんな話はさっさと終わらせてしまうに限る。俺はケッと吐き捨てながらドカリと椅子に腰を下ろす。そして今度は侯爵に指を突き付けた。


「大体テメェ! さっきから嘘八百を並べやがって、それも頭にくるんだよ! 俺を騙そうったってそうはいかねぇぞ!」

「な、何!? いや、そんな事はないっ!」

「馬鹿が! お前のついた嘘なんざ、俺には全部お見通しなんだよ! 何が森を助けて欲しいだ、一から十まで大嘘じゃねぇか! どんな目的があるのかは知らねぇが、そう簡単に人を騙せると思ったら大間違いだ、このポン太郎共がッ!」


 そう、奴らは最初から俺達に真実を話し、協力して貰おうという気はさらさら無かったのだ。

 適当に丸め込めば勝手に踊ってくれるとでも思っていたんだろうが、そうは問屋が卸さねぇ。鋭く睨みつけると、侯爵はふぅと細く長く息を吐いた。


 彼の胸の内から感じられた、侮るような感情が消え失せて行く。

 そして塗り替わるように湧き上がった感情に、俺はまた立ち上がった。


「ルピナス様の寵愛を受けているからと慈悲をかけてやったと言うのに、それを無下にするとはな……。やはり人族は人族か。素直に首を縦に振っていれば、苦しまずに済んだものを。愚かな事だ」


 侯爵はそう言って、テーブルに置かれていたベルを鳴らす。リリンと軽い音が鳴り響けば部屋のドアが勢いよく開け放たれ、武器を手にした執事やメイド達がどかどかと雪崩れ込んで来た。


 見れば向かいに座っていた闇夜(あんや)族達も既に手に杖を持ち、こちらに向けている。やはり無理にでも言う事を聞かせようという魂胆かよ。回りくどい事しやがって。

 俺は懐から剣をずるりと取り出して鞘から抜き放つ。その間にシャドウが他の三人へぽいぽいと武器を放り投げており、彼らも各々の武器を構えていた。

 侯爵はその様子に少し目を見開いたが、しかしすぐに笑い始める。


「くくく……! 一体どれだけ待っただろう! 今日この時、我ら闇夜(あんや)族が反撃の狼煙を上げるのだ! 光栄に思うが良い。その最初の人柱として、貴様はルピナス様に選ばれたのだ! さあ愚かで下劣な人族よ、我が魔法の前に跪けッ!」


 そして彼は俺に手の平を向けて、こう唱え始めたのだ。


「闇の精霊シェイドよ!」

「何!?」


 思わず声を上げてしまう。四大精霊と呼ばれる、火、風、土、水の精霊については当然知っている。だが闇の精霊などというものは、三十七年生きて来た中で一度たりとも聞いた事が無かったからだ。


 正体不明の魔法が来る。放出系か、それとも設置系か。

 こちらに手を向ける侯爵へ、俺が警戒をさらに濃くした――そんな時だった。


「水の精霊よ、視界を眩ませ賜え! ”惑いの霧(イリュージョンミスト)”!」


 何者かの声が轟き、たちまち目の前が白一色に染まってしまう。霧はかなり濃く、目の前どころか隣にいるスティアですら輪郭がおぼろげだ。

 霧の濃さは魔力操作の実力が一番出るところだ。ここまで濃い霧を出せるのは、かなり高い実力を持つ魔法使いでなければ無理だろう。


 これが敵が放った魔法であれば相当不味い状況になってしまったが――。


「”惑いの霧(イリュージョンミスト)”だと!? 何者だっ!?」

「おい、今すぐこの霧を払うのだっ!」

「は、はっ! 風の精霊シルフよ――ぐはっ!?」

「……お、おい!? どうしたっ!?」


 だがどうやら侯爵達も想定外の事態だったらしく、霧の向こうから慌てる声があちこちから聞こえて来た。

 さてこれを好機と捉えるか、それとも更なる大事の前触れか。


「貴方様!」

「えーちゃん、どうする?」


 こちらも不用意に動けばどうなるか分からない。仲間達もどうすべきかと、俺の近くに集まって来る。

 濃い霧で分かりにくいがその影は四つ。スティア、ホシ、バド、そして――ん?


「皆様、今の内にこちらへ。さあ早く」


 バドの横にしゃんと立っていたのは、メイド姿の一人の女だった。

 いつの間に接近してきたのだろう、バドもギョッと体をのけ反らせている。だが彼女はそんな俺達の様子には構わず、落ち着いた声ながら早口で俺達を急かしてきた。


 確かにこんな霧はすぐにでも消されてしまう。彼女が何者かは知らないが、だが考えている時間は無かった。


「よし、案内してくれ」

「承知致しました。ハッ!」


 彼女はどこからか取り出した短剣を隙の無い動作で放つ。するとガシャンとガラスが砕けるような派手な音が聞こえてきた。


「窓から脱出します。どうかこちらへ」


 どうやら窓を壊したらしい。彼女は端的に告げた後、俺達を待たずに走り出す。

 この霧でおぼろげだったが、あの投げ方は見事なものだった。どうやらただのメイドじゃねぇな。面白れぇ。


 さて、魔が出るか竜が出るか。俺も迷うこと無くその背中を追う。

 後ろからは連中の怒号が聞こえてくる。俺達が窓から外へ飛び出したのと部屋の霧が振り払われたのは、ほぼ同時だった。

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