306.闇夜族の町
「エイク様、そしてお連れの皆様。このような時間でございますので、本日はこちらの部屋でお休み下さい。何か御用がございましたら、そちらのベルをお使い下さい。すぐに屋敷の者が参りますので」
執事はそう言って深々と頭を下げると、部屋を静かに出て行った。
部屋に残された俺はもう何が何やらだ。自分の身に起こっている事が理解できず、部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
バドも同様らしく俺の隣に立ち、どうして良いか戸惑っている。だが一方で、ホシはいつも通りの自由人である。
「わーい! ソファがふっかふかだ!」
早速貴族が使うようなソファの上で、ぽんぽんと楽し気に跳ねていた。
気楽でいいなと思うものの、とは言えホシはただの能天気ではない。ホシがこうも油断していると言う事は、この場所は少なくとも危険はないと言う事だ。
俺は警戒を緩めつつ、ホシが跳ねるソファの、テーブルを挟んで向かいにあるソファを見る。そこには浅く腰かけて足元を見つめているスティアが座っていた。
「迷いの森の中にこんな町があるなんて、一体どうなってんだ? 自分の目で見てもまだ信じられねぇよ」
スティアは俯いて黙ったままだ。その様子からあまり話したくない事が分かるが、しかしこの状況を知る者は彼女を除いて他にいない。
俺とバドが彼女から視線を外さずにいると、しばらくしてスティアは観念したように口を開いた。
「もう予想はできていると思いますが……。ここはわたくしの生まれた場所、コーンラッド。この大陸に唯一残る、ヴァンパイアの町ですわ」
その諦めたような声を聞いて、俺はそこで初めて、スティアがルーゼンバークに行きたくないと言っていた理由を理解した。
迷いの森で休憩していた時、警戒する俺達の前に現れた四人がとった行動は、慇懃な礼だった。
敵意も感じられず話を聞けば、彼らは俺達を町へ招待したいのだと言う。とは言えいきなり現れた怪しい連中だ、はい喜んでと従うわけもなく最初は断った。
だが相手は引き下がる様子を全く見せなかった。
そればかりか、それではこの場に我らの主をお呼びいたしますので少々お待ち下さい、などと言うのだ。
俺達を絶対に逃がさないと言う強い意志が感じられ折れざるを得ず、案内する彼らに続いて森を歩き、一つの場所に辿り着く。
それがこのコーンラッドの町だったというわけだ。
深夜と言う事もあり町の中は流石に暗かった。だがその場所は人族の作る町のような、闇に閉ざされた深夜の町では無かった。
あちこちに設けられた街灯が煌々と輝き、白いレンガの壁に黒い屋根という独特な家々を明るく照らし出していた。
そんな光景はあまりにも幻想的で、一瞬言葉を失った程だ。
夜であるため独特の侘しさはあった。だが町全体がそれを生かした造りになっているようで、静かさの中にある美しさを感じられた。
そんな、つい見入ってしまう異種族の町に踏み入った俺達が通されたのは、一つの大きな貴族っぽい屋敷で。そしてそのまま客室へと通されて今に至るというわけだった。
「黙っていて申しわけございません……」
「いや、別にそれは良いんだけどよ」
謝るスティアに首を振る。話したくない事なんて誰にでもある。俺はそれを責めるつもりは無かった。
むしろ今俺達が置かれている状況からして、町への誘いははありがたいくらいだ。
とは言え気にならない事が無いわけでもなかったが。
「連中、妙に手際が良かったじゃねぇか。まるで俺達が来るのが分かってたみたいによ」
まず一つ。この部屋に通される前に寝室について説明を受けたが、この客室の近くに一人ずつ、計九人分が用意されていると執事は言っていた。
九人分。そう、魔族達の分もである。
客室も二つ用意されており、魔族達は今別の方にいる。広い客室とは言え、ここは九人も入る広さは流石に無い。
つまり俺達が九人いると言う事を連中は把握して、二部屋用意していたのだ。
「スティアが話しておいたんだな? なら納得だ。なんでか俺に対する扱いが丁寧すぎて気味が悪いがな」
そしてもう一つ。連中、どうしてか俺に対して下にも置かない態度を取るのだ。
そりゃ無礼に接されるよりはいいが、程度と言うものがある。理由も分からず慇懃にされては裏でもあるのかと勘繰ってしまう。薄気味悪さすら覚える程で、俺はどうにも尻のすわりが悪く感じていたのだ。
「なんであんなにへりくだっていやがるんだ? スティア、お前なら何か知ってるんじゃないか?」
「……申しわけ、ありません。わたくしも詳細は聞かされておらず、事情はあまり把握しておりません」
俺が水を向けると、スティアは素直に打ち明け始める。俺はバドにちらりと目をやってからスティアの隣に腰を下ろす。バドも同じくスティアの向かいに座り、彼女の話を聞く体勢を取った。
「わたくしのもとに、ここから飛ばされたフクロウが何度か来ていたのはご存じでしょう。あれは実は……貴方様の事についての指示が書かれていたものだったのです」
「えーちゃんの? すーちゃんの事じゃなかったの?」
自分が抱えていた事情を話し始めたスティア。声を上げたのはソファの上で跳ねて遊んでいたホシだった。
「いいえ。この町の人間は、わたくしの事になど興味はありませんわ。関心があるのはただ、エイク様の事だけです」
「そうなのか? うーん……よく分からねぇな。何で俺の事なんだ?」
「それは分かりません。ただ、もしかしたらそれは――」
と、そこでドアがノックされる。思わず口を噤む俺達。入ってきたのは一人のメイドで、彼女は俺達に茶を用意した後、テーブルに菓子を置き、深々と礼をして部屋を出て行った。
わーいとホシが手を伸ばす中、俺はふむ、とあごを撫でる。先ほどのメイドの感情を読んでみたが、俺に対してはやはり、なぜか敬意のようなものを向けていた。
ホシやバドに対しては、まあ客に向けるような感情を。
そしてスティアに対しては。
まあ、あまり面白くない感情であった、とだけ言っておこう。ティーカップの置き方もスティアだけ雑だったしな。
「で、どういう事なんだ?」
俺はスティアに横目を向ける。だがスティアはすぐに返事をせず、何かを思案するような表情を見せた。
何を考えているんだろう。俺がそう思っている間に、彼女の中で結論が出たらしい。
「貴方様。わたくしに、≪感覚共有≫をかけては下さいませんか?」
出し抜けにスティアはそう言った。
「何だって?」
「ここでわたくしの予想を口にするよりも、もうこの町にいるわけですから、実際に探った方が正確な事が分かると思いますわ。諜報ならわたくしの出番でしょう? どうかお任せ頂けませんか?」
スティアは妙に真剣な表情で、真っすぐに俺を見つめていた。
全くこいつと言う奴は。気にしてないと言ったのに、まだ自分の疑いを晴らしたいとか、そんな事を考えているんだろうな。
だがこれはきっと彼女自身の問題であって、俺達がどう言葉を尽くそうと解決しない問題でもあるんだろう。
「≪感覚共有≫」
俺は小さくため息を吐いた後、望み通り彼女へ聴覚の共有をかけた。
「貴方様、ありがとうございます」
僅かにほっとしたような表情を見せた後、スティアはすぐに立ち上がり、早足で部屋を出て行こうとする。
「スティア、気を付けて行けよ」
背中に声をかけるとスティアは振り返り小さく微笑み、そしてそのまま無言で部屋を出て行ってしまった。
音もせず閉まるドアを確認し、俺は背もたれに体を預ける。ふと気付くと、バドが俺をじっと見つめていた。
「……しょうがねぇ奴だ」
俺がそう溢しつつ頭の後ろで手を組むと、バドはぼりぼりとこめかみを掻くような仕草を返した。
「しょうがないのはえーちゃんじゃないの?」
「ん?」
だがそこにホシが茶々を入れて来て、俺はバドの隣に座る彼女へ目を向けた。
「どういう意味だ?」
「知ーらないっ」
一体なんだと聞くも、ホシはぷいっと目を逸らす。だがその口は尖っており、頬も少し膨れていた。
俺がしょうがないとは何だろう。理解ができずまたバドに目を向けるが、彼もまた困ったように首を傾げて俺を見ていた。
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「あら。見かけぬ者がいるかと思えば……嫌なものを目にしてしまいましたね」
足音を忍ばせ屋敷のロビーを歩いていたスティア。しかしそこで何者かの声に呼び止められ、彼女はそちらへ目を向けた。
そこにいたのは三人の女性だった。真ん中には黒のタイトなドレスを身にまとった女性がおり、もう二人はお付きなのだろう、メイド服姿の女性がその後ろに控えている。皆ヴァンパイアらしく、三人とも白い髪に赤い瞳を持っていた。
言葉を発したのはドレスの女性だ。彼女は長い髪を後ろでまとめており、耳には瞳と同じ赤いイヤリングが揺れている。
その姿、そしてメイドを伴っている事からも、彼女がヴァンパイアの中でも高い地位を持っている事が簡単に予想がつく。スティアは返事をしなかったものの、無視をせずその場で彼女へ向き直った。
「その髪……まるで月の女神ルピナス様を侮辱するかのよう。ああ忌々しい事です。我ら闇夜族の中でこのような存在がいるなど。……許しがたい」
ドレスの女性はスティアを見つめながら話す。しかしそれはスティアへ向けられたものと言うよりは、独り言のようだった。
声色は先程からずっと嫌悪を隠さず、表情にも心情がありありと浮かんでいる。彼女は端正な顔を不快感に歪め、目を鋭く細めてスティアを見ていた。
「そればかりか、己の立場すら理解できない愚か者だとは……。我がキールストラ侯爵家の屋敷を我が物顔でうろつくなど、礼儀と言う言葉を知らないのでしょうか」
絞り出すような言葉には、怒りすらも滲んでいる。後ろに控えたメイド二人もまた、スティアへ咎めるような眼差しを送っていた。
三人の射貫く様な視線を浴びたスティアは、つい表情を厳しくする。だがこれを目ざとく見つけたドレスの女性はぴくりと眉を動かして、
「その顔は何ですか」
と、咎めるような低い声を出した。
「まるで不服でもあると言いたげですね。礼儀知らずもここまで来ると感心しますわ。ですが、良いでしょう、言いたい事があるのなら言ってごらんなさい」
「……私は来いと言われたから来たのだ。文句を言われる筋合いはない」
スティアは女性を真っすぐに睨み返してそう言い返す。スティアとて望んで来たわけでは無い。できるなら来たくもなかったくらいなのだ。
故郷に近づく事も嫌悪しており、それ故にルーゼンバークにも足を向けたくなかった。だというのに。
「私を呼んだのはそちらだ。私がここにいる事が問題であるのならば、それはそちらの不手際だろう」
今まで散々フクロウを飛ばし、彼を連れてくるよう言いつけて来たのはヴァンパイア達だ。嫌だと言う自分を再三促し、偶然とはいえこうしてエイクを連れて来たと言うのに、なぜそのような事を言われなければならないのか。
「自分達の落ち度を棚に上げて、随分な物言いだな。礼儀知らずは一体どちらか」
スティアは今まで胸に燻ぶらせていた憤りを目の前の女性にぶつける。それに女性は軽く笑って、スティアにしずしずと近寄った。
そして――
「その口を閉じなさい無礼者!」
手を振り上げ、スティアの頬を思いきり平手で打ったのだ。
「お前のような忌み子が私に対等な口を利くなど――恥を知りなさい!」
女性は柳眉を逆立て激しい剣幕で怒鳴りつける。その表情は憎悪で大きく歪んでいた。
彼女の瞳は燃えるように赤々と輝き、スティアを睨みつけている。だがそれを見返すスティアの赤い瞳は、氷のように冷めていた。
「ではなぜ私を呼んだのだ。こんな場所に来たくもなかったこの私を」
「馬鹿な事を! 呼んだのはお前ではありません! 我らが呼んだのはあのお方、エイク様ただ一人です! お前はあの方の近くにいた故、仕方なく護衛に使ってやっただけ。だというのに呪われた子が、思い上がりも甚だしい!」
ギリギリと歯を噛み締めてスティアを睨め付ける女性。しかし数秒程すると気を取り直したのか、彼女はフイとスティアから視線を外して言った。
「……愚昧な者を相手にしていると嫌になりますね。お前ごときがこの屋敷に滞在するなど本来あり得ない事。それを我らが広い心で許したからこそ、ここにいられると心得なさい。分かりましたね? 分かったのなら、その汚らわしい姿でもう屋敷を歩き回らないように」
そして最後にスティアに横目を向けて、女性はこう言い残した。
「もしその程度も理解できないと言うのであれば――今、消してしまいますよ」
そうして三人はロビーを抜けて屋敷を出て行った。広いロビーに一人残されたスティアは、立ち尽くして彼女らが出て行ったドアを見つめ続けている。
《おいスティア。お前、戻って来い》
「え?」
そんな時エイクからの声が聞こえ、スティアはハッと我に返った。
「ですが……まだ情報は十分には」
《んなもんいいから戻って来い。どうせその内向こうから接触があるんだ。そん時聞きゃいいんだよ》
「はぁ……」
《分かったな? 分かったらすぐ戻って来い!》
エイクの口調は有無を言わせぬようなもので、そこでぷっつり会話が途切れてしまった。
強い口調に言い返すことができず、スティアは一人嘆息する。汚名をそそぐ絶好の機会を失った彼女はがっくりと肩を落としながら、来た道を引き返して行った。