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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第二章 再興の町と空色の少女
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32.バド先生のお料理教室

 あれから三十分程。ユーリちゃんのお母さん――シェルトさんを椅子に座らせなだめていると、やっと落ち着いてきたようで、今は目の前のカップに両手を沿え、湯気を立てているお茶をぼうっと眺めていた。

 一方シェルトさんに痛烈なダメ出しをしたバドはというと、店の隅で正座をしてこちらを見ている。流石にあれはやりすぎだと、今は猛省を促しているところだ。


「すみません、連れが失礼なことを――」

「いえ、いいんです」


 改めて謝罪しようとすると、シェルトさんはどこか諦めたような様子で微笑んで返した。


「私には、もともとセンスがありませんでしたから」


 彼女はゆっくりと視線を落とし、またカップの中で僅かに揺れているお茶をじっと見つめた。

 そうだと言うのなら何故パン屋をやっているのか。何か理由があるのだろうが、それを知らない俺達は彼女の様子に黙るより他ない。


 暫く置いて、独り事を呟くかのようにシェルトさんがポツポツと話を始める。しんと静まり返った部屋に、彼女の声が寂しげに響いた。


「夫の代わりにこのパン屋(クルティーヌ)をなんとか残せればと、そう思って自分なりに頑張ってきたつもりだったのですが……土台無理な話だったのかもしれません」

「……もしかして、旦那さんは――」

「はい、五年前に。私とユーリを庇って」


 そういうことか。

 やっと事情を理解できた俺は、好き勝手に色々と言ってしまった自分達の無神経さに顔をしかめた。


 今から五年前、ここセントベルは魔族の襲撃を受けた。

 その際、この町に住んでいた兵士や冒険者はもとより、この町に住む男という男は皆、魔族に殺されてしまったのだ。

 恐らく反抗の意思すら持たないようにということなのだろう。だが、あまりにも(むご)い。

 俺も、セントベル奪還時にこの町に女しかいない状況を知り、その目で見て、魔族のあまりの非情さに愕然としたことを今も覚えている。


 俺は目の前で俯くシェルトさんをじっと見つめた。彼女が何を考えているのかまでは分からなかったが、その雰囲気は諦めや絶望のようなものを醸し出していた。

 俺の感じた彼女の感情もまたあまりにも空虚で……まるで中身が何も無いスカスカのパンのようになっていた。


 ここで最初にシェルトさんを見たときにはそんな感じを受けなかったため、完全にバドに心をへし折られてしまったのだろう。

 もっとソフトに伝えられなかったのかとバドを横目で睨むが、彼は俺の様子に気づいていないのか、ただ真っ直ぐにシェルトさんを見つめていた。


 このパン屋――クルティーヌでパンを作っていたのは元々シェルトさんの旦那さんだったのだろう。

 しかし五年前魔族に侵略された際、その彼も他の男たちと同様に凶刃にかかり亡くなってしまった。

 残されたシェルトさんは彼の意思を継ぎこのパン屋を継いだのだろうが……。


「彼が残してくれたのはこのクルティーヌとユーリだけ。……ですからこの二つだけはどうしても守りたかったんです」


 シェルトさんはゆっくりと瞑目する。

 今までのことを思い出しているのだろうか。僅かに眉を潜め口を真一文字に結ぶその表情は、今までの苦労を思い出し、噛み締めているようにも見えた。


 セントベル陥落の日から予想だにしなかった日々の連続だっただろう。

 平和だった日々からの魔族の来襲、夫の死、町の侵略、聖魔戦争の再来。怯え続ける毎日がやっと終わるも、パン屋の復興を試み試行錯誤の日々。

 苦しくて悔しくて涙した日もあっただろうに、それでもこうしてまたパン屋をやろうと思ったのは、きっと亡き夫を偲ぶ思いや昔にしがみ付きたい気持ちがある中で、それでも前に進まなければ、ユーリちゃんを守らなければ、という強い気持ちがあったからなのだろう。


「でも……私には荷が重かったんだと思います。今まで試作を繰り返しやって来て、これならやれるかもと思っていたんですが……今日はっきり分かりました。人にお出しできるパンは、私には作れないってことが」


 自嘲するような笑みを浮かべるシェルトさん。すると、ユーリちゃんが悲鳴のような声を上げた。


「そんなこと無いもんっ! お母さんのパン、最初は食べられなかったけど、食べられるようになったもん! 私、お母さんの作るパン好きだもん!」

「ユーリ……」


 いままでしょんぼりとしていたユーリちゃんだったが、シェルトさんが弱気になったことを感じてか、必死になってシェルトさんを励まし始める。


「お店直してからずっと、お母さんが頑張ってきたの分かるもん! 絶対大丈夫だよ! お客さんだって、絶対絶対来るからっ! 私だって頑張るから! だから……だから……っ!」


 だんだん鼻声になってきたユーリちゃんだったが、最後にはぐすぐす言いながらぽろぽろと泣き出してしまった。

 ぼろ泣きのユーリちゃんを困った様子で見ていたシェルトさんだったが、すぐにその目からもつうと涙が一筋こぼれ、徐々にテーブルにシミを作っていった。


 もう駄目。我慢の限界だよ。


「おいバド! どうするんだよこれ……っ! 二人が……可哀想すぎるだろうが……っ!」


 俺もつられてもうぼろ泣きだ。スティアにハンカチを押し当てられながらバドに食って掛かった。

 だが俺に噛み付かれたバドは太々しいほど怯む様子を見せず、シェルトさんを見つめていた目をこちらへ向ける。

 そして俺の顔をしっかりと見ながら、ゆっくり、しかし力強く立ち上がった。

 いつもの感情の読めない真顔ながら、その目がギラリと鋭く光ったように見えた。


「……お前が、やるって言うのか?」


 俺がそう聞くと、彼はゆっくりと首を縦に振ってみせる。俺を見据えたその目は、彼の決意の固さを物語っていた。

 バドがこんな目をすることは殆ど無い。しかし俺は知っている。こいつがこんな目をするとき、それはどこの誰も……例えそれが王族だとしても止めることはできないということを。


「よし……。なら、今度はここでやろうじゃないか――!」


 バドの固い決意を酌み、俺も彼に頷き返す。そして椅子から立ち上がり、その意思を鼓舞するように声高に宣言した。


「”バド先生のお料理教室”……再開だッ!!」


 今ここに、数多くの王国兵や傭兵達を震え上がらせたお料理教室がまた開催されようとしていた。


 王国軍第三師団、第二部隊強化実習。通称”バド先生のお料理教室”。

 第二部隊に所属できるかどうかは、この強化実習を乗り超えられるか否かに全てかかっている。まさに最大にして最後の難関だった。

 その内容は、その名が示す通りバドが徹底的に料理指導を行う料理教室である。しかし、その指導内容がスパルタということで、一部の人間には非常に恐れられていた。


 実のところ、料理が壊滅的にできない人間以外なら料理が上手くなれると、無事卒業した者からは好評を博したこのお料理教室。

 しかし料理を冒涜するような人間や、食材で遊ぶような人間には、全く容赦の無い鉄槌が下されることになる。


 詳しくは伏せるが、そういった人間はもれなく翌朝、食堂備え付けのでかいダストボックスにぶち込まれているところを発見されることになる。

 気を失い、ゴミの投入口から頭だけ突き出している姿はそれはもう凄惨の一言。

 平民、貴族、王族を問わずぶち込まれるその問答無用の振る舞いに、並みいる強者(つわもの)を恐怖に陥れたのだ。


 ちなみに、第二部隊の配属希望者だけでなく、希望すれば誰でも受けることができる。

 スティアは一期生であるし、エルフ、ダークエルフも第二部隊ではないがもれなく受けていた。

 というかエルフとダークエルフは当初、白だの黒だの言い合って仲が険悪すぎたので、少しでも改善すればと俺が二人一組で無理やり受けさせた。

 その甲斐あって、今この二種族は同志などとのたまい合うほど非常に仲が良くなっている。エルフとダークエルフの女王が連日投入口に雁首並べていたのも今では笑い話だ。


 さて。俺の宣言を受けて、バドは鎧をその場で脱ぎだした。

 慣れた手つきで鎧下まで脱ぎ去ると、服の上からでも分かる彼の筋骨隆々とした肉体が露になる。

 彼は背嚢からマイエプロンを取り出すとその肉体美の上から慣れた様子でかけ、ぐいと腕まくりをし始める。

 マイエプロンまで持参とは、やるじゃねぇか……!


「あ、あの……何が? 料理教室?」


 シェルトさんが急な展開に理解できず、ユーリちゃんを抱きしめた状態で狼狽していた。そういえばこっちだけなんか盛り上がって我を――いや、説明を忘れていた。


「こいつは王都で料理教室を開いていたんです。もしよければ、協力させてもらえませんか? 迷惑をかけた詫びということで」

「え? で、でも私達、お支払いできるお金も……」

「いえ、それは結構です。ただ……そうですね」


 俺は隣に来ていたホシの頭をぽんぽんっと軽く叩いてから、その頭に手を置く。


「ホシの友達が困っているから手伝いたいってのじゃ、駄目ですかね?」


 ホシがユーリちゃんにニーッと笑いかけると、それを見たユーリちゃんはシェルトさんを無言で見上げる。

 戸惑った様子のシェルトさんは暫くその目を見つめながら何かを考えている様子を見せたが、最後には俺達に頭を下げ、協力を受け入れてくれたのだった。



 ------------------



「ここが厨房です」


 シェルトさんに案内され、俺達は厨房へと足を踏み入れていた。厨房に入る前にバドが騒いだため、皆手を洗い、うがいをし、装備を外した上でエプロンをつけ、三角頭巾を被っている。

 そのせいかホシとユーリちゃんのテンションがちょっと高い。二人できゃいきゃいとはしゃいでいる様子は非常に微笑ましい。


 通された厨房は日光が燦々と降り注いでいて非常に明るく、気持ちよく作業ができそうな場所だった。


 だが。

 バドがさっと窓へ寄ると、サッとカーテンを半分ほど閉めてしまった。作業台代わりのテーブルに差し込んでいた光が遮られ、少しだけ薄暗くなってしまう。


「バド?」


 俺の掛け声に、バドはくるりと振り向くと、両手でバツを作ってみせる。


「日光が駄目なのか?」


 日が差し込むのが駄目なのだろうかと聞くと、少し間をおいて今度は両手で三角を作って見せた。日光じゃ半分正解のようだ。


「スティア、なんだか分かるか?」

「うーん、あまり温かすぎると駄目だとか、そういうことでしょうか?」


 首をかしげながらそういうスティアに、バドはマルを作って見せた。作業台が温かすぎると駄目というのは理由が良く分からないが、どうも正解だったらしい。

 シェルトさんも「温かいと駄目なの……?」と、良く分からないといった様子でつぶやいている。


「シェルトさん、それで材料は?」

「あっ、そうそう。材料はここに置いてあります。これを好きに使ってください」


 そう言って窓際に置いてあった材料を指差した。が、またここでバドのダメ出しが出てしまう。

 両手でバツを作ってから、その材料の中から何やら選ぶと、それを持ってからまたバツを作ってみせる。

 あれは何だろう? たぶん片方は油だ。ただ、もう片方の、瓶詰めの何かが良く分からない。

 俺は食べられればいい程度の、料理とは言えないものくらいしかできないため、こうなってくるとさっぱり分からない。


「シェルトさん、あれは油ですよね? もう片方、あれは何ですか?」

「あれはオリーブ(エビロ)油ですね。それで、あっちはリンゴ(エルッパ)から作ったイーストです。あの二つを使ってはダメということでしょうか?」

「えーちゃん、いーすとって何?」

「分からん」

「分からんかー」


 片方は油で合っていたみたいだが、イーストってなんだろう。リンゴ(エルッパ)は当然分かるが。

 うーん。まあイーストについては後で聞くことにしよう。ここで水を差すのも悪いし、かつての偉人も素人は黙っとれと言っていた。

 シェルトさんの疑問にバドは首を横に振ると、閉めたカーテンを開けてから油とイーストを同じ場所に戻し、またバツを作って見せた。


「もしかして、それも温かい場所に置くとダメってことか?」


 俺の質問にバドは大きく頷いた。今度は正解だったらしい。ただ、その話にシェルトさんは軽く頭を振る。


「いえ、普段は床下に入れているんです。ただ、さっきまでパンを焼いていたので、その間だけそこに」


 そう反論するも、これにもバドは首を振ってバツを作った。


 うーん、判定が厳しい。まあ食材なんか腐るものは冷暗所にってのは俺でも知ってるくらいだ。腐るからな。

 そんなことは流石にシェルトさんも知っているんだろうが、要するにこれは特に気をつけろってことなんだろう。

 シェルトさんにそう伝えると、納得がいかない様子ではあったがとりあえず承知はしてくれたみたいだ。


 しかしまあなんと言うか、すぐパンをこね始めるかと思いきや、その前段階で二つもダメ出しが出てしまったな。バドに任せればなんとかなるかと思っていたが、早速先行きが不安になってきてしまった。

 材料をホシやユーリちゃんと一緒にテーブルに並べていくバドを見ていると、今度はまた何やらバタバタと騒ぎ出した。奇妙な動きで踊っている。


 うーん……。分からん。こういうとき彼が話せないのが本当に不便だ。


「水はどこか、だってー」

「あ、それなら取ってきます。ちょっと待ってください」

「お母さんはそこにいて! 私が持ってくる!」


 小さな村ならともかくセントベルほどの規模の町なら、”湧水(ウォーター)”の魔法石が普通は各民家に設けられているものだ。

 この家にもちゃんとあるようで、ホシが上げた声にシェルトさんが部屋を出ようとするが、その前にユーリちゃんが変わりに部屋の奥へとぱたぱたと駆けて行った。

 なんだか凄く張り切っているように見える。さっきの様子から、大体の理由に察しがつくため非常に微笑ましい。


「いい子ですね」

「はい、自慢の子です」


 バドにダメ出しをされて難しい顔をしていたシェルトさんも、今は優しく笑っていた。


 小さめの桶に入れた水を溢さないようゆっくりと歩いてきたユーリちゃんは、はい、とバドに手渡した。

 それを受け取ったバドは桶をテーブルの隅に置き、その水に人差し指を少しだけつけると、今度は桶からいくらかを大きめのカップに移し、それを窓際に置いて日光に晒し始めた。

 これにはシェルトさんも驚いたのか声を上げた。


「あの、温かいのが駄目なんじゃないんですか?」


 その質問にバドは水が入ったカップを指差すと、ゆっくりと首を横に振り今度はマルを作る。なんだかややこしいが、水はいいのか?

 これは良くてあれは駄目、っていうのには理由があるのだろうが、それが分からない。

 理由が分からず、俺もシェルトさんも首をひねってしまう。


「もしかして、温度管理が肝なのでは?」

「温度管理?」


 と、ここでスティアが口を開いた。

 さすがお料理教室第一期卒業者。何か思い当たることがあったらしい。


「ええ。油やイーストは温かいと駄目、水は温かくないと駄目。でも、これって最終的に全部混ぜるものですわよね? 作業台が温かいと駄目というのは良く分かりませんが、もしかして調理する段階でこのくらいの温度が良いという目安があるのでは?」


 この指摘は満点だったようだ。バドが万歳三唱……無言でだが、していた。

 しかし真顔でああも万歳されるとちょっと気味が悪いな。シェルトさんもちょっと引いている。

 一方のホシとユーリちゃんは嬉しそう……楽しそう? に、バドに合わせて元気良く一緒に万歳している。こちらは非常に可愛らしいく、バドとの対比の差が酷い。


 しかし、俺はここで少し嫌な予感がしてしまった。実は先ほどから、バドが何度か作業台を触って何かを確かめていたのだ。もしかしたら、冷たすぎても駄目なんてことはないだろうか。


「なあ、バド。その作業台、もしかして適温とかあるのか?」


 バドはゆっくりと頷く。


「じゃあ、その水。それも適温とかあるのか? 温かすぎても冷たすぎても駄目とか?」


 バドはゆっくりと頷く。……やっぱそうじゃん。

 これ、シェルトさんに急に覚えろったって無理だろ!?


「ちょ、ちょっと待った! 俺、メモ帳持って来る!」


 嫌な予感が的中した俺は、メモを取るべく背嚢の置いてある部屋へと急ぎ足で戻ったのだった。

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