297.断罪の剣
「こっちは気にすんな! お前らはお前らの方を優先しろ!」
俺はそう怒鳴りながら、あちこち火が着いたローブを脱ぎ捨てる。
全く、あのローブ、最近買ったばっかの奴だったんだぞ。もう燃やしちまいやがって、また買い直さなきゃならねぇじゃねぇか。
舌を打ちつつ前を睨みつける。まるで竜巻のように渦巻いていた”灼熱の縛鎖”の炎が、ふわりと萎んで消えて行った。
「……どういう事じゃ。”灼熱の縛鎖”は完璧に発動したはず。奴を燃やし尽くすはずが、なぜ消えた?」
フュンフのジジイが困惑気味に口にする。ああそうだ、俺も駄目かと思ったよ。
まあ、一瞬だけだったがな。
「助かったぜ相棒」
地面から突如生えた四本の腕に拘束された俺だったが、即座にシャドウがその腕を影に引きずり込んだため、何とか逃れる事ができたのだ。
正直俺一人だったなら、脱出できたかは怪しかったろう。完全に彼に助けられた形だった。
だが助かった理由はそれだけでは無かった。ジジイが言ったように、”灼熱の縛鎖”は避ける機を失い完璧に決まってしまっていたのだ。
本来なら俺は今頃、全身を炎に焼かれていたはずだ。
だが、そうはならなかった。理由があった。
俺は手の魔剣に目を向ける。あの時俺は無意識だったが、こいつを炎に対して切り降ろしたのだ。
やぶれかぶれだったように思う。
だがそれが効果を発揮するとは。実際俺もかなり驚いていた。
世界樹で謎のパワーアップを果たしたこの魔剣は今、超危険物質になっている。具体的に言うと、精と魔力を流し込むと発火するし、流し込み過ぎると爆発する。
危なっかしくて仕方がない。だからこいつの扱いは慎重にならざるを得ず、色々と調べている最中であった。
そして今分かったのが、こいつは炎を切り裂き無効化できるらしいという事だ。
全くもって意味が分からんが、この世は結果が全て。とにかく助かった。
敵の奇襲を無事に切り抜けられたのはかなりでかい事だった。
後は目の前のこいつらを何とかすればいいわけだ。俺はジジイと、いつの間にかその隣に立っていた、痩身中背の人物を睨みつける。
その人物はローブについた土をぱっぱと手で払っている。恐らくあいつが俺の足を掴んだ野郎だろう。
しかしいつ奴が現れてそこに立ったのか、俺には全く認識できていなかった。
人の気配を読む場合、頼りにするのは漠然と感じる視線や物音、痕跡などの要素が主なものだろう。
だが俺の場合はそれに加えてもう一つある。それは人の感情だ。
俺の≪感覚共有≫は人の感情も共有できる魔法だ。相手の胸の内を知りたい状況などで使うものだが、しかしこの感情の共有は魔法を使わずとも微弱に発動しており、俺は魔法を使わずとも人の感情を読み取る事ができるのだ。
これを利用すれば、潜伏する人間がいたとしても俺には一発で分かる。隠れているなら息は殺すだろうが、しかし自分の感情まで殺そうとする奴なんぞ普通いないからな。
自動発動だからか範囲はそう広くなく、役立つ場面は少ない。しかしこの力の前では身を隠すなど、全く意味のない行動になる。普段なら、そのはずだった。
だと言うのに、と奴を見る。ジジイの隣に自然体で立つ奴は、不気味なほどに感情の起伏が感じられない。まるで湖畔の水面のように心が静まり返っているのだ。
感情の起伏がこれだけないと、流石の俺も察知するのは難しい。足元にいたのにも気づかない程にな。
ローブで全身を覆い隠したそいつ。何者か全く分からない事がまた不気味さを煽り、俺はどう行動すべきかを決めきれずにいる。
しかし俺が様子を伺うその間に、相手はこちらに攻めては来なかった。
「Ⅶ。お主、なぜ奴の拘束を外した?」
「馬鹿ヲ言エ。我ハ拘束ヲ解イタ覚エハ無イ」
ローブの人物の声はどこか人間味を感じない、固く高めの声だった。
「では奴が自力で抜け出したと?」
「イヤ。抜ケ出シタト言ウヨリモ、アレハ……スリ抜ケタヨウナ感覚ダッタ。今マデ感ジタ事ノナイ、奇妙ナ感覚ダッタ」
「すり抜けた……? ふむ……」
二人はそんな会話を呑気にしている。俺が逃げ出すとは思っていないのか。それとも、逃げ出すことができないと考えているか? 舐めやがってよ。
「ヴオオオオオーッ!! ガァアアッ!!」
左前方にある路地からは激しく争う声が聞こえてくる。声は先ほどバドを吹き飛ばした巨人のものだろう。
奴の咆哮が路地に反響し、ビリビリと空気を震わせている。どうやらバドの援護は期待できそうにない。
となると俺がこの二人を相手取らなければいけないわけか。
俺は目の前に立つ二人の人物を注意深く観察した。
一人は無詠唱で魔法をぶっ放すジジイ。無詠唱のタネは分からないが、思い当たる事が一つある。魔法陣だ。
とは言え奴のどこに魔法陣が仕込んであるか分からないため、他の手段である可能性もある。
とにかく魔法が詠唱無しに飛んでくるのは、なかなかに厳しくなりそうだった。
そしてもう一人。こいつが問題だ。
ジジイの方は大層な杖を持っている事からも魔術師だと分かる。魔法使いは近づいて倒すと言うのがセオリー。だから俺はジジイとの間合いを詰め、一気に倒してしまいたい。
だが相方のこいつが戦士であれば、それも難しくなってしまう。
ジジイを倒そうとするなら、接近戦を仕掛けてくるこいつを先に倒さなければならない。そしてこいつがどんな奴なのか、俺はまだ分からないわけだ。
安直に突っ込むわけにもいかず、俺は相手がどう打って出るか警戒を濃くする。ローブの隙間から除くのは金色に輝く金属だ。やけに細身だが、あれは鎧なんだろうか。とすると奴は近接戦闘要員と言う事になるが。
とは言え腰元を見ても武器らしきものが見当たらない。いやに細い金属鎧に素手。拳闘士かと想像するも、なら動きを阻害する金属の鎧など着るはずがない。
俺の経験上、そんな装備で戦う奴は考えられない。観察すればするほど奴の事もその戦い方も、何も予想ができなかった。
「面白イ。ツマラナイ任務カト思ッタガ、少シ期待ガ持テタ」
だがそんな時だ。そいつがほんの僅かだが楽しそうな声を上げて。そしてこちらに静かに向き直り、自分からローブを脱ぎ捨てたのだ。
望む正体が突如として露になり、俺はよく見るように目を開く。だがその姿を見て俺は、自分の目を疑う事態になってしまった。
「ま、まさか――」
黄金の鎧を全身にまとった細身の体が薄明るい路地に輝いている。だが俺はそこに絶句したわけでは無い。
俺の目が捉えたのは、奴の腕。肩口から伸びる二本の腕は人間と同じだ。だが奴は脇の下にあたる部分からも、一本ずつ腕が生えていたのだ。
俺の足を掴んだのは四本の腕だった。今思い出したが確かに、あの腕は全て同じ黄金の輝きを放っていた。
四本腕の人間。そんな人間に出会った事など一度も無い。
だが、俺はそいつを知っていた。
三百年前に紡がれた英雄譚。しかしそいつらの存在は英詩には謳われず、今はもう過去の文献に記されるのみだった。
魔族と共に戦った、人族の心強い仲間として――。
「お前、蟲人族かっ!?」
「ホウ、我ヲ知ルカ。イヤ、ソウダ、オ前ハ王国軍ノ師団長ダッタナ。知ッテイテモ別段オカシクハ無イカ」
奴はまるで散歩でもする様に、俺に無造作に近づいて来る。黄金の鎧のように見える装甲が、キシリ、キシリと独特の小さな音を立てていた。
「ギィド。ソレガ我ノ名ダ。ダガ今ハ任務中ダ、Ⅶトモ名乗ッテオコウ」
俺の前に立った奴は、自己紹介でもするように腕を開く。見た目に虫らしさは無く、腕さえ二本なら全身鎧を着た細身の人間そのものだった。
「……本名を名乗っちまって良いのかよ」
「構ワン。死合ウ前ニ名乗リ合ウノガ我ラノ流儀。生死ヲ賭ケテ戦ウ相手ニ礼ヲ失スルハ、誇リニ反スル」
だが奴の後ろでジジイがやれやれと首を振っているため、連中としては認めているわけでも無いんだろう。律儀なものだと思うものの、しかしだからと気を緩められるような状況では全く無かった。
目の前の相手からは強大な闘気が立ち上っている。俺はありったけの精を練り、体を最大まで活性化させていた。
「奇妙ナ力ヲ持ツオ前ニ、聊カ興味ガ湧イタ。サァ――オ前ノ力、我ニ見セテクレ」
どこか嬉しそうに言い放った後、奴は地を蹴り突っ込んで来る。そのスピードは凄まじく、瞬きの間に距離を詰められた。
奴は武器を何も持っていなかった。と言う事はつまり奴の肉体そのものが武器なのだろう。
今の俺の獲物は長剣であり、懐に入られると不利だ。俺は経験から、考えるよりも早く、奴へ魔剣を振り降ろしていた。
「チィッ!」
剣の軌道は、攻撃というより奴の動きを牽制するようなものだった。
とは言っても手抜きなど一切ない。まともに食えば致命傷となり、当たらなくとも動きを止める。
力のこもった、全力の牽制の一撃のはずだった。
だと言うのに――
「甘イ攻撃ダ」
「な!?」
ガキイと金属同士がぶつかり合ったような音が鳴り響き、目を見開く。信じられない事に奴は、魔剣を素手で掴みやがったのだ。
まるで負傷した様子も見せず、軽々と片手で俺の魔剣を握っている。
――不味い。本能が言った。
「うおおおお!!」
「ハァッ!」
魔剣を手放し影から短剣二本を掴み取る。俺がそれを構えたのと、奴が拳を振るったのは同時だった。
二本の短剣が二本の拳とぶつかり合い、またも激しい金属音が鳴り響く。何とか防ぐ事ができたが、しかし俺は腕に伝わった衝撃に顔をしかめていた。
拳一撃で何て重さだ。まるで大槌でブッ叩かれたようだ。
受けた衝撃で腕全体がビリビリと痺れる。防御のために出した武器だったが、短剣はこんな攻撃を受ける事を意図して作られちゃいない。
(こんなもん何度も受けられねぇ! すぐぶっ壊れる! ヤバイぞ、何か手を考えねぇと――!)
俺の頭が警鐘を鳴らし始めて、
「遅イナ」
その刹那。下からえぐるように出された奴の腕が、俺の胴に突き刺さった。
「ぐは――!?」
その威力で体が浮き上がる。
相手はそんな隙を逃してはくれなかった。
「がはっ!!」
思いきり顔を打ち据えられ、俺は路地を吹き飛んでいく。気づいた時には俺は、どこかの家屋の壁に突っ込んだ後だった。
《――イク殿! エイク殿! 大丈夫か!?》
「くっ……ああ」
ガザが俺を呼ぶ声が聞こえて、上半身を無理やり起こす。どうやら一瞬意識を飛ばしてしまったらしい。
目をやれば、ギィドが俺の魔剣をぽいと放り投げているところだった。
(クソ、意識を飛ばすなんざ情けねぇ。だがなんて野郎だ……下手するとスティアやバドより強ぇぞ)
ガラガラと崩れるレンガが肩にぶつかる。ぐらぐらと揺れる頭で立ち上がり、俺は顔を上げて前を睨みつける。
「フム。全力デ打チ込ンダハズダガ、立チ上ガルカ。シカシ相当効イタヨウダナ」
「チッ……!」
冷静に分析され舌打ちが出た。全くもってその通りだよクソッタレ。いつもなら受けて弱ったフリでもするんだが実際効いたし、目の前の相手もそんな手で油断してくれるような雰囲気が無い。
どうしたもんか、素早い奴ぁ苦手なんだよ俺は。シャドウも防御しようとはしてるが間に合わねぇしよ。
俺が見切れねぇ攻撃は流石にシャドウも対応ができない。正直参ったぜ。
「悪イガ手加減ハ苦手デナ。――行クゾ」
打開する手を模索する俺。だが相手は考える時間をくれるつもりは無いらしい。
再び地を蹴り向かってくるギィド。これに俺は盾とショートソードを取り出し迎え撃つ。
「ハァァァアッ!」
一瞬のうちに間合いを詰められ、左から二つの拳が飛んで来る。俺はこれを盾で受けつつ、後ろに飛んで間合いを取った。
蟲人ってのがよく分からん今、奴の隙を見つけるために防御を固めるしかねぇ。ベキョオとか嫌な音が鳴ったが、それまで持ってくれ大盾さんよぉ!
「逃ガサンッ」
だが敵もそれを簡単に許してはくれない。ダンと地面を蹴り飛ばしすぐに距離を詰めてくる。
クソッタレ、もう少し考える時間をくれや! 俺が舌を打とうとするも、だがそんな時だった。
「エイク殿! 下がれーッ!」
「させませんっ!」
「お前の相手はこっちだぜっ!!」
「うおぉぉぉぉーっ!!」
突然足元から四つの影が飛び出して、俺とギィドとの間に割って入った。
飛び出したのはガザ達四人。ガザはいつものように手にグラブを、コルツは大剣、デュポは双剣、そしてオーリは戦斧を持っていた。
四人は既に攻撃の体勢に入っている。飛び出したのは絶妙なタイミングで、避けられるような攻撃ではなかった。
ケチのつけようも無い奇襲だった。その証拠にギィドの動きも止まっていた。
仁王立ちする奴へ四人が己の武器を叩きつける。
轟いたのは四つの激しい金属音。
「フム。中々良イ攻撃ダ。ダガ、コノ程度デハナ」
そしてそんな涼し気な声だった。
俺は目を疑った。完璧な奇襲だったにも関わらず、奴はその四本の腕で、彼らの攻撃を軽々と防いで見せたのだ。
「攻撃トハ、コウスルノダ」
そして、奴はさも当然のように反撃を繰り出す。
奴の四本の腕が、彼らを薙ぎ払うように振りぬかれた。
「ぐは――!?」
「がぁっ!!」
「あがぁっ!?」
「コルツ! デュポ、オーリ!」
その場から吹き飛んでいく三人。俺同様レンガの壁に叩きつけられ、三人はそこに倒れ込んだ。
痛みに呻く三人に声を張り上げる。だがそんな俺の声は一つの怒号にかき消された。
「うおおおおおーッ!!」
奴の攻撃を辛うじてかわしたガザ。一人ギィドと相対する事になった彼は雄たけびを上げ、ギィドの胴に膝蹴りを叩き込んだ。
「ホウ。良イ打撃ダ」
脇下の両腕を締め、ギィドはこれすら防御する。しかし勢いは殺し切れず、ギィドは背中から家屋の壁に叩きつけられる。
「おおおおおおーっ!!」
これにガザは攻撃の手を緩めない。奴へと飛びかかり、相手の防御の上から足撃の精技を繰り出した。
「”練精蹴”!!」
「ム」
これすらギィドには効いた様子がまるで無い。しかしその精技は背後のレンガの壁を破壊して、ギィドを家屋の中へ叩きこんだ。
「あいつは俺がやる! エイク殿、今のうちに他の奴を仕留めろッ!」
「お、おいガザッ!」
ガザもまたそれを追い、家屋の中へ飛び込んで行った。
声をかけるも間に合わない。次の瞬間轟いたのは、中にいただろう人間の悲鳴。そして二人が戦う破壊音だった。
確かに今、俺にはギィドを止める有効な手段が無かった。とはいえ思いつく手が無いわけではなく、それを見極めようというところだったのだが。
まあガザが相手してくれるってんなら助かるのは間違いない。あいつはガザに任せるとしよう。
ま、負け惜しみじゃないんだからねっ! これから巻き返す所だったんだから! ふんだ! 見てなさいよ!
「ひょ、ひょ、ひょ」
証拠はこいつで見せてやるからよぉ。
不敵に笑うそいつに俺は目をやった。
「まさか魔族を従えているとは思わなかったの。お主、どうやって懐柔した?」
フュンフは楽し気な口調で話すが、しかし感情を覗けば警戒心が渦巻いている。
最初の不意打ちも含めて老獪なのは結構だ。だが従えているとは気に食わねぇ。
俺は口から血をペッと吐き出し、ジジイを睨みつける。
「あいつらは俺の仲間だ。人にものを聞くなら言葉に気を付けなジジイ……。もっと長生きしてぇならな」
「生憎、普段は気を払っておるよ。じゃがお主は葬るべき敵……配慮なぞ不要じゃろう?」
「エルフの寿命は四百年くらいだったか? そんなに生きて来た割に、テメェは物を知らねぇようだな。一本の髪の毛でさえ影を作るって言葉を知らねぇのか」
「ひょ、随分とよく回る口じゃの。……その口で同胞をたぶらかしたのか?」
「ああ? 何言ってやがる」
こいつもギィドと同じく”断罪の剣”であるのなら、実力は奴に比肩するはずだ。だが相手は魔術師、いくらでもやり様はある。
何せ俺は戦士でも騎士でもなけりゃ、魔法使いでも神官でもない。
邪道正道、何でもありの山賊だ。単純な殴り合いじゃちと後れを取ったが、こっからは山賊らしい戦い方をさせて貰おうじゃねぇか。
「忠告には感謝しよう。じゃが心配は無用じゃよ。それよりも、お主自身が心配する必要があるのではないかね?」
だが俺の前に立つ相手は、そう言って不敵な笑みを見せる。
「お主の生がここで尽きると言う、逃れ得ぬ未来をな――」
ジジイは閉じていた目を再びそろりと開ける。不気味な銀色の輝きが、俺を真っすぐに見つめていた。