293.成果なしの帰還
あの後、ただ引き返すのも何なのでぐるりと森を一周したが、やはり何の成果も得られないまま最初の地点に戻って来る事になった。
真上に輝いていた日も完全に落ち、人の姿も既に無い。すっかり暗くなった周囲は不気味な程静まりかえっており、そんな道を半ば走るようにして戻った俺達は、北門を守る兵士達の面倒臭そうな顔に迎えられながら、また町へと戻っていた。
かつて嫌と言う程見たあの森は、やはり今見てもただの森にしか見えなかった。
軍の幹部と言う事もあり、俺は戦時、迷いの森に踏み入る事を禁止されていた。だから入った事は一度もないが、恐らく入ったところで同じ末路をたどるだけなのだと思う。当時誰もがそうだったようにな。
一年と少し前、第一師団、第二師団のみならず、当然第三師団も人を送りあの森の調査を行った。だが森人族や龍人族、鳥人族や傭兵達と、様々な人員人種をあの森へ送ったが、誰もが数日迷って出て来ただけだった。
当時この森については、現地での調査以外にも聞き込みや過去の文献なども洗ったが、有益な情報は何も出てこなかった。一筋縄でいかないのは当然だろう。
まあ当時と同じやり方ではどうにもならなそうだと再確認はできた。
明日はスティアの力も何とか借りれるよう努力しつつ、何か別の方法があるかも考えてみるとしよう。
「さて、どっかいい場所は開いてるかねぇ」
俺達は街を歩きながら、都合のよさそうな店を探す。今はもう深夜と言っても良い時間だ。腹はもうペコペコで、とにかく何かを腹に入れたかった。
それに、仲間に漂う空気の悪さも何とかしたかった。むっつりと黙るスティアは元からだが、ずっとフードを脱げなかった事で、ホシの機嫌も相当悪かったのだ。
いや正確に言えば町への帰り道では人がおらず、その時はホシもフードを脱いでいたのだ。だがそれも僅か数分の間だけだ。これでは機嫌が良くなるわけもなく、逆にまたかぶらなければならない事に腹を立て、更に膨れてしまう始末だった。
こういう空気が悪い状況で一番頼りになるのはホシなのだが、その本人がこの有様だとお手上げだ。何せもう一人のバドは話すこともできないしな。
こういう場合口が利けないと言うのは本当に厳しい。俺が一人で喋るにしても限界と言うものがある。
一応そのバドは今ホシを肩車して、機嫌を取ろうとしてくれてはいるが。
しかしホシはさっきからずっと一言も話さないためそろそろ限界だろう。早急に何とかする必要があるのは間違いない。
なので早くこの飲兵衛に酒を入れてやろうと言うわけであった。
店を探しながら街を歩く。俺達が今歩いている大通りは、この辺りには珍しく街灯が並び、夜分にも関わらず明るさがあった。
そのためかこんな時間にも人の姿がまだちらほらとある。このマイツェン領は王都から離れた、まあ田舎と言ってよい領だ。だから普通なら街灯なんてものはないのだが、これにはある理由があった。
以前聞いた話だが、この町はかつて迷いの森を監視するために作られた町なのだそうだ。
そのため深夜に有事が発生した際にも対応できるように、軍に関連する施設のある町の中央から北門にかけて、街灯が設けられているという事らしい。
まあこの町がその理由で稼働したことは一度たりとも無いそうだが。だが今助けになっているのなら、そんな理屈はどうでも良いのだ。
本来の目的とは違う役割を果たす明かりを頼りに、俺は人の少なさそうな店をきょろきょろと探す。
「お、あそこなんて良いんじゃないか? なぁ?」
すると一つの店が目に止まる。それは路地に入って少しした所の突き当りにある店で、開いたドアから見える店内にはテーブルがいくつか置いてあるのが遠目に見えていた。
見た目からして食堂か酒場だろう。人の姿は見受けられず、明るい光が照らす店内はガランとしている。
ここまで人の入りが無いとなると店としての質に不安があるが、事情が事情だ、今はそれでも良い。最低限酒くらいは飲めるものが出てくるだろうと、俺はそちらに足を向ける。
「あれだけ人がいないんだ、注文したらすぐに出てくるだろ。腹も減ったしよ、丁度良いじゃねぇか」
若干不安そうなバドにそんな声を掛けつつ、俺はその店へと向かう。そしてその店内へと、何の警戒心も無く足を踏み入れたのだ――
「ノーッホッホッホ! いらっしゃいませですなーっ!」
だがその一言を耳にして、俺は早速後悔する事になった。
「ご注文のステーキですな! はいどうぞ!」
「いきなり何なんだテメーは! まだ何も頼んでねぇよ!」
ジュゥジュゥと音を立てる鉄板にステーキを乗せて、そいつが真っすぐ俺に突撃してきたのだ。
入った客にいきなりステーキ押し付けてくるんじゃねぇよ! 押し売りもここまで厚かましくねーわ!
「これは当店自慢のノホホ焼きのステーキですな! サービスですからお気になさらず!」
「焼いたもんを更に焼くな! バカかお前は!」
「なんと! それではこのわたくしが、まるでバカのようではありませんか!」
「だからそう言ってんだろうが!」
くそ、確実に入る店を間違えた。俺は踵を返して店を出ようとする。
だが奴はぬるりと俺達の前に立ちはだかり、ジュゥジュゥと音のするステーキを手にしながらニヤリと笑った。
「まあまあ、そうお急ぎにならずに。実はですな、本日お客様のご来店で、ありがたい事にこのウチョンテ食堂のお客様が、累計一万人を達成致しました。ですので一万人記念としてお客様方には今回、食事を無料でサービスさせて頂きますな!」
はい、とステーキをバドに押し付けて、奴はニヤリとそう宣う。何だよウチョンテ食堂って。奇抜過ぎるだろその名前。お前の名前か?
かなりの不信感が胸に湧くが、しかしタダだと言うのなら確かに損は無い。ぐるりと店内を見れば、やはり客は今一人もいない。都合が良い事は間違いなかった。
「……ならまあ、いいか」
それにステーキの焼ける香りと音があまりにも暴力的で、腹の虫が盛大に騒ぎ始めていた。
こいつがいると言うだけで不安は増す。だがこの魅惑的な誘いに抗う術を今、俺は持っていなかった。
「お客様四名ですな! それではこちらへどうぞですな!」
俺が頷けばそいつは歓喜の声を上げ、四人掛けのテーブルへと俺達を案内する。
頭の両脇を刈り込み中央をアップにするというツーブロックの髪形に、もみあげから顎と口元にまで繋がるサイドバーン髭、ハート型の眼鏡にハートのエプロンをした、胡散臭さが滲み出る奇妙な姿。
もう姿がアレだ。コイツ、やっぱ今までのアイツらの血族だろう。見た目も声も口調さえも、全てが全く同じだしな。
ってかハートの眼鏡ってふざけてんのか。オーダーメイドだろそれ。何のポリシーだよそれは、バカみたいなところに金かけやがって。
俺達が案内されたテーブルに座ると、奴は妙にキレのあるスキップで店の奥へ引っ込んで行く。その間に俺は店内をもう一度確認するが、やはり人の姿はない。四人掛けの丸テーブルが六脚あるだけだった。
店自体の作りは意外にも新しく清潔感がある。この町の店といえばボロくて汚いというのが普通の事で、これに俺の口から「ほぅ」と小さな感嘆が漏れた。
もしやこの店は意外と期待できるかもしれない。そう思った俺は注文をするべく更に店内をぐるりと見る。
だが普通なら壁に掛けてあるはずのメニュー票は、どうしてかどこにも見当たらなかった。
一体なぜだろう。そう俺が店の奥に目をやった、そんな時だった。
「お待たせいたしましたなお客様ですな!」
奴がだばだばと現れて、俺達のテーブルにドンドンと料理を勝手に置いていったのだ。
「追加のノホホ焼きのステーキですな! あとこちらはノッホホの包み焼き、ノホホサラダにンノッホール、ヌォッホ酒ですな!」
「何一つ分からねぇよ! つーかまだ何も頼んでねぇ! 勝手に置くな!」
ってこのやり取りさっきもやったな!? いい加減にしやがれ!
怒鳴りつけるも奴は全く堪えておらず、チッチッチと人差し指を振る。
クソうぜぇ。
「本日はサービスするとお伝え致しましたがぁ? お客様のご注文にお答えするとはわたくしぃ、たったの一言も申しておりませんな!」
「はぁ? 何言ってんだテメェ」
「本日はわたくしがお客様をおもてなしするわけですから、わたくしが決めたメニューをお客様には食べて頂きますな! 決定権は我にあり、ですな!!」
奴は自慢げに無茶苦茶な理屈を振り回す。だがな、そんな店があるかよ。
つーか一々叫ぶんじゃねぇようるせぇな。もう付き合ってらんねぇぜ。
「馬鹿馬鹿しい。おい、この店はやっぱ駄目だ。別の店にしようぜ。なぁ――」
俺は仲間達へ目を向ける。
「これ、おかわりっ!」
だがそんな視線は、突然響いた嬉しそうな声に跳ね飛ばされてしまった。
「はいはい、ヌォッホ酒のお代わりですな! 少々お待ちをですな!」
ホシは早速空にしたらしく、木のジョッキを掲げるように持っていた。つーかもう手ぇ出しやがったのか。はえーよホシ。どんだけ待ち侘びてたんだ。
見ればバドも既にステーキを切って、器用にフルフェイスヘルムの隙間から入れて食べていた。ってか座れたんだなバド。いつもだったら鎧の重さで椅子がへし折れちまうのによ。
勝手にやり始めたバドとホシに、俺は浮かしかけた腰をゆるゆると降ろす。流石に手を出した以上、途中で席を立つってのもどうかと思う。
まあタダ飯食わせてくれるんだったらもう何でも良いか。けっ、と吐きつつ、俺は投げやりにジョッキの中身をぐびりと飲む。
奴はヌォッホ酒とか言ってたが、これエールじゃねぇかよ。味はまぁ普通だ。良くもなく、悪くもない、どこにでもあるただのエールだった。
実のところ最近寒くなってきたから、本当はグリューワインでも飲もうと思っていたんだが――
「ご所望のノホーワインですなぁ」
「耳のそばで話しかけるんじゃねぇバカ! 鳥肌が立つ!」
俺の考えを見透かしたように、目の前にトンと置かれたグリューワイン。だが突然耳打ちされて、俺の全身にぞわりと鳥肌が立った。
握り拳を振り上げれば、ウチョンテはノホホと笑いながら店の奥へ引っ込んで行く。スキップでな、クソが。
腹立ちまぎれに俺はワインを手に取りぐいと飲み下す。香辛料の利いた暖かいワインが俺の喉を滑り落ち、腹の底をほっと温める。
ふぅと息を吐きだせば、ワインと香辛料の香りが鼻に残った。気分が少し晴れた気がした。
「えーちゃん好きだよねー、それ」
「寒いならこれ一択だろ。店で味も違うしな、頼む楽しさがある。まあ口に合わなかった時はちとがっかりするけどな」
「今回はどうだった? 美味しい?」
「あのバカはムカつくが、こいつは美味いな。甘くなくていい。お前も頼むか?」
グリューワインとは温めたワインの事だ。だが単に温めるだけでなく、香辛料や果物なんかを入れるのが一般的で、店ごとに味が異なるのも特徴だった。
果物が多く入ると甘くなりすぎる場合があるが、今飲んでいるのはどちらかと言えば香辛料を利かせたものだ。俺の好みには合っていた。
「アタシはこっちの方が良い!」
俺の場合冬と言えばこれだが、しかしホシは違うらしい。エールをぐびりと飲み干してケラケラと笑う。
まあこいつの場合ガバガバ飲めるエールの方が好きそうだよな。質より量って感じだし。飲んだくれ聖女のマリアと気が合うわけだよ。
「じゃあ俺のもやるわ」
「わーい!」
俺が目の前のジョッキを押しやると、ホシは両手を伸ばしてジョッキを受け取った。機嫌が直ったようで何よりである。
さて、最初は不安だった飯の方だが、手を伸ばしてみれば意外にも悪くなかった。というか、悔しいが普通に美味かった。
あのバドも興味を引かれたらしく、ノホホ焼きのステーキとか言うわけの分からん物をゆっくりと咀嚼し、味の吟味をしている。
反面ホシは今までの鬱憤を晴らすように酒を次々に煽り、「ニャハハハ!」と歓喜の声を上げつつ、つまみのンノッホール――これはただのレーズンだった――をひょいひょいと軽快に食べていた。
仲間達の間に漂っていた悪い空気は立ち消えた。今は一転明るい声が響いている。これで皆元通り、と言えたなら良かったが。
俺はステーキを頬張りつつ、横目で彼女の様子を盗み見た。
「…………はぁ」
スティアは謎ステーキを前に、フォークとナイフを持ってはいた。だがその手は全く動いておらず、口からは微かな吐息が漏れている。
依然として鬱々としているスティア。彼女がなぜこうにも気落ちしているのかは俺には分からない。
だが迷いの森をどうにかするためには、きっとスティアの力が必要だ。
「なぁスティア」
「……え?」
俺はスティアの顔を覗き込むようにして声を掛ける。
「一体何なんだ? お前がそんなしけた面する原因ってのは。お前は話したくないみたいだけどよ、そんな風だと気になるだろうが」
昔第三師団としてルーゼンバークに駐留していた時も、スティアは眉間に深いしわを寄せてだんまりを決め込んでいた。不機嫌さをこれでもかと放つ態度で、不用意に話しかける者には殺気を飛ばす有様だった。
「……申しわけ、ありません」
「勘違いするなよ。俺はお前に謝って欲しくてこんな事を言ってるんじゃねぇ」
「え?」
そんなだから聞き出そうとはしなかったが、しかしやはり気になるのだ。他人だったならともかく、コイツはもう身内みたいなもんなのだ。
「仲間なんだからよ、もうちっと頼ってくれや。スティア。俺はそんなに頼りにならねぇか?」
「俺はじゃないよ! アタシ達!」
「……だとよ」
俺の言葉にホシが元気に口を挟んでくる。見ればバドもこくこくと首を縦に振っていて、俺は思わず笑ってしまう。
スティアはこれに目を瞬かせていたが、ニーッと白い歯を見せるホシにつられてか、ここに来て初めてふっと緩んだ顔を見せた。
「ありがとうございます。……そうですわね、もっとしっかりしませんと」
少し効果があったか、と一瞬思ったが、しかしスティアの口から出てきたのはどうにもズレた返事だった。
違う、そうじゃない。人を頼れって言ってんだ。お前がどうこうじゃねぇんだよ。
「いや、そういう事を言いたいわけじゃなくてだなぁ――」
俺はそうスティアに話をしようとする。
が、そんな時だった。
「ひょ、ひょ、ひょ。こんな路地にこんな店が。まだやっとるかね?」
後ろからそんなしわがれた声が聞こえて、俺は反射的に口を閉ざした。そして悟られないよう後ろの様子をチラリと伺う。
そこには俺達と同じくローブ姿の、フードを目深にかぶる腰の曲がった老人が一人、店内に入ったすぐの所にひっそりと立っていた。