292.ルーゼンバーク
「次の者! お前達だ、こちらへ来い!」
馬車がガラガラと車輪を鳴らして町の中へ入っていく。それを横目で見送った兵士達は次にこちらへ顔を向け、そう怒鳴るような声を上げた。
促されるまま近づくも、彼らは厳しい視線を俺達に浴びせる。だがそれも仕方がない。俺達は全員ローブ姿でフードを目深にかぶり、顔を隠しているのだ。町を守る兵士ならば警戒して当然の事だった。
「町に入るには一人銅貨5枚だ!」
「その前に全員、フードを上げて顔を見せろ!」
南門を守る兵士は四人いた。うち二人は門の近くに。残りの二人が人相を確認するため俺達の前に立っている。
俺はそんな彼らの前でフードの端をちょいと摘まみ。
そして顔を見せる――フリをして、目の前の兵士の手に素早く銀貨2枚をねじ込んだ。
「む……」
兵士はチラリとそれを見る。そしてもっともらしく頷いたかと思えば、
「よし! 通れ!」
と、町への道を俺達に譲ったのだった。
「へっ、ちょろいもんだぜ」
兵士達の目はもう俺達を向いていない。上手くいったとほくそ笑みつつ、俺達四人は門を通って久々のルーゼンバークの町へ足を踏み入れる。
本来小銀貨2枚のところ、その十倍も払ってやった効果は覿面だったわけだが、しかしこうも易々と人を通すなど兵士としては問題しかない行動で、もし俺がまだ師団長だったらどつき回す案件である。
だがしかし俺はもう師団長を止めた身で、追っ手もかかっている状況だ。加えて王国軍がこの町に駐留していた頃には、この町の兵士の前に師団長として立った事もあった。
顔を見せでもして何者かばれたら、面倒事を避けられなかっただろう。奴らがボンクラで助かった。
横柄で悪知恵が利く、小ずるい小者。まるで俺の故郷、オーレンドルフ領で見た兵士達のようだ。
あんな態度を取られれば、普段ならイラついていたはずだ。だが今回に限っては、俺の反応はその真逆と言っていいものだった。
かつては目障りにしか感じなかった奴らの居丈高な態度。俺はそれに懐かしい故郷の匂いを感じて、つい頬を緩めてしまっていたのだから。
「やっぱり、あんま変わってねぇな」
俺は上機嫌に、久々のルーゼンバークをぐるりと見る。以前見た光景は記憶に違わず、レンガ造りの町並みは年季が入って微妙にくすみ、寂れたような雰囲気はそのままだった。
とは言え違う点もまたあった。町並みは確かにそのままだったのだが、以前なら見られなかったものもあって、俺は少し首を傾げてしまった。
「でも、なんでこんなに人がいるんだ? 前来た時なんかさっぱりだったのによ」
一年前はこの町に人の姿なんて殆ど無かったというのに、今は賑わうといかないまでも、それなりに人の姿があったのだ。
先ほど町に入るときも、商人のものだろう馬車や人が並んでいた。一体全体これはどういう事だろうと、俺は後ろのバドへ振り返る。
「何だろうな、この人の多さは。何かあったのかね?」
だがバドもずっと俺と一緒にいたのだ。分かろうはずもなく、喋る事の出来ない彼は、こめかみをポリポリと掻く仕草を返しただけだった。
それを見た俺は他の二人にも目を向ける。何か気の利いた返答があるかと期待したのだ。だがその期待は見事に裏切られる事になる。
「……アタシが知るわけないじゃん」
スティアは依然としてだんまりで、聞いているのかも分からない。目深にかぶったフードで表情も見えない。
口を開いたのはホシだったが、彼女は彼女でご機嫌斜めで、そんなそっけない返事をするだけだった。
ホシは動きにくい恰好が大嫌いで、いつもショートパンツにダボっとしたシャツを着て腰で絞るという非常にラフな恰好をしている。
まあ好きな恰好をすれば良いとは思うのだが、困るのはその、普段でない時の話である。そう、ホシはどんな時にもこの恰好でないと気が済まないという、筋金入りの困ったちゃんだったのだ。
どんなに寒かろうと厚着をせず、どんなに激しい戦闘だろうと防具の一つすらつけない。ホシはそんな問題児であるのだが。
彼女は今俺達同様ローブを着て、顔を隠すためフードまでかぶっている。そのせいで彼女は先ほどからずっとこんな調子だったのだ。
「そんなガキみたいにヘソ曲げてんなよ。もうちょい我慢しろ」
「……ガキじゃないもん」
こんなでもホシはかつて第三師団の大隊長だった。誰に見咎められるかも分からないため、この町にいる以上顔を隠して貰わなければならないのだ。
ホシは見た目ガキンチョだが実年齢は二十を超えており、頭の方はしっかりしている。だからその程度の理屈は理解しており、ローブを脱ぐことは無い。
しかし頭の方はしっかりしていても、精神年齢はやはりガキンチョである。
口を尖らせる彼女の頭をぽんぽんと軽く撫ぜると、嫌そうに手を払われてしまった。やれやれ。
人が行き交う通りを眺め、俺達は門を出てすぐの所で立ち止まっている。だがいつまでもそうしてはいられない。俺達の目的は迷いの森へ行く事なのだ。
今はまだ昼を過ぎたばかりだ。どこかに宿を取ってからでも、今日中に迷いの森へ行くことができる。ならこんな場所で足を止めていないでさっさとどこにでも宿を取り、目的地へ向かうとしよう。
人が多い理由なんざ今はどうでも良い事だしな。機会があればそのうち分かるだろうと思い直して、俺は歩き出そうとする。
だが、そんな時だった。
「あ、あの――」
「ん?」
どこからか声がかかり、反射的に目が向く。そこに立っていたのはみすぼらしい恰好をした、一人の少女だった。
その身なりから恐らくスラムの子供なのだろうと分かる。なぜスラムの住人がと思いきや、しかしこの南門の近くにスラムがある事を俺は知っていた。
それに周囲には少女のような身なりの人間が、通りの隅で物乞いをしている姿もある。だから少女がここにいる事にそう不自然さはない。
そして、だから俺はきっとこの子も、同じ目的で声をかけて来たのだと察していた。
「あ、の。えっと……」
少女は俺達をじっと見つめながら、何か言いたげにそこに立っている。俺は後ろに立っているバドに振り返り、
「どうする? バド」
と声を掛けた。
バドは厳つい見た目をしているが、非常に心の優しい男である。考えるまでもないとでも言うように、彼はすぐに首を縦に振って見せる。俺はこれに苦笑をしつつ、懐へと手を伸ばした。
取り出したのは、バドが作り置きをしていたパンの残りだった。
「食べるか?」
「え……?」
俺はでかいソーセージが挟まれたパンを少女へと差し出す。少女の視線は躊躇うように、俺の顔とパンの間を何度も行ったり来たりしていた。
「この兄ちゃんからプレゼントだってよ。な?」
俺が顎でバドを指せば、彼も親指をビッと立てる。少女は巨躯のバドに気圧されたようにびくりとするも、すぐにおずおずと手を伸ばし、俺の差し出すパンを受け取った。
「あ、ありがとう、ございます。おじちゃん達」
「すぐに食っておけよ、取られないようにな」
俺が言えば、少女も分かっているとばかりに頷いて、その場でパンに噛り付き始めた。
ルーゼンバークに限らず、この辺じゃ物乞いなんて珍しくもない。だから物乞いに何かを施すことに抵抗のない人間もそれなりにいると思う。
今も他の物乞いに銅貨を恵んでいる商人らしき男がいる。だが彼はきっと、その硬貨がどうなるかまでは想像していない事だろう。
スラムは基本的に弱肉強食の世界である。国法など適用されるわけもなく、強盗や殺人などが横行する無法地帯である。
そんなところで弱者が金など持って歩いたらどうなるかは想像に難しくない。とは言えスラムの人間がスラム以外で満足に買い物をする事も難しい事だった。
そう言った事情を知っているからこそ、俺は少女に食べ物を与え、そして少女もここで食べてしまう選択をしたわけだ。
人目もはばからずはぐはぐと夢中でパンに噛り付く少女を見ていた俺達だったが、半分以上食べ終わった頃を見計らってその場を立ち去る。他の物乞いも物欲しそうにこちらを見つめてくるが、俺はこれを無視して通り過ぎた。
悪いが俺は、大の男に施しを与えるような良い人間じゃないんでな。
乞うような視線に無視を決め込み、俺達は通りを進んで行く。そんな俺達の背中を先程の少女がずっと見つめていたらしいのだが、俺はホシに指摘をされるまで、その事に気づいていなかった。
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「やっぱ、何も変わった所はねぇか……」
足を進めつつ頭を掻く。適当な宿を手配し迷いの森へと向かった俺達は、今その周囲を歩きながら探索をしているところだった。
この森は魔王軍と王国軍の決戦の地である。この森の中で王国軍率いる王子エーベルハルトと魔王軍率いる魔王ディムヌスがぶつかり合い、そして敗北した魔王は神剣によって封じられたのだ。
だからその様子を知りたいのなら森の中に入らなければならない。が、そう簡単にいかないのがこの迷いの森という奴だった。
この森はその名の通り、入った者を迷わせる。二日三日迷えば出られるため準備をして入れば死にはしないが、しかし出られるだけで奥に行けるわけでもない。そしてその理由は全くの不明。
つまるところ何の対策も無く立ち入っても、何の結果も得られず戻されるのがオチというわけだ。
それが分かっている俺達は今こうして周囲を歩いて回り、何か手がかりが無いかと確認しているというわけである。
ちなみに当時、魔王軍を追い詰めた王国軍もこの森を突破する手立てがなく、半年近く立ち往生を余儀なくされた。そのくらいこの森の力は特異かつ強固だった。
そんな森を俺達が突破できるかと言えば正直怪しい。だが俺はこの前訪れた場所で、似たような不可思議な力を持つ場所を偶然訪れるという経験をした。
そう、世界樹の里での事だ。
あの場所は結界とか言う魔法の力で、あの里から出た者の記憶を奪うという理不尽な力で守られていた。そんなもんがあるのかと俺達は驚愕したのだが、しかしたった一人だけ、これを鼻で笑った奴がいた。
それは王国軍ですら打ち破れなかった迷いの森に、たった一人で道を切り開いたあの女。
聖女マリア。アイツは大した事がない様子で結界についてうんちくを垂れ、そしてこうも言ったのだ。自分ならば結界を張る事ができると。
俺はそこでこう考えたのだ。そんな事が可能な人間がいるのであれば、もしかしたらこの森もまた、その結界とか言う魔法で守られた場所だったのではないか、と。
正直結界が何なのか、俺は未だによく分かっていない。しかし事実は事実として受け止め、そういうものがあるのだと理解をした。
そしてもう一つ、俺は理解をした。里を脱出した後に、どうしてか俺とホシだけは記憶を失わずに済んだ。
ならば結界という奴は、絶対的なものでは無いのではないか。
そうして俺はこの迷いの森にも何らかの手がかりがあるのではないかと考え、観察しつつ周囲を探索しているというわけだ。
とは言え今のところ変わった様子は何もない。鬱蒼と茂るかつて見た森が、静かに広がっているだけだった。
「ねー……もうローブ脱いでもいいでしょー?」
流石にすぐには見つからねぇよな、何て思っていると、後ろのホシがそんな事を言って来る。
「我慢しろ。人がいるだろが」
「ぶーっ……」
ホシが口を尖らせる。だがむくれても駄目なものは駄目である。人がいなければ構わないが、だがこの森の周辺には人がまばらにおり、流石にうんとは言えなかった。
ここに来るまでの道のりで分かった事だが、どうやらこの町が賑わっていたのは、迷いの森を見物に来た人が原因だったらしい。
迷いの森は聖魔戦争決戦の地。つまり戦争が終わった今、その場所を観光目的で訪れる人間がいて、それを相手に商売をする奴らも更にいて、それで賑わっていると言う事らしい。
全く、王国の存亡をかけた戦争を終えた場所が、終わってしまえば観光地とは呆れた話だ。
とは言え悲しみに暮れてばかりもいられない。このぐらいのタフさが無けりゃ、人間やっていけないのかもしれないな。
とまあ理由はどうあれ、人がいてはローブなど脱げやしない。俺が首を横に振ると、ホシはぷぅと頬を膨らませた。
「人がいなくなってきたらフードくらいは脱いでも良いけどな。何があるか分からんし、ローブは着ておけよ」
この森はそこそこ広く、ぐるりと歩けば一日はかかる。そのためかなり急ぎ足で歩いているが、それでも半日はかかるだろう。
暗くなれば人もいなくなるはずだし、そうしたらフードくらいは脱いでも構わない。そう俺が声を掛けていると、不意にどこからか別の声が聞こえた。
《人がそこまでいるとはな……。俺も迷いの森とやらを自分の目で見てみたかったが、残念だ》
周囲には俺達以外に人の姿は無い。声はすれども姿は見えずとはこの事だが、実のところ俺はこの仕掛けの事をよく知っていた。というか俺が仕掛け人である。
「この人の数じゃあお前らを出してやるのは無理そうだな。悪いが諦めてくれ」
《いや、エイク殿が謝る事など何もない。俺の我がままだ、気にしないでくれ》
《そうですよ。エイクさんにはこれ以上ないくらい良くしてもらっていますから、どうかお気になさらないで下さい》
俺達は旅の途中、魔王軍の残党五人と出会い、彼らを保護していた。この声はその内の一人、ガザの声である。
ガザに続き更にもう一人、ロナののんびりした声も聞こえてくる。彼らは王国と戦っていた魔族であり、見た目からして俺達と異なっていた。
ガザの他にいるのはオーリとコルツ、デュポの三人だ。彼ら四人の頭部は狼のそれで、そしてロナは唯一のタヌキ顔である。
動物の頭部を持つ彼らをこんな人目のある場所で出すわけにはいかず、それは彼らも承知の事だった。
気にするなという声に、何と無しに足元に目を向ける。殆ど草のない茶色の地面には、ぽつんと俺の影が佇んでいる。
王国軍が踏み荒らしたせいで今はこうだが、昔はこの辺り草が茂っていたっけな。そんな事を思って見ていると、俺の影がどうしたのとでも言うように、ぐにゃりと不自然に形を変えた。
俺のもう一人の仲間シャドウ。彼は人ではなく、俺の影に住み着いた謎生物だ。俺の影が動いたように見えたのは気のせいでも何でもなく、彼が実際に動いたからである。
彼は影の中に物を収納できる能力があり、ここに入れば人を匿うなど、赤子の手をひねるより容易い。そしてお察しの通り魔族達もこの影の中、今姿が見えないのは、そういう理由があるのである。
なお彼らの声が聞こえるのは、俺の魔法≪感覚共有≫の効果である。彼らと聴覚を共有しているため、こうして話ができるのだ。
だが彼らの声は≪感覚共有≫がかかっている俺達四人にしか聞く事ができない。
そのため魔族達にはあまり話しかけないよう言っており、ガザの声は先程の会話以降、ぱったりと聞こえなくなった。
俺はまた森の様子を伺いながら足を進めていく。だが変わったような様子はどこにも見られず、ただ時間が過ぎるばかりだった。
「なぁホシ、バド。何かおかしい所とかないか?」
「……分かんない」
一応仲間に声を掛けてみるも、ホシは不機嫌そうにそう返し、バドもふるふると首を横に振っていた。
となると頼りになるのはもう一人の仲間しかいなかった。
「なぁスティア。お前は何か気になった事はあるか?」
もしこの森の不可思議な現象が結界であると言うのなら、頼りになるのは魔力に造詣の深いスティアしかいない。
というか、俺の頼みは端からこのスティアであった。
世界樹の結界に入った後の事だが、彼女は結界に入る前に、不思議な魔力を感じたと言っていた。
もしここにあるのが結界なら、彼女も何か感じていると思うのだが。
「…………わたくしは、特に何も……」
どうだろうと、少しの期待を込めてスティアを見る。だが彼女から返ってきたのは長い沈黙と、その後に続いた小さな否定だった。
先ほどからずっと俺達の後に付いてくるスティア。だがやはり何かをずっと考え込んでいて、森なんて一度だって目に入れていなかった。
これでは先ほどの否定も本当かどうかも疑わしい。足を止めて振り返ればスティアも合わせて立ち止まる。だが彼女は足元を見つめるばかりで、顔を上げる事はしなかった。
その表情は目深にかぶった白いフードで隠されて見えない。だが俺達は彼女の様子に思わず顔を見合わせる。
「すーちゃん、まだ元気ないね」
「ああ……。こいつがこんな調子だと、こっちも何だか調子が狂っちまうな」
耳の良いスティアに聞こえないよう、ホシがこそこそと耳打ちしてくる。俺はそれに耳打ちし返すと、つい小さく嘆息してしまう。
(参ったな……。本命のスティアがこの調子じゃ分かるもんも分からねぇぞ)
勝手に期待していたが、どうにも当てが外れたようだ。どうやら明日までにスティアの調子を取り戻すことが、今の俺に課せられた課題になりそうだ。
明日の朝にでも髪を結って機嫌を取ろうか。そんな事を思いつつ、俺はガリガリと頭を掻いた。