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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第六章 迷いの森と闇の精霊
328/389

291.目的の場所を目前に

 部屋の真ん中に小さくなって、一人の少女が泣いていた。


 抱きかかえた膝に顔を押し付けるようにして、少女は丸くなって座っている。

 時折すん、すん、と小さな音が聞こえてくる。表情は膝と、長い銀の髪に隠れて見えない。

 しかしどんな表情をしているかは、想像に難しくはなかった。


 まるで昼間のように煌々と明るい部屋で、少女はただ独り泣いてばかりいる。

 部屋にはタンスやふわふわのベッド、そして少女のものらしい机が置いてある。その机にはいくつかの、動物を模したぬいぐるみも並んで座っている。


 それらの存在を見れば、一見子供部屋のようにも思える。だがその部屋の家具はどれも装飾の見事なものばかりで、子供用にしては一回りも大きい。

 そしてその部屋はあまりにも整然とし過ぎていた。


 子供らしい賑やかな声が無く、少しも散らかった様子もない静かな部屋。そこにはまるで子供の生活感が無い。


 そんな部屋の真ん中で、少女はただ体をぎゅっと抱えて、顔を膝に押し付けている。微動だにせず丸くなる彼女の姿は、まるで現実から目を背けているようにも見えた。


 固く縮こまる小さな少女。だが突然そこにドンドンと強く叩く様な音が聞こえると、小さな体がビクリと跳ねた。

 少女が顔を上げると同時に鍵がカチャリと音を立て、ドアが勢いよく開かれる。

 入ってきたのは一人の男。彼の顔は非常に厳めしく、少女はそれにまたビクリと体を震わせた。


「お、お父様……っ」


 少女の口から怯えたような声が零れると、目の前の男は顔をしかめ、奥歯を噛む様な仕草を見せる。まるで苛立ちを耐えるようなその態度に、少女は次の言葉が出せなくなる。


 少女が口を噤めば父親も何も言わず、部屋には沈黙が下りる。

 目に涙を溜める少女と、それを厳しい表情で見下ろす父親。二人が口を閉ざして見つめ合うその空間には、息苦しささえ覚えてしまう程の重苦しさがあった。


 誰も口を挟めぬようなそんな中で、今度はカラカラと乾いた音が聞こえてくる。それは父親の後ろから現れた、ワゴンを押したメイドだった。

 ワゴンには少女のものだろう食事が置いてある。メイドはそれをカラカラと無言で押して部屋の中へ入ってくると、少女の机の横へつけて、食事を机の上に置いていく。


 だがその手際には、あるまじき乱暴さがあった。食器を置くたびにカシャン、カシャンと音が鳴り、静かな部屋に響き渡る。

 それがどうにも気になって、少女はそちらへ目を向けてしまう。だがそれは丁度、メイドが全ての食事の配膳を終え、少女をちらりと見たタイミングと同時だった。


 その目は敵意が滲んだ、睨みつけるようなものだった。


「……っ!」


 少女は息を飲み、身を強張らせる。だがそんな事などそ知らぬ様子で、メイドはついと視線を逸らし、無言のままワゴンを押してすぐに部屋を出て行った。


 そして同じく無言だった目の前の父親もまた、少女を睨みつけていた視線を外し、身を翻して部屋を出て行こうとする。

 これに少女ははっとした。 


「お、お父様……っ!」


 彼女は父親を呼び止める。父親はぴたりと足を止めたが、しかし振り返る事はしなかった。


「ラスティを、ラスティを出して下さい……! いい子にしますから……っ! 何でも言う事を聞きますから……っ!」


 少女ラスティは父親の背中へ必死に懇願する。ぽろぽろと流れる涙が頬を伝い、床に斑点を作っていく。

 小さな娘の切実な懇願。普通の父親だったなら、誰もが首を縦に振ったはずだ。


「駄目だ」


 しかし父親はそれとだけ言って、部屋を出て行った。ドアが閉まると無慈悲にカチャリと鍵が鳴り、再び少女は独りとなる。


「お父様ぁっ! 絶対、絶対いい子にしますから! お願いします! お願いしますっ!」


 少女はドアに縋り付き、小さな手でドアを何度も叩いた。しかしドアの向こうからは何の音も返って来ない。


「う、うぅぅぅぅ……っ。ぐす、ぐす、うあああああ……っ!」


 何も返事が無い事に、ラスティの嗚咽がたちまち大きくなっていく。


「うわあああああんっ! 出して! 出してよぉぉぉっ! うわあああーんっ! うわあああーんっ!!」


 少女は窓一つ無い密室で、大声を上げて泣き始める。しかしここには彼女を慰める者は誰一人としていはしない。

 ただラスティの悲痛な鳴き声だけが、小さな密室に響いていた。



 ------------------



「……というわけでしてー。いやはやここでエイク様達と出会えたのはラッキーでしたねー、危うく入れ違いになるところでしたー。あ、どうもどうもー、ごちそうさまですー」


 ピンクブロンドのポニーテールを揺らしながら、草の上にあぐらをかいて笑う若い女。彼女は差し出されたトレイに礼を言いながら、それを両手で受け取り膝の上に置いた。

 トレイの上にはスープの入った器とパンが二つ置いてある。パンの中央には縦に切れ込みが入っており、そこには野菜と、長く太いソーセージが一本でんと挟まれている。


 また豪勢なことだ。そう思い見ている俺の目の前で彼女はパンをむんずと掴み、ぐわと大きく口を開けて、がぶりとパンに嚙みついた。

 パリッとソーセージが弾ける音が俺の耳にまで届く。多少の行儀の悪さはあるが、こんな場所で言うような事でもないから、そこは良いだろう。


 だが問題は別にあるんだよなぁ。


「お前なぁ、んながっついて食うなよ、一応女なんだしよぉ」


 俺は彼女――情報屋のローズに文句を飛ばす。口に物を詰め込んで食べる姿には女らしさがまるでない。

 注意して然るべきだろう。そう思っていたのに、相手はまるで心外だとでも言うように、もごもごと文句を返してきた。


「何を言うんですかー! 時間とはすなわちお金なのですよ! 一秒を笑う者は一秒に泣くのですぅー!」

「へぇへぇさいですか」

「というか一応って何ですかー! こーんな美少女を捕まえて! もっとありがたがって下さいよー!」

「ただ飯食らいの美少女にありがたさなんて欠けらもねぇよ」


 頬を膨らませながらパンを両手で持つ姿はさながらリスである。何だか世界樹にいた時を思い出すな。ラタとクスは元気にしてるかねぇ。

 そんな事を考えながらローズと会話をしていると、俺の目の前にもずいとトレイが差し出される。トレイを片手で持つのは、黒くごつい手甲だった。


「お、悪いなバド」


 俺はその主、黒の全身鎧(プレートアーマー)姿のバドに礼を言いつつ受け取る。彼は俺にこくりと頷き鍋のそばへと戻っていく。そしてまた器にスープをよそい始めた。

 バドがいると飯が美味くて非常に助かる。俺達の旅はこういう野営を良くするから尚更だ。


 最近バドはソーセージ作りに凝っているらしく、何か色々なハーブが入った特製ソーセージがよく出てくる。これがまた肉汁たっぷりで美味いこと。

 渡されたトレイに乗ったパンに目を落とすと、炙られたでかいソーセージがシュウシュウと音を立てて自分を主張している。こんなもん見てるだけで涎が出てくるのに、匂いも美味そうだから反則だ。


「ほれホシ、先食え」

「悪いなえーちゃん!」


 俺は右隣に座っていた緋色の髪の少女、ホシに先程のトレイを渡す。ホシは俺の真似をしながら、両手で嬉しそうにトレイを受け取った。


「ガキみてぇにボロボロ溢して服汚すんじゃねぇぞ」

「ガキじゃないもん! 溢さないよ、失礼なっ!」


 見た目ガキの癖に何言ってんだ。ぷぅと頬を膨らませるホシだが、こんなのはいつもの事である。ホシはすぐに気を取り直し、嬉しそうに一匙スープを口に運ぶ。

 オーミ白菜ガバックのたっぷり入ったスープが、ほこほこと湯気を立てている。これをごくりと飲み込んだホシは、美味そうにほっほと口から白い煙を吐いた。


 今俺達は小さな川が流れる平原で、野営の真っ最中だった。ここいらにはぽつぽつと木が立っているが、他には何もないだだっ広い平原だ。

 あるものと言えば近くに掛かる小さな橋くらいのものだ。この橋はかなり年季が入っていて、まあ悪く言えば結構ボロイ。

 橋としては問題がある状態だ。だがこんな状態で放置できるという事はつまり、それだけ人通りがない街道であることの証明でもあった。


 実際この街道を進んでいる最中に、人とすれ違ったなんて事は一度も無かった。こうして野営をしていても、街道を行く人間の姿を全く目にしない。

 今俺は教会の騎士達や王国の追っ手から逃げている最中である。だからこの道を選んだわけで、その点は目論見通りといったところだった。


 だがそんな俺達に、先程接触してきた人物がいる。それがこのローズだ。

 よく見つけたものだと褒めたいところだが、この道を選んだ理由を考えれば手放しで喜んではいられない。

 一体どう予想を付けたのだろうと気になっていた俺は、ここでローズを問い質そうと身を乗り出す。


「おいローズ――あ?」


 だがそんな時バドがまたトレイを手にやって来て、俺の目の前にずいと差し出してきた。


「お、おお。ありがとな」


 それを無意識に受け取ると、途端にぐうと腹の虫が鳴った。実は今日はローズの乱入と言う予想外の事態があって、遅めの昼食である。

 腹も減ったし、とりあえず後で聞けばいいか。そう考えなおした俺は、目の前のパンにとりかかろうと手を伸ばしたのだが。


「すーちゃんすーちゃん、ごはんだよ?」


 そんな声が聞こえて、俺は思わずホシへ目を向けた。彼女は俺越しに、俺の左隣に座る人物へ目を向けている。

 その視線の先を追えば、そこにはトレイを目の前にして何かを思い耽る、銀髪の美女、スティアがいた。


「え? あ、ええ。どうも……」


 どうにも覇気のない返事をするスティア。随分とらしくない反応だ。


「おいどうした? 何か考え事か?」

「あ、いえ。何でもありませんわよ?」


 聞くもふわりと微笑まれ、有耶無耶にされる。彼女は「まあ美味しそうですわね」なんて事を言いながら食事を取り始めた。

 だがそんな仕草はあまりにもわざとらしいもので。俺とホシは思わず顔を見合わせてしまった。


 俺達は今マイツェン領にある町、ルーゼンバークに向かっている所である。

 ルーゼンバークは先の聖魔戦争の最終決戦の地だ。その場所が今どうなっているのか、そして当時何があったのかを実際に自分の目で確かめたくて、俺達は今そこに向かっているのである。


 というのも当時俺達は王国軍の第三師団に属し、俺はそれを率いる師団長、他の三人はその大隊の長という立場だったのだが、魔王ディムヌスを封印した際にはこの地を離れていて、最後どうなったかを見る事ができなかったのだ。


 当時の状況からすれば致し方なかったとはいえ、しかし五年もの間戦って来た戦争の、最終局面に居合わせられなかったのはどうにもしこりが残る終わりだった。

 だからこそ幕を下ろした場所を一度は目にしておきたい。そんな理由があって、俺達はルーゼンバークを目指しているというわけなのだ。


 目的地はもう目と鼻の先まで来ており、予定では明日着くはずだ。追っ手に追われるようなことも無く、道行きは非常に順調だった。

 だが目に見える形で問題もあった。それがこのスティアであった。


 どうもスティアはあの町に行きたくない理由があるらしく、そのためか段々とこんな風に思い耽るようになったのだ。

 彼女がルーゼンバークに行きたくない理由は分からない。しかし俺達が王国軍にいた時にも、スティアは行きたくないと難色を示していた。


 何かがあるのは間違いない。だが彼女が話さないため、どうしてやる事もできないままだ。

 一旦分かれて別行動にするかとも提案したが、それは嫌だとゴネるしな。もうお手上げの状態だ。


 とは言えそれもルーゼンバークを訪れている僅かの間だけだろう。そう思ってここまで来たのに、ここでローズが面倒な話を持ち込んできた。

 勘弁してほしいぜ全くよぉ。


「はー、美味しかったー。ご馳走様でした、バドさん。さて、私はこれから王都へ向かいますのでー、依頼も終わりましたしここでお別れですねー」


 俺達が飯を堪能していると、先に食べ終わったローズが尻を払いつつ立ち上がる。


「おい。そういやお前、どうやって俺達がここにいる事を知ったんだ?」

「ええ? そんなの勘ですよー、勘。情報屋のね。言ったじゃーないですかー、会えたのはラッキーだったってー」


 彼女はあははと笑いながら大きな背嚢はいのうをうんしょと担ぎ、


「ではではっ、また何かあればご贔屓ひいきにー」


 と頭を下げて去って行った。忙しない奴だ。

 残ったのは彼女の調査結果が書かれている羊皮紙が二枚。俺はそれを手に取って、もう一度目を走らせる。


 そこには俺を狙うと言う組織――”断罪の剣”についてが記されていた。

 それによれば”断罪の剣”は十に満たない小さな組織らしいが、どいつも強者ぞろいであり、もし冒険者であったならその実力は、確実にSランクであろうという事だ。


 またその構成員は人族ばかりでなく、なんとエルフやオーガ、龍人族にヴァンパイア、更にまだ他の異種族もいる可能性があるらしい。

 これらの異種族――オーガは除くが――は三百年前の遺恨があり、人族とは基本的に相容れない連中だ。だからこれを見た時俺は、一体どういう組織なんだと唖然としてしまった。


 とは言えこっちだってダークエルフのバド、オーガのホシ、そしてヴァンパイアのスティアがいる。異種族連合なら負けてねぇ。

 そして向こうは四人刺客を送ってきているとの事で。

 偶然か、頭数は互角。そしてこっちの仲間だって一騎当千の強者だ。


 ”断罪の剣”か何か知らないが、命を狙われて素直に首を差し出す俺じゃねぇ。

 仕掛けてくるって言うんなら、精々抗わせてもらおうじゃねぇの。


「ケッ、俺を殺るためだけにわざわざ来るたぁご苦労なことだぜ」


 ぽつりとつぶやきつつ、スティアをチラリと見る。以前”断罪の剣”の話が出た際に、スティアは知っているようなそぶりを見せた。

 だが今のスティアはそんな事を気にする余裕も無いらしい。俺の言葉も耳に入っていないようで、もそもそと食事を口に運んでいた。


 スティアはここ最近ずっと心ここにあらずと言った様子だ。目の前の沈鬱な彼女は非常に儚く、いつもなら気にならないはずの異様に白い肌が、今は病的に見えるほどだ。


 いつもは朗らかでしっかり者のスティア。だがそんな彼女には、実は非常に脆く繊細な部分がある事を俺は知っていた。

 こんな状態では真面に情報を聞く事もままならないだろう。


(まあルーゼンバークを出た後に聞けばいいか)


 ルーゼンバークでの滞在は長くても二日と決めている。

 ローズから得られた情報もあるのだから、スティアの方は少し後でも遅くはないだろう。


 俺は物騒な内容の羊皮紙を軽く折りたたみ、深く考えず懐へしまい込んだ。

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