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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五_五章 待ち構える者達
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幕間.青蛇リュード

 カリカリとペンを走らせる音が小さな部屋に響く。痩せぎすで丸眼鏡の男は机に一人向かい合い、書類の山と格闘を続けていた。


 横の窓から差し込む陽光に眩しそうに目を細めつつ、男は処理を終えた羊皮紙を一枚、机の左側にぺらりと置く。その流れで今度は右側に積まれた書類を手に取るが、しかしそこで彼は退屈そうに、ふわあと生あくびを一つこいた。


「全く、平和過ぎて嫌になりますよ。何か楽しい事でも起きませんかねぇ」


 陽光に照らされて欠伸をする姿は平穏そのもの。口から出た台詞も非常に長閑なものである。

 だがその口調にはどうしてか、ねっとりと粘つくような響きがあった。


「書類仕事なんて誰かに任せて、遊びに出たいものですよ。ああ……戦時が恋しいなぁ。あのむせ返るような血の匂い。……ふふ、最高でしたねぇ」


 男は目にかかる程の濃紺の前髪をさらりと払いつつ、気だるそうに書類に向かう。口から悩ましげな吐息を漏らすその姿は、恋煩いをする乙女にも似ていた。


 男の名はリュード。真っ当に生きている者なら知るはずが無い。しかし裏に生きる者ならば誰もが知っている。彼はそんな組織の上層部に籍を置く人間だった。


 その組織の名は”蛇”。人に害をなさずには生きられない――そんな生まれついての悪人のみで構成された、非常に巨大な組織である。

 その手は王国のみならず、南の帝国、北の聖王国と、大陸全土に伸びている。

 そして彼はそんな組織の、言うなれば王国支部――”蛇”では”青蛇”と称している――を率いる男だった。


 悪人のみで構成されているため、”蛇”という組織は非常にアクが強い人間ばかりが所属している。そのため書類仕事など一切せず、好き放題に活動しているかと思いきや、実際のところそうでもない。


 組織としてある以上、どうしても切り離せない問題がある。人間が集団で動くうえで絶対的に必要なもの。

 そう。今リュードがつけているのは、帳簿であった。


 最近までは魔族を捕らえて売り飛ばしたり、戦時の混乱に乗じて貴族や商人を暗殺するなど、様々な仕事があった。

 ”蛇”としては非常に喜ばしいことだ。リュードもまた嬉々として仕事に邁進し、存分に楽しんだ。

 だがそればかりにかまけていた結果が、机に積まれた書類の山である。


 結局そのツケは自分で払わざるを得なく、こうして缶詰めになっている。

 彼は当時仕事をしなかったことを後悔しながら、渋々と書類を片付けていく。しかし忌々しい紙の山は、瞬く間に消えて行く彼のやる気ほどには、減っていってはくれなかった。


「ああ……面倒臭いですねぇ。外は良い天気だなぁ。何で僕はこんな場所で椅子に座っているんだろう。全く理解できませんよ」


 結局彼のやる気が先に費えて、ペンがころりと机に転がる。うーんと体を反らして伸ばす彼の口からは、何度目かの欠伸がこぼれ出た。


「――んあ? 何ですか?」


 加えてそんな時にドアが鳴ったものだから、彼の頭から書類の事はあっと言う間に排除されて。

 涙が滲んだ目尻をそのままに、彼はドア向こうの人物に声を掛けたのだ。


「リュード。朗報だ」


 ドアが開き、一人の男が部屋に入って来る。黒い頭髪を後ろになでつけた、眼光鋭いその人物は、出し抜けにそう言って両腕を上げるリュードの向かいに立つ。


「ケイネス、貴方でしたか。出し抜けに何ですか。朗報とは?」

「マイツェン領で、俺達の下部組織を名乗る連中が見つかった」

「ほう!」


 ケイネスと呼ばれた男が持ってきたのは、マイツェン領にて暴れていた”赤蛇”を名乗る集団の情報だった。

 組織としては、自分達を名乗る無法者が現れたのだ、本来なら由々しき事態だ。だがそれを聞いたリュードはどうしてか、にわかに目を輝かせた。


「つまり、気兼ねなく潰して良いと言う事ですね! 僥倖僥倖! では早速行きましょう!」


 リュードはずっとここで書類仕事をしていた事で、かなりのストレスが溜まっている状態だった。この男にとってストレスとはつまり、血を見ない事がそれに当たる。

 リュードが跳ねるように立ち上がったせいで、椅子が派手な音を立てて倒れる。だが彼はそんな物には目もくれず、待ちきれないと言った様子で部屋を出ようとした。


「ま、待て待て。まだ話は終わっていない。問題はここからだ」


 だがケイネスはこれを慌てて押し止めた。


「問題など後回しで良いでしょう? 今はその連中を潰すことを考えましょう!」

「だから、問題はそこだ。もう潰された後なんだよ、その連中は」

「――は?」


 ぎょろと目を向けたリュードの声はあまりにも低いものだった。

 彼は微動だにせずケイネスを凝視している。瞬きすらしない彼の様子は異常にも思えるが、付き合いの長いケイネスは全く気にする様子もなく、これに肩をすくめて返した。


「お前も知っているだろう。天秤のエイク。奴と連中が敵対してな。連中の頭は潰されて、組織は半壊したようだ」

「そ、そんなっ! 神は僕を見捨てたのかぁっ!」

「俺達に微笑む酔狂な神なんぞいるか」


 悲痛な声を上げがくりと肩を落とすリュード。だがケイネスはこれを鼻で冷たく笑う。


「くそぅ……あいつに挑むなんて、連中はなんだってそんな馬鹿なことを……。どうせ潰されるなら僕に潰されれば良かったのに……」


 リュードの落胆は激しく膝を突くような勢いである。たがやはりケイネスはこれも全く気に止めず、勝手に話を先に進める。


「残党は散り散りになったようだが。お前、かくれんぼでもしてくるか?」

「かくれんぼですか……。僕はそう言うの好きじゃないんですよねぇ、探すのが面倒で。僕はどちらかと言えば追いかけっこの方が好きです」

「知ってる。なら駆除は私に任せて貰おう」

「貴方はかくれんぼの方が好きですからね。あーあ、ぬか喜びの聞き損でしたよ。もう好きにして下さい……」


 ”蛇”に所属している者は基本的に流血沙汰を好む人間が大半だが、どう殺すかという点では好みがあるらしく、微妙に趣向が異なっている。

 捜索はどうやらリュードの好みでは無かったらしい。彼は落胆したように机に近づいて、倒してしまった椅子をのろのろと立たせる。


「しかしエイクの奴め、余計なことを……。と文句の一つでも言いたいですが、あいつの事です。きっと自分から吹っ掛けたわけでは無いんでしょう?」

「らしいな。他人の抗争に首を突っ込んだらしい」

「はぁ……やっぱり。突っ込まずに放置しておいて下さいよ……」


 リュードが倒れ込むように椅子に座れば、ギシリと椅子が悲鳴を上げる。


「ですが、これは借りができてしまいましたね。借りと言うのは早めに返しておくに限ります。さてどうやって返しましょう」


 椅子の上でだらんと四肢を伸ばしているものの、頭目としてやるべき事はわきまえているようだ。”青蛇”としてどうすべきか考え始めたリュード。そんな彼へケイネスは、持ってきた一つの解決策を提示する。


「一つ相談がある」

「……? 聞きましょう」

「”断罪の剣”と争う意思はあるか?」


 ピクリとリュードの眉が動いた。


「奴らの次の標的はエイクだ。リュード……言いたい事は分かるな?」


 ”青蛇”の頭目として、リュードも”断罪の剣”の事は知っている。構成員は少ないが、そのいずれもが一騎当千の強さを持つとされている。

 ”蛇”は巨大かつ凶悪な組織だが、しかし仮に”断罪の剣”と争ったなら、消えるのは恐らくこちらだろうと”蛇”の幹部らは考えていた。


 故に”蛇”は彼らと積極的に接触することは無く、仮にいなくなった部下が”断罪の剣”に消された可能性があったとしても、無かったものとして扱って来た。


 ”蛇”の掲げる目的は、生きる事である。ただ生きると言えば簡単だが、しかし彼らは生粋の悪人だ。誰かを欺かずには生きられない。傷つけずにはいられない。血を見ずにはいられない、虐げずにはいられない。殺さずにはいられない。


 黒い渇望を胸に抱えた彼らは人間社会にいる事ができず、生きる事そのものが困難極まりない。普通ならあっと言う間に捕縛され、処刑されているだろう。

 生きられる場所がある事自体が奇跡にも近い。だからこそ彼らが生きる場所を提供する”蛇”に不利益があることを嫌う構成員は多く、多少の被害は無視されてきた。


 だがしかし。先程も述べた通り、”蛇”という組織は非常にアクの強い人間ばかりで構成されている。

 このリュードもまたその例に漏れない。

 いや、それ以上の狂気を、この男はその体に宿していた。


「貴方の事です。もう調べはついているのでしょう? 僕はどこへ行けば良い?」

「”断罪の剣”の方は知らん。だが、エイクの次の目的地は分かっている」

「教えて下さい」


 リュードが好きだと言った追いかけっこ。それは、自分が追いかける側ではない。自分自信が狩られる側に立つような、そんな切迫した戦いをこそ、この男は心から渇望しているのだ。


 自分の命を掛け金に、生と死の境界線に立つ。迫りくる死の中で生を感じる事こそが、この男が望んむ生への渇望だった。


 相手が”断罪の剣”なら、一体どれだけの危機を感じる事ができるだろうか。

 生き残れたなら僥倖で、そこで死んだならそれも良し。

 狂気に満ちた瞳をケイネスへ向け、にぃとリュードは楽しそうに笑う。


「奴の次の目的地はルーゼンバークだ」

「ケイネス」

「あ?」

「たしかに、これ以上ない朗報でした。久々に心躍る戦いができそうです」

「そうか」

「後を頼みましたよ」


 リュードは短くそう告げて、楽し気に部屋を出て行った。

 その背中を黙って見送っていたケイネスだったが、彼の姿が完全に見えなくなって初めて、諦めたようにため息を吐きだした。


(まあこうなる事は分かっていたが)


 ”断罪の剣”相手では無事に戻って来れる可能性はないだろう。だが状況を伝えればリュードが行ってしまうだろう事を、彼は確信に近い形で予想していた。


「後を頼んだ、か」


 ケイネスは後ろを振り返る。そこには書類が積まれた机があった。

 ”青蛇”を率いる気にはまだなれない。だがこの一山くらいは今、代わりに片づけてやっても良いか。

 そんな事を思いつつケイネスは机を回り込み、椅子に近づく。


「ん?」


 が、そこで気づいた。

 机の脇に置かれたキャビネットの一段目が、少し開いている。

 何か嫌な予感がしたケイネスが引き出しを開ければ、そこには羊皮紙がぎっしりと詰まっていた。


「――まさか」


 ケイネスは慌てて二段目を開ける。そこにも羊皮紙がぎっしりと詰まっている。

 三段目。羊皮紙。四段目。羊皮紙。

 キャビネットの全てを羊皮紙が占拠していた。


 これらの中には依頼者と”蛇”との繋がりを示すものもある。そのためこういった書類は処理が終われば燃やして破棄し、隠滅するのが”蛇”のやり方だった。

 だがそれがここにあると言う事は、処理がまだ終わっていないという事なわけで。


「あいつ……っ」


 しかも半年前にリュードへ渡した量からまるで減っていない。

 ケイネスは天井を仰いで呟く。そして一度大きく呼吸をしてから、カッと目を見開いた。


 彼は何の躊躇もなく腰の短剣を抜きながら机を飛び越える。その勢いで机に積まれた書類がバサバサと床へと落ちてしまうが、ケイネスは気にも止めず、そのまま部屋を飛び出していった。


「お前、全く仕事をしていないとはどういう事だ……っ!」

「あははは、嫌だなあ。僕がまともに仕事するはずが無いでしょう?」

「自慢をするなっ!」


 すぐに部屋の外から何か言い争う声と、金属が激しくぶつかり合う音が小さく聞こえてくる。

 最後にひらひらと落ちた羊皮紙が、呆れたようにカサリと音を立てた。

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