30.セントベル②
「貴方様、これからどちらへ向かいますか?」
「そうだなぁ」
そうスティアに問われ、真っ先に頭に浮かんだのはガザのことだった。
大地の穢れに犯されているガザ。今のところ調子は小康状態で発作などは起きていなかったが、意識が朦朧としていることも多く、やはり気がかりだ。
彼のために生命の秘薬をまず探したいところではある。とは言え安い買物でもないため、ある程度先立つものが必要になってくる。
とりあえずシャドウの中にあるアクアサーペントのぶつ切りを冒険者ギルドに持って行って、解体するなり売ってしまうなりしたほうがいいだろう。
チサ村の件も報告しないといけないし、早いに越したことは無い。
「まず冒険者ギルドに行くか。チサ村の村長も気が気でないだろうしな。ついでに登録もしておこう」
「冒険者ギルド?」
きょろきょろと周りの様子を見ていたホシが、くるりとこちらに顔を向ける。
「冒険者を管理する団体のことですわ。登録されている冒険者はギルドから支援や保護を受けられますの。他にも、仕事の斡旋や経験者が開く講座なんかも受けられますわよ」
「ふーん。よく分かんない」
スティアが大まかに冒険者ギルドについて説明してくれたが、ホシはこてんと首をかしげた。
ホシのことを良く知らない人間から見れば、子供が話を理解できなかったのだなと思うだろう。だが、付き合いの長い俺達ならそうでないことが分かる。
このホシの言う”分からない”は、スティアの説明が分からなかったわけではない。どうしてギルドに登録する必要があるのか、その理由が分からなかった、が正解だろう。
「あたし達、冒険者になるの?」
「ああ。今、俺達無職だろ?」
「うん! 住所不定無職って奴だよね!」
「そんな嬉しそうに言うことじゃないぞ?」
「でも、なんか語感がいいよね!」
「語感が良くても外聞は悪いからな? あんまり大声で言うなよ?」
そんな溌剌とした声で悲しくなるようなことを言わないで欲しい。反応に困る。
「冒険者になっておけば色々都合がいいんだよ。ならなっておかない手はないだろ?」
「ん-……例えば?」
ホシの不思議そうな声に、俺はあごをなでながら話す。
「一番は身元だな。王国軍にいたときは軍属ってだけで身元が保障されてたが、今はもう誰も保証してくれないだろ? でも冒険者ギルドに登録しておけば、身元がギルドに保証される事になる。今の俺達にはそれだけでも十分だろ」
「ふーん?」
身元が明らかでない人間は不審に思われやすい。不審に思われるという事はつまり、人の記憶に残りやすいという事だ。
これは今の俺達にとってあまり良くない状況であり、早めに解決しておいた方が良い問題だ。だがその問題は、冒険者になればまるっと解決できる。
簡単に解決できるなら、それを使わない手など無い。冒険者なんて、何を冒険するのかは知らんが、それはそれ、これはこれだ。
そんな理由から、俺の中ではもう決定事項となっていた冒険者登録。
しかしホシはまだ不思議そうに俺の顔を見上げていた。
「ホシさん、ちょっとよろしいですか?」
冒険者になろうと言っても、俺もそう詳しいわけじゃあない。
他にどう説明したもんかと悩んでいると、スティアが助け船を出してくれた。
「例えば、先ほどの門のところで衛兵にお金を払いましたが、冒険者になるとそれが安くなりますわ。冒険者ギルドがいくらか補助を出してくれますの」
「へー!」
「ある程度高いランクの冒険者になると完全に免除されますわ。冒険者はあちこち移動することも多いですからね。他にも色々と援助を受けられますわよ」
「おーっ! それはお得ですね、奥さん!」
今度は納得がいったようでホシは目を輝かせたが、一言余計なんだよ。どこで覚えてきたんだそんな台詞。
「ちょっ! も、もうっ! 奥さんなんて! まだ早いですわ! ね、貴方様?」
「離せ」
「あうっ!?」
案の定スティアが鼻息荒く俺の腕に絡み付いてくる。それを俺はいつものように、彼女の額に手を当ててぐいと押しやった。
「ま、そう言うことだ。バドもいいか?」
最後にバドへ振り返れば、彼は問題なしと一つ頷く。だがその後に、彼はぴっとスティアを指さした。
何だろうと考えて、ふと思い出す。そう言えば、スティアは既に冒険者ではなかったか。
行くにしてもギルドの場所など知らない俺は、丁度いいと彼女に向き直った。
「なあスティア、確か冒険者だったよな?」
「はい?」
「ギルドの場所って知ってるか?」
「……え? い、嫌ですわ。そんなこと言いました? 知りませんけれど」
なぜか急に挙動不審になるスティア。彼女の顔を見つめていると、珍しく目を合わせ無いようにしているのが分かった。
何なんだ。非常に怪しい。
「確か王国軍に入ってすぐの頃、ランクいくつの私がどうたらとか、よく文句言ってたような気がするが……。違ったか?」
そうだ、思い出してきた。
入隊して間もない頃、スティアがそんなことをブツクサ言っていた気がする。
当時は聞き流していたが、確かにそんな事を言っていた。間違いない。
「……そんなこと言ってませんわ」
「いや、言ってただろ? こっちを見ろ」
「いいえ、言ってませんわ」
「こっちを見ろって。言ったよな?」
「い、言ってませんわ!」
こいつ頑なに目を合わせやがらねぇ。
痺れを切らした俺は、スティアへぐいと顔を付き合わせた。
「……嘘だな? お前、俺に嘘なんて付けると思ってんのか?」
「う、うぐぐ……!」
俺は人の感情を読むことができる。目の前のスティアが非常に焦っている様子が、俺は手に取るように分かっていた。
そして付き合いの長いスティアも、その事を良く知っている。
何も言えず口ごもるスティアへ、俺はちらりと彼女のウエストポーチを見ながら追い打ちをかけた。
「確か冒険者は証明書だか何だかを持ってたはずだよな。そこにあるのか? ちょっと見せてみろよ」
「い、嫌ですわ!」
「嫌だって事は証明書を持ってるって事だな? ん? どうなんだスティア・フェルディールさんよぉ!」
「ゆ、誘導尋問とは、あんまりですわ! 乙女には秘密の一つ二つあるんですの!」
何が乙女だ、お前いくつだよ?
……と頭に過ぎるが、それは口にはすまい。なぜならそれを口にすれば、面倒なことになるのは明白だからだ。
彼女はハーフヴァンパイアだ。そしてヴァンパイアはかなり長命の種族なのだそうだ。つまりスティアの年齢は……そう。あとは推して知るべし。
まあそれはともかくとしてだ。スティアが冒険者である事と乙女である事には、何の関係もないのは間違いない。
しかしこれだけ嫌がるのであれば、きっと何か理由があるんだろう。
正直気にはなる。しかし無理やり暴くようなことでもないし、バドも首を傾げる程の嫌がりようだ。
このへんで止めておこうかと、俺は付き合わせていた顔を離し、頭をがりがりと掻いた。
「何だか知らねぇけど、そこまで嫌だってんなら止めとくわ。ちなみにランクはいくつだったんだ?」
「Gですわ!」
「嘘だな」
「ほ、本当です! 即答はあんまりですわ!」
ランクGが冒険者の中でどういう位置づけなのかは知らないが、こんなもん嘘だと丸分かりだろう。両手をぶんぶんと振って抗議するスティアに、思いっきりため息をついた。
「ねぇ、痴話喧嘩してるの?」
「ちょっ! ホシさん!? ち、痴話喧嘩なんて、そんな! ね、貴方様?」
「何が、ね? だ! なんなんださっきから! 情緒不安定すぎるぞお前!」
急に態度を変え、にやけながら腕に絡み付いてくるスティア。俺は彼女を再び押しのけつつ、余計なことを言ったホシに目を向ける。
「って、ホシ。その子どうした?」
だが、そこにいたホシに俺は目を丸くする。
いつの間にかホシは一人の女の子と手を結び、そこに並んで立っていたのだ。
「そこで友達になった! ね? ゆーりちゃん!」
ホシがニコニコと笑うと、ユーリと言われた女の子はちょっと戸惑ったものの、こくんと頷いて返した。
年の頃は十歳か、もう少し下だろうか。濃い茶色の髪を肩より下まで伸ばしているが、癖っ毛のせいか、ちょっと野暮ったい感じがある子だった。
女の子は急にホシに連れて来られたためか、ちょっと腰が引けているように見えるが、しかし嫌がっている様子は無い。
突然現れた女の子に、ホシが拉致して来たかと不安が過ぎったが、どうもそうではないようだ。
俺は胸をなでおろしながらホシと女の子に向き直る。と同時に、スティアがピャッと俺の背中に隠れてしまった。
人族嫌いが発動したか。しょうがねぇなぁ。
「こっちがえーちゃん、こっちがすーちゃん、で、こっちがばどちん!」
ホシが指を差しながら俺達を紹介すると、ユーリちゃんはおどおどしながらも若草色の眼を動かして、俺達の顔に視線を巡らせた。
バドが紹介されたときびくりと若干後ろに引いたのは……まあバドの威圧感は半端ないから仕方が無い。
微妙にバドが傷ついているような気もするが、それもいつものことである。
俺はバドの様子に内心苦笑してしまう。
そんな俺達の様子をユーリちゃんはきょろきょろと見ていたが、俺をおずおずと見上げたかと思えば、
「あ、あの……えーちゃんさん」
と、小さく声をあげたのだ。
「ん? お、おお」
これに俺は驚いた。
まさか向こうから声をかけられるとは思っていなかったのだ。
俺は強面と言われることのほうが多い顔つきだ。イケメンでもないし、右顔の頬骨から目尻にかけての刺し傷の跡もあり、それも悪人面に一役買っている。
だから、あんまり初対面の子供からこう声をかけられることは少なかった。
俺としては、こうして子供に話しかけられるのは全然嫌いじゃない。むしろ嬉しく思う。
断っておくがロリコンではない。昔からホシの相手なんて良くしているし、子供の相手はそう嫌いじゃないだけである。
もじもじとするユーリちゃんをまじまじと見つめてしまった俺。だがよくよく状況を考えると、この場にいる人間で、ホシ以外に声をかけられそうな相手が俺しかいない事に気づいた。
スティアは俺の後ろに隠れているし、バドに声をかけるのは、先ほどの様子を見ても難易度が高そうだもんな。きっと兜の中身を見ればそんなことはないのだろうが。
さて、折角話しかけてくれたのだ。話しやすいように膝を折り、彼女の視線に合わせてやる。
するとユーリちゃんも少し安心したようで、ほっとしたような表情を見せた。
やっぱり知らない大人、しかもこんな男相手じゃ流石に緊張するわな。
それは良いんだけど、後ろのスティアも膝を折ってるのは何なの。そこまでして隠れる必要ある?
「あの、その……お、お昼ご飯……どこで、食べます、か?」
「ん? ご飯?」
「は、はい。その、えっと」
もじもじしながら、ユーリちゃんは何か言いたそうに俺の方をチラチラと見てくる。何か聞きたいことがあるようだが何だろうか。
しかし、こう子供が一生懸命何か頑張ってやろうとしている様子は、どうしてこういじらしいんだろうか。ついつい応援したくなってしまうな。
なおそこには決して疚しい気持ちは無い。全く無い。
急かすでもなくユーリちゃんが口を開くのをじっと待っていると、彼女はまた俺を見つめその小さな口を開く。
「あの、お昼ご飯を――」
だがここで無粋な輩が水を差した。
「ねー、えーちゃん! ゆーりちゃんのところにご飯食べに行こー?」
「あ……」
「……お前という奴は」
「んー?」
折角ユーリちゃんが頑張って話そうとしてくれているのに、それを無駄にするんじゃないっ。
ユーリちゃんの努力を無駄にしてくれたホシには罰をくれねばならんな。
そのほっぺたを両手で挟んでムニムニこねくりまわしてやる。するとホシは「うひゃへーっ!」と奇声を上げて喜んだ。
残念なことに、俺の意図はまったく伝わらなかったらしい。遺憾の意を示すためさらにこねくり回してやる。
「ユーリちゃんのところでご飯食べられるの?」
「は、はい! ご飯も、食べられます!」
ホシのほっぺたをムニムニしながら聞くと、ユーリちゃんは元気よく返事をしてくれた。流石にここで、でも行かないよ、と言えるほど鬼畜ではない。
それにもう昼時分にもなるし、丁度良いのは確かだった。
ご飯”も”というところにちょっと引っかかったが、まあ行けば分かるだろう。
これも何かの縁だと、俺達はユーリちゃんの案内でその店に向かうことにしたのだった。