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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五_五章 待ち構える者達
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290.王都にて デュミナスという男

誤字報告下さった方、ありがとうございます。

「あなた。今日はお忙しい中時間を取って下さり、本当にありがとうございます。まるで夢のような時間でしたわ」


 そう言って彼女、エリアーヌ・リディ・バージェスは、目の前の夫へ感謝の意を告げる。顔に浮かべるのは柔らかな微笑み。これを受けた夫――王国宰相デュミナスは、思わず頬を緩ませた。


「それなら良かった。儂の事なら心配しなくて良い。君がせっかく領からはるばる来てくれたのだ、時間などどうとでもするさ」

「あら。そのような事を仰ってよろしいのですか? 宰相ともあろうお方が」


 時間はもうじき深夜になる。今日夫妻は久々に会うという事で、二人の時間を楽しもうと街へと馬車で出かけていた。

 天気はあいにくの雨であり、外出日和では無かった。しかしそんな事も一度外出してしまえばあまりに楽しく、時間はあっという間に過ぎていく。

 結局屋敷に戻ってきたのは雨も止み、夜の帳が落ち切った後の事であった。


 そろそろ就寝する時間となり、二人は既にゆったりとした服装で一人掛けのソファに座っている。

 しかし今いる部屋は二人の寝室ではなく、夫の執務室である。これに彼女は夫の事だ、きっとこの後寝ずに机に向かうのだろうと察しており、内心は申しわけない気持ちを抱いていた。


「確かに宰相としての責務は忘れておらん。じゃがな、それよりも大切なものが時にはあるのが人生というものじゃ」

「まあ! それでは、国よりもわたくしの方が大切だと?」


 だがデュミナスはそんな考えをおくびにも出さず、彼女へにこりと笑みを返す。

 そんな態度が嬉しくもあり、彼女はつい意地悪を言ってしまうが、しかし返ってきた言葉はそんな小さな意地悪も、優しく包み込んでしまうようなものだった。


「ははは。国と妻を天秤にかけるなど、そんな事は儂にはできんよ。――とは言え、今回ばかりは事情が事情じゃ。君とはもう五年以上も会っておらんかったんじゃ。執務はある程度済ませておいた。たったの数日君を優先したところで、何者にも文句は言わせぬよ」


 この王都が魔族に囲まれてよりずっと、デュミナスとエリアーヌは顔を合わせていなかった。

 王都が魔族に囲まれていた時は当然の事ながら、それ以降も魔族の被害に備え、デュミナスは王都に留まり、かつエリアーヌは領に残り続けていたのだ。


 国王より全権を委任されているデュミナスが王都に留まっているのは普通であろう。しかし戦場が東へ離れた頃を見計らい王都へ向かった貴族も多い中、エリアーヌが領に留まり続けていたのには大きな理由があった。


 彼女はバージェス侯爵夫人、ではない。彼女こそがバージェス侯爵本人であり、現当主であったのだ。

 つまり夫のデュミナスは王国宰相という肩書はあるが当主の配偶者という立場に過ぎず、領を守るのは当主である彼女の責務だったのだ。


 デュミナスは元平民であり、王宮守護騎士から成り上がった経歴の人物である。どうやって成り上がったのかと言えばエリアーヌに見初められてという実に幸運なものだったが、恋愛結婚故か夫婦仲はかなり良く、貴族間ではおしどり夫婦として有名な話であった。


 戦争はそんな夫婦を引き離したが、魔族は撤退し、魔王も封印された。これでようやく会う事ができると判断したエリアーヌが、領のごたごたも片付けて王都へ出発したのは、今から一月程前の事だった。


 だから彼女は夫の顔を久々に見て、本当に安堵したのだ。そして彼と共に過ごせる時間を、本当に尊いものだと改めて実感した。

 だが同時に、彼女はこうも思ってしまった。夫の顔に色濃く残る疲労に、自分がここに来ても良かったのだろうか、と。


 いかに領を治める領主と言えど、機密上の問題もあり、宰相の仕事を手伝う事は出来ない。自分が邪魔だったのではないかと、そう心配をしていたのだ。


 しかし今夫が浮かべる笑顔は心からのもので、エリアーヌにもそれが伝わって来る。

 彼女はもう四十八で、生娘などではない。しかし夫のこんな顔を見ていると、胸がじわりと暖かくなってしまう。


 つられて頬が緩んでしまえば、目の前の夫も更に嬉しそうに頬を緩める。それを目にしたエリアーヌは、戦争が終わった事を半年遅れでやっと実感できたのだった。



 ------------------



「さて、と」


 妻がどこか嬉しそうに部屋から出て行くのを見送ったデュミナスは、その足音が聞こえなくなったのを確認してから、そうぽそりと口にした。


 彼はじろりとエリアーヌが出て行ったドアを見る。その眼差しと表情は、先ほど妻へ向けたものとは比べ物にならない程に険しく冷たいものだった。


「新しい情報でも手に入ったか。入ると良い」


 そう言えば音も無くドアが開き、ローブ姿の人物が一人、するりと部屋へ入って来る。

 その人物はフードで顔を隠したまま、足音一つ立てずデュミナスに近づく。そして懐から一通の封書を取り出し、彼へ無言で差し出した。


 その黒い封書には、人の片目をかたどった封蝋が押してある。あまりにも異様な見た目だが、デュミナスは全く気にもせずそれを受け取ると、目の前の不審人物に目もくれず封蝋を破り始める。

 対してローブの人物は当然のように、その場に黙って立ち続けていた。


 デュミナスは王国の宰相である。国王より全権を担っている今、事実上国の頂点に立っていると言っても良い人物だ。

 そんな相手に対して名乗りもせず顔も見せないなど、あまりに不審な態度であろう。


 だがデュミナスは知っていたのだ。その人物が差し出した黒い封書と、そこに押された封蝋が意味するところを。


 通称盗賊ギルドとも呼ばれる、裏社会の諜報機関”影の探求者(シャドウシーカー)”。その人物が差し出したものは全て、その組織である事を示している。

 そしてこのデュミナスが秘密裏に、とある人物の調査を依頼している者達でもあった。


 デュミナスは封書から一枚の羊皮紙を取り出して、素早く目を走らせる。そこに書いてある内容は、調査対象が今どこへ向かっているかと言う事が一つ。

 そしてもう一つは、彼に関連する重要な事項についてだった。


「……これは確かなのじゃろうな?」


 じろりと視線を送れば、目の前の人物が頷きを返す。ふむ、と一つ呟いて、デュミナスは少しの間目を閉じた。


 そこに書いてあった内容は、非常に簡潔なものだった。

 調査対象である第三師団長が今ルーゼンバークへ向かっている事。

 そしてもう一つは。


「”断罪の剣”はどうやらルーゼンバークで動くつもりらしいの。全く、王国入りしたと聞いていつ動くのかと思えば時間をかけおって。……じゃがまああの町なら確かに、人一人消すのには打ってつけかの」


 彼が呟くように口にした言葉に、目の前の男もほんの微かにだが、ぴくりと眉を動かした。


  十にも満たない精鋭のみで構成された暗殺者集団、”断罪の剣”。その内の四人が既にルーゼンバークで待機しているようだと、その羊皮紙には記されていた。

 デュミナスはしばし目を閉じて思い耽る。ルーゼンバークは王都周辺の町とは異なり治安が悪く、そして狭い路地も多い場所である。


 秘密裏に人を消すには打ってつけの場所であろう。デュミナスはゆっくり瞼を開く。露になったその目には、強い光が灯っていた。


 彼は王国の宰相として、二十余年もの間この国に貢献してきた実績がある。だからこそ、国王の右腕として辣腕を振るってきた彼を、高位貴族として敬う貴族は多かった。


 だがそれと同時に、彼を疎ましく思う貴族も多い。彼は元平民である。成り上がり者と揶揄する貴族も多く、かつてのクンツェンドルフ公爵家など、政敵となり得る貴族は多く存在していた。


 だが、それはなり得るというだけであり、実際に彼を追い落とそうと動く者は皆無と言ってよいのが現状である。

 それは彼と言う男がどんな人物か、貴族の間で良く知られているからだった。


 もう三十年近く前の話だ。彼は結婚後王宮守護騎士を辞し、バージェス領で当主の補佐役の一人として働いていた。

 彼の騎士としての腕は相当なもので、当時は次の騎士団長かと噂をされる程であったデュミナス。しかし意外な事に文官としての方が肌に合ったらしく、バージェス侯爵領内ですぐに頭角を現した。


 様々な政策を進言し、結果領内の治安を改善し、富ませる事にも貢献。そうして彼はその名を広めたが、しかしこれを面白く思わないのが、平民を婿に迎えたとバージェス侯爵家を陰で笑っていた貴族達だった。


 そんな彼らが取った行動は、愚かにも彼ら夫妻をパーティなどに呼び、聞こえるように彼らの陰口を言うというものだった。

 その内容は当初、元平民である彼を馬鹿にする類のものが多かった。だがデュミナスはこれを全く意に介さず、相手にもしない風を装っていた。


 実際貴族達の陰口は領に不利益をもたらすものでも、彼の大切な何かを害するものでもない。小さな子供がこそこそと悪口を言うような、そんな下らないものだったのだ。


 更に彼はバージェス侯爵の配偶者であり、国内で高い権力を持っている。そんな彼に直接手を出そうものならば、逆に火傷をする事になる程度の事は相手も承知している。

 であれば悪口以上に発展する可能性は限りなく低く、多少言われたとて何と言うことも無い。


 そう思い聞き流し、またはあしらっていたデュミナスだが。

 しかしこれが分不相応の余裕に見えたらしく、貴族達の当たりはますます強くなっていったのだ。


 そしていつしかそれは彼の妻、エリアーヌに対するものへと変わっていく。結婚して三年後に親戚より養子を取ったため跡取りはいるが、彼らには実子がいなかった。

 それを嘲笑のタネとし、彼の妻を石女呼ばわりし、馬鹿にし始めたのである。


 今まで陰で嘲笑しても、何も起こらなかった。そんな油断が彼らの間にあったのだろう。

 だが結果から言えば、それらの貴族は皆没落し、今はもう国のどこにも存在していない。

 彼らはデュミナスという男を全く分かっていなかった。


 デュミナスは妻を愛していた。加えて、彼は懐に入れた者に対して非常に情の厚い男でもあった。

 自分の事であれば我慢はできる。しかし愛する者のためにならどんな手段にも訴えるという、そんな苛烈な男でもあったのだ。


 貴族らはそんな男の逆鱗を踏みにじった。結果は歴史が知る通り、バージェス侯爵家の権力によってことごとく叩き潰され消え去った。

 その事で意外にも国王から手腕を評価され、多くの貴族を潰した事を不問とする代わりに宰相の座に押し上げられてしまったが、しかし更なる権力を得た事で、彼に表立って盾突く貴族はいなくなった。


 だから貴族という人種の中には、今のところ消したい者はいない。

 だが、その枠組みの外となれば話は別だった。


「くっくっく……はてさて、どんな結果になるかのぉ。つまらん執務尽くしの生活に張りが出来たわ。その報せが来る時を楽しみに、待たせてもらうとしようかの」


 身内に手を出したものを彼は絶対に許さない。どんなに時間をかけようと、必ずその身をもって償わせる。

 デュミナスはブツブツと魔法を唱え、炎で手の羊皮紙を消し炭に変える。

 その後じろりと視線を向ければ、ローブの人物は足音も無く部屋を出て行った。


 音も無く閉まるドアを見てしばし。デュミナスは深く息を吐きだして、再びゆるゆると目を閉じる。

 彼は何を思うのか、そのまま背もたれに体を預けて顔を上に向ける。その眉間には小さな皺が寄っていた。


 何を思うのか、彼はしばらくそうして思いを馳せる。だがその顔に浮かぶ感情が何なのか知る者は、もうこの世に残っていなかった。

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