286.到着、ルーゼンバーク②
宿を手配し馬車を置き、町へ繰り出したリリ達一行。迷いの森を眺めていた時は女性二人、楽し気な表情を浮かべていたものだったが、町を歩くと一転して、どこか困惑したような感情を顔に浮かべていた。
「何だかその。雰囲気があまり――」
「フィリーネ様。どうかもう少し、声量をお抑え下さいませ」
きょろきょろと周囲を見ながら歩くフィリーネ。彼女はこの町の様子に何かを口にしようとするも、これをベルナルドがすぐに諫めた。
「仰られる通り、この町は見ての通りハルツハイムとは異なります。恐れ入りますが少し小さな声で、そしてどうか話す内容にも、ご配慮頂けますようお願い致します」
彼はフィリーネが何を言わんとしているのか正確に理解していた。ベルナルドはハルツハイムの家令を勤めて長く、フィリーネの事も幼い頃より知っている。付き合いは長く、だからという理由もあったろう。
だが彼が理解できたのはきっと、他の理由もあったはずだ。何せ、誰が見ても分かるくらいには、フィリーネの顔がその考えを雄弁に語っていたのだから。
彼らの前に広がるルーゼンバークの街並みは、ハルツハイムの町と比べて、かなりみすぼらしいものであった。
家々は木で作られた一般的なものだが、古びてくすんでおり、全体的に暗い印象がある。また下を見れば昔はあっただろう石畳が土に埋もれてちらほら見えるのみで、寂れた印象が拭えない。
道行く人々もどことなく覇気が無く、とぼとぼと歩いたり、囁くような会話をしたりと明るさが皆無だ。
フィリーネは初めて見るルーゼンバークの様子に、分かりやすいほど困惑していた。だから思わず口にしそうになったのだが、ベルナルドに止められて、その言葉をすぐに飲み込んだ。
「わ、分かったわ。でもどうして? ベルナルド」
「ご理解頂きありがたく存じます。……お嬢様、この町は見ての通りあまり治安が良くはありません。場合によっては不要な諍いを引き起こしかねませんので、ご注意下さいませ」
小声で注意を促すベルナルドに、フィリーネは神妙な顔をして小さく頷く。ついでに隣のリリも同じように頷いていたのだが、これに口を挟んだのはカークだった。
「そこまで注意しなくても大丈夫ですけどね。まあ悪く受け止められそうな言葉は言わない方が良いと思っておいてもらえれば、問題無いですよ」
ベルナルドは治安が悪いとは言ったが、しかしそれはハルツハイムと比べたらの話。ルーゼンバークの治安はこの辺りではまだ良い方である。
こうして町中を歩いていても、ごろつきに絡まれる事は滅多にない。安心して町を歩けると言う意味では、そこまで悪い場所では無かったのだ。
カークは冒険者として、この町に立ち寄ったこともあるし、もっと治安が悪い場所へ行った経験もある。黙って普通にしていれば何も恐れることは無いと知っていた。
だと言うのにどうだ。女性二人はこれから戦場に向かうとでも言うように顔を強張らせているではないか。
それがどうにも可笑しくて、カークは笑いをこらえるのに必死だった。
「わたくし達はあまり喋らない方が良いかもしれませんね」
「そうですね……。ベルナルドさんとカークさんにお任せしましょう」
だがそうとは知らない女性陣はそんな会話を小声で交わす。「え? 私は?」と困惑するオディロンだが、彼の事など目に入らないらしく、リリとフィリーネは真剣な表情で頷き合っている。
そうして結局耐えられず噴き出したカークに、オディロンは恨めしそうな視線を向けたのだった。
「さて、それではまずどこへ参りましょうか。私もこの町の事は多少は存じております。希望がございましたら、ご案内できるかと存じます」
「あ、僕も来た事がありますから、分からない事があれば言って下さい」
ベルナルドの言葉に、オディロンの視線をごまかすようにカークも続く。これにまた顔を見合わせた淑女達は、揃って声を上げる事になる。
「じゃあ迷いの森に行ってみたいです」
「では迷いの森に行っても良いでしょうか」
あまり喋らないという宣言は一体どこへ行ったのか。先程の宣言を清々しい程に撤回した二人を前に、カークは思わず苦笑を漏らした。
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迷いの森へ行くためには、この町から出て北へ向かう必要がある。そのため一行はルーゼンバークの北門を目指して歩いているところだった。
だが北へ進めば進むほど人が多くなっていく。その理由が分からず不思議に思っていたのだが、門が見える場所まで来てみると、その理由がそこで初めて分かった。
「迷いの森までの案内、銅貨5枚でいかがっすかーっ!」
「こっちは案内に護衛までついて小銀貨1枚だよ! 道中も安全だ! どうだいそこのお嬢さん!」
門の周囲には客引きの呼び込みが多くあり、かなりの賑わいを見せていたのだ。
「ええ……何だこれ」
客引きはこの町へ訪れただろう人達へ声を張り上げている。この様子にカークは困惑から尻から漏れたような声を上げた。
「町中とは違って随分と賑わってますね。普段からこんな様子なんですか?」
「いえいえ、それは無いですよ! 前来た時なんか、無人かってくらい人がいなかったんですから!」
リリに目を向けられ、カークは身振り手振りでその時の状況を伝えた。それはバド並みに伝わらないジェスチャーであったが、カークの言いたい事はどうやら伝わったようで、リリは「へぇ~」とのんびりとした声をそれに返していた。
「ではこの人だかりは一体どういう事でしょう」
「恐らく迷いの森を見に来る方が多くなったので、それを目当てに商売をしているのでしょう。随分と吹っ掛けているようには思いますが」
フィリーネの疑問にはベルナルドが応える。彼の推察は見たままだったが、しかし実際そこに深い理由はなく、彼の言う通りであった。
「全く平民と言うものはいつの世も呑気なものだな。我らが死に物狂いで戦った場所も、事が終われば観光地か」
気分を害したらしく、オディロンが眉間にしわを寄せて腕を組む。カークもまた何とも言えない表情を浮かべて、彼らの様子に目を向けている。
自分達が命を賭して戦い手に入れた平和も、平民にとっては飯のタネ。そんな光景を見せられては、当事者ならば反応に困るであろう。二人の反応はそのいい例であった。
「おっ! そこのご一行! アンタらにゃ護衛は必要なさそうだが、案内はあった方が良いぜ!? ウチは銅貨6枚だ、どうだ!?」
立ち尽くして様子を伺っていると、それに気付いて一人の男が声を掛けてくる。顔は満面の笑顔だが、しかしどうにも強面で、フィリーネの頬が思わず引きつる。
どうしたものかと視線をかわす一行へ、男はずかずかと近づいて来る。
だがそんな時、横からも厳つい男がもう一人現れて、同じく歩み寄ってきた。
「おいおい、こんな奇麗なお嬢ちゃん方に銅貨6枚とは吹っ掛けるな! お前はなーんにも分かっちゃいねぇ! な、お嬢さん方、こっちは銅貨5枚だぜ! 案内役は腕もお顔もばっちりだ! ま、アンタらには負けると思うがな! がははは!」
「おいコラ横入りするんじゃねぇよ! なぁ、こういうマナーのなってねぇ奴の言う事は信じちゃいけねぇぜ? な? ウチにしておけよ。確かに銅貨6枚だが、その分しっかり仕事はやらせて貰う。ウチは信用できるぜぇ? 質が違うのよ質が!」
「ああ!? 何だテメェ、俺らにケチ付けんのか!?」
「始めにケチ付けやがったのはそっちだろうが! やんのかコラァ!」
二人は客引きの文句を言い合うが、次第に互いの文句へと発展し、リリ達そっちのけで睨み合いを始めてしまう。
リリとフィリーネ女性陣は、怒涛のような勢いの男達におろおろするばかりで、何もすることができずにいた。
「おい貴様ら! そのような見苦しい喧嘩をするならよそでやれ!」
「ちょっと旦那は黙っててくれ!」
「こいつには一度分からせる必要があるんだ!」
オディロンも突然始まった見苦しい展開に声を荒げるが、焼け石に水である。
二人の男は歯ぎしりをしながら睨み合いを続けている。この争いは自分達ではどうしようもないと、彼らが諦め始めた時である。
「あーすいません。ちょっと良いですか?」
はいはいと二人の男の間にカークがするりと割り込んだのだ。彼は人好きのする笑みを浮かべ、諫めるように二人の胸に手を伸ばす。
「僕ら、もう頼んでる人達がいるんですよね。すみませんが、また今度の機会にお願いできますか?」
思わぬ言葉に男達が固まったタイミングで、カークは「それに」と言葉を重ねる。
「こんな場所でそう騒いじゃ周りの目もありますし。ここはどうか穏便に行きましょうよ」
男達はそこで我に返り、周囲にきょろきょろと目を向けた。
確かにカークの言うように、皆が何事かと彼らへ視線を向けている。だが男達と目が合うと、慌てたように視線を逸らしていた。
途端にバツの悪そうな顔をする男達。先約があるんじゃしょうがねぇと、そんな事を言いわけのように呟きながら、彼らは渋々元の場所へ戻って行った。
「全く、人騒がせな」
「……ちょっと、驚いてしまいましたね」
鼻からフンと息を吐くオディロン。フィリーネもほっと安堵の息を吐く。
伯爵令嬢として育ってきた彼女は周囲から気を使われる事ばかりだった。それ故、先ほどのような押しの強い手合いは見たことが無く、どうしたら良いのか分からなかったのだ。
フィリーネは珍しい動物でも見るような目で、立ち去る彼らの背中を見つめている。だがそれに対して、同じお嬢様のはずのリリはと言えば、人族にはこんな人もいるんだなぁと、あまり気にしてはいなかった。
「カークさん。頼んでる人達ってどなたですか?」
「あー……それがですねぇ」
リリはすぐに気を取り直し、カークにきょろりと目を向ける。するとカークは頬を掻き、少し言いにくそうに視線を逸らした。
「この子達ですよ、リリュール様」
リリの疑問に答えたのは、カークではなかった。
いつの間に連れて来たのだろう、しゃんと立つベルナルドの前に、子供二人が立っていた。
彼はにこやかな微笑みを浮かべながら、二人の子供の背中をそっと押す。
「この子達は……」
目の前に立った二人の子供に、フィリーネは小さな声を漏らす。
「スラムの子供らか……」
それに続くように言ったのは、僅かに眉を顰めたオディロンだった。
子供達の服は所々小さな穴が開きボロボロで、髪はあちこち跳ね、肌も汚れ、体はかなり痩せている。一目で貧困層である事が分かる身なりだった。
一人が男の子、もう一人は女の子。年のころはどちらも十歳ほどか。男の子のほうは皆の顔を順繰りに見て、少し警戒したような難しい表情を見せている。
一方の女の子は男の子に隠れるようにして、皆を上目遣いに見上げていた。
そんな子らにオディロンが向けるのは複雑そうな表情だ。
スラムの子供を近づけるのはあまり好ましくない。そんな感情が透けて見えて、ベルナルドはにっこりと、大変良い笑顔を彼へ見せた。
「何か問題でも? オディロン様」
「う、む。いや……」
「子供とはいえ案内は問題なくできるそうですよ。そうですよね?」
「できるよ。この町の奴だったら、誰でも行き方くらい知ってるよ」
ベルナルドに水を向けられて、男の子はそう返す。女の子の方も問題ないと、小さくこくりと頷いた。
オディロンはこれに小さく唸る。もしここで案内に対しての問題ではないと指摘すれば、なら何が問題なのかと問われるだろう。
こちらには伯爵令嬢や青龍姫という者がいる。彼女らに、スラムという場所に住む人間を近づけて良いのかと彼は考えていた。
だがそれを当人――しかも相手は子供だ――の前で言えるほど、彼は悪い人間でも考えなしでもなかった。
彼は問うような視線をちらりとカークへ向ける。そして相手が小さく頷いたのを見て取ると、静観する事に決めたらしい。
オディロンはフンと鼻から息を吐きだしながら腕を組む。これを肯定と取ったベルナルドはにっこりと微笑んで、
「それでは自己紹介をお願い致します」
と子供二人を促した。