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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五_五章 待ち構える者達
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285.到着、ルーゼンバーク①

 薄雲がかかった青空の下、一台の馬車がゆっくりと進んでいる。開けた平原に伸びる街道は、遮るものが無く非常に見晴らしが良い。

 だからだろう、馬車の窓は開かれ、女性の顔が二つ覗いている。彼女らの目は大きく見開かれ、とある場所を見つめていた。


「カークさん。あそこが迷いの森ですよね?」

「ええ、そうです。リリュール様は初めて見るんですよね?」

「はい。私は故郷から出た事がありませんでしたから」


 その内の一人リリは、遠くに見えた森を小さく指差しながら馬車の中を振り返る。隣に座っていたカークはそう言葉を返すが、どうしてか顔は笑っていた。

 リリはこれに気付かずに、再び窓の外へと顔を向ける。だがこれがまた可笑しくて、カークは口に右拳を当て、緩む口元を隠していた。


「あれが話に聞く迷いの森……」


 彼らの会話を聞き、そう小さく漏らしたのはリリの向かいに座る女性だ。

 彼女――ハルツハイム伯爵の娘フィリーネの目は、遠くに広がる森を食い入るように見つめていた。


「でも、名前を聞いてどんなおどろおどろしい場所なのかと思っていましたけど、こうして見ただけだと普通の森ですね、フィリーネさん」

「ええ、本当に。実際に見るのは初めてですが、何の変哲もない森に見えますね……。想像していたような特別さはまるでありません」


 窓に張り付くようにして、リリとフィリーネは目の前の光景を眺めている。だが二人はもう子供などと言う年ではなく、立派な淑女である。

 だのに幼子のようにはしゃぐ姿が微笑ましくて、カークは緩む頬を悟られまいと、一人難儀をしている最中だ。


「見たところ迷う程広い森にも思えないですし……。何か特別な力でも働いているんでしょうか」

「特別な力、ですか……。わたくしには想像も及びません。仮にそうだと言われても、あの森が迷いの森でないと言われたほうがよほど信じられそうです」


 だがそんなカークの事など全く知らず、二人の会話はまた弾む。リリの顔は非常に楽し気なものだ。だがそれに対してフィリーネの顔には僅かの困惑が滲んでいた。


「一度入れば二度と出る事叶わぬ迷いの森。子供の頃話に聞いて、どんな森なのかと恐ろしく感じながらも想像したものです。それなのに、それがあんな何の変哲もない森だったなんて……」


 呟くように口にしたフィリーネの言葉は、馬車の中によく響いた。


 今この馬車が向かっているのは、マイツェン領の中央からやや東南に外れた位置にある町、ルーゼンバークである。ルーゼンバークは迷いの森にほど近い場所に作られた町であり、迷いの森が見えたと言う事はもう町も目と鼻の先と言う事になる。


 フィリーネはこのマイツェン領には一度も来たことがない。だから迷いの森も見るのは当然初めてだった。

 しかし彼女はこの絶対に立ち入ってはいけないと言う、不可思議な森の存在を知っている。そのくらいこの森は有名な場所だった。


「フィリーネ様。それはかなり誇張の入っている表現になりますな」


 誰ともなしに投げられたフィリーネの疑問。それに応えたのは、彼女の隣に座っていたオディロンだった。


 彼は腕を組み、背もたれに体を預けて座っている。しかしどこか楽し気な三人とは対照的に、彼の顔には不機嫌さがありありと浮かんでいた。


「入ったところで歩き続けていれば、いずれは出る事が可能です。まあそれが二日になるか三日になるかという違いはありますが」

「では出られなくなるわけではないのですか?」

「ええ。ただ名前の通り、必ず迷うと言うのは間違っておりません。実際に何度も経験しましたからな。……忌々しい事に」

「え? オディロンさんは実際に入った事があるのですか?」


 思わぬ返答に目を丸くするフィリーネだったが、その時彼女の視界の隅で、一本上がる手が映る。


「あ、僕もありますよ」

「ええっ? カークさん、それは本当ですか?」

「そりゃまあそうですよ。だって――」


 驚くフィリーネへ、カークはあっけらかんと口を開く。そしてぽりぽりと頬を掻きながら、彼はそう言葉を紡いだ。


「あの場所は魔王軍との最後の決戦の場所ですからね。当然、突撃しましたよ。僕だって兵士でしたから」


 彼らが向かうルーゼンバークは、元々迷いの森という奇妙な場所を監視するため、二百年以上も前に築かれた町だった。

 だが迷いの森は入れば迷うがそれだけで、危機らしい危機は今まで一度も起きていない。そのため入らなければいいだけの森と認識され、今はもうその目的は形骸化しきっていた。


 ルーゼンバークという町は現在、迷いの森の近くにあると言う、それだけが有名な町だった。

 目を引くものもなく治安もそう良くないこの町に訪れるのは、半ば名所化していたその森目当ての人間ばかり。

 だからこそ、そんな場所がこの国の行く末を決める最後の大舞台になろうなど、ルーゼンバークの誰一人として想像ができていなかった。


 この森へ逃げ込んだ魔王軍と、それを逃がさぬように森を取り囲むように布陣した王国軍。当然カークの言うように、王国軍は何度も突撃をした。

 だがその結果は迷うばかりと言う、醜態ばかりが積み重なる事となる。

 カークは困ったように笑うものの、向かいのオディロンは未だにそれを不愉快に思い、渋面を浮かべていたのである。


 そして先程カークの口にした言葉もまた、彼の神経に障ってしまった。


「カーク君。兵士でした、は無いだろう。君は今も兵士なのだぞ」

「あ、そうでした。何だかこうしてると冒険者に戻ったような気がして、兵士って実感が無いんですよね」

「どうやら気がたるんでいるようだな。ルーゼンバークに着いたら、この王宮騎士団のオディロンが気合いを入れ直してやろうか? んん?」

「か、勘弁して下さいよオディロンさん。大丈夫ですって、任務はちゃんと覚えていますからっ」


 慌てて首を振るカークに、リリとフィリーネは目を見合わせる。オディロンの台詞はやや冗談めかしたものだったが、しかしその態度からは本気であるとも感じられる。

 ふんと鼻から息を吐くオディロンに、彼女らも口を閉ざしてしまう。急に雰囲気が悪くなった事に、カークは焦って会話を振った。


「そ、それにですね。せっかく迷いの森まで来たんです。少し見に行ってみましょうよ。リリュール様もフィリーネ様も、見てみたいですよね?」


 カークは軽い口調で、助けを求めるように二人へ目を向ける。


「え、ええ。それは是非行ってみたいですけど」


 リリはこくりと頷くが――


「でも、本当にここにエイクさん達が来るんでしょうか……」


 しかし眉尻を下げながら、そう小さく口にしたのだった。


 彼らがルーゼンバークを目指したのは、当然迷いの森の観光のためではない。


 一行はヴァイスマン領のリンゼラ――伯爵子息イザークが戦災孤児を保護していた町だ――を旅立ってから、東へと向かいつつエイクらの足取りを追っていた。

 しかしめぼしい情報を得る事ができず、未だにエイクらに接触できずにいる。どうしたものかと頭を悩ませていた一行だったが、ここでカークから一つの案が提示される。


「もしかしたらルーゼンバークに立ち寄るかもしれませんね。あそこは聖魔戦争の幕を下ろした地ですから、エイクさん達にとっても思い入れがある場所でしょう」


 帝国軍を迎え撃つため戦場を離れる事になった第三師団の彼らは、魔王の姿を目にすること無く戦争が終わった。

 最後の最後を見届けられなかったのだから、多少なりとも特別な思いを抱いている可能性がある。そんなカークの言葉は皆の賛同を得て、そうして今ルーゼンバークを目指していたのだ。


 ガラガラと小気味よい音を立てながら馬車は街道を進んで行く。目の前に小さく町の姿が見えて来て、御者台に座るベルナルドは思わず頬を緩ませた。


「やっと見えてまいりましたね。さ、お嬢様方も随分と楽しみにしていらっしゃるようですし、少し急ぐとしましょうか。はっ!」


 彼は馬に鞭を入れ、先を急がせる。馬車は進むスピードを少し上げながら、先に見える町へと向かって行ったのだった。



 ------------------



「何なのだあの者達は! フィリーネ様やリリュール様にお待ち頂いただけでも腹立たしいと言うのに、挙句あのふてぶてしい態度! まるでなっていないでは無いかっ!」

「オディロンさん、そう怒らないで下さいよ。彼らも仕事だったわけですし――」

「これが怒らずにいられるかカーク君!!」


 ルーゼンバークに無事入った一行は、まずは宿を取ろうと大きな通りを馬車で進んでいた。だが門での悶着に対してオディロンが怒り心頭となっており、カークがこれをなだめている状態だった。


 オディロンの怒声が響く馬車の中、リリとフィリーナは居住まいの悪さを感じ、ずっと口を閉ざしている。町に入る前に窓を閉めていて良かったと、フィリーネは閉じられた窓をそっと見やった。


 ルーゼンバークには東西南北に一つずつ、四つの門がある。だが大きな町ならあるだろう貴族専用の門は、この町には存在しなかった。

 とは言え貴族が門へ近づくなら、平民は道を譲るというルールがある。列を作っていようと待つことは無いだろうと、特に何も考えず一行は東門から入ろうと進んだのだ。


 だが、そこで問題は起こった。


「ハルツハイム家の馬車だと? フン、貴様らが嘘を吐いている可能性がある。怪しい連中め、本当かどうか確認してやる! 逃げようと思っても無駄だぞ、そこで待っていろ!」


 そこを守る門衛達は御者台に座るベルナルドを一瞥した後、疑いの眼差しを向けてそう言い放ったのだ。


 何を言っても待ての一点張りで、騎士が出動する事態となり、最終的にベルナルドが自分の身分――彼はハルツハイム家に代々仕えるヴェーゲナー男爵家の当主本人だ――を明かして通ることを許された。


 しかし今までの道中では、ハルツハイム家の関係者だと言えば顔パスだったのだ。

 この扱いに伯爵令嬢のフィリーネは非常に驚いたし、身分を重んじる近衛騎士オディロンは憤懣やるかたない思いを抱いたのだ。


 なお馬車を止められた時点でオディロンが馬車から出て行こうとしたが、面倒な事になるからとカークとフィリーネがそれを押し止めた。

 その判断は正しく間違っていない。この馬車にはハルツハイムの紋章など入っておらず、あまりにも綺麗すぎるという点を除けば、平民が使っていても良いものなのだ。


 門衛が止めた行動は、態度や言動はともかく正しい行動だ。そうと説得されオディロンも渋々浮かした腰を下ろしたのだが。


「ふん。男爵家の者か。いいぞ、さっさと通れ」


 しかし確認した後に騎士が放ったこの一言に、オディロンの怒りが頂点に達してしまったのだ。


「仮にも騎士ともあろう者が何だあれは! 待たせた事に対する謝罪も無い上、礼を失したあの態度! 高潔さの欠片も感じられん! そこらのゴロツキと大差ないでは無いかっ!」

「仕方ないですよオディロンさん。王都から離れればあんなもんですって」

「あんなもん!? ――あんなもんで済まされるか王国の恥だッ! 不敬などと言う言葉では到底足りんぞ!」


 カークがやや呆れたように言うも、オディロンの熱は下がってはくれなかった。


 カークは以前は冒険者であり、そして今は王国兵の下っ端だ。戦時戦前含めて王国のあちこちに行く機会が多くあった彼だが、大層な肩書を持ったことが無い。

 だからこそ王都から離れれば離れる程、兵や騎士達の平民に対する扱いが横柄になる事を知っていた。


 だがオディロンは生まれも育ちも王都であり、男爵家の生まれで、そして今は王宮守護騎士という肩書もある。彼にぞんざいな態度をとる兵や騎士などおらず、こんな状況に遭遇したのも初めてだったのだ。


 騎士という存在そのものに強く憧れ、騎士としてありたいと願い生きて来たオディロン。騎士とは彼の夢そのものだった。

 そんな彼にとって、先程の騎士の態度――特に身分を顧みぬあり方は、彼の憧憬を踏みにじるに等しく、到底許せるものでは無かったのだ。


「リリュール様、フィリーネ様、大変申しわけありませんでした。王都に帰還次第、あの者達の事はこの私がきっちりと団長に報告させてもらいます。そして相応の処分を下しますので、どうかこの場はご容赦頂きたい」

「え、ええ」


 だからオディロンは二人へ頭を下げた。彼は本気で申しわけないと思っており、後で対応していたベルナルドにも謝ろうと、そんな事を考えていた。


 だがそれを受けたフィリーネの方はと言えば、別の意味で内心ほっと安堵していた。

 馬車という小さな空間は容易に人の感情に染まってしまう。目の前でこうも怒られては居心地など最悪だったからだ。


 それに元々自分は構わないと言っていたし、オディロンの怒り様には正直引いていた。とにかくこの状況が早く終わって欲しいと願っていたのだ。

 彼が頭を下げた事で、この会話がやっと終わった。そう判断した彼女は、安堵から軽い吐息を漏らす。


「あのぅ……」


 だから、まさかここで燃料を再投下する者が現れようとは、フィリーネは思ってもいなかった。


「オディロンさんが今何を謝ったのか、私、よく分からなかったんですけど……」

『は?』


 そう疑問を口にしたのはなんとリリだった。彼女は心底不思議そうな顔をしてオディロンを見ている。

 それに対して彼女の言った事の意味が分からなかった三人は、目を丸くしてリリの顔を凝視していた。


「あ、いえ。あの人達の態度が悪かった、と言うのは分かるんです。あれはちょっと、私も無いかなって思いましたし。でもですね、オディロンさんは待たされた事にも怒っていたじゃないですか。もしかしてそちらに対して謝ったのかなって、そう思ったんです」


 ぽかんと見つめる皆の前で、リリはわたわたと両手を振る。


「けど町に入る前に、入る人の確認をすると言うのは必要でしょう? だからそのために待つって言うのは普通の事なんじゃないかな、と。私も今まで町に入る前は並んで待っていましたし」

「む……」


 そうして言ったリリの言葉に、オディロンは小さく声を漏らした。


 嫌味でも何でもなく、リリは本当に分からなかった。

 彼女は青龍族の里で今まで暮らしていた青龍族の姫である。だから大切にされてはきたが、しかしそこに胡坐をかき、傲慢な態度を取るような事は一切しなかった。

 青龍族は皆大切な仲間だと、そういう意識しか持っていなかったのだ。


 そんな彼女だからこそ、人族の身分と言うものが理解できなかった。身分の高い低いもなく、皆で互いを尊重しあって生きて来た彼女には、オディロンの怒りどころが正確に理解できていなかったのだ。


「平民であればそうでしょう。しかしあの者達は権威あるハルツハイム伯爵家をないがしろにしたのですよ。だと言うのにあの対応はあり得ません」

「うーん……。でもそれを確認するためにあの人達は馬車を止めたんですよね? オディロンさんは、確認されたことが気に入らなかったんですか?」


 だがオディロンの方も、彼女のそんな考えを理解できていない。相手が身分差について理解している事を前提に話すが、しかしリリは首を捻るばかりだ。


「そもそも騎士を呼びつけて確認する事があり得ないのですよ。この馬車の仕立てや御者台に座るベルナルド殿を見れば普通、貴族だと分かります。先程門の前で、平民が道を譲ったでしょう? 彼らですら理解できた事なのですよ」

「でも見た目だけじゃ本当かどうか分からないじゃないですか。あの兵士さんはその判断に困ったから、騎士さんを呼んだんですよね? 分からなければ分かる人を呼ぶって、何もおかしい事は無いと思うんですけど」


 そうなれば話が噛み合うわけもない。そもそもリリはこの国の常識にもうといのだ。

 オディロンは彼女を説得するが、しかし全く理解できないリリは不思議そうな顔で首を傾げ続けている。


「リリュール様。そもそも平民が貴族をかたる事は大罪で――」

「ま、まあもう良いじゃないですか。あの衛兵は態度が悪かった。でも確認したのは問題なかった。そう言うことですよね?」

「何を言っているカーク君、だからそれは――」

「オディロンさん分かりましたから。分かりましたからそういう事で収めて下さい。良いですね!?」


 結局分かり合える話ではないとカークが間に入り話を終わらせたが、今度はオディロンとリリの間に妙な空気が生まれてしまう。

 彼らの乗る馬車は町に入る前とは一転、少し冷ややかな空気を含みながら、ルーゼンバークの町へ入る事になったのだった。

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[一言] 顔を知らず仕事上で必要で仕方なかった態度だとしても身分制度下では処罰されるんだよね 叱責か処刑かは身分差次第だけど
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