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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五章 黒き聖女と秘密の花園
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282.残された者達、残った者達

 彼ら四人が放り投げていった冒険者証をその手にして、トビアスはがくりと項垂れていた。

 周囲の冒険者達はその理由が分からず、戸惑いの視線を彼へ向けている。しかしこうしていても仕方がないと思ったのか、一人の冒険者がトビアスへ声を掛けた。


「ギルマス。何があったのか分からんが、とにかくここにいる意味はもう無い。さっさと町へ戻ろう。アンタの傷だって、いくら生命の秘薬(ポーション)を飲んだと言ってもまだ完治してないんだからな」

「……ああ。分かってる」


 トビアスは顔を上げ、そこにいた冒険者達の顔をぐるりと見る。負傷していない者は一人としておらず、体のあちこちに包帯を巻きつけた様子は痛々しい。

 更にその包帯はどれも赤く滲んでいて、それがまたトビアスの顔を歪ませた。


 出発した際は五十人程だった彼らの数は、もう半分以下に減っている。これに下唇を噛むも、もうどうにもならない。

 悔しさ、悲しさ、不甲斐なさ。様々な感情を綯い交ぜにして、トビアスは冒険者らへ指示を出す。


「まだ、生きている者が、いるかもしれん。半分は……やられた冒険者達の、確認をしろ。残りは”赤蛇”――いや、”紅焔(こうえん)傭兵団”の方を、ぐぅっ……確認しろ。もし息があるなら、応急処置をして、捕縛しておけ」

「傭兵団の奴らは殺さなくていいのか?」

「はぁ、はぁ……。こうなった経緯の……詳細を、知っておかねば、ならん。すぐにとりかかれ……くっ」


 自分達を殺そうとした者達を生かすと言う判断に、冒険者達の顔に不満気な感情が浮かぶ。だがそれでもトビアスが言う事は理解できたし、何より話すのも苦しそうな彼の姿に、文句を返すことが憚られた。


「……連中はともかく、味方の方は急ぐぞ。ボサっとしてると生きてるのも助からねぇ。オラ行くぞ!」


 数秒の無言があってから、冒険者達は動き始める。街道には百にも届く人間が倒れており、血の匂いが充満してむせ返りそうな状況だった。


 嫌そうな顔をしながら冒険者達が確認を始める。トビアスに肩を貸す冒険者ガドは少しの間彼らの様子を見ていたが、自分もこの男を休ませなければと、隣の男の顔を見る。

 彼は青い顔に真剣な表情を浮かべながら、手の冒険者証に目を落としていた。


「ドッグタグはランクE。だがパーティはランクB。冒険者証を見なきゃ本当の実力は分からない。偽装のためか……こざかしい真似をしやがって」


 冒険者がまず実力の指標にするのはドッグタグの色である。それがこんな風に利用されるとはと、ガドはその冒険者証を見つつ吐き捨てた。


「違う」

「は?」


 だが彼の耳にそんな短い声が聞こえて、ガドはトビアスの顔を見た。


「”エイク様親衛隊”……。彼らがまさか、そうだったとは。俺は、取り返しがつかない事を……しでかしてしまった……」


 絞り出すように言うトビアスの声を、ガドは理解できないと言う顔で聞いていた。

 だがトビアスが懺悔のように口にした事を聞き、彼もすぐに理解する事になる。


「ギルド本部より、通達があった四人組……。彼らは、つい最近起きた……大海嘯(スタンピード)を止めた功績で……ランクSになる、予定だった……」

「ラ、ランクSだ!? それに大海嘯(スタンピード)を止めただあ!?」


 離れた場所で、「ランクS……!」とシルヴィアも呟いているが、ガドはそんな事は耳にも入らない程驚愕していた。


 この大陸において、個人でランクSに名を連ねる冒険者はたったの一桁しかいない。そしてその数の変動も、この十年以上起きていないものだった。


 ランクSは栄誉称号であり、それに見合う功績を上げなければたどり着けない頂である。

 むろんそこには運が絡む。しかし運だけで得られるような安い称号ではない事も、冒険者達は知っていた。


 冒険者にとってランクSとはまさしく生きる伝説である。そこに新たに加わる者がいたと聞いては、驚くのも当然の話だった。


 だがそこで、ガドは気になる事があった。


「で、でもよ。あいつら”蛇”の一員じゃあ――」

「だから、そこが違うのだ……。彼らは、犯罪者などでは、なかった……」


 トビアスはぎゅっと目を瞑る。それはまるで痛みに耐えるような仕草だとガドは思った。


「ギルドの、掴んだ情報では……あの四人はどうやら、王国軍の、幹部……。師団長と、その部下らしい……」

「な!? 王国軍の師団長だって!? そんな馬鹿な話!」

「まだ確認中だそうだが……。王国軍の、第三師団長は……元山賊だった、という話が……くっ、あるそうだ……」


 刺青タトゥーを入れる人間というのは、この大陸では基本的に賊である場合が多い。だから元山賊なら体のどこかに刺青タトゥーが入っていても不自然ではない事だった。

 師団長が元山賊などあり得ないと一笑に付したい気持ちはある。しかしガドはどうしても、笑う事ができなかった。


「俺は……この国を……そして俺達を、救ってくれた英雄を……礼も言わず、恩も返さず……冒険者資格も奪い、追い払ってしまった……!」


 早合点が悪い癖だと常々言われていた事を、トビアスは今思い出していた。

 自分はそれを悪い事と思っていなかった。しかしその短気が最悪のタイミングで、最悪の結果を生んでしまった。


「俺は……何という、大馬鹿者か……!」


 冒険者証を握る左手がぶるぶると震える。自分への腹立たしさと悔しさに、トビアスの顔は大きく歪む。

 だがそんな激情は重症の体には負担が重すぎたようだ。突然力が抜けたように、トビアスの体がぐらりと揺れた。


「う、うぅっ……っ」

「お、おいギルマス! 大丈夫か!? あんま興奮すんな、また血が噴き出すぞ!」


 ガドは慌ててトビアスを支えると、彼を近くの木の根元に座らせる。


「あんたはここで休んでろ。もう全部終わったんだ。心配すんな」

「いや。まだ、終わっては、いない」


 トビアスはゼイゼイと息を荒げていたが、不意についとある場所へ目を向ける。ガドがその視線を追えば、そこにいたのはシルヴィアだった。

 二人の視線を受け、シルヴィアはびくりと身を強張らせる。


「……娘を……拘束、しろ」

「ギルマス」

「やって、くれ……」


 ガドは一瞬逡巡するも、小さく頷きシルヴィアに向かって歩き出す。

 シルヴィアは怯えたように後ずさる。だが、背中を向けて逃げ出す事はしなかった。


「……どうしてだ。どうして、お前が……」


 血に濡れ、手足を失い、動く事もできず、木にもたれかかる父の姿。ガモンに痛めつけてくれと言ったのは、間違いなく自分だった。

 しかし今目の前に座る父を見て、シルヴィアの胸に湧いたのは喜びではなかった。


「違う。違うの……。パパ……違うのよ……」


 ぶるぶると震えながら目に涙をためるシルヴィア。そんな娘の姿を最後に、トビアスはついに意識を手放した。



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 その森はまるで生き物がいないかのように、しんと静まり返っていた。

 地面に敷き詰められた下草はいずれも真上へ伸び上がり、折られた様子もない。獣道すら無い事が、この森に生物が少ない事を示していた。


 ここはゲラニオ山麓にある森である。世界樹の結界に包まれるこの場所には、人避けの効果が及んでいるため来訪者は一人たりとも訪れない。

 結界が張られる以前より住んでいるか、ここで生まれた生物のみが、この場所に生息する事ができるのだ。


 そんな理由から見慣れぬ人物がこの森を歩くと言う事は絶対にないのだが。

 しかし今ガサガサと音を立てながらこちらへと歩く二人の人物の姿は、明らかにこの森には似つかわしくない、美しくも厳かさのある荘厳なものであった。


 一人は白の鎧をまとう、紺色の髪を短くした男。彼は巨大なハルバードを片手に持ち、後ろの人物を守るように前をゆっくり歩いている。


 その彼の後ろに歩くのは、あまりにも美しい少女だ。彼女が歩けば、木漏れ日に輝くプラチナブロンドがふわふわと揺れる。

 汚れ一つない白のワンピースに淡青色のボレロを着たその少女は、手に優美な意匠の杖を握り、黙って男の背に続く。


 木漏れ日を浴びて輝く髪に控えめながらも美しい装いは、少女の美しさを際立たせている。見る者が見れば崇めたくなる程の神々しさすら覚えさせただろう。


 しかし残念ながらその少女は今、その神々しさを消し去るような不機嫌さを顔にありありと浮かべている最中だった。


「あいつら、この俺様が足を運んでやったっつーのに、酒の一滴も出しやがらねぇとは不心得もいい所だな。くそっ」


 その理由は至極どうしようもないものだ。彼女達は以前立ち寄ったゴブリン達の集落へ先程立ち寄っていたのだが、期待していた酒が無く、出てこなかったためであった。


「マリア様、無いものは仕方がないでしょう。もう諦めて下さい」

「無いものだぁ? 無いんじゃなくて無くしたんだろうが!」


 未だにブツクサ文句を言う聖女に、前を歩く戦士アレスが振り返る。だが彼女はユグドラシルの里を出てからずっとこれを期待していたのだ。

 世界樹に入っていた際は酒が飲めず、図らずも六日も断酒をする羽目になった。そんなマリアの機嫌は非常に悪く、不機嫌さを隠さずにアレスをじろりと見つめ返した。


「俺達がいなくなった後も、あいつらずっと騒いでたらしいじゃねぇか。この山の事が不安だっつーから折角来てやったってのに、いい気なもんだ。酒を飲み尽くすくらいだから相当呑気なんだろうぜ。ケッ!」

 

 二人がエイク達と共にゴブリンの里を訪れたのは七日前になる。だがその時催した宴会の勢いをそのままに、ゴブリン達は日夜を忘れて騒ぎ続けたのだそうだ。

 結果酒は飲みつくされ、樽の中は空っぽだ。訪れた自分達を前にゴブリンの長グラブが気まずそうな顔を見せた事を、マリアは未だに根に持っていた。


「ほら見ろ、もう長い事酒を飲んでねぇせいで手が震えやがるんだぜ。大聖女がこれでいいと思ってんのか? ああん?」

「良くはないでしょうね」

「だろ? だから早く俺に酒を飲ませろってんだ。間に合わなくなっても知らねぇぞ!」

「いえ、良くないと言うのはそちらではなく」


 アルコール切れで手が震える聖女がいていいのか。そんなアレスの思いなど知らず、マリアはふんと鼻から息を吐きだして腕を組んだ。


「もうこのゲラニオ山にいる必要もねぇ。さっさと次の場所まで行くか」

「次の場所……マリア様、それは?」

「決まってんだろ。王都さ。どこのどいつか知らねぇが、面倒な事をしでかしやがったみたいだからな」

「ふむ」


 少し前の話になるが、王都のどこかで異常なオドが渦巻いた事をマリアはその時感知していた。だが彼女はまずこちらを優先するべきだと、それを見送る事にしていたのだ。

 世界樹を浄化した今、次に向かうべき場所を迷う理由は彼女には皆無だった。


 マリアは杖をさくりと地に立て、アレスににやりと笑いかける。


「――だがまずは近くのどっかで酒だ。ミゼナは今バタついてるだろうから駄目だな。他に人間が多そうな場所は、と」


 だがやはりマリアはマリアだった。酒を優先するという台詞にアレスは嘆息する。

 とは言えこのため息は彼女の嗜好に呆れたものでは無い。彼にしか察せなかった事情があったのだ。


「そのような言葉で私を騙せると思わないで頂きたい。世界樹の里で、貴方様はあの二人に対して相当の力を使われた。更にはエイク殿達もミゼナの者達を救うために転移で飛ばしたのです、もう限界なのでしょう? 保有していた力の殆どを、貴方様は使ってしまったはずです」

「……気付いてやがったか。流石、俺様の護衛だぜ」


 アレスは杖を握るマリアの手に目を落とす。よく見ると袖から露になっている彼女の手首は瑞々しさを失い、まるで老人のようにくすみ筋張っている状態だった。

 明らかな異常事態にアレスの表情は厳しくなる。しかし当のマリアはその視線をさらりと受け流し、逆に彼をじろりと見た。


「つーかよぉ。そう言うお前が一番俺に負担を強いたんだが、それも分かってんだろ? ったく。ニーズヘッグなんぞに遅れを取りやがって」

「それは……申しわけありません」

「いっくら全力出せねぇからって、やられてんじゃねぇよ全く。あの体たらくじゃ戦神の異名が泣いてんぞ?」

「はっ。この失態の挽回はいずれ必ず」


 アレスは片膝を突き、マリアへ頭を垂れる。そんな彼を見ていたマリアだったが、軽く首を振りながら息を一つ吐き出した。

 

「ま、そのためにこいつを持ってきたんだがな。マンドレイクを食えば多少はオドが回復する。料理できる奴がいねぇってのは痛ぇが、まあこの際贅沢言っちゃいられねぇ」


 ユグドラシルの里でエイク達がマンドレイクを採集する際に、実はマリアも一袋分マンドレイクを確保していたのだ。彼女にとってはその効果は微々たるものだが、無いよりはずっとマシだった。


「あの里で回復を待つと言う選択もあったとは思いますが――」

「馬鹿言え、今あそこは浄化中だ。オドなんてすぐ欠片も無くなるはずさ。……ん? いや、そうだな……。よし!」


 そこまで言ったマリアは何を思いついたのか、気合を入れて集中を始める。


「向かう先はシュレンツィアだ! 魔窟ダンジョンに行って回復できるし、美味い酒も飲める! 一石二鳥って奴だ!」

「ああ、あそこの魔窟ダンジョンは確かに、この辺りでは一番にオドが濃い。マリア様の回復にはうってつけですか」


 マリアはオドを吸収して貯えることのできる特異体質であった。しかしオドと言うものは普通大気中には殆ど存在していなかった。

 だからオドを含むマンドレイクを確保したのだが、もう一つ回復する手段がある。それが魔窟ダンジョンであったのだ。


 あの場所はオドが充満しているが故、精霊によって魔窟ダンジョン化されている。人々にとっては脅威の場所だが、マリアにとっては絶好のパワースポットであった。


 アレスが頷いたのを感じて、マリアは集中を濃くしていく。彼らの足元が光り出し、そして輝きをどんどんと増していった。


「ではまずはオーク魔窟ダンジョンに――」

「まずは酒だ! んで寝る! 異論は許さん! そんじゃ行くぞ!」


 決定事項と言い放つマリアに、アレスはまたも嘆息する。

 目を爛々と輝かせた大聖女と呆れたような護衛の姿は、ぱっと輝いた光に飲まれると、その場からあっと言う間に消え去った。


 まるで初めから誰もいなかったかのように、森は静まり返っている。

 彼らがいた事を証明するのは足元の、折れ曲がった下草だけだった。

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