275.託した願いと見せた笑み
「だが、本当に貰っても良いのだろうか。今回、私達が殆ど役に立てなかった事は分かっている。だと言うのに、こんなものを受け取るわけには……」
ティナは困ったようにそう口にする。が、忘れて貰っては困る。持って行って貰わなければ困るのだ。
若さって言うのは羨ましくあるが、こういう所は面倒臭くもある。
自分の力で得たなら良いが、そうでなければ納得がいかない。そんな青臭さがはっきり浮かんだ顔を前にして、俺はがりがりと頭を掻いた。
まったく、俺だったら何も迷わず貰ってるぞ。貰いたい理由があるのなら尚更な。
大体お前ら、俺とそこまで実力変わんねぇと思うぞ。シャドウや魔法陣に頼って誤魔化してるが、俺個人の実力ならこいつらとサシで何とか勝てるかってくらいだからな。
……やっぱランクAやSって上澄みには俺は手が出ねぇみたいだなぁ。ちょっと悔しい。
「良いんだよ。こんだけあるんだから遠慮せず貰っとけ。ほれっ」
「それは我の台詞じゃと思うんじゃが……」
恨めしそうに呟くユグドラシルを無視して、俺はティナへ押し付けるように袋を渡す。彼女はその袋をしばしまじまじと見ていたが、両腕で抱きしめ、コクリと小さく頷いた。
俺はぐっと親指を立てる。彼女の神妙な面持ちが、少しだけ柔らかく崩れた。
「えーちゃん、これからどうするの?」
「ホシさん、ちょっとじっとしていて下さいまし」
話を終えた俺の近くに、ホシがとてとてとやって来る。だがその両手は土まみれで汚れており、スティアに手巾で拭かれている最中だった。
どうも俺達が話をしている間も、手当たり次第にマンドレイクを抜いていたらしい。後ろに目をやれば、どこか苦悶の表情を浮かべたニンジンが小山になっていて、そのそばではロナとオーリが何やら慌てていた。
「やばい、見つかったぞ……っ!」
「シャドウさんお願いです……! 一本、いえ二本……三本で良いんで入れて下さい……!」
二人はマンドレイクを両手に持って、小声でシャドウに何か頼んでいる。どうやらアレが欲しいようだ。
そう言えば世界樹から出てきた時、ロナはマンドレイクで何かしていたな。薬師としての職業柄、興味が湧いたのかもしれないな。
ロナは他の魔族達と違い、あまり自己主張しない性格だ。だがシャドウにこそこそと頼み事をするくらいなら、欲しいとはっきり言えばいいのにな。
懐にも入れてるんだろ? 妙に膨らんじまってまぁ。
「シャドウ、入れてやってくれ」
ぷるると一つ身震いをして、マンドレイクを回収するシャドウ。二人はこれに小躍りをする。
ロナよりオーリの方が喜んでいる気がするが、まあいつもの発作だ。気にするまい。
でだ。マンドレイクを回収した今、もうこの里に用はない。だから後は帰るだけなんだが、そこでさっきのホシの言葉である。
ホシはこれからどうするの? と言っていた。どうするかってのはたぶん、この事を言いたいんだろう。
「ホシ。さっき言ってたの、記憶の事だよな?」
「うん。忘れたら困らない?」
やっぱりそうだった。ホシのくりくり目を見つめた後、俺はうーむとあごを撫でた。
帰るはいいが、この結界を出たら最後、俺達はここの記憶を失う事になる。とするとマンドレイクを持っていたとて、何なのか知らなければ有効に使うかどうかも分からない。
それどころか、こんな顔のついたニンジン野郎だ、最悪捨てる可能性もある。
俺だったら間違いなく捨てるか燃やすかする。気味が悪いもの。持っているだけで呪われそうだ。
「手紙でも書いておけば宜しいのではないですか?」
「自分宛てにか? んー……。まあ、それくらいしかなさそうだよなぁ」
スティアが言った事は俺も考えていた。と言うか、それしか思いつかなかったと言った方が良い。
「じゃあ羊皮紙にでも書いておくか……」
「わたくしも念のため書いておきますわ」
「あたしも書く!」
「ホシ、お前字ぃ書けねぇだろうが」
やっぱりそうなるよなと、俺達は行動に移し始める。だがそうとなると当然、奴が口を挟んできた。
「お主ら、くれぐれもこの場所を記すでないぞ! その手紙、我も確認するからな!」
「うるせぇなぁ」
「うるさいですわねぇ」
「う、うるせぇとは何じゃ! この無礼者!」
ユグドラシルにとってこの事は死活問題に等しい。
こっそりこの里の事を書かれたらたまらんと、彼女の顔にはっきりと書いてあった。
まあ見せる分には特に問題は無いなと適当な返事をして、俺達は出した羊皮紙に目を向けたのだ。
だがそんな時だった。
「マリア様。そろそろ貴方の出番では?」
「だな」
そんな会話が聞こえ、俺達は揃ってそちらに顔を向ける。皆の視線が自分に向いたのを見て、マリアはニヤリと不敵に笑った。
「どこぞの不心得者が俺を役立たずとか言いやがるからな。このままにしといたら大聖女の沽券にかかわる。だが流石にこの俺様が帝国に行ってやる事はできねぇ」
マリアはそのままの表情でティナとステフの方へ歩き出す。そして二人の前に立つと、一枚の折った羊皮紙を差し出した。
「これを持ってけ。そのマンドレイクが大聖女のお墨付きだって証明するもんだ」
「なっ!?」
「マ、マリア様のお墨付き、ですかっ!?」
ティナとステフは驚愕の声を上げる。見開いた目は羊皮紙とマリアの顔を何度も行ったり来たりしていた。
最終的にティナが恐る恐ると言った様子でその羊皮紙を受け取ったが、マリアの顔を見る彼女の頬は、興奮からか少し朱に染まっていた。
「まあそんな手紙程度じゃ言うほど効果はねぇだろうが、そいつには、もしアレを使っても思った効果が出なかったら教会経由で文句言えとも書いてある。少しくらいは信憑性があんだろ」
マリアは後ろの畑を親指で指しながらそんな事を言った。
確かに、何者かが聖女を騙って手紙を書いた――なんて思われる可能性もあり、手紙などそうそう信じられる物でもないだろうが、しかしそこに教会も絡んでくれば話は変わる。
聖女を騙るどころか教会も敵に回そうなんて奴は中々いないだろうからな。正直どんな目に遭うか分かったもんじゃない。……他人事じゃねぇけど。
「後、世界樹の場所を詮索しないようにも書いてある。神罰が下るぞってな。皇帝に場所を聞かれたらお前らも困るだろ」
「マリア様……。何から何までありがとうございます」
「おお、お主気が利くではないかっ! 褒めて遣わすぞ!」
確かに皇帝から直に聞かれちゃ困るよな。記憶が無いから答えようがないのに、分からないなんて言ったら最後、不敬だとか難癖付けられて、挙句打ち首なんて事になるかもしれない。
ティナは頭を深々と下げ、ユグドラシルは偉そうに声を上げている。
珍しく気が利いてるなと俺が感心していると、しかしマリアは次に俺に横目を向け、なぜか不敵に笑ったのだ。なんか嫌な予感がする。
「まあこれで足りねぇなら、そこにいる悪人面にも一筆書いてもらうんだな。あいつも多少は役に立つだろうぜ、なんせ王国軍の第三師団長様だからよ」
『だ、第三師団長!?』
ティナとステフは揃って目を剥く。何だよ、信じられねぇっていう文句なら受け付けねぇぞ。もう期限切れだ。
「エイクさん、王国軍の師団長だったんですか!?」
「元な。もう辞めたから俺には関係ねぇよ」
「ちなみに王国はこいつが辞めたのを認めてねぇぞ」
「おいマリア! テメェ面倒くせぇ事言うんじゃねぇ!」
大声を出すステフに軽く返していると、今度はマリアが余計な口を挟んでくる。人の不幸は蜜の味と言うが、きっとこれはマリアみたいな人格破綻者が言った事なんだろうな。ちくしょう。
「信じられないが……そうか。お前があの第三師団の。到底信じられないが、実力を見れば明白か……」
ティナさんや。そりゃ俺でも信じられないけどさ、でも二回も言う事ある? 流石に酷くないか?
俺がじっと見ていると流石に悪いと思ったのか、「あ、いや、何でもない」と言っていたが、もう遅ぇよ。しっかり聞いちゃったもの。
「失礼な方々ですわね。見るからに素晴らしいお方だと言うのに、あの滲み出る神々しいオーラが分からないなんて。ねぇバド?」
そんなもんは出とらん。照明か俺は。それにそう言うスティアも昔、俺の事をボロクソに言ってたのを俺はまだ覚えてるぞ。まあ昔のスティアは俺に限らず、誰に対しても辛辣だったけどな。
それに対して、スティアへ躊躇なく首を縦に振るバドは昔から変わらない。彼なら口を聞けたとしても誰かを悪く言う事は絶対にないはずだ。心根が優しすぎる奴だからな。
やれやれとスティアを見ていると、そんな彼女へステフが話しかける。
「あの。スティアさん」
「はい?」
「も、もしかして、スティアさんも第三師団にいたりとか……?」
「ええ。それは勿論」
何が勿論なのか知らんが、スティアは自慢そうに髪をさらりと手で払った。だがステフの質問の意図もよく分からないな。
何なのかと見ていると、そこにアレスが口を開く。
「彼らは皆、第三師団の大隊長だぞ。エイク殿の部下だな」
「や、やっぱり! 間違いないっ!」
するとステフは珍しく大声を上げた。
「ティナ様! スティアさん、絶対銀の魔女ですよ! 間違いないです!」
「そ、そうか! 銀の魔女かっ! ……そう言われればあの実力も納得だ」
するとティナも合点がいったのか、突然大きな声を上げた。
「銀の魔女って何だ? なんか聞き覚えがあるような……」
「なんでエイクさんが知らないんですか!? ほら、少し前に帝国軍と王国軍が国境で睨み合いをした時があったでしょう!? その時に、目の前の平原を荒野にした二人の内の一人ですよ!」
興奮気味に話すステフ。滅茶苦茶早口だが、その内容を聞いて俺はその時の事を思い出した。
帝国軍と王国軍――俺達第三師団がぶつかる寸前までいったのは、今からもう一年位前の話だった。
それは魔王軍を追い詰め、あともう一押し、と言った時の事だ。帝国軍が王国領を目指して進軍中と言う情報を聞いた王国軍は、第三師団のみをそちらに向かわせ奴らを迎え撃つ事とした。
急遽ハルツハイムの南にある領、リュッゲベルク辺境伯領へと急行した俺達第三師団は、国境付近に軍を展開し待機。そしてこちらに向かっていた帝国軍と睨み合う事となったのだ。
王国と帝国は仲が良いわけでは無いが、しかし突然侵略をし合うような険悪な中でもなかった。だからまず使者を送り、なぜ攻めて来たのか聞いてみるかと、そう俺達は思っていた。
だが結局使者を送る予定の日、その使者を送り出す事ができずに終わる。
それは間違いなく、このバカタレのせいだった。
その日の朝早く。俺達は何かの爆発音というか破壊音というか、そんなけたたましい音に飛び起きる事になった。
すわ帝国が攻めて来たかとテントを飛び出した俺達だったが……そこで見たものは、第三師団の誰もが夢にも思わぬ光景だったろう。
国境付近の草原で戦っていたのはたったの二人。
しかもどちらも自軍だったのだから。
その内の一人がこのスティア。そして相手は白龍族の姫、ヴェヌス・ラト・イル・シェンティッドだった。
二人は手加減なしでぶつかり合い、その戦いは陽が落ちるまで続く。その時にはもう草原は跡形もなく、一面の荒野へと変わっていた。
理由も分からず戦う二人に、俺達第三師団も手出しができなかった。
最終的に二人が疲れた頃合いを見計らい、俺が一人で行って――もちろんシャドウに守ってもらいながらだ――彼女らを連れ戻したのだが、二人は理由を頑なに言わず、なぜそうなったのかは今でも分からず終いである。
だがそんな戦いの光景を見て、帝国軍はその二人をこう呼んでいたそうだ。
”銀の魔女”と、”白の狂戦士”と。
その翌日来た向こうの使者は特に言及しなかったが、帝国軍が大人しく引いたのも、この二人の戦いぶりに恐れをなしたからでは無いかと俺は今でも思っている。俺だってこんなのと戦いたくないもん。
「ああ、思い出した。そういやそんな話もあったな、忘れてたわ」
俺はぽんと手を打って、当事者のスティアへ目を向ける。
「なぁ。結局あの時、お前はなんでヴェヌスと戦ってたんだ?」
「も、もうその時の話は良いではありませんか! 昔の話ですしっ!」
「あの時はすーちゃんとヴェヌちんが大変だった! どっかんどっかん! ずどんずどーん!」
「ちょ、ちょっとホシさん! もう止めて下さいまし!」
頬を染めてスティアが慌てるが、そんな微笑ましい話じゃない。
そりゃ当時、俺達も頬を染めたがな。むろん赤にではなく青にだが。
「ティナ様。第三師団と戦わなくて良かったですね……」
「ああ……本当にな。どうやら命拾いしたようだ……」
二人が俺達を見ながら、何かボソボソ言っている。
「ほ、ほら! そんな事より貴方様! 貴方様も一筆認めるのでは!?」
そこに焦ったようなスティアの声が響き、皆の視線を集めていた。どうやら有耶無耶にするつもりのようだ。まあ良いけどさ、もう結構前の話だしな。
「しょうがねぇな、俺も念のため一筆書いてやる。まあ帝国軍と一触即発になった師団長からの手紙なんざ、悪印象にしかならん気もするけどな」
俺は羊皮紙を取り出して、さらさらとマンドレイクについて書き記す。そしてそれをステフに押し付けた。
「たいして意味なんざねぇだろうが。ま、賑やかしと思って持ってけ」
「エイクさん……ありがとうございます!」
「すまない。結局お前には世話になってばかりだったな……」
ぺこりと頭を下げるステフと、眉尻を下げるティナ。
俺はこれをガハハと笑い飛ばした。
「なら精々頑張って、皇帝の首を縦に振らせてくれや。……頼んだぜ」
「お前はまたそんな言い方を……」
ティナはくしゃりと表情を変える。だが、それは先程と同じようなしかめ面では無かった。
「ああ、任せてくれ。必ず皇帝陛下に飲ませて見せる。必ずだ」
そう言ってティナは笑顔を見せた。それは俺が初めて見た、彼女の満面の笑みだった。