271.浄化システム最終段階へ
初めて負傷らしい負傷を負ったニーズヘッグ。たぶんフレスヴェルグの方もそのはずだ。
俺は固唾を飲み、二体がどう行動するか様子を見つめる。
もしシャドウの中にいるラタとクスを嗅ぎつけて、奴らが俺へと襲い掛かるなら作戦の練り直しだが。
俺は祈るように二体の様子を見つめていた。
「グル――グァオ”オ”オ”オオオオーーッ!!」
「キュオオオオオオオーーッ!!」
体を起こした二体の怪物。
奴らが咆哮を上げた相手は俺ではなく、互いの本来の相手に対してだった。
ニーズヘッグは左目から黒煙を噴き上げながら、フレスヴェルグへ四枚の羽根を大きく広げる。
対してフレスヴェルグも翼を大きく広げ、ニーズヘッグを鋭く見据えた。
ふわりと飛び上がったフレスヴェルグへ、ニーズヘッグのブレスが飛ぶ。しかしこれをフレスヴェルグは旋回してかわし、お返しと白刃の雷霆を次々に放った。
直視できない程の激しい閃光が飛び交い、地面が爆ぜる音が次々に鳴り響く。
どうやら思惑は成功したようだ。ならこんな場所にいる意味はもうない。
奴らの気が変わる前に、さっさとトンズラする事にしよう。
「よし、アンヴァル撤退だ! 巻き添えを食う前に離れるぞ!」
首を叩くとアンヴァルがふわりと高度を上げる。そして奴らに背を向け、その場から遠ざかり始めた。
「貴方様、やりましたわね!」
地上十数メートルという所まで上がっただろうか。すると上の方からスティアの嬉しそうな声が聞こえて来た。
何かと見上げれば影が差す。そこにはヴィゾフニルが飛んでおり、スティアとマリアがこちらへ顔を覗かせていた。
巨大な黄金の鳥は徐々にこちらへ降りてくる。俺達と同じ高度まで下がると、その背中に乗るスティアがぐいと身を乗り出してくる。
「”災厄の火焔剣”をあのように使うとは、わたくしでは思いも付きませんでしたわ! 貴方様、どうしてあの二体が中を突っ切ると思ったのです?」
「ニーズヘッグはマグマですら負傷してなかったからな。俺の魔法程度じゃひるまねぇはずだって思ってたんだよ。もし迂回されてたら仕切り直しだったが、まあ上手く行って良かったぜ」
流石に障害物など無いだだっ広い空間でラタとクスの姿が消えたなら、あいつらも反応できたかもしれない。だが炎で目と耳を塞いでやった事で、狙い通りその反応が見事に遅れた。
しかもお互い攻撃を仕掛けようとしたタイミングで相手が消えたのだ。二体の攻撃が互いを傷つければ狙いも変わるだろうと予想していたが、正直上手く行ってくれて本当に助かった。
「作戦としちゃあ大分不安だったが、上手くやったじゃねぇか、エイク」
「そりゃどーも」
「やっぱお前を連れて来て正解だったぜ。これぞ大聖女の賜物ってな」
マリアがニヤニヤと笑っているが、俺は嘆息しつつ肩をすくめる。
「勘弁してくれ。もうあんなのの相手はこりごりだ。正直寿命が何年縮んだか分からんぜ」
「あらあら。お疲れさまでした」
スティアは口に手を当てくすくすと笑うが、俺はもう苦笑しか出ない。こんなわけの分からん場所はさっさとおさらばして、いっつも見てる元の世界に戻りてぇよ。
そんな事を思いつつ笑う彼女を見ていると、不意にどこか遠くから俺を呼ぶ声が耳に入った。
《おーい! 大将、俺達を忘れないでくれーッ!!》
《エイクさん気付いて下さいーッ!!》
《あーっはっはっはっは! おーい! おーい!》
あまりにもほっとして、あいつらの存在を忘れてた。
下を見ると、豆粒のような集団が俺達を必死に追いかけていた。
俺はスティアと顔を見合わせる。今度出た笑みは苦笑いなどではなく、おかしさから出た正真正銘の笑いだった。
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《はぁ、はぁ、はぁ……! し、死ぬかと思ったじゃないか! 私達の存在を忘れるなぁっ!》
「た、助かった……! 本当に良かった……!」
ヴィゾフニルに回収された面々が思い思いに言葉を吐いている。怒るティナのような奴から半泣きのステフまで、様々な反応がそこにはあった。まあ笑ってるのはホシだけだが。
聞くに奴らの攻撃が何度かすれすれを飛んだらしく、まるで生きた心地がしなかったらしい。
うん。正直すまんかった。
今ヴィゾフニルに乗っているのはマリアとアレス、ステフとホシだ。
残る面々は重量的な問題もあり、シャドウの中へ入っている。ラタとクスもシャドウの中に入ったままだ。万が一奴らに見つかっても事だからな。
また意外な事に、ティナもシャドウの中に入っている。どうも、もうヴィゾフニルに乗りたくないらしい。高所苦手だもんな、あいつは。
まあ減るもんでも無いし好きにしたら良いと思う。それに、そんな些事は今どうでも良かった。
やっと争い始めた二体の怪物。だが残る問題がまだ俺達にはあった。
それは、これからどうしたら良いのかと言う事だった。
俺達は遠くで争う二体の様子を空から見ながら、これで全て終わったのかと、不安を覚えつつそんな事を考えていた。
「それで、わたくし達はここでこのまま、あのどちらかが倒れるのを待てば良いのでしょうか?」
俺の後ろに乗り換えたスティアがそう口にする。とは言えそう問われても俺に分かるわけがない。
「どうなんだ? ガザ、そっちのラタ達に聞いてみてくれ」
《え? あ、ああ、そうだったな。少し待ってくれ》
ラタとクスには≪感覚共有≫を使っていない。こちらの会話は誰かを介して伝えて貰わないといけないのだ。
向こうでガザがラタ達へ説明をすぐに始める。ラタ達の声は直接こちらに聞こえるため、理解は特に難しくなかった。
《そのうちこの階層に変化があるから、もう少し待ってて。そうしたらたぶん外に出られるはずだから》
《それまで少しお待ち下さいです》
だがその言葉に俺は首を捻った。ここは何もない荒野が広がる階層だ。変化があると言っても、何がどう変わると言うのだろう。
変わる所自体がそもそも無いと思うのだが。
「変わるって、何がどう変わるんだ?」
「さぁ……。まあ、そう言うのであれば待ってみましょう」
二匹からかなり距離を取ったとは言え、あまり待ちぼうけはしたくない。いつこちらに再び牙を剥いてくるか、正直気が気では無かったのだ。
不安に思いつつもその言葉に従い、少し待つ俺達。するとそれは目に見える形で、本当にすぐに起きる事となる。
「な、何だ!?」
「なになに!? 地面が揺れてるよ!」
突然、地の底から響く様な地響きが次第に鳴り始めたのだ。
まるで階層全体が揺さぶられるような地鳴り。それはどんどんと大きくなり、激しく地面を震わせた。
空にいるため何とも無いが、下にいたらきっと立っていられなかっただろう。そんな激しい地震が止む気配もなく続いている。
何が起きているのか分からず周囲の様子を見ていると、何かを気付いたらしいスティアが大きな声を上げた。
「見て下さい! 空から何かが!」
見ればスティアは空を指差していた。俺達も釣られて空を見上げる。そしてそこにあった黒点の数に、俺は自分の目を疑った。
空に映る小さな黒点は、一つ二つという数ではない。もう空を埋め尽くす程の量が、空の青の中にあったのだ。
一体何かと目を凝らす。だが徐々に大きくなるその黒点の正体が分かった時、俺の目は更に大きく見開かれた。
なんとそれは、緑色のドラゴンや大きな鷲などの大群だったのだから。
「あれは怪物の群れですわ!」
スティアが声を大にする。もしかしたら彼女達が戦って来た怪物なのかもしれない。
そうと思っていると今度はあちこちで、地面が音を立てて大きくひび割れ始める。
それはぱっくりと口を開き、大きな裂け目を作り出す。そこから噴き出したのは、なんと赤く輝くマグマだった。
俺達のいた階層で嫌と言う程見たマグマ。それがまるで噴火のように、あちこちで噴き上がり始めたのだ。
「な、なんでこんなとこにマグマが!?」
「見て下さい! レッドドラゴンやフレイムドレイクが――!」
ステフも驚きに大きな声を出す。その裂け目からぞろぞろと出てきたのは、俺達が相手取ってきた怪物達の群れだったのだ。
更に、あの巨大なラーヴァドラゴンもその裂け目から姿を現した。そしてどろりと広がるマグマに乗って、裂け目から移動を始めたのだ。
怪物の大群は猛然と大地を駆け、真っすぐにその場所へと向かっている。
その場所。それはつまり、ニーズヘッグとフレスヴェルグが争う、この階層の戦場たる場所であった。
《始まったみたいだね。そう、この階層は実は、全ての階層に繋がってるんだ》
《浄化システムが最終段階に入ったら、あらゆる階層から神獣が押し寄せて、この階層で戦うのです》
《さっきの地震は、階層ごとの区分けを無くす準備なんだ》
《つまり、世界樹の浄化システムの本格稼働が始まった合図なのです!》
空からは大量の怪物達が飛びかかり、大地からはマグマと共に大挙した怪物達が向かって行く。
恐れなど何も感じないのか、ニーズヘッグとフレスヴェルグの争いへ怪物達が混じっていく。
「グァオ”オ”オ”オオオオーーッ!!」
「ギュオオオオオオオーーッ!!」
だがニーズヘッグとフレスヴェルグはそんなものを歯牙にもかけない。互いの争いは更に激しさを増し、その勢いで群がる怪物を弾き飛ばし霧へと返していく。
そんな二体もしかし無傷ではなく、体のあちこちから霧を噴き出し、かなりの傷を負っていた。
ニーズヘッグの四枚羽は既に半分にまで減っている。
フレスヴェルグの翼は片側がもう三分の一しかない。
そんな二体の怪物を中心として無数の怪物が群がり、咆哮を上げ、ブレスを吐き、血の代わりに黒煙を噴き上げて視界から瞬く間に消えていく。
空は怪物で覆われて、地は割けマグマで覆われる。まるでこの世が終焉を迎えたようだ。
俺達は言葉を発する事も忘れ、ただただその光景に見入っていた。気付けば地平の向こう側から、エルフや第一階層の怪物達が怒涛のように押し寄せてくるのが目に映った。
本当にこの世界樹全ての階層にいる怪物達が、ここを目指して集まっているようだった。
これが世界樹の浄化か。まるで浄化などと言う言葉とは似つかわしくない血みどろの戦いが、俺達の眼下で繰り広げられていた。
「ブルルル……!」
いつまでそうしていただろう。何か言いたげにアンヴァルが鳴いた。
もうここにいる意味はないと言いたいんだろうか。確かにそうだ。俺達の役目はもう終わったのだ。
俺は労うようにアンヴァルの首を軽く叩く。何で協力してくれたのかは知らんが、コイツには随分助けられちまったな。
「終わったな。……帰ろうぜ」
「そうですわね。随分と長い事、ここにいたような気がしますわ」
荒野を見下ろしつつスティアが言う。思えばもう五日もここにいたのか。
しばらく……いや、もうこんな場所一生来なくて良いわ。死ぬような思いばかりで、良い思いなんてまるで無かったしな。
「あー楽しかった!」
「そりゃお前だけだろ。俺はもう疲れたよ、色々とな。浴びるほど酒飲んだ後に死ぬほど寝てぇ」
ホシにとっては楽しい場所だったらしいが、俺はもうこりごりだよ。
そう肩をすくめるも、
《俺もまた機会があれば挑戦したいものだ。が、まずはもっと強くなってからだな……!》
《ガザ様、わたしもその時はお供します!》
と戦闘狂達が盛り上がっていた。呆れてものも言えないとはこの事だ。
まあこの浄化が終わればきっと、俺が生きている間に浄化が必要なことはもう無いだろう。何せ三百年もの間浄化なしで何とかなったんだからな。
魔族やオーガがどのくらい生きるか知らないが、また来たいなら俺抜きでどうぞ好きにやってくれい。
「やっぱただ働きは性に合わねぇな。こりゃしばらく休業だ。な、アレス」
「御意」
自称聖女が何か言ってる。
「お前いっつも休業状態じゃねぇか。仕事してる事なんかあるのか?」
「ああ? 俺はもういるだけで尊いんだよ。感謝しやがれ」
「滅茶苦茶じゃねぇか……」
そんな事を言いながら俺達は戦場に背を向ける。
後ろから聞こえてくる地鳴りや咆哮は、その姿が見えなくなってもずっと俺達の耳に届いていた。