3.闇討ち①
月明かりを頼りに一人、街道を真っ直ぐ進む。すでに王都を発って一時間ほどが経過している頃だ。
時を告げる鐘がここまで聞こえるはずもない。だから感覚になるが、それほど間違ってはいないだろう。
こんな時間だ。すれ違う人間は誰もおらず、物音一つない。
夜の静寂に、土を踏みしめる乾いた音だけが微かに響いていた。
今日は幸い天気も良く、月明かりだけで歩くに足りる。持って来たランタンは背嚢に入れたままだ。
明かりをつければ、それだけ魔物に襲われる可能性も高い。絶好の出奔日和で非常に都合が良かった。
王都を南に抜けた俺は、すぐに見えた分かれ道を左に折れ、街道に従い東へと歩き続けていた。
王都南に広がるラザル平原を抜けると、今度は左手に広大な森林地帯が見えてくる。ここまで来ると、王都を囲む城壁の姿はもう、目では見えない距離になる。
だが。まだまだ、安心するには早い。
俺が王都を出たことが露見し、馬でも走らされていたならば、簡単に追いつかれてしまう距離である。
一時間徒歩で稼いだ距離なんてものは、さすがに馬相手では無きに等しい。
それに俺は今、東への一本道をずっと歩いてきただけなのだ。
唯一通過した分岐点は、王都から出てすぐにあった、東西に分かれる道のみ。
ここまでの道のりは、追っ手の目を眩ませる効果が期待できるほど、複雑な道程ではなかった。
分かれ道をある程度通過するまでは、安心など到底できない。なので追っ手をまくためにも、俺は今日、夜通し歩き続けるつもりでいた。
だがそうとなると、いくつかの問題点がある。
今、俺の目の前に広がる森林地帯が、まさにその一つだった。
これから進む街道は、この森林地帯の外周に沿うように伸びている。これが昼間ならさして問題ないのだが、夜間に通るにはなかなか厄介な道であった。
王都に近いといっても、森は人間の住む領域ではない。門衛の彼らが言っていた通り、魔物に襲われる可能性が十分にあった。
この暗い中魔物の群れにでも襲われれば、こちらは一人。最悪、俺の旅はここで終了と言う可能性もあるのだ。
目前に広がる広大な森林に不安が頭をもたげる。とは言えそんなことは百も承知でここまで来ているのだ。
頬を軽くはたいて弱気を頭から追い出すと、俺は覚悟を決めて先へと足を踏み出す。
月の明かりに照らされて、うっすらと俺の影が前方へと伸びている。不意にそれが、俺の不安を慰めるかのように、ユラリと揺らめいたような気がした。
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森に隣接する街道を歩き始めてから、もう三十分ほど経っただろうか。森はまだまだ続いており、目で見える範囲では終わりも見えてこない。
それもそのはず、この森沿いの道は非常に長く、徒歩で抜けるには数日はかかる。まずは近くの村までなんとか辿り着くことが、目下の目標だった。
フクロウのものらしき鳴き声が、ホゥ、ホゥ、と、どこからか寂しげに響いてくる。俺が抱く緊張感とは裏腹に、森が醸し出す気配は非常に静かなものだ。
この森は王都に近いというのもあって、魔物が少なく比較的安全な森である。
加えて警戒すべき魔物もいない。日中ならさして恐ろしくもない場所だ。
ただ、深夜であり一人である今、俺には注意しなければいけない魔物がこの森にはいた。
鼻が利く上群れを成す、フォレストウルフである。
奴らは単体で考えればそう手強い相手ではない。駆け出しの兵士でも、苦戦はするだろうが倒せる程度の魔物だ。
しかし群れとして考えた場合、その脅威度はぐんと上がる。
その数は小さな群れなら五匹程度だが、大きな群れだと二十匹を超えることもある。まあこの森にそんな大きな群れがいるとも思えないが、それでも群れに囲まれれば非常に危険だ、というのは誰でも簡単に想像できるだろう。
まあ例え群れであっても、撃退するだけなら俺でも難しくはない。
なら何が問題かと言えば、もし襲われるような事になったら無傷でしのげるのか、という点だった。
万が一戦闘で怪我を負ってしまえばどうなるか。
嗅覚鋭い連中のことだ。血の臭いをかぎつけて、わらわらと集まってくることだろう。
夜の闇はこちらには不利だが、連中にとっては身を隠す武器にしかならない。傷を負った人間の末路がどうなるかなど、改めて説明するまでもないことだった。
だから今この状況下での最重要事項は、傷を負わないこと。
魔物に気付かれないことを徹底し、襲われそうになったなら、逃走を最優先とする。これは夜間に少数で出歩く者の不文律であり、今俺が掲げている、最も遵守すべきルールであった。
一応だが、実は俺には頼もしい助っ人が一人いる。
俺の周りには一見誰もいないように見えるが、呼べば答える腐れ縁――ではなく、頼れる仲間がいるのだ。
実のところこの出奔の計画自体、八割がた彼頼みで立てられたものである。
今ある程度俺が余裕を持っていられるのも、彼のおかげだった。
情けないことに、王国軍の師団長などと言っても実のところ、俺はそう強くはなかった。
山賊をやっていた頃は、こと戦闘においてそれほど苦戦した覚えも無く、調子にのっていたのも悪かったのだろうが。
軍に入ってからというもの、それが思い上がりだということを嫌というほど思い知らされ、自分のあまりの弱さに何度も辟易とさせられたものだ。
どの程度かと言えば、一般兵相手にかろうじて勝てるレベル。王宮騎士相手だともう駄目で、鼻で笑われたこともあるくらいだった。
もともとオーソドックスに剣を使っていた俺だったが、その才能がないのかと思い、色々な武器を試しては見た。
だがどれも凡才の域を出ないレベルであり、大して変わり映えしなかった。
「エイクには、用兵とか軍略なんかで活躍してほしいから……。ほら、そうすると前線で活躍するわけじゃないし」
と、一国の王子様から直々のフォローを賜ってしまうくらい、才能が無い始末だったのだ。
しかし、やはりばったばったと敵を倒す英雄には憧れるものである。おっさんではあるがその前に男だもの。当然である。
腕っ節が駄目なら魔法はどうかと、そちらも試してみた。
だがその夢は、若いころに露と消えてしまっている道でもあった。
希望は薄い。しかし俺は一縷の望みに縋り、それでもと、再度挑戦してはみた。
結果として俺は、何とかぎりぎり中級までの魔法と、支援魔法を一つだけ覚えることができた。できたのだが。
しかし、その程度の実力では師団長を名乗るには及ばず。
結局、大きな成果は何も得られず終わってしまったのだった。
一応、出陣する兵に支援魔法をかけて支援する、ということをできるようにはなったが。
しかしそれでは結局、活躍するのは魔法ををかけられた相手であり。
俺の目覚ましい活躍なんてものは残念ながら、誰の記憶にも、何の記録にも、どこにも残せず叶わずに、儚い夢となってしまったのだった。
前線で活躍できる実力があれば、まだ王国での評価はマシだったのだろう。だが現実など、所詮こんなものなんだろう。夢も希望もない話だ。
(いかんいかん)
いつの間にか、益体もない方向に意識が逸れてしまっていた。気を引き締め直し、軽く頭を振る。
俺はもう王国を出奔したのだから、考えても仕方の無いことだ。今はまず、ここを無事に通り抜けることだけを考えよう。
昔を思い出すのはそれからでも遅くは無い。俺は雑念を振り切るように、少し歩調を速めることにした。
いつの間にか、先ほどまで聞こえていたフクロウの鳴き声が、もう聞こえなくなっている。
周囲は静かなもので、なるべく気配を消すように歩いている俺の、僅かな足音のみが耳に届く。
人どころか動物の気配すら感じられない。この調子であれば無事にこの街道を抜けられそうだ。
静かな空気に、俺がそう感じ始めた矢先のことだった。
「ホーッホッホッホッ! お待ちしておりました!」
静寂を切り裂くように、何者かの甲高い声が森に響き渡った。
俺はすぐさま腰の剣に手をかけ、臨戦態勢を取る。そして目だけを素早く動かして、周囲の様子を素早く伺った。
だがその声の主は、姿どころか気配すら、どこにも見つけられなかった。
「貴方様がまさか出奔なさるとは、俄かには信じがたい内容でしたが……。ここで張っていてやはり正解だったようですね。神聖アインシュバルツ王国、第三師団団長――エイクッ!」
冷や汗が一筋、背中を流れる。王国からの追っ手に注意をしていたが、注意するのは追っ手だけでは不十分だったようだ。
待ち伏せに遭う可能性を全く考慮していなかったのは、完全に俺の落ち度だ。
刺客を放たれるほど疎まれていることを想像できなかった、自分が甘いのだ。自分の馬鹿さ加減に思わず舌打ちが出る。
神経を尖らせ気配を探り続ける。だが相手は毛の先ほども気取らせない。
その事実から相手の実力が理解できてしまい、柄を握る手に汗がじんわりと滲んだ。
これだけ気配を消すことのできる手合いでは、俺ではまず敵わないだろう。隙を見て逃げるしかない。
そう判断するが、だがそれを易々と許してくれる相手でもないはずだ。
取れる手段は何でも使い、ここから逃げ出す算段を何としても立てなければならない。早くも助っ人の力に頼ることになりそうだ。
俺は自分の足元へ、ちらりと視線を送る。
月明かりが作り出す俺の影が、少しだけぐにゃりと歪むのが見えた。
「しかし日が沈む前から待っていたので、本当に来るのか心配になっていたところです! 一先ず安心致しましたわ! ――お覚悟をッ! ハァッ!」
声の主は掛け声と共に森の中から飛び出てくる。
森から飛び出てくる影は――三つ!
木の上に登っていたのか高い跳躍を見せたその影は、軽業師のようにくるりと身を翻し、俺の目の前に軽やかに着地した。
「エイク様親衛隊No.1! スティア・フェルディール! 只今参上ですわっ!」
俺の目の前に降り立った女は、バッ! とポージングをすると、軽くウィンクをした。
「同じくえーちゃん親衛隊No.2! ホシ! さんじょー!」
もう一つは小柄な少女。彼女は元気一杯に名乗りを上げると、どうだとばかりにぺたんこの胸を張った。
「同じくエイク様親衛隊No.4! バド! 参上ですわ!」
最後の一つは、全身を黒い全身鎧で覆った巨躯の男。
ズンッ! と地を揺るがしながら着地すると、両腕を高くつき上げ、どうだとばかりに力こぶをつくるポーズをとった。
なお彼は喋ることができないため、スティアが変わりに名乗りを上げている。
『我らエイク様親衛隊! ただ今参上ッ!』
呆然とする俺の目の前で、三人はビシィ! とポーズを取った。
何これ。
「……お前達、何やってんの?」
「もちろん、貴方様をお待ちしていたのですわ!」
「……何で?」
「エイク様親衛隊の使命ですわ!」
どうやらそういうことらしい。いや待て分からん。
色々言いたいことはある。だが一番聞きたいのは、なぜここで待っていたのか、ということだ。
俺は出奔することも、いつするのかも、誰にも話をしていないはずなのに。
彼らの顔を呆然と見渡すと、どうだと言わんばかりに自慢そうな顔をしていた。
なぜだか知らないが、今はそれが非常に鼻についた。
取り合えず、だ。
俺は謎のポージングをして得意満面になっている彼らにゆっくり近づく。そして無言で拳を振り上げた。