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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五章 黒き聖女と秘密の花園
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270.ラタトクス囮作戦

 風と一体になってアンヴァルが駆ける。それにまたがる俺とラタも、荒野をすさまじいスピードで進んでいた。

 だが依然として後ろには奴がいる。地面を揺らし、咆哮を上げ、涎をだらだらと垂らし。そして全てを憎む様な双眸をギラつかせ、ニーズヘッグが迫り来る。


 俺達は今フレスヴェルグと真逆の方向へ向かっていた。俺が考えた作戦では、ある程度向こうと離れる必要があったのだ。

 この第三階層がだだっ広いだけの場所で幸いした。もし狭い場所だったなら、この作戦は取れなかっただろうからな。


「スティア、そっちはどうだ!?」

《問題ありませんわ。いつでもどうぞ》


 スティアの奴、こんな時でもけろりとしてやがる。

 いつも通りの平静な声に、俺の口は思わず弧を描いた。


「よし、それじゃあ始めるぞ!」


 同時に昂ぶりも落ち着いた俺は、一度深呼吸をした後に、そう大声で宣言した。


「頼む、アンヴァル!」

《よし、行けヴィゾフニル!》


 俺とマリアが同時に声を発する。


「ブル――ブヒヒヒーンッ!!」

《お任せを!》


 アンヴァルのいななきとヴィゾフニルの声が、それに力強く応えた。


 アンヴァルはぐんと右に体を倒し、ニーズヘッグを中心に大回りでその背後に回る。そして今まで走っていた方向とは真逆の方向へ、今度は全力で駆け始めた。


 当然ニーズヘッグもその場で反転しようと急停止する。奴の四足が地面を削り、巨大な土埃が奴の姿を覆い隠す。

 だが後ろをチラリと見るとその土煙を割って、すぐにニーズヘッグが飛び出して来た。


「グァオ”オ”オ”アアアアーーッ!!」


 狂ったように追いかけてくるニーズヘッグ。今まで俺達は奴から逃げる以外の手段を取る事ができなかった。

 だが今は違う。逃げている姿は変わらないが、しかしこれは奴を罠にはめるための逃亡なのだ。


「さあ来てみやがれ。お前の本来の相手を、そのツラに叩きつけてやるからよぉ!」


 言うなれば、こちらが攻めている側と言っても良い。その事が俺の内に、少しばかりの余裕を生んでいた。

 だからだろう、逃がすものかとでも言うように咆哮を上げる奴に対し、俺の声は知らず弾んでいた。


「おっちゃん……」


 後ろからかかった自信の無さそうな声に振り返る。そこには耳をぺたんと伏せた、俺を見上げるラタがいた。

 ラタは俺を呼んだが、しかしそれ以上何も言わない。しかしぴったりと俺の背中に張り付くようにしがみ付くラタからは、複雑な感情が伝わっていた。


 この状況に似つかわしくない楽し気な感情。だがこれは世界樹に作られたもので、ラタ本来の気持ちではないだろう。

 他に感じられるものと言えば、不安や心配、心細さ。それらはごくごく小さなものだったが、これが彼の本当の気持ちだと、俺はちゃんと理解していた。


「心配すんな。失敗する可能性の方が高い作戦だ、もっと気楽に行け」

「……はは、そんな気軽に言えるなんて、おっちゃんも大物だね」

「はっはっは! 何せ俺が一番失敗する可能性が高いからな! 最初にこう言っておかないと、失敗した時気まずくなるだろ?」


 哄笑する俺に、ラタの顔にも笑みが浮かぶ。危険は伴うものの、失敗が死を意味する、なんて後戻りできない作戦じゃない。一発限りのものじゃないのだから、必要以上に気負う事など無いのだ。

 と思っていたのに、ここでホシから茶々が入る。


《えーちゃん、一発で成功させてね!》

「うるせぇなぁ! 成功率は一割もねぇって言っただろうが! 成功させたきゃ天にでも祈ってろ!」

《じゃあマリちん、えーちゃんが成功するようにお願い!》

《はっ、俺に祈ったところで何も起きねぇぞ? 現物がなきゃぁ力も出ねぇ》


 この生臭め。もっと可愛げがある事を言えねぇのか。

 見かねて《貴方様なら絶対に大丈夫ですわよ!》とエールを送ってくれるスティアをちっとくらい見習えや。


「んな事より、そろそろお前らの出番だぞ。覚悟はできてんだろうな?」


 この作戦は総力戦だ。ラタとクスを囮とするが、しかし二人に全てを丸投げするわけじゃない。

 ラタとクスが囮として働けるように、他の面々はニーズヘッグやフレスヴェルグと戦う必要があるのだ。


 あんな相手と戦うのだ、相当な覚悟がいるだろう。そう思っていたのに、意外にも応えはすぐに返ってきた。


《無論できている。もう遅れは取らない、心配無用だ》

《任せろエイク殿。 いつでも行けるぞ!》

《はい。私も問題ありません!》


 アレス、ガザ、コルツが順番に返事を寄越してくる。戦闘狂連中は肝が据わっているようで何よりだ。

 それに続いて他の面々からも声が返って来る。震えるような声もあったが、しかしその中に拒否するようなものは、たったの一つも含まれていなかった。


「どいつもこいつもお人好しで涙が出らぁ。なぁマリア」

《無駄口叩く余裕があるくらいだ、失敗したらそのケツ蹴り飛ばすぞ!》


 最後に憎まれ口を叩き合い気合を入れる。

 さて、そろそろ作戦を始めようじゃあねぇか。


 今まで俺は、仲間の力を頼りに生きて来た。

 信じられる奴らと共に生きて来た。


 だから俺は神なんてもんは信じねぇし、すがりもしねぇ。

 それが誰かの命を石ころ同然に放り投げるクソ野郎だってんなら、こっちから願い下げだ。


「創造神だか何だか知らねぇが見てやがれ。テメェの思うようには行かねぇって事を思い知らせてやるからよぉッ!」


 そんな企みなんざ人間様がブッ潰してやるからよ、指咥えて見てやがれや!


「始めるぞ! 頼む、ラタ、クス!」

「……分かった!」

《はいなのです!》


 開始の号令と共に、ラタがぴょいとアンヴァルから飛び降りた。

 彼は地面に足をつけると、そのまま全力で走り始める。


『うぉぉぉぉおーっ!!』


 それと同時に、俺の影からバド達五人も飛び出す。彼らはニーズヘッグの行く手を阻もうと、奴へ真っすぐに向かって行く。

 その体からは既に、白いオーラが立ち上っていた。


《クスさん、貴方はこのヴィゾフニルが守ります! ご安心を!》


 向こうも向こうで動き始めたようだ。作戦では、フレスヴェルグを妨害するのはヴィゾフニルとそれに乗るスティアとマリアの三人。

 残りはヴィゾフニルから降り、クスと共に目的地へと走る算段となっている。


 ここからでは小さな点としか見えないが、ヴィゾフニルと思われる影が地面すれすれを飛んだかと思えば、再び上空へ上がって行くのが見えた。

 俺達も予定通り動くとしよう。俺は目的の方向を指差して、アンヴァルへ大声を上げた。


「もう少しラタから離れてくれ! この距離じゃ巻き添えを食っちまう!」

「ブルルルっ!」


 アンヴァルは俺の指示に従い、ラタと並走しつつゆっくり間隔を広げて行く。

 後ろにチラリと目を向けると、バド達は既にニーズヘッグと交戦を始めていた。


「グァア”ア”ア”アアアアーーッ!!」


 前腕を振り上げるニーズヘッグ。対して前に立つバドは輝くほどのオーラを体から放っていた。

 ”堅牢なる聖盾(ファランクス)”だろう。彼はニーズヘッグの一撃を食らい激しく吹き飛んでいったが、宙でくるりと体勢で整えると、二本の足で地面に着地をする。


 それでも勢いを殺しきれず後ろへ流れて行くものの、バドは地面を蹴り飛ばし、無理やりニーズヘッグへ向かって行った。


 彼らはここに来るまでに高位の精技じんぎを何度も使っている。そのため持っていた五等級の生命の秘薬(ポーション)を飲ませており、疲労はほぼ回復しているはずだった。


 しかしニーズヘッグ相手では、精技じんぎ無しでは前に立つこともできない。先ほどのバドのように、常に上級精技(アルティメットクラス)を使っていて何とか、という状況だ。

 あの様子では足止めも出来て一分が関の山だろう。だがその僅かな時間は俺達にとって、絶対に必要なものだった。


 彼らが命がけで作り出しすその時間を、絶対に無駄にしてはならない。俺は少し離れた位置で走るラタに目を向けた。

 ラタはわき目も降らず、ただ真っすぐに目的地へと走っている。この荒野には目印になるようなものは何もない。しかしラタは迷いもせず、ただひたすらに前へと駆けていた。

 クスが目指しているはずの、彼らの合流地点へと。


 俺は懐から魔力の霊薬(エリクシア)を取り出し、封を開けると一気に喉へ流し込む。

 俺は先ほど成功率は一割も無いと言った。

 だがそれは作戦の成功率とは少し違う。それは俺自身が作戦通りに行動できるかと言う、その成功率であった。


 こと戦闘において、俺がまともに使える魔法は中級ノーマルまでが限界だ。

 短縮詠唱はできないし、詠唱も遅い。だから実戦でギリギリ使えるレベルの級位がそれであり、しかも殆どの場合魔法陣を使って、詠唱が遅い事を誤魔化すばかりだった。


 そんな事情から、俺は自身の魔法の腕について、”中級魔法(ノーマルマジック)までしか使えない”と思っている。

 しかしだ。それはあくまで実戦レベルであり、それ以上を使えた試しがないかといえば、実際は少し異なっていた。


 空になった瓶を放り投げ、腰から長剣を抜き放つ。この剣にはスルトの力が――思いがこもっている。この力があればきっと、この作戦は成功する。

 何の裏付けも根拠も無い。だが俺はそんな事を思わずにはいられなかった。


《ぐっ――! すまんエイク殿っ、ニーズヘッグがそっちに向かった!》


 そんな時、ガザの苦し気な声が飛び込んでくる。


「皆生きてるか!?」

《大丈夫だ! この程度、大したことは無いっ!》


 そりゃ何よりだ。どうも怪我は負ったようだが、しかしあのニーズヘッグ相手に軽傷で済んだなら上出来過ぎる。

 何より俺の希望通り、彼らは一分と少しの時間を稼ぎ切った。文句のつけようもない結果だった。


「分かった、そこで休んでろ!」

《あっ!? くっ――貴方様!》


 ガザにそう返していると、今度はフレスヴェルグを足止めしているはずの向こうからスティアの声が飛んできた。


《こちらも今、フレスヴェルグを通してしまいましたわ! 申し訳ありません!》

《ヴィゾフニル、奴を逃がすな! 追えっ!》

《ご安心を! 奴の事は絶対に逃がしません!》


 どうやら向こうもこちらも同じ状況のようだ。後ろを見れば、狂ったように涎を撒き散らすニーズヘッグが、ラタを追って疾走している姿が見えた。

 一分の足止めには成功したものの、ニーズヘッグはラタよりも早い。どんどんとその距離は詰められていく。


「はぁ、はぁ、はぁ――クスっ!」


 ラタが走りながら唐突に叫んだ。

 はっとラタの視線を追うと、前に小さくクスの姿が見えた。


「はぁ、はぁ……ラターっ!」


 必死に駆けるクスが叫ぶ。その少し後方にはクスと共に走っていたホシ達の姿が豆粒のように映った。

 念のためクスを護衛させていたが、ここまで来ればもう不要だ。俺は大きく手を振って、彼女達に避難するよう声を飛ばす。


「ホシ、もういい! お前らは退避しろ!」

《分かった! えーちゃん、ちゃんと決めてね!》

「るせぇ! 黙って見てろぃ!」


 ホシ達はクスを追う事を止め、横に逸れて離脱して行く。

 くそ、余計なこと言いやがって。ああ言われちゃあ、余計に失敗したくなくなったじゃねえかっ。


「スティア、準備は良いか!?」

《いつでも出来ますわ!》

「なら行くぞっ! アンヴァル、全体が見えるように少し浮いてくれっ!」


 俺は行動を完全にアンヴァルにゆだねると、目を伏せ、全神経を魔法の発動へ集中する態勢に入った。


「火の精霊、サラマンダーよ!」


 炎の魔剣を握りしめ、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 発動に必要な魔力は膨大だ。気を張りつつ慎重に、自身の魔力を練り上げる。


「我が、呼び声に応じ……! 全てを、焼き尽くす……煉獄の炎を……っ!」

《罪深き者に死の粛清を》


 俺がりきみながらとつとつと唱えるのに対し、スティアは静かに、まるで詩を読むかのように朗々と詠唱を続ける。

 ラタとクスが合流し、手を握り合う。二人は背中合わせに立ち、それぞれの相手をその目で見据えた。


 ラタの眼前にはニーズヘッグが。クスの眼前にはフレスヴェルグが。

 二人のラタトクスを殺そうと、巨大な怪物モンスターが猛然と襲い掛かっていく。


「猛る……灼熱の、劫火ごうかにて……!」

《大地全てを焼き払い賜え!》


 普段ならもっと時間がかかるはずだった詠唱。しかし今回は不自然な程に上手く唱え切れた。

 伏せた目を上げれば、仄かに赤く輝く魔剣が映った。


『――”災厄の火焔剣(レーヴァティーン)”ッ!!』


 俺とスティアが同時にそれを口にする。するとラタとクスの目の前に、空をも焦がす紅蓮の断崖が激しく地面から噴き上げた。


 上級魔法(マスターマジック)、”災厄の火焔剣(レーヴァティーン)”。鉄すら溶かす劫火ごうかを広範囲に生み出す、火魔法最大の攻撃魔法だ。

 俺の魔法はラタの目の前に。スティアの魔法はクスの目の前に。

 二人を守るように燃え立つ灼熱の劫火ごうかは、何者をも拒むようにそこに姿を現した。


「はぁ、はぁ……! ど、どうだっ!?」


 目の前に突如現れた炎の壁。こんなものが突然現れたら、普通は躊躇い足を止めるはずだ。

 そう思いつつ、俺はニーズヘッグがどう行動するかと目を向ける。だが奴はまるで気に止めた様子もなく、スピードを緩める事もしなかった。


 まるで炎など見えていないかのように、ニーズヘッグは――いや、二体の怪物モンスターは炎の中へと飛び込んで行ったのだ。


「グァオ”オ”オ”オオオオーーッ!!」

「キュオォォォォオーッ!!」


 二体の怪物モンスターが炎の中で咆哮を上げる。この炎の壁を越えられたら、もう奴らとラタトクス達の間を阻む物は何もない。


《くぅ……っ! わたくしの、最大の魔法でも止められないなんてっ!》


 スティアの悔しそうな声が聞こえる。だがそんな声をかき消すように、二体の怪物モンスターは咆哮を上げた。

 俺達最大の攻撃にも全く怯んだ様子は無い。そのまま炎の壁を駆け抜けて、二体の怪物モンスターはラタとクスの前に現れる。


 ラタとクスはその姿に、ぎゅっと目をつむった。だがそんな二人へニーズヘッグは牙を剥き、フレスヴェルグは爪を向けた。


「グァオ”オ”オ”オオオオーーッ!!」

「キュオォォォォオーッ!!」


 やっと念願を果たせると、二体は歓喜の咆哮を上げた。


「……と思うよなぁ?」


 ――だが、そんなのは俺だって織り込み済みなんだよ!


「シャドウ! 今だっ!」


 その場へ伸びる相棒へ、俺は声を張り上げる。

 シャドウは寸分たがわず伸びあがると、二人を影の中へと飲み込んでいった。


 この作戦が始まってからずっと、俺とラタの影はくっついたままだった。

 普通の生物ならそんな不自然に伸びる影を不思議に思ったはずだろう。

 だが俺には、ニーズヘッグならこれに気づかないと言う確信があった。


 奴は確かに恐るべき生物だ。だがそれでも、奴は生物だった。

 その事実を俺の≪感覚共有(センシズシェア)≫が知っている。

 奴は激しい怒りの中で、ただラタだけを見ていた。だがあんな憎悪を抱えていたら、理性を保つことなんて到底無理だった。


「本来戦うのは俺達じゃねぇんだ。もうこの辺で追いかけっこは終わろうや」


 目の前に見えたラタトクスの姿に、我も忘れて飛びかかったニーズヘッグとフレスヴェルグ。

 だがその姿は影へと消える。猛然と駆けた二体は突然止まれるわけもなく、激しい衝撃音を上げて真正面からぶつかり合った。


 その衝撃はあまりに凄まじく、第三階層を大きく揺らす。


「グ、グァオ”オ”オ”オオオオーーッ!!」

「ギュオォォォォオーッ!!」


 そして二体の怪物モンスターの悲鳴も、第三階層に大きく響き渡った。


 ニーズヘッグの牙がフレスヴェルグの足を噛みちぎり、フレスヴェルグの爪がニーズヘッグの片目をえぐる。

 二体は黒い霧を噴き上げながら、荒野にもんどり打って倒れ伏した。

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