260.第六階層下層 マグマの世界
「ヴオ”ォォォォオオーッ!」
「ちぃ……ッ! ”飛翔の風翼”!」
マグマの中から巨大なものが姿を現す。俺はすぐさま地面を蹴り、天井すれすれまで飛び上がった。
天井に映った俺の影から、にゅうと手が伸びてくる。俺はその手を掴みながら、敵の姿を見下ろした。
マグマの海に現れた、五メートルは軽くあるドラゴンの頭部。そいつは先程まで俺がいた場所へ突撃すると、巨体を生かしてマグマの大波を浴びせかけた。
ぐわと持ち上がったマグマは、足場一帯をあっと言う間に飲み込んでいく。
あの場に留まっていたら間違いなく昇天していた。その光景に俺はごくりと喉を動かした。
真下では巨大な顔がこちらを見上げている。その細めの顔と蛇のように長い体は、ドラゴンというよりサーペント種に近い。
以前アクアサーペントと戦ったが、あれが子供に思えてしまう程の巨体だ。それがマグマの上で、獲物を待つようにうねる姿は背筋が凍る。
あんなもん人間が相手できるような生物じゃねぇだろふざけんな。
心の中で悪態をつきつつ息をひそめていると、しばらくして相手は諦めたのか、ゆっくりとマグマに沈み、その姿を消していった。
世界樹、第六階層。そこはラタの言った通り、ヴォルケノバットもラーヴァヒッポも生息していない場所だった。
奴らがいないのは嬉しい事だ。ヴォルケノバットは生息数が多く、ラーヴァヒッポはマグマのどこからでもぽこぽこ現れる。
戦う機会を多くする、一番の要因になっていた二匹だったのだ。
それらがいなくなった事で、この階層では明らかに戦闘が減っている。なので下の階層のようにほぼ走り詰めという事がない。
そこはこの階層の数少ない良い点だったろう。
だが良い事ばかりでは当然ない。悪い事も当然、この階層にはあった。
一つは、この階層の構造が、今までよりも面倒になったという点だ。
今までの階層は溶岩が道となっており、そこを歩く事ができた。
だがこの階層は違う。
道などなく、溶岩が飛び石状になっているだけの、マグマに埋め尽くされた階層だったのだ。
俺達は飛び石の足場を跳びながら、この階層を進むことを余儀なくされた。
足場は精々が直径二メートル程度だ。まともに戦闘できるはずもない。
稀にかなり広い足場もあるにはある。だがそこは大体フレイムドレイクが屯しており、足を踏み入れれば戦闘を避けられなかった。
労力を惜しめば大きな足場を避けざるを得ず、小さな飛び石を渡って先に進むことになる。
だが、そこで悪い点その二である。
この第六階層に潜む巨大な怪物、ラーヴァドラゴン。こいつが先ほどのように、足場をマグマで埋め尽くしてくるのである。
巨体を生かして周辺一帯にマグマを浴びせてくるラーヴァドラゴン。その範囲はかなり広く、逃げる場所が限定的なこの状況では、避けるのは至難の業だった。
幸いその動きは鈍く、見てからの行動は可能である。そのため今のように空へ逃げれば、何とかかわす事が可能だった。
ただそれは、その余裕があればの話。もしレッドドラゴンにでも襲われていたら、避ける間もなくあの世行きだろう。
「おっちゃん、下に戻らないの? 手がぷるぷるしてるけど」
嫌な想像をする俺に、背負うラタが声を掛けてくる。はっと見ると、確かにシャドウの腕が辛そうに震えていた。
俺達は天井に張り付くシャドウにぶら下がる事で、何とか天井すれすれに滞空する事ができている。しかしシャドウはそう力が強くない。
”飛翔の風翼”で軽くなっているとはいえ、俺の重さがゼロになったわけでは無いし、ラタに至っては魔法がそもそもかかっていない。
シャドウには相当キツイ重さであった。
耐えきれず落とされてはたまらない。敵も消えたことだし、そろそろ下に戻るとしよう。
俺はシャドウの手を離し、ゆっくり下へと降りて行く。
「考え事? 何、気になる事でもあった?」
「いや、問題ねぇよ。……って、問題だらけな気もするけどな」
「あはは、まあこの調子でいけば大丈夫だよ」
背中からの無責任な声を聞きつつ小さな足場へ着地して、俺はほっと息を吐きだしながら魔法を切った。
今ここにいるのは、俺の他にはラタとシャドウの二人だけだ。
俺はラタを背負ったままこの階層を進んでいる。そこには大きな理由があった。
一つ。この階層は、まずまともに戦えるような場所ではない。だから基本戦闘を避ける事になるわけだが、そんな場所を大勢でのんびり行進などしていたら、ラーヴァドラゴンのマグマ攻撃で皆仲良くあの世行きだ。
なので、どうせ戦闘できないのだからと、皆にはシャドウに入って貰ったのだ。
これなら行き足が遅くなるのを防げるし、万が一戦力となっても、シャドウの中で休憩できる面子が消費を考えず全力で戦える。
この階層ではメリットが大きいと判断したのだ。
そして二つ。この階層に入って以降、俺は”飛翔の風翼”を多用していた。
理由は当然ラーヴァドラゴン対策である。
魔力の消費はかなり多いが、これをしなければマグマ攻撃を避けられない。やるやらない以前に、これしかなかったのだ。
だが”飛翔の風翼”は一人用の魔法である。ラーヴァドラゴンに襲われたからと言って、皆にかけている余裕などないし、その時になってシャドウに避難しろとバタつくのも危なっかしい。
なら初めからシャドウに入っておけば良いと、そういうわけだった。
ではなぜラタだけ外に出ているのか。それについては理由は簡単で、案内役不在では不安があるからだ。
都合の良いことに彼は耳が良く、警戒もできる。そして何より小さく軽い。
”飛翔の風翼”を使う障害にならなかったのだ。
それらの理由から俺はラタだけを背負い、今に至ると言うわけだった。
今はこの階層を二時間ほど進んだところだ。流石に消費魔力が厳しく、すでに魔力は五割を余裕で切っている。
ラタが言うにはまだ半分も来ていないらしい。少し休みたいところだが、そう文句を言っていられる状況でもなかった。
「おっちゃん、向こうからドラゴンの声がするぞ!」
「何ぃ、面倒くせぇな……。くそ、ちっと迂回して行くか」
飛び石を進んでいると、ラタが小さな指を前へ向ける。
この階層は異様に広い。迂回する事は難しくないが、そのせいで時間も体力も魔力も食ってしまっている。
「全く、一筋縄じゃ行かねぇな。もう少し楽させて欲しいもんだぜ」
「本当本当。世界樹の性格の悪さが滲み出てるよね!」
「木に性格ねぇ」
言われてはたと思い出す。ユグドラシルはあれから口を挟んでこないが、一体どうしているんだろう。ラタの今の言葉にも文句を言って来ないのは、ちょっと不自然な気もするが。
「おっちゃん、あっちなら大丈夫そうだよ」
「よっしゃ、じゃあそっちに行くか。捕まってろよラタ」
「うん!」
とは言え今考えても仕方が無いか。まずはこの状況を抜け出そう。
俺はタンと足場を蹴って、次の足場に足をつける。進むのは進行方向から左に逸れた方向だ。
レッドドラゴンにだけは遭ってはいけない。奴らは空を飛べる上、動きも素早く撒くのに相当な難儀をするからだ。
ラーヴァドラゴンに遭遇した方がまだ楽と言うもの。とは言っても、そいつもどこから出てくるか分からない相手だ。俺は緊張感をもって一歩一歩渡っていく。
ごぼりと泡立つマグマの海。その泡はラーヴァドラゴンの予兆のようだ。
行き足が知らず早くなる。そんな俺を「心配性だなぁ」と背中のラタが笑っていた。
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『ゴアァァァァッ!!』
『キュァァァァッ!!』
七匹のフレイムドレイクが咆哮を上げる。押し合いへし合いで地面を揺らしてくるその姿は、まるで世界の終りのようにも見えた。
奴らは口から炎を漏らしながら、俺達を食い殺そうと駆けてくる。
「はぁぁぁぁあーッ!」
「こおぉぉぉぉぉっ!!」
だがこちらのメンツも負けず劣らず、激しい闘気を体から噴き出していた。
「”狂戦士の咆哮”ッ! うぉぉぉぉーッ!」
白いオーラを立ち上らせ、アレスが先陣を切って駆けて行く。
これに先頭のフレイムドレイクが牙を剥いて襲い掛かるが――
「おぉぉっ!!」
アレスは咆哮一閃、その首を戦斧で切り落とす。
ズンと地を揺らし首が落ちる。だがアレスはそれに構わず、フレイムドレイクの群れへと突っ込んで行く。
「ゴアァァァァッ!!」
「はぁぁぁぁぁあっ!」
フレイムドレイク達はそれに牙を剥き、尻尾をしならせ、爪を振り上げて次々に襲い掛かる。
しかし彼は巨大な戦斧を振り回し、敵の首を、尻尾を、腕を、周囲一帯を切り飛ばす。
狂ったように戦斧を振り回す姿はまさに狂戦士。彼は雄たけびを上げながら、六体のフレイムドレイクと大立ち回りを演じていた。
上級精技、”狂戦士の咆哮”。斧最大の武器である破壊力を大幅に跳ね上げる、斧技最大の技である。
斧技には他にも破壊力を増大させる技があるが、それは大体が一発限り。だが”狂戦士の咆哮”はその威力が精の限り持続するという、非常に殺意の高い技だった。
あの大きなフレイムドレイクが、アレスの一撃を受けて体を大きくのけ反らせている。もし相手が人間だったら、きっと放物線を描いて飛んで行った事だろう。
聞こえてくるのは敵の悲鳴ばかり。多勢に無勢のはずなのに、味方が弱い者いじめをして見えるのは気のせいか。
一匹のフレイムドレイクが大きく頭をもたげる。その口からは炎が激しく噴き出して見えた。
他のフレイムドレイク諸共ブレスで焼き尽くすつもりか。そう思うも、一人の人物が真っすぐに、そいつの頭へ飛んでいくのが見えた。
「”飛翔裂波”っ!!」
「ギャオォォッ!」
頭をもたげたフレイムドレイクの、下あごを思いきり蹴り飛ばすガザ。敵はそのまま上へ向け、炎を盛大に吐いていた。
「アレス殿! 一人占めはずるいぞ!」
「ならば実力で取り返してみろ!」
「へ……面白れぇ! やってやらぁっ!」
ガザはそのまま雄たけびを上げながら突っ込んで行く。言葉遣いが変わっているが、あっちが素なんだろうか。ちょくちょくあんな感じになるんだよなガザは。
「ありゃあ俺達が行っても邪魔になるだけだなぁ……」
「うむ。お前もここでフレイムドレイクの観察をしようじゃないか」
「援護に行けるように準備しろ、じゃねぇのか?」
武器を持ったデュポとオーリだったが、目の前で繰り広げられる様子に、早々に腕を下ろしていた。
バドも少し踏み出したところで足を止めている。俺もそれで正解だと思う。あれは下手に突っ込むと、こっちも巻き込まれかねないからな。
斧槍を好き放題振り回すアレスと、それに対抗するように飛び回るガザ。それを見ながら元気だねぇと、俺はその場にドカリとあぐらをかいた。
この階層に入ってから三時間と少し。心身の疲労もさることながら、俺の魔力に底が見え始め、一旦休憩を入れることになった。
休憩となると広い足場が必要だ。ならばフレイムドレイクを蹴散らそう。
そうして今の状況となるわけだが、あそこまではしゃがれると疲れている俺としては苦笑しか出ない。
次々に黒い煙に変わっていくフレイムドレイク達。その姿が無くなってしまうのに、それほど時間はかからなかった。
「あとどのくらいだ? ラタ」
「うーん……。半分以上は来てるはずだよ。あともう少しじゃないかなぁ」
大きな尻尾を揺らしながら、目の前に座るラタが言う。迂回ばかりしていたため今一分かりにくいんだろう。
「こっからどうする? 大将の魔力ももう無いんだろ?」
「今までからすると、限界までやって一時間持つかどうかってところだが」
目を向けて来たデュポに対して、例の謎果物をかじりつつ返す。とは言えそれは本当に限界までだ。
そこまでやるとまともに動けなくなるし、最悪魔力の欠乏で昏倒する。
「欠乏症状の影響を考えれば、精々あと三十分ってところだな。この休憩でどれだけ回復できるかだが……そう望めはしないだろうな」
そう伝えれば、皆がうーんと腕を組んだ。
「……僕がやります」
声を上げたのはステフだった。
「エイクさんの魔法陣があれば、僕も”飛翔の風翼”が使えますから。それに僕なら魔力が無くなって昏倒しても大丈夫ですし」
彼の言う通り、シャドウの中にいれば昏倒しても安全だ。良い提案だとは思うが問題がないわけでは無い。
俺はシャドウへ目を落とした。
「シャドウ、あと何枚ある?」
ぷるると揺れたシャドウは、黒い手をにゅうと伸ばしてくる。その手には六枚の羊皮紙。つまり詠唱無しで使えるのはあと六回ということだ。
時間があるときに作り貯めていたが、ここに来るまでに結構使ってしまったな。後でまた作り足そう。
もちろん、この世界樹から無事に脱出できた後の話になるけどな。
「俺も緊急時に持っておきたいから半々にしとこう。ステフ、頼んだ」
「任せて下さい」
シャドウから羊皮紙を渡され、ステフが受け取る。
「最後の魔法陣を使ったら、昏倒するまで魔法を切りませんから。エイクさんはそのまま気にせず行って下さい」
「おいおい、昏倒前提か?」
「この階層で僕がお役に立てるのは、このくらいしかなさそうですから」
申しわけなさそうにステフは笑う。だが魔力の欠乏症状は相当きつい。頭は痛いし視界は歪むし、自分が何をしてるか分からなくなるくらい意識が朦朧としてくるのだ。
ステフも覚悟の上だろうが、そんな普通ならあまりやりたくない事を、こうして平然と言えるのは高ランク冒険者だからだろうか。
「そうか。じゃあ、頼んだ」
だがそう言ってくれるのは正直助かる。
感心しつつそう返すと、
「代わりと言っては何ですけど」
とステフは僅かに身を乗り出した。
「絶対この階層を踏破して下さい。僕はまだ、しなきゃならない事がありますから」
そう言って彼はふっと笑う。これには俺も虚を突かれた。
彼はあんまりそう言う事を言うタイプでないと思っていたのだ。
とは言え彼の言う事に心当たりのある俺は、それを軽く笑い飛ばす。
「へっ……当然だろ。お前らには帝国を何とかしてもらわにゃならんからな。こんなつまらん場所で死んでもらっちゃ、俺だって困るんだよ」
「おいおいおっちゃん! つまらん場所って事はないだろ~!? 僕達の住んでる場所なんだけど!」
するとラタが頬を膨らませてしまい、俺達はそろって苦笑を漏らしたのだった。
その少し後、その場をラーヴァドラゴンに襲われ、俺達は出発する事を余儀なくされた。
皆が慌ててシャドウの中へ駆けこむ中、ステフは俺へ”飛翔の風翼”を使い、笑顔で影へ入っていった。
その後何度か休憩を挟んだが、ステフの魔力は尽き果てて、そして俺の魔力も休憩地点目前でほぼ尽きた。
最後には倒れる俺をガザが背負い、バドを護衛に二人で駆け。そして無事に第六階層を踏破する事に成功する。
それはこの階層に入ってから七時間程後の事だった。
残るは世界樹第七階層。この魔窟最奥となる、最後の一階層である。
そこにいるのは一体何か。朦朧とする意識の中、俺はそんな事を考えていた。