258.五階層踏破。その後は
「グオォォォォオオーッ!!」
「グアァァァァァアッ!!」
後ろから追いかけてくる四匹のドラゴン。奴らは牙を剥き、走り、または飛んで、俺達を殺そうと全力で追いかけてくる。
「うおぉぉぉぉぉーっ!!」
「ひいいいいいっ!!」
俺達も負けじと必死に走る。後先考える暇など無く、精はもう全開だ。
自分の持てる全ての力を振り絞り、目指す場所へと必死で逃げていた。
「あ! あった! あそこだよ!」
ラタがそう言って前を指差す。見れば休憩地点にしかない謎果実の木が数本、遠くにひょんひょんと生えている。
あそこまで走ればこの階層も終わりだ。だがドラゴン共は、そうはいかんと徐々に距離を詰めてくる。
このままでは辿り着くより先に奴らの腹に収まってしまう。俺は足元の相棒へ怒鳴り声を上げた。
「シャドウ! 頼む、アイツらを止めてくれッ!」
シャドウはにゅにゅっと影から手を二本出し、持った羊皮紙を俺に見せてくる。即座に魔力をシャドウへ送ると、彼はその魔力を羊皮紙へ流し込み、そしてぺぺっと地面に並べた。
「”岩盤の大盾”ッ!」
羊皮紙から二柱の巨大な岩盤がせり出していく。魔法陣から真っすぐに突き出た五メートル程の岩盤は、ドラゴンの行く手を阻むように立ち塞がった。
これなら少しは足止めになるかと、俺は走りながら後ろを見る。しかしドラゴン共は信じられない事に、そのスピードを緩めようともしなかった。
『グアオォォォォオオーッ!!』
並んで走る二匹のドラゴンは勢いそのままに体当たりをかます。連中渾身のぶちかましは、巨大な岩盤を実に呆気なく吹き飛ばしてしまった。
一瞬で破壊された二柱の岩盤。突っ込んだドラゴン達は行き足を鈍らせたものの、それはたったの数秒でしかなかった。
しかも空のドラゴン達にとっては何の影響もなく、こちらへと急降下してくる。
もう打つ手が無くなった俺は、今度は前へ怒鳴り声を上げた。
「頼む! バド、アレス! アイツらを足止めしてくれっ!」
「承知した!」
俺の声に、彼らは同時にこちらを向いた。見ればすでに体からは白いオーラが立ち上っている。
端からフォローするつもりだったようだ。頼りになるねぇ全くよ!
二人はくるりと振り返り、迫るドラゴン達を見据え、腰を落として構えを取る。
駆けていた惰性はすぐには止まらず、二人の靴が足場をがりがりと削った。
予定通りか偶然か、同じ体勢を取っていた二人。バドは壁盾をその右手に。アレスはハルバードをその右手に。
水平に武器を構えた二人はカッと目を見開くと、全く同時にその技を放った。
「”旋風盾”ッ!!」
彼らの手から放たれた盾と斧槍は、高速で回転しながらドラゴン目がけて飛んで行く。超重量の装備だと言うのに、速さは弓矢に勝るとも劣らない。
『ギャオオオオオオッ!!』
こちらに飛来していたドラゴン達もあまりの速さに避けきれず、胴体にぶち当たり苦悶の叫びをあげていた。
「ハァァァァー……ッ」
更に、そこに思わぬ人物も飛び出す。
ガザは胸を大きく膨らませ、両拳を腰だめに構えると、
「カァァァァァアーッ!!」
大きな咆哮をドラゴンに向かって上げたのだ。
その咆哮を受けたドラゴン達はたちまち空から墜落し、地面を駆けていたドラゴン達を押しつぶした。
「エイク殿……俺を忘れて貰っては困るぞ!」
「”暴圧の息吹”かっ! やるじゃねぇかガザ!」
振り返りニヤリと笑うガザ。俺は彼に親指を立てて返した。
”暴圧の息吹”は魔法を無効化する精技。空を飛ぶドラゴンへの効果は絶大で、四匹のドラゴンはもみくちゃの団子状態だ。
その隙にと俺達は最後の直線を走り抜け、休憩ポイントへ滑り込んだ。
「よっしゃーッ! 見たかトカゲ共! ざまあ見やがれってなもんだぁーッ!」
俺はやけくそのように後ろに向かって吠えた。
ドラゴン達はこちらをギョロリと見ていたが、少しすると渋々と言った様子でその場をゆっくり去って行く。
まるで「次はねぇぞ」と言ったような様子に、俺は荒い息を吐きながら、その場にしばし立ち尽くした。
最後の一匹が視界から消えて行くのを見送ると、俺はその場に倒れ込む。他の皆も俺と同じだったようで、後ろからドサドサと人が倒れる音がいくつも聞こえた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
自分の息がうるさい。ごつごつした地面も寝心地が悪く、普通なら頼まれても寝転びたくない場所だろう。
だが今は起き上がろうと言う気は全く起きない。永遠にこうしていたいような、そんな気すら俺は覚えていた。
「何とかここまで来たねぇ。皆、思ったよりやるじゃん!」
だがそんな俺の気持ちなど蹴り飛ばし、近づいてくる者がいる。
楽しそうな声を上げ、ちょこちょこ歩いてくるその姿。そいつは俺の顔を覗き込み、白い歯をニッと剥きだした。
「今は、返事、できねぇ、ぞ……」
「してるじゃん! って言うのは無し? あはは、まあゆっくり休んでよ。最下層までもう少し! 頑張れ頑張れー」
ラタは楽しそうにそう言うが、あまり嬉しいという気持ちは湧いてこなかった。
事前に聞いてはいたが、この世界樹の魔窟は七つの階層でできている。
俺達は今五階層を踏破した所。つまり、目指す最奥までもう二階層あると言う事だ。
今回、精や魔法をなるべく節約しつつ、俺達はここまで走ってきた。そのため肉体的な疲労はあるものの、生命力や魔力はそこまで消費していなかった。
だからもう一度この階層を走り抜けと言われれば、やりたいかどうかは別として、可能だと答える事はできる。
だが次の階層はと問われれば、何も答える事ができなかった。
下層は更に強力な怪物が現れるはずだ。こんな調子で次の階層を抜けられるんだろうかと、不安を覚えるのは当然だ。
俺はラタをじろりと見上げる。話があると察したのか、ラタはぽてんとその場に尻を突いた。
ここまで自分の脚で走ってきたラタ。だが彼には全く疲れた様子が全くない。
小さく身軽な事もあるのだろうが、その健脚が羨ましい。
「次の階層は、どんな場所だ?」
俺は一度大きく息を吸い込んでから、ラタに疑問を投げてみる。
「ああ、次の階層はね、逃げるだけならこの階層より楽だと思うよ」
すると答えはそんな軽いものだった。
「ここから下の階層にはヴォルケノバットとラーヴァヒッポがいないんだけど、代わりにラーヴァドラゴンが出てくるんだよ。マグマの中にいる、でっかいドラゴンがね」
ラタは想像したくもない事を嬉しそうに説明する。彼は大きく両手を広げているが、そんなミニサイズだったら可愛いもんだ。
恐らくレッドドラゴンと同サイズか、それよりももっと大きいのだろう。考えるだけで嫌になる。
「でもね、アイツは動きがノロいんだ。まともに相手をするんならレッドドラゴンよりずっと強いんだろうけど、逃げるだけならむしろ楽な相手だよ。マグマを浴びせてくるのに気を付ければいいだけだから」
巨体がマグマを浴びせてくるのかい。それ、滅茶苦茶厄介だと思うんだけど。
敵に前後を挟まれでもしたら最後、逃げ場のない所にマグマの大波。
防ぎようのない状況を想像をしてしまい、俺は頭を軽く振った。
「やれやれ……。やっぱ、下も厳しくなりそうだな……」
「大丈夫だって! 心配性だなぁおじさんは」
諦めたように言う俺を、ラタが可笑しそうに笑っている。だがどうしてこれが笑えようか。
この話を聞いていただろう他の仲間達からも、当然笑い声など上がらなかった。
周囲から感じられるのは、俺同様に諦めたような感情が多い。あのオーリも今は楽しさを感じていないようだ。
自分の身に立て続けに危機が迫れば、流石に能天気な事も言っていられんか。多少まともになったようで何よりだ。何の希望にもならんけどな。
もし希望があるならば、オーリでなくてこっちだろう。俺は上半身を起き上がらせて、その三人に視線を向ける。
アレス、バド、ガザ。この三人から感じられるのは、前に進む事に対するネガティブな気持ちではない。下の階層を抜けて来た時と同じような、起伏の少ない落ち着いた感情だった。
つまりこの三人にとっては、この階層も疲れはしたが、特別な危機感を抱くほどではないというわけだ。主力にまだ余裕があるのなら、下の階層も何とか行けると思えてくる。
場合によってはこの三人以外をシャドウに入れればいいからな。俺がちらりと横を見ると、大の字のオーリとデュポ、ステフが無様に転がっていた。
ま、今は俺も気分が高ぶっている。これではいい案も浮かばないだろうし、今は何も考えず休む事にしよう。
どうせ下層に挑むとしても、それは今日ではないからな。
俺はシャドウから例の果物を取り出して、皆に声を掛けて放り投げる。がぶりと齧り付いたそれは、俺の乾いた喉を瞬く間に潤してくれた。
初めは毒でもあるかと思っていた実が、今じゃもう奇跡の果実だ。もし世界樹の外にもあったなら、かなりの値段がつきそうだ。
果実をかじりながら、半分起こした体をまた地面に投げ出す。周囲から聞こえるのは、ボコボコとマグマが泡立つ音と荒い吐息ばかりだ。
だがそれに混じって高い声も聞こえてくる。そういや気にする間もなかったが、向こうは今どうなんだろう。
俺はもう一度むしゃりと果実にかじりつき、味わうように咀嚼しながらその目を閉じた。
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「うおぉぉぉぉっ!」
素早い動きで襲い来る巨鳥に、ティナは苦戦を強いられていた。
鋼すら貫きそうな鋭い嘴を突き出し、次々と攻撃を繰り出してくる怪鳥、フォレストランナー。その翼は小さく空を飛ぶ事こそできないが、代わりに長い足はしなやかで強靭だった。
黄色の嘴に緑の羽毛というフォレストランナーは、まるでダンスでも踊るように激しくステップを踏みながら、素早い動きで翻弄して来る。
振るう剣と嘴の打ち合いはほぼ互角。互いに繰り出す攻撃が、絶え間なく激しい火花を上げていた。
気を抜けば剣を取り落としてしまいそうな一撃だ。ティナは歯を食いしばり、剣を振るい攻撃を捌く。
額を流れる汗が鼻の横を滑り落ちていく。だがそんな事を気にしている余裕は全く無かった。
一瞬の気の緩みが死へとつながる攻防に、ティナは瞬きすら忘れ相手を見る。しかし頻繁に立ち位置を変える相手に隙は見当たらない。
巨体に似合わず素早すぎる敵に、彼女の心臓は痛いほど弾んでいた。
「はぁあっ!」
突き出された嘴をすくい上げるようにかち上げる。すると僅かにフォレストランナーの長い首が上へ弾かれた。
好機と見てティナは低い姿勢で間合いを詰める。狙いはその長い足。
彼らの機動力の源となるそれを奪えたなら、勝利はほぼ確実になるはずだった。
現に今までもそうして、ティナはフォレストランナーを倒してきた。
足を切られるとフォレストランナーは立っていられない。ごろりと地面に転がった敵は、無力化出来たも同然だった。
後ろで結んだ黒髪をなびかせ、ティナは相手へ突っ込んで行く。
だがそんな彼女の目にあるものが飛び込んで来る。それは大きな足の裏だった。
相手の蹴りに咄嗟に反応し、ティナは剣の腹で受ける。しかし真正面から強力な蹴りを食らったティナは、大きく後方へ弾き飛ばされてしまうことになった。
「チィ! この程度――!」
飛ばされながらも、彼女は体勢を立て直そうとする。
しかし突然、頭上から妙に野太い声がした。
「うおらあああああっ!」
未だに頭に張り付いているヴィゾーが、ばたばたと羽ばたき勢いを殺していく。
すとんと地面に足をつけたティナに、彼は得意そうに声を掛けた。
「ふっ……大丈夫ですかお嬢さん。あれは足癖が悪いですから、ご注意を」
「あ、ああ……。助かった」
「いえいえ礼には及びません。貴方のような麗しい女性に傷などつけてはニワトリの名折れですからね」
こっこっこと鳴きながら話すニワトリの声には妙に艶がある。先ほどの野太い声は一体どこへ行ったのだと、ティナの顔には何とも言えない表情が浮かんでいた。
「あははは! そら、そら、そらぁ!」
ガキンガキンと激しい剣戟の音が聞こえてくる。ティナの目には、自分が戦っていた鳥が小さな少女へと標的を変え、襲い掛かっているのが見えていた。
だがティナは焦らない。その様子を観察するように、じっとそれを見つめていた。
繰り出されるフォレストランナーの嘴に対して、ホシはメイスを左右に叩きつけている。
衝撃で鳥の首がぶんぶんと左右に大きく振れており、そのため敵の攻撃も、次に移るまでの時間が僅かに長くなっていた。
敵の攻撃を受け流すようにしていた自分は、敵の連続攻撃に苦戦していた。だがあれなら少しは余裕ができる。
ティナはホシの戦い方に、素直に感心していた。
(なるほど。ああして隙を生み出しつつ、敵の体力も削っているのだな。上手いものだ)
初めはただの少女だと思っていた。しかし実際に戦う姿を見て、ティナは早々にその考えを捨てていた。
ティナはランクBまで己の腕っぷし一つでたどり着いた戦士だ。理解できない事態にも適応する能力は高い。
目の前の少女が笑いながら敵を倒していく光景にも、もはや疑問を持っていなかった。
「そーれっ!」
ホシはメイスを振り上げて、真っすぐに突き出された嘴に振り下ろす。ベキリと折れた嘴が宙を舞う。勝負あったなと、ティナはそこへ駆け寄った。
己の武器を失った大きな鳥へ、無慈悲にメイスを叩き込むホシ。彼女は嬉しそうにニッと笑うと、空の敵と戦っている仲間へとブイサインを送った。
「いえーい!」
「やりますわね! わたくしも負けていられませんわ!」
スティアはそうホシを褒めるが、彼女もまた信じられない事をしている。ティナは上を見上げ、その実力に見入り、そして同時に呆れてもいた。
上空はこの階層に来てからずっと、バチバチと微かな音を立てていた。際限なく空から襲い来る鳥に対して、スティアが”黄雷の波濤”を放っているのだ。
その範囲は非常に広く、近づいた敵は漏れなく魔法を食らうという寸法だ。
空を飛ぶ敵が麻痺すれば、当然飛んではいられない。次々に落ちてくる敵は、地面に落ちる前に何とか魔法を振り切り空へ飛ぼうとするものの、その前にスティアやコルツに倒されていた。
魔法を維持しながら戦う人間など見たことがない。たったの一人で空の怪物を相手取る姿に、まるでワンマンアーミーだとティナは舌を巻いていた。
なお、この第五階層上層にいるグリーンドラゴンにだけは”黄雷の波濤”もあまり効果がなく、簡単に突破されている。
今も上空から現れたドラゴンは、バチバチと音を立てる雷光を気にもせず、こちらへ真っすぐに飛んで来ていた。
だが――
「マリアさん。ドラゴンが来たのでお願いしますね」
突破できるからと言って、それが脅威となるかと言えば別であった。
「また来やがったのか。これで何匹目だ? 面倒くせぇなあ……」
マリアは空のドラゴンへ杖を向けると、
「俺に仕事させるんじゃねぇ。落ちろデカブツ!」
と詠唱もせずに魔法を発動する。
彼女の周りに拳大の光の玉が無数に浮かび、ふよふよと漂う。そんな光の玉は主に「行け!」と命令された途端、矢のような速さでドラゴンへと飛んでいった。
「ギャオォォォォーッ!!」
無数の光の矢は次々にドラゴンの体を貫いていく。あっという間にドラゴンは蜂の巣にされ、黒い霧となって消えてしまった。
それを呆然と見ているティナ。彼女の耳には能天気な会話が届いていた。
「あの、マリア殿。今度はちょっとあのドラゴンと戦わせてもらえませんか? 一度戦ってみたかったのです」
「あ? ああ、別にいいぜ。その方が俺も楽だしな」
「よしっ」
どうもコルツがドラゴンと戦いたいらしい。マリアの許可を得て、コルツは小さく拳を握った。
「あ、わたくしも魔法ばかり使うのに飽きて来ましたので、少し体を動かしたいですわ。ご一緒しても?」
「あたしもあのでっかい奴と戦ってみたい!」
するとスティアとホシも戦いたいと、楽しそうに声を上げていた。
それを見て思う。自分はまだまだ井の中の蛙であったと。
「はぁ……世界は、広い。皇帝を唸らせるような名声を得るのは、まだまだ先になりそうだ……」
「お嬢さんも十分強いと私は思いますがね」
「あんなものを見せられて尚、自分も強いと言えるような傲慢さは、私は持ち合わせていないよ」
ドラゴンと戦うなど正気とは思えない沙汰である。
ドラゴンを殺したとなれば冒険者ギルドも黙っていない。二つ名を与えられた上、ランクもA以上をつけられるだろう。
ドラゴンは人知を超える強大な生物であると同時に、英雄譚で度々現れる、英雄が打ち倒す敵である。
だからこそドラゴンスレイヤーに憧れる冒険者は多い。だが、実際にやろうと思う者が一体どれだけいるだろうか。
それは命と引き換えの行為であり、だからこそ討伐を果たした時、何物にも代えがたい栄誉を得られるのだ。
それがどうだ。まるで遊びにでも行くように言う彼らは一体何なのだろう。
ティナは一度ため息を吐いてから、キッと前を向き歩いて行く。
「そのドラゴン討伐、私も参加させて貰いたいっ!」
対峙した時を想像すれば震えてしまいそうだ。しかしこんな状況を目の前にして、自分一人だけ隠れているという状況に我慢できるティナでは無かった。
幸いマンドレイクの効果で、この階層の敵とも互角に戦えている。ならドラゴン相手でも足手まといにはならないだろうと、彼女はそう思っていた。
仲間達の輪に混じるティナ。彼らも拒むことなくティナを迎え入れ、次のドラゴンは皆で相手をしようと話が進んで行く。
「グオォォォォォーッ!!」
そうして少し経って、実際にドラゴンが自分達の目の前に立った時。
やっぱり止めておけば良かったと、ティナは震える足で後悔をした。