257.第五階層を走り抜け②
誤字報告下さった方、ありがとうございます。
「グオォォォォオオーッ!!」
ドラゴンが右腕を振り上げる。その腕の先には鋼も易々切り裂くような、四つの爪が並んでいた。
人間など簡単に輪切りにできそうな輝きを放つかぎ爪。あんなものを馬鹿正直に受けていたら、命がいくつあっても足りやしない。
「来るぞ! かわせーっ!」
俺達は一斉に地面を蹴り、その場を急いで離脱する。
だがそれに反して一つだけ、動かない影がその場に残った。
「う――おおぉぉぉぉぉっ!」
一人逃げないアレスに対し、ドラゴンが腕を振り下ろす。四つの爪が鈍い輝きを放ちつつ、彼へと襲い掛かっていく。
これにアレスは怒号のような声を上げながら、斧槍を振り回すように一閃した。
「おぉぉぉぉっ!!」
「ギャオォォォッ!」
金属同士がぶつかり合ったような音が鳴り響く。だが膂力の差など明白だった。
アレスは弾かれたようにその場を吹き飛ばされ宙を舞う。
「アレス!」
「おおおおおおっ!!」
しかし彼は上手くバランスを取り、ズンと足を地面につける。そして溶岩を足底で削りながら、勢いを殺しつつ俺達がいる場所へと戻って来た。
「むぅ、流石に強い」
「流石に強い――じゃねぇよ! 無茶すんなっ!」
「問題ない。軽く奴の攻撃を受け流しただけだ」
「どう見ても攻撃してただろうがっ!」
問題だらけだよ馬鹿野郎! そういう事するんなら、やる前に一言言っておけよ! 肝が冷えたわ!
いきなりドラゴンと力比べしてんじゃねぇよ! もうやだ怖いこの人!
俺は目の前の馬鹿へ信じられんと怒鳴り声を上げる。だが信じられないと思ったのは、俺ばかりでは無かったらしい。
「グルルル……」
ピンピンしているアレスを警戒してか、ドラゴンは低い唸り声を上げてこちらを睨め付けていた。
驚いたろうな奴さん。俺もだよ。気が合うじゃねぇかクソッタレっ。
気付けば空から火の粉が降っている。ヴォルケノバットが上に集まり始めたようだ。
うざったいものの、しかしそれを気にしている余裕は全く無い。
僅かでも隙を見せれば食い殺してやる。そんな事を思わせる鋭い眼光のドラゴンが、目の前に仁王立ちしているのだから。
「……どうするエイク殿。あの攻撃を何度も受けるのは難しいぞ」
「そもそも受けられねぇよあんなもん!」
チラリと横目を向けたガザに、俺は小さく舌を打つ。
「おい、こいつにもう一回ブレスを吐かせるぞ! そしたら何とかする!」
「マジか!? ガッテンだ大将!」
だが何も手がないわけじゃない。
状況次第であるものの、どうにかなる手段が俺にはあった。
「ステフ! いいか、よく聞け!」
「は、はい!」
だが俺一人だけじゃ手が足りない。ステフに一枚の羊皮紙を押し付けると、俺は手順を手短に説明する。
「頼んだぞ。何、お前一人に押し付けるつもりはねぇ。俺達はあいつの気を引き付ける。お前がその隙をつく。役割を分担しようってんだ」
「……分かりました。何とか、やってみます!」
ステフが青い顔をしながらも頷いた、その瞬間だった。
「グオォォォォオオーッ!!」
ドラゴンが咆哮をあげながら、再び腕を振り上げる。反射的に俺達は地面を蹴り飛ばしていた。
奴の腕が溶岩を木片のようにバキバキと砕く。俺達が今までいた場所はぼこりと窪み、四本の深い傷跡も刻まれていた。
散開した俺達を、ドラゴンは顔を動かし追いかける。だがすぐにその動きがピタリと止まり、奴はぐるると低い唸り声を上げた。
その視線の先にいたのはアレスだった。
アレスは俺達から少し距離を取った場所で、ハルバードを構えて立っていた。どうやら奴はアレスに狙いをつけたらしい。
思えば、ブレスを防いだのも最初の攻撃を受けたのもアレスだ。奴の敵意が一番に向くのも当然の事だった。
だがそこで俺ははたと気付く。もしかしたらアレスは、初めから自分がドラゴンの相手を引き受ける気だったのかもしれない。
あの野郎、格好付けやがって……!
そう思うも、この状況にオーリがすぐさま大声を上げた。
「デュポ、奴の注意を引きつけろ! 意識をなるべく広げさせるんだ!」
「よっしゃ、任せろ!」
「大将も頼む! アレス殿だけに注意を向けさせたら駄目だっ! ブレスは広範囲の攻撃! 奴の狙いを広く取らせないと、たぶん吐かないぞ!」
「分かった!」
確かにこの近距離で、かつ敵をアレスだけだと思っているなら、隙の大きいブレスを吐く意味など殆どない。
ドラゴンがそこまで考えるのか知らないが、理屈はすぐに理解できた。
ならば行動あるのみだった。
「風の精霊シルフよ――!」
俺はすぐに詠唱を始める。デュポも矢筒から矢を取り出し、ドラゴン目がけて引き絞った。
俺達は隠れもせず、ドラゴンを睨みつけている。しかし敵意を向けられるドラゴンはと言えば、こちらを見向きもしなかった。
俺達の事なんて気にするまでも無いってか。だがな、これを食らってもそう言っていられるかな!
「”疾風の刃”!」
「食らいやがれ! ”練精矢”!」
俺とデュポの攻撃がドラゴンの横顔へと飛んでいく。渦巻く風の刃とオーラをまとう一本の矢は、そのままドラゴンの横顔に突き刺さった。
「な――!?」
「うっそだろ……!?」
だが、魔法は力なく離散して、矢もカキンと弾き飛ばされる。敵はこちらをギョロリと見ただけで、大した反応を見せなかった。
少しくらい効果はあるだろうと思っていたが、まさかここまで硬いとは。俺とデュポは思わず無言になってしまう。
ドラゴンはそんな俺達をつまらなそうに見ていたが、興味を失ったのだろう、すぐにまたアレスへ目を向けた。
下級とはいえ、魔法も精技も効かないとは。唖然としてしまったものの、とは言え指をくわえて見ている時間も惜しい。
「風の精霊シルフよ!」
俺はすぐに次の詠唱に入る。
だがその時、そこに思わぬ物が飛んで来て、俺の詠唱はピタリと止まった。
「食らえ、このドラゴンめ!」
飛んで行った一つの石が、奴の頬にコツンとぶつかったのだ。
そんなものでは当然ダメージなど期待できない。だが石は幾度もドラゴンへと投げつけられ、奴の顔の上で何度も跳ねた。
「大将、デュポ、手を休めるな! 奴に手傷を負わせなくてもいい! 邪魔臭いと思わせられれば、それでいいんだ!」
懸命に石を投げつけていたのはオーリだった。俺とデュポは顔を見合わせる。
確かに、魔法でも精技でも効果がないのなら、石でも結果は変わらない。
足元の砕けた溶岩を拾ったのはどっちが先だったか。
「おらぁ! このトカゲ野郎! こっち向きやがれ阿呆が!」
「俺達が相手してやるぜ! かかって来い! バーカバーカ!」
「いいぞ! その調子で相手をおちょくるんだ! 奴のプライドを刺激しろ!」
「な、なんか、急に戦いが低レベルになった気がするんですけど……」
俺達は力いっぱい砕けた溶岩を投げつける。ついでに挑発するのも忘れない。
ステフが何か言ってるがそんなのは知らん。目的が達成できればそんなもんはどうでも良いのだ。
奴を煽りながら、その顔目がけて石を次々と放り投げる。するとアレスに向いていた視線がギョロリとこちらに向いた。
気のせいでなければ低い唸り声も聞こえてくる。
「風の精霊シルフよ、我が呼び声に応じ、一陣の疾風を巻き起こし賜え! ”疾風の刃”!」
ダメ押しとばかりに再度風の刃を放つ。それはドラゴンの瞼にビシリと当たり、先ほどと同じようにふわりと消えた。
ダメージはやはり何もない。だが挑発の効果はちゃんとあったようだ。
「グアオォォォォオオーッ!!」
ドラゴンは顔をこちらへ向けると、大きな咆哮を一つ上げる。そして体もこちらへ向けたかと思えば、地面を揺らしながらこちらに襲い掛かってきた。
「よし来たっ! 逃げろーっ!」
持っていた石を放り投げ、俺達はぱっと逃げ出した。奴は噛み砕こうと大口を開け、その首をぐんと伸ばしてくる。
「うぉおおっ!?」
「あ、あぶねーッ!」
ガチンと閉じられた牙を何とか避けて、デュポとオーリは俺とは別の方向へ逃げて行った。
次にドラゴンはギョロリと左を向く。そこにいたのはステフだった。
ステフはびくりと硬直した後、盾を前にして構えを取る。普通ならいい反応だと褒めるところだが、しかしこれに俺は大声を上げた。
「ステフ構えるな! 逃げろーッ!」
彼は戦士だ。だから盾を構えて前に立つのは、彼の普段の行動だろう。
だから無意識に彼はその構えを取った。しかし相手はその普通の範疇から外れた相手だった。
そんな小さな盾で防げるような軽い攻撃など、してくれるはずが無かったのだ。
「グオォォォォーッ!!」
ドラゴンは牙を剥いて彼に襲い掛かる。ステフは恐怖でか足が動いていない。
咄嗟に俺は足元に魔力を送る。魔力の供給を受けたシャドウはビクリと震え、そしてぐんと前方へ伸びて行った。
「え!? うわ――」
ステフの足元にまで伸びたシャドウは、すぐにステフを影の中に引っ張り込む。
そこへドラゴンの口がガキンと閉じる。まさに間一髪だった。
いつもは目で追える程度の速度しか出ないシャドウだが、魔力を送りさえすれば、実はかなり早く動く事ができる。
だが燃費が悪すぎる上使える場面も限定的で、俺は殆ど使わない無い手段だった。
今もあの一瞬で中級魔法を一発使う程消費してしまった。とは言え命には代えられない。
魔力の供給を切られたシャドウが、こちらへにゅるると戻ってくる。俺はそれを見ながら声をかけた。
「ステフ無事か!?」
《はぁ、はぁ、はぁ……! す、すみません!》
「いい! どうせ中に入ってもらう予定だったんだ、今はそこにいろ!」
《は、はい……!》
ステフは可哀想なくらい焦っていた。あの瞬間、頭は真っ白だったはずだ。
だがそんなもん仕方が無いだろう。こんな化け物を相手しろなんて、分かっていても震えちまう。
俺だって今すぐ逃げ出したいくらいだ。元山賊が師団長になったってだけでも与太話なのに、その上ドラゴン相手に戦ったなんて誰も信じねぇよクソッ!
「うおぉぉぉぉーッ!! ”練精鎚”ッ!」
「ギャオォォォッ!!」
背中を向けたドラゴンの尻尾へ、アレスが白く輝くハルバードを叩きつける。俺の魔法でも傷一つ付かなかった鱗が、その一撃で弾け飛んだ。
下級精技だってのになんちゅう威力だよ。どんな力してんだアイツはよ。
堪らず声を上げたドラゴンは、くるりと後ろを振り向いた。だがな、そうはいかんぜトカゲ野郎!
「シャドウ! 刀を!」
足元からポンと出て来た一つの太刀。俺はそれを受け取ると、鞘から抜いてぬるりと精を流し込む。
輝き始めた太刀を握りしめ、背を向けたドラゴンへと地を蹴り飛ばす。
”背後への奇襲”は山賊の必須技能よ! 覚えときなトカゲ野郎!
「うぉらぁぁぁっ! ”練精剣”ッ!」
太刀を大きく振りかぶり、アレスがつけた傷口目がけて振り下ろす。するとまるで鋼でも切ったような感触が手に伝わって来た。
だが、確かな手ごたえがあった。
それを証明するように、黒い霧が傷口から勢いよく噴き出した。
「ギャオォォォーッ!!」
「うおっとぉ!」
激しく振った尻尾に弾かれ、俺は後方へ飛ばされる。バランスを取って着地すると、そこにデュポとオーリも駆けてくる。
「やるやる! 流石大将!」
「俺はもう帰って酒でも飲みてぇよ!」
「ハハハ! 流石にこの状況では俺も同感だ!」
馬鹿みたいな話をする俺達へ、奴は長い首をぐりんと回す。顔には憎々し気な表情がありありと浮かび、鋭い眼光を向けてくる。
ずいぶん頭に来ているみたいだな。俺はヘッと馬鹿にするように笑う。
「どうしたトカゲ野郎。火吹き男みてぇによぉ、自慢のブレスでもボーボー吹いて、俺達に見せてみろや!」
悪態をつきながら、俺は降る火の粉を手の平に乗せ、フッと吹き飛ばした。
それは何気無くした行動だった。だが意外な事に、ドラゴン相手にも意味が通じたらしい。
「グァル……! グオアァァァァァアッ!!」
奴は怒りの咆哮をすると大きく息を吸い込んで、胸をぱんぱんに膨らませたのだ。
ドラゴンって意外と頭が良いんだな。そんな事を思いつつも、俺はその好機に相棒へトントンと合図を送った。
「カァァァアッ!!」
ドラゴンはこちらに大口を開け、そこからブレスを吐き出した。
先ほど俺達全員を覆った激しい獄炎。それがこんなにも近距離で吐き出されたのだ。こんなにのんびりとしていたら、普通は肉も残さず骨だったろう。
だがのんびりしているのには当然、明確な理由が俺にはあった。
「シャドウ、頼んだ!」
俺の声を合図にシャドウが地面から伸びあがり、ドラゴンの前に立ちはだかるように現れる。
丁度ドラゴンの口と同じくらいの大きさに広がったシャドウ。彼はブレスの大半を影の中へと吸い込んでしまった。
一回目のような広範囲に拡散したブレスでは、シャドウ一人で防ぐのは無理だ。
だが近距離で放たれたブレスなら範囲は狭い。なら影に放り込んじまえば良いと言うわけだ。
「おお! すげぇ!」
「やるな! ブレスも影に入れる事ができるのかっ!」
オーリとデュポがやんやと騒ぐ。なら最後に仕上げと行きますか。
「ステフ、今だ!」
「はいっ!」
今ほどシャドウの中からドラゴンの足元へと現れたステフ。彼は大きな返事をして、一つの魔法陣をドラゴンへ向けた。
「”飛翔の風翼”!!」
彼がそう唱えると、ドラゴンの体が僅かに揺らいだ。
あの巨大さだ、流石に目に見えて浮き上がるとはいかないが、しかし数ミリでも浮き上がったんならもうこっちのもんよ!
「アレス、仕上げを頼む!」
「フ……承知ッ!」
彼はハルバードを思いきり振りかぶると、
「うおぉぉぉぉぉぉーっ!! ”練精鎚”ッ!!」
それを横薙ぎに、思いきりドラゴンに叩きつけた。
「ギャオォォォー……!」
ドラゴンはまるで氷の上を滑るように水平に吹き飛んでいき、マグマの上を越え、そのまま視界から消えて行く。
最後には岩盤の壁にドカンとぶち当たり、マグマへ落下。そのままもがきながら、灼熱の海に沈んで行った。
以前スティアから聞いたが、ああいったデカブツは自前の翼でなく、魔法で空を飛んでいるらしい。
ようするに、一旦着地すると飛ぶのに時間がかかると言うわけだ。俺達の前に降り立ったのが運の尽きよ。ざまぁ見やがれってなもんだ!
「今のうちにさっさと行くぞ! どうせあの程度じゃ、まだ死んでないだろうからな!」
とは言え倒したわけでは無い。ならば三十六計逃げるに如かず。
言うが早いか走り出す。ドラゴンが消えて行った方向を見ていた皆も、はっと気づいてその場を駆け出した。
ドラゴンがいなくなり視界が開け、前方の様子がよく見える。見ればバドとガザはまだ鹿と戦闘を続けていた。
目を合わせると幻惑される、厄介な牡鹿ドヴァリン。奴は目にも止まらぬ早さでバドを翻弄しようとしていたが、対して彼は足をその場に止め、徹底防御の構えを取っていた。
厄介な目線もその巨大な壁盾を上手く使い、完全に封じている。こうなると完全に千日手だった。
焦れたのか、ドヴァリンが突っ込んで来る。だが奴が壁盾に角を叩きつけた瞬間、盾の影から現れたのはガザだった。
彼は地を這うような体勢で一気にドヴァリンに近づくと、
「”双爪連斬”ッ!」
オーラをまとわせた右手を振るい、鹿を三枚に切り飛ばしてしまった。
体術の中級精技、”双爪連斬”。オーラを刃のように伸ばして敵を斬る、体術にしては珍しい、斬る事に特化した技である。
伸びるオーラは効果範囲も広く、奇襲にはうってつけの技でもある。それを上手く使い、避ける間もなく鹿を仕留めたわけだ。
流石、狂爪のガザなどと呼ばれただけの事はある。
ちなみに効率の都合から大体刃は二枚であることが多いが、威力や効果範囲を落とせば三枚や四枚も可能だ。
それでも名前は”双爪連斬”だが、そこは突っ込んではいけない点である。名前を付けた人間はもう故人だろうしな。
ドヴァリンは黒い霧となって消えていく。奇しくもタイミングは丁度良かった。
「バド、ガザ! ここからずらかるぞ!」
二人はちらと視線を合わせると、すぐにその場を駆け出した。もうこの階層、ずっとこうだもんな。話が早くて結構だ。
俺達は一目散にその場を去っていく。ドヴァリンの魔石などそのまま放置だ。
「あははは! あのドラゴン、すいーって飛んでったな! あんなの初めて見た!」
バドの背中に引っ付いたラタはケラケラと笑っている。楽しそうで何よりだが、そんな笑い声に混じって、遠くでレッドドラゴンらしき咆哮が響いているのは気のせいでは無いだろう。
空にはまだヴォルケノバットがバタバタと羽ばたき、火の粉がぱらぱらと降っている。俺達は厄介事から逃げるように、次の階層目指して疾走した。
全く、あとどれくらいこんな目に遭わなければいけないんだろう。早くこんな事は済ませて、この話を肴に酒でも飲みたいもんだ。
荒い息を吐きながらそんな事を思う。だがそんな可愛い現実逃避は、後ろから微かに聞こえるドラゴンの咆哮に、ぱっと霧散してしまったのだった。