256.第五階層を走り抜け①
「うわぁぁぁぁーっ!」
「はーっはっはっは!」
フレイムドレイクが地面を揺らして追いかけてくる。振り切ろうと走る俺達だが、奴は巨体のわりになかなか素早く、その距離はあまり開いていない。
ステフが悲鳴のような声を上げて、必死に腕を振り走っている。対して俺は相手を挑発するように、大きな笑い声をあげてやった。
「キュァァァァーッ!!」
それが癪に障ったのか、相手は甲高い咆哮を上げる。口から僅かに炎を噴き出しながら、俺達を猛然と追って来る。
奴の頭上には、同じく俺達を追うヴォルケノバットの群れがいる。奴らは大量の火の粉をフレイムドレイクへまき散らしているが、しかし下のトカゲ野郎は気にする素振りも無い。
いや、むしろそれが奴を後押ししているのか、背中の炎が一等激しく噴き上げていた。
「大将、前方に飛び石だ!」
「隊列を崩さずそのまま行け!」
前の階層では一本道だった溶岩の足場。だがこの階層では飛び石になっている場所がそこそこあり、マグマの海に浮かぶ溶岩を足場にしなければならない事も多かった。
先頭を走るデュポが地面を蹴り、前の飛び石に足をつける。彼はリズミカルにポンポンと跳び、マグマの海を越えて行く。
「はっ!」
「おらっ!」
仲間達も彼に続いて跳んで行く。飛ぶ順番は決めてあるためスムーズに進んで行くものの、やはりそこで足が止まり、詰まってしまう。
最後に残った俺とバド。この機を逃さんと、フレイムドレイクが更に速度を上げて来た。
「バド、先に行け!」
だがそれは想定済みの事。
「これでも食らいやがれデカブツ!」
俺は右手の丸い物―― リリちゃんのランダム魔法炸裂弾を、フレイムドレイクの顔面向けて放り投げた。
「グォォッ!」
それは奴の目の前で炸裂し、石のつぶてを撒き散らす。
反射的にか、相手は僅かに顔を横に向ける。しかし固い鱗に阻まれて、つぶては奴の表皮で乾いた音を立てだけに終わってしまった。
何のことは無いと思ったのか、奴はそれが何だとでも言うように、その太い右前足を大きく前へ踏み出す。
これに俺はニヤリと口角を上げた。
「やれシャドウ!」
そこに伸びていたのは俺の相棒。シャドウを思いきり踏み込んだフレイムドレイクは、そこにあるはずの足場が無い事態に、大きくバランスを崩していた。
「グオォォォーッ!?」
そればかりか奴はそのまま横転し、マグマの海へ突っ込んで行く。俺はそれを指差してゲラゲラと笑ってやった。
「はははは! 馬鹿が、すっ転びやがった! いい気味だぜ! ――あばよっ!」
一瞬でも目を離したのが運の尽きだったなぁ! ざまあ見ろってなもんだ。
俺はぽんと飛び石へ跳び、対岸で待つ仲間達のもとへ急ぐ。
しかしなんと間が悪い事か。今度は視線の先に一匹の怪物の影が映り、俺は思わず大声を上げた。
「おいっ、こっち見てる場合じゃねぇぞっ! 後ろだーっ!」
ここは世界樹、第五階層。大苦戦をした第四階層から更に脅威を増した階層で、俺達は逃げの一手を取っていた。
第四階層にも出て来た三匹の怪物。これらは第五階層でも引き続き姿を見せており、俺達の行く手を阻んできた。
だがラーヴァヒッポは動きがノロく、飛ばす溶岩弾こそ厄介だが、走って撒くのは簡単だ。
ヴォルケノバットは動きは速いが、上空から火の粉を撒き散らす事しかしない、嫌がらせのみの敵である。
こいつらは一々倒すよりも逃げた方が消耗が少ないばかりか、その方が安全であるくらいだった。
そして第四階層で一番てこずらされたフレイムドレイクだが。
こちらも動きはそこまで早くなく、精で体を活性化させずとも、走って置き去りにするくらいはできる相手だった。
むろん目の前に立ちはだかれた場合、デカい奴の横をどうやって抜けるかという問題はある。
しかし走りながらのブレス攻撃はできないらしく、一旦撒く態勢に入ったなら、後は置き去りにすることも十分可能なものだった。
ラタの言った、階層を走り抜けると言う無茶苦茶理論は、俺達にも不可能じゃなかったわけだ。
だが言うだけならともかく、事はそう簡単では無かった。
まず一つ。
フレイムドレイクは非常に執念深く、いつまで経っても追ってくる怪物だった。
そのせいで挟撃に遭う羽目になる事が何度かあり、そして今もまたそんな状況に追い込まれる事になってしまったのだ。
そして二つ。
この階層で新たに遭う事になった相手の機動力が、これら三匹よりも優れていたという事だ。
「レッドドラゴンか……っ! またこんな時に!」
前には空を飛ぶ巨大なドラゴン。第五階層はかなり開放感のある広い洞窟で、天井もかなり高く、三十メートルくらいはある場所だった。
最初はなぜかと思ったが、その理由はきっとあいつだろう。
前方上空に羽ばたく深紅のドラゴン。奴はこちらを睥睨しながら、真っすぐ俺達に近づいていた。
「またか! くそ、バド殿、アレス殿、頼むっ!」
ガザが声を上げると、バドとアレスが前に出た。
後ろからはヴォルケノバットの大群が迫っている。更に、マグマに落ちたはずのフレイムドレイクも、体から黒い煙をあげつつも足場に上がり、ギロリとこちらに顔を向けていた。
飛び石のマグマ地帯である事もあって後退できる状況では無く、俺達はその場で迎撃の体制とらざるを得ない。
俺はそんな仲間達のもとへ、最後の飛び石からジャンプして合流する。
「何とかレッドドラゴンをやり過ごすぞ! ここで後ろまで相手にしてる余裕はねぇ!」
「その通りだ。アレを見ろ」
アレスは斧槍を前に構えながらそう口にする。見ればレッドドラゴンの真下に、一匹の怪物の姿があった。
「げっ! こんな状況であいつかよっ!」
それは二メートルほどの牡鹿だった。今は距離が離れ小さくしか見えないが、牡鹿は顔をこちらに向けて、静かにその場に立っていた。
あまり強そうに見えないその姿。だがこの階層で一番厄介なのは、フレイムドレイクでもレッドドラゴンでもなく、間違いなくあいつだった。
相手を惑わせる奇妙な力を持つ牡鹿、ドヴァリン。少し前に俺達の前に現れた時、目を合わせてしまったのはオーリだった。
あれは流石に肝が冷えた。オーリは突然走り出し、あろうことかマグマに飛び込もうとしたのだ。
いち早く気付いたデュポが引き倒したため事なきを得たが、もし間に合わなかったら、オーリはもうこの世にいなかった事だろう。
目を合わせたら最後、戦うことも無く死ぬかもしれない死の牡鹿。しかもこいつは素早く身軽で、撒く事が不可能だ。
厄介な相手の姿に、この場は全力で行く必要があると、俺は精を練り始める。
皆もそう思ったようだ。前に立つバド、アレス、ガザの体からも、白いオーラが立ち上った。
「鹿はバドとガザで頼む! ラタも付いて行け! ドラゴンは残りでやるぞ!」
『了解ッ!』
躊躇している暇など無い。俺達は左右に分かれ、一斉に前へと駆けだした。
俺は前を走るアレスの後ろに付き、走りながら空を飛ぶドラゴンを見上げる。
ドラゴンなんて生物は、俺は今まで話でしか聞いたことが無い。つまり俺はこの階層に来て初めて、ドラゴンという生物をこの目にしたのだ。
ドラゴンという存在は人間の脅威であると同時に、英雄譚にも出てくる事が多いためか、どこか憧れのような気持ちを抱かれる、そんな不思議な生物である。
だからか人間は、他の魔物よりも親近感のような、そんな気持ちを相手に抱いている事が多かった。
しかしそんなものは人間側の勝手な都合であり、現実はそんなに甘いものではなかった。
巨大な体躯を誇り、頑強な皮膚と鱗を持ち、強大な力と敵を屠る吐息を持つ。
人間と言う小さく、脆く、非力な存在が立ち向かうには、あまりにも無謀な相手だ。
ドラゴンは生態系の絶対王者。だからこそそれを倒した時に英雄譚になるのである。
俺は絶対にそんな英雄譚を紡ぎたくない。
いや、英雄譚どころか墓石に名前を刻む事になるだろう。
奴を初めてこの目で見た時そんな事を思ってしまった程、ドラゴンの放つ重圧は凄まじいものだった。
不幸にもこいつは初めて目にしてから三体目だ。だがそれでも、真正面から戦うなど命がいくつあっても足りない。
一体目は後方にちらと見えただけだった。だから走って逃げきる事ができた。
二体目は前方だったが、右側にいる奴に対し、進路は左方向だったため、精全開でまた何とか逃げきる事ができた。
だが今度はド真ん前から現れた。
今度こそ相手を前に戦わねばならない。俺はそう覚悟を決めていた。
とは言え、である。
俺は英雄でもなく、戦士でもなく、騎士でもなければ戦闘狂でもない。
俺は山賊だ。元だが、生粋の山賊なのだ。
「奴の足元を抜けて、この場をずらかるぞっ!」
つまり、こんな奴を相手にまともに戦う、なんて事自体が間違いなのだ。
強い相手とは戦わない。それが山賊が生きる上での不文律。
ならば逃げて見せようじゃないか。
特に、こんな理不尽な相手からはなあ! クソッタレッ!
「アレス!」
「任せろ! はぁぁぁぁーっ!」
体からオーラを立ち上らせながら、アレスが真っすぐドラゴンへ突っ込んで行く。
空を飛ぶドラゴンはそれを見て、大きく息を吸い込んだ。
「来るぞ! ファイアブレスだっ!」
誰が声を発したか。前方が赤い炎で覆い尽くされた。
フレイムドレイクのブレスがまるで子供の火遊びだ。
逆巻く赤の獄炎が、俺達を焼き尽くさんと襲い掛かった。
「うわあぁぁぁぁっ!!」
ステフが恐怖に声を上げる。
――だが、その炎は俺達に届く事は無かった。
「”大精霊の守護結界”ッ!!」
アレスが力強く吠える。途端に俺達の周囲を青白い膜が覆い尽くした。
炎はその膜に阻まれ後方へと流れていく。これでは後ろのフレイムドレイクは、巻き添えを食って死んだかもしれない。
そんな事を思える程には、俺達には余裕が生まれていた。
盾技、 ”大精霊の守護結界”。
物理的な攻撃以外の全てを防ぐ、上級精技の一つである。
アレスは盾こそ持っていないが、巨大なハルバードを盾代わりに戦う事もある。
聖女の護衛である彼は盾技も高いレベルで修めており、レッドドラゴンの吐いたブレスも完全に防ぎきっていた。
数秒の後、ばっと炎が散って視界が開ける。空のドラゴンを見れば、いら立たしそうな顔をしているように見えた。
「今のうちに行くぞ! ぼやぼやするなっ!」
「は、はいっ!」
「おうっ!」
俺達はまた地を蹴って走り出す。するとドラゴンは翼を一度はためかせ、かと思えばこちらへ真っすぐに急降下してきた。
「おい、アイツこっちに降りて来るぞ!」
「近距離で仕留めるつもりかもしれんな! はっはっは!」
「お前なんで嬉しそうなんだよっ!」
デュポとオーリが後ろで何か騒いている。そうしている間にも、ドラゴンは見る間にこちらに近づいて来る。
瞬く間に距離を詰めた相手は、地面に近づいた瞬間ぐんと頭を上げ、体を垂直にするように一瞬ふわりと浮き上がる。
しかしそれは本当に一瞬だけの事で――
「うおぉぉぉぉっ!?」
「うわぁぁっ!」
落下し、二本の足で着地するドラゴン。巨大な質量が勢いよく降りて来て、轟音を立てながら地面を大きく揺らした。
あまりの衝撃に溶岩の床がビシビシと音を立てて割れ始める。足場を強烈に揺さぶられ、もう走ってなどいられない。俺達はその場で何とか踏ん張るのが精々だった。
そんな俺達を見下ろして、ドラゴンは低い唸り声を上げている。その黄金に輝く双眸は、しっかりとこちらを捉えていた。
「逃がして、くれなさそうですね……?」
ステフが引きつったような声を出す。
「馬鹿、そこを逃げるんだよ」
「ど、どうやってっ!」
「どうやっても、さ」
俺が答えるも、ステフは今にも泣き出しそうな声を上げた。
前には目をぎらつかせ、立ち塞がる巨大なドラゴン。後ろ足で立つその大きさは全長十メートルと言ったところか。
その体から放つ重圧が俺達に重くのしかかる。背中を流れ落ちる汗は、この暑さのためか、はたまた冷や汗か。
ドラゴンは少し離れて左を駆け抜けるバド達には目もくれず、こちらに向かって大口を開ける。
「グオォォォォオオーッ!!」
巨体から放たれた咆哮がビリビリと肌に突き刺さる。吹き飛ばされそうなほどの風圧に、俺達は何とか踏ん張って耐えていた。
生物としての格が違い過ぎる。だがこんな相手を前にしても、俺達は何としても先に進まなければならなかった。