255.最奥への攻略法
疲労困憊だった俺達は、適当な物を腹へ押し込んだ後、早々に横になり泥のように眠り込んだ。
汗が滲むほどの暑さに加え、床はぼこぼこの固い溶岩。だと言うのに途中で起きるなんて事も無く、目が覚めた時には俺の体の重さは綺麗さっぱり消えていた。
俺はもう若くない。年の影響で、ぐっすり寝ても翌日に疲れが残るなんて事は日常茶飯事だ。
しかし今日は気持ちが悪いくらい元気である。色々思い当たる節はあるものの、何にせよこれで次の階層も何とか戦う事が出来そうだった。
「お、おっちゃんも目が覚めたのか!」
シャドウと何やら遊んでいたラタが、起きた俺に気付いて声を上げた。
自分は眠らないからと、一人での見張り番を買って出てくれたラタ。悪いと思いつつ言葉に甘えたが、どうやらシャドウが相手をしてくれていたようだ。
ラタはシャドウに出たり入ったりして遊んでいる。何が面白いのか分からないが、まあ楽しそうだからとにかく良し。
「エイク殿も起きたか。疲労はどうだ?」
すでに起きていたガザが歩いてくる。
彼も疲れは取れたようだ。歩き姿は活力に満ちていた。
「気持ち悪いくらい大丈夫だよ。そっちも問題無いみたいだな」
「ああ。むしろ力がみなぎるくらいだ。今から次の階層が楽しみでな、早くに目が覚めてしまった」
彼がニヤリと笑みを見せれば、口から牙がギラリと覗く。
頼りになる事で何よりだ。その調子で次の階層も暴れてくれい。
「狼のおっちゃんは元気だな!」
「ああ、こんな経験は二度とできないだろうからな。思い残しの無い様に、存分に暴れてやるつもりだ」
ガザは楽しそうに両方の拳をガツンと合わせた。
魔族達の頭は狼のそれで、出会った当初は笑っても何をしても凶悪な面にしか見えなかった。
だがそこそこ長く一緒にいる今は、浮かべた表情がどんな意味を持つのか、もう殆ど理解できるようになっていた。
しかしラタが浮かべた笑みに対して、今ガザが浮かべる面の何と凶悪な事か。
まったく戦闘狂は手に負えんよ。俺は愛想笑いをするだけで精一杯だった。
ガザはその後、まだ寝ているオーリとデュポを起こしに行った。ステフもまだ寝ているが、流石に昨日は疲れただろう。
出発まではまだ時間がある。まだ起こさなくて良いだろうと、俺はそのままにしておく事にした。
アレスやバドは俺よりも先に起きていて、既に思い思いに行動していた。
アレスは武器の手入れを。
一方バドは食事の用意をせっせとしている所だった。
今の時期は冬だ。いつもなら暖かいスープでも、と思うところだが、こんな場所では大顰蹙を買うだろう。
バドも当然気を配り、燻製肉や果実などをスライスし、パンに挟んで準備をしている。
ここで冷たいものでも出てくれば嬉しいが、それは贅沢すぎると言うものだ。
今は魔力の無駄遣いなどしている状況じゃない。美味い物が出てくるだけでも御の字なのだ。
魔窟の中、かつ眠り込んでいたため今の時刻は分からないが、しかし俺の体は朝であると主張を始める。
盛大に鳴った腹をさすりつつ、俺は手を突いて立ち上がる。そしてこちらを見たバドへ手を上げながら、彼の傍へ歩いて行った。
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「アレス」
顔を上げたアレスへ、俺は持ったパンを少し上げて見せる。彼は手入れしていた武器を静かに置くと、手に”浄化”をかけてからそれを受け取った。
って、ちょっと待てや。
「お前、魔法使えるじゃねぇか」
「基礎魔法の内、役に立つものをつまんだだけだ。俺に魔法の才は無い」
彼の前にどかりと座り、パンにかぶりつく。アレスも平坦にそう返した後、パンにむしゃりと噛みついた。
「実のところ、神聖魔法も使えるのだがな」
「ほう! いいじゃねぇか」
「一度使うと昏倒する」
「ああ……そういう」
魔力が決定的に足りない体質か。そりゃ駄目だなと俺は乗り出しかけた身をゆっくり引いた。
魔力は筋力のように、使えば使う程伸びるものだ。だが生まれつき極端に魔力が少ないという人間が稀にだがいた。
こういう人間は魔力の伸びしろが全く無いのだ。これは体質であり、本人の努力でどうにかなる以前の問題だった。
「ならしょうがねぇな。やっぱりお前の魔力を当てにするってのはダメか」
「すまんな。それ以外でなら力になるが、こればかりはどうにもならん」
そんな話をしていると、ふと思い出したことがあった。
少し前に立ち寄った町で会った、ルーデイル代官のメイド、マリアネラ。彼女は神聖魔法の素養があったため、サーディルナ聖王国からの支援を冒険者ギルドで無償で受ける事ができ、常に修道女用の装備を身に着けていた。
だが聖王国が支援を無償提供するのは思うに、宗教的な意味合いではない。神聖魔法を使う人間を誘致する事が一番の目的だろうと俺は考えていた。
神聖魔法は聖王国が崇める神、ファルティマールの加護を用いた魔法である。
精霊魔法も強力だが、しかし神の力を行使できる神聖魔法は癒しや身体強化など、精霊魔法にない奇跡を起こす、非常に特殊かつ強力な魔法だった。
聖王国などと言っても、結局は人間が集まるただの国だ。そして国を主導する人間が考える事と言えば国の安定、ひいては己の保身である。
神聖魔法を使える人間を呼び込めば国力が増し、逆に人材を取られた他国は下がるわけだ。
冒険者なんて勝手に鍛えて強くなってくれる人間だ。少しでも引っ張れれば良いと、そんな思惑なんだろう。
まあマリアネラは聖王国に感謝するどころか、支給される装備を着ていると神官と間違われて困る、なんて言っていたが。
だがアレスの場合はそんな事にもならないなと、俺は彼へそんな話をしつつ、からからと笑った。
「良かったな。お前の事だ、どうせ聖王国から引き抜きなんてされても迷惑でしかないんだろ?」
「当然だ。来たとしても追い返してやるさ。それが俺の仕事だ」
ニヤリと口角を上げるアレス。それを見て、そうか、と俺は気づいた。
彼の場合どちらかと言えば、こっちの方が本題だったか。
「ああ、マリアの事か。確かに聖王国の連中なら、聖女に目をつけてもおかしくないな」
「そうだ。まあ俺達は聖王国に用はない。ここでの使命を果たすのみだ」
俺達が話し込んでいると、バドがトレイにパンを乗せてやってきた。俺とアレスは一つづつ受け取り彼に礼を言う。
するとバドも話に興味があるのか、その場にドカリと座ってパンを食べ始めた。
「その使命ってのは何なんだ? マリアの奴に聞いてもどうせ答えねぇだろ」
わざと大きめにぼやいてみるも、マリア本人からの声は無かった。
向こうはまだ寝ているようだ。ま、俺達の方が先に休憩地点に入っていたしな。
アレスもマリアの返答を待つためか少し間を置いていたが、主の声が無い事を確認すると、軽く肩をすくめて口を開いた。
「さて、な。だがまあ俺から言える事は一つだ。それは――」
「それは?」
俺とバドはアレスの顔を見つめる。
「まず次の階層を攻略する事だな」
「だよなぁー……」
やっぱりマリアの護衛だよ。肝心な事は話しやがらねぇ。
俺とバドが肩を落とすと、アレスは珍しくくつくつと小さく笑っていた。
「だがなぁ、この階層だってあんな有様だったんだぞ? まともに考えたら次の階層は正直進める気がしねぇぞ」
俺は仲間の様子をぐるりと見る。
バドが配ってくれたんだろう、今は皆がパンにかじりついていた。
ガザら魔族組は三人で円陣を組んで座り、次の階層について話している。ガザとオーリが楽しそうに話す傍らで、デュポだけは黙々と貪り食っていた。
彼だけは食い気の方が勝っているらしい。まあ、いつも通りである。うん。
一方で、先程まで寝ていたステフも今はもう起きていた。
彼はラタと並んで座り、パンを美味そうに食べている。見る限り、寝て元気を取り戻したようだ。美味そうにパンを頬張る姿に、疲労の色は見られなかった。
この第四階層に踏み入った当初と同じか、それ以上に、皆が回復している様子である。だが体力が戻っただけでは、次の階層を乗り切れるとは到底思えなかった。
「とりあえずラタに、次の階層にいる怪物の情報を聞いてはみるが……」
俺がラタを見ていると、向こうも気付いたらしくぶんぶんと手を振ってきた。
呑気な事だ。まあ彼はそういう風になっているらしいから、責められないんだけれども。
最後の一口をぽんと口へ放り込み、咀嚼しながら腕を拱く。現状ラタからの情報だけが頼りだが、しかしその情報はもう既に、聞いてしまった後だった。
何か良い手はないだろうかと、俺が唸った時だった。
「ラタ」
アレスがラタを手招きする。するとラタはぴょんと立ち上がるとタタタと駆け、バドの隣にちょんと座った。
おまけのステフもこちらに付いて来て、彼もまたラタの隣に腰を下ろす。
「何? どうかした?」
「ラタ、聞きたい事がある」
アレスに真顔で見つめられても、ラタは笑顔を崩さない。こてりと首を傾げたまま、彼の視線を真正面から受けている。
「お前、この浄化システムの管理番なのだろう?」
「うん」
「ならば、だ」
アレスはラタの鼻先に、ぴっと指を向けた。
「お前は今までどうやって、下層の最奥まで辿り着いたのだ」
――俺は目から鱗が落ちた。
俺達がここに来た時に、ラタとクスは大変だから手を貸して欲しいと口にした。
つまり、過去に成功例があるという事に他ならない。
アレスの言う通り、もしかしたら階層を攻略する手がかりが、そこから得られるかもしれなかった。
俺達はラタの顔をじっと見つめる。その小さな口から一体どんな言葉が飛び出てくるのかと、口を結んで待っていた。
「んー? そりゃ僕は戦う力はないし」
だが次に発せられた言葉は、俺の想像には全くないものだった。
「逃げながら進んだに決まってるじゃん! 一々相手なんてしてられないよー」
「に、逃げながらだ?」
俺は目を丸くする。
つまり、まともに敵を倒して進んだことがないと。そういう事か?
「エルフに手伝ってもらったとか、そういう事じゃねぇのか?」
「エルフ? ……ああ、森人族の事だっけ? ずっと昔は手伝ってもらってたけど、今はもう僕一人でやってるよー。だってアイツら手伝う気ゼロだもん!」
……何と言う事だろう。つまりラタは今までずっと、最奥までの道のりを、たったの一人で踏破していたのだ。
そりゃ簡単じゃねぇって言うわ。いくつ命があっても足りやしない。
俺は目の前でちょこんと座る、小さなラタをまじまじと見た。
こんなちっこい体でどれだけ大変だったろう。世界樹の野郎、部下の事を一体何だと思っていやがるんだ。
死んでもいいとか思ってるとしたら、一度殴ってやらねぇと気が済まねぇ自信が俺にはあるぞ。
なぁユグドラシルよ。全部終わったら聞きに行くから、その首洗って待っていやがれ。
「との事だが。エイク殿、参考になったか?」
「……ああ、よーく分かったぜ」
とは言え、俺達が取るべき行動は分かった。こちらに目を向けたアレスに対して、俺は渋面を浮かべつつ返事をする。
この第四階層は正攻法で抜けようとして、限界近くまで消耗する事になった。
ならばより難解になる下の階層は、まともにやっても抜けられないと言う事だ。
「次はその方法で、俺達も行くとしようじゃねぇか」
生憎俺は元山賊だ。逃げることにかけちゃあ自信がある。
むしろ一匹一匹倒して行くより、性分に合っているかもしれないな。
もう俺の手の内は皆に知られているのだ。なら全力で逃げ回る事に躊躇はない。
俺は相棒の姿を見る。
黒い相棒もまた俺を見ていたのか、ふるりと一回震えて見せた。