254.たった一つの理由
ラタからまだ折り返しだと言われ、再び進み始めた俺達、特攻野郎男性チーム。
その後何度も敵と遭遇しながらも、何とか休憩所に滑り込み、下へと降りる階段の前でへたり込んでいるところだった。
バドやガザ、アレスも流石に疲れたようで、珍しく尻を突いている。
あのフレイムドレイクはタフ、パワー、ブレスと、三拍子揃った難敵だ。だと言うのに増援までくる状況は、この体力オバケ三人衆の体力も、相当削られたようだった。
また、この環境もある。立っているだけで汗が噴き出すこの暑さは、体力をじわじわと奪っていく。
どんなに精強だろうと人間である以上、これはどうにもならない事だった。
「今日はここでキャンプだな。流石に次の階層に進むのは無理だろ」
この階層に入っての時間を考えると、今は昼過ぎと言ったところのはずだ。まだ早い時間だが、しかしこの状態でこれ以上進むのは危険過ぎた。
「エイク殿に賛成だ。流石にかなり消耗してしまったからな……」
「うむ、仕方あるまい」
ガザが頷くとアレスがふっと息を吐く。アレスは仕方がないなどと言うが、実際強がりなのだと思う。最後の方はこの体力オバケ三人衆が、無理くそ進路を開いて進む状態だったからな。
その一員であるバドもこくりと頷きフルフェイスヘルムを乱暴に脱ぐ。彼の髪はぺしょりと垂れ、顔には汗が滝のように流れていた。
おいおい大丈夫か。脱水で倒れたなんて言ったらシャレにならんぞ。
「おいバド、これ飲め」
俺はシャドウに手を突っ込み、水が入った革袋を放り投げる。彼はそれをキャッチすると急いで口を開け、勢いよく飲み始めた。
革袋を逆さにして、浴びるように水を飲むバド。結局彼はかなりあったはずの水を、最後の一滴まで飲み干してしまった。
「何だよー、おっちゃん達情けないなぁ」
頭の後ろに両手を回して、ラタがすたすたと歩いて来る。
戦闘に一切加わらなかったラタだが、それを加味してもやけに元気だ。これは彼が精霊モドキだからだろうか。
デュポとオーリは仲良く大の字で、ステフも休憩だと分かった瞬間、その場にどさりと倒れてしまった。
体力オバケ三人衆以外はこんな惨憺たる有様だ。だのにラタは汗の一つもかいていないのだ。明らかにこれは異常だった。
「なあ。お前、暑くないのか?」
「ん? うん、別に?」
やはり特異体質らしい。全く羨ましい限りだ。
俺は重苦しい息を吐きつつ、頬を滑る汗を雑に拭った。
この階層に来て倒したのは、フレイムドレイクが十八匹、ラーヴァヒッポが三十四匹、ヴォルケノバットはもう見たくもないくらいだ。
どいつもこいつも力を温存できる相手じゃなかった。まだこの先があると言うのだから嫌になる。
皆の荒い息だけが聞こえてくる。ラタは俺の隣にぺたんと腰を下ろし、その様子を可笑しそうに見つめていた。
大きな尻尾は機嫌が良さそうにふりふりと左右に揺れている。一体何がそんなに楽しいんだろう。
俺が不思議に思っていると、ラタの瞳がこちらを向いた。
「どうかした?」
小首を傾げ、ラタが聞く。
「いや、何か楽しそうだなと思ってよ」
「ああ、そう言う事? 気に障った?」
俺が返せば、ラタはまたくすくすと楽しそうに笑った。
「ごめんね。僕らはそういう風になってるから」
「そういう風になってる?」
「うん。どんな事も楽しいって感じるように、世界樹に作られてるんだよ」
それを聞いた俺は、すぐに言葉が出てこなかった。
どんなことも楽しく感じる。それとだけ聞くと、まるで人生がバラ色なようにも思える。
だがそう思ったすぐ後に、こうも思ってしまったのだ。
それは辛かったり悲しかったりしても、それを感じられないと言う事なんじゃないかと。
俺は多くの人間の、様々な感情を感じて生きてきた。
辛く悲しい事なんて、あって良かったと言えるはずもない。しかし辛さや悲しみがあったからこそ、その人間の今がある。そんな事を思わされた事もまたあった。
楽しさ以外感じない。それは果たして幸せな事なんだろうか。
俺はラタのくりくりした目を、思わずじっと見つめてしまった。
「何だか、それって、楽しそう、だなぁ……」
俺が黙ってしまったからか、そんな小さな声が聞こえてくる。それは少し離れたところで倒れていた、ステフから発せられたものだった。
「ステフ、これ食っとけ」
「え……?」
俺はシャドウから果物を取り出し、彼へ放り投げる。肘をついて半身を起こしたステフはそれをぱしりと受け取り、まじまじと見つめた。
「これ、第二、階層、の?」
「バドが結構採っててな、沢山あるから遠慮する必要はねぇぞ。デュポ、オーリ、お前らも食え」
「うーっす……」
「助かる……」
二人の分も取り出して投げる。彼らは大の字になったまま器用に受け取ると、ぽいと口へ放り込み、一口で食べてしまった。やれやれ。
ふと見ると、他の三人の目もこちらを向いている。俺は一応確認のため、指を差しながらラタに聞く。
「ラタ、あれにも同じのがなってるんだよな?」
「うん! 好きに食べていいよ!」
俺が指差す方向には、数本の樹木が立っていた。なぜ溶岩の上に木が生えているのか知らないが、あれにも同じ果実がなっているらしい。
この謎果実は疲労回復に役立つという貴重なものだ。もしこの階層以降採れないなら、あの三人にはリンゴでも投げておこうかと思ったが不要のようだ。
俺は三人にも同じように放った後、最後に自分の分も取り出して、一口がぶりと噛り付く。最初に食べた時は微妙な味だと思った果実だが、今はその味が妙に美味く感じた。
ステフはのそりと体を起こし、小さく果実にかぶりつく。そして疲労を排出するように、ぎゅっと目を瞑って長嘆息を吐き出した。
随分疲れているようだ。まあ彼は今、魔力の欠乏症状を感じるかどうかという、ギリギリまで魔力を使っているからな。その影響もあるだろう。
「意外と効くよな、これ」
「そうですね……。何でだろう、ただの果物なのに。すごく、不思議だなぁ」
俺が軽く果物を上げて言うと、彼の顔にも軽い笑みが浮かんだ。
「あんちゃん。僕、そんなに楽しそうに見える?」
疲れた笑みを交わす俺達。そこへラタが不思議そうな声をあげた。
どうも先程ステフが言った事が気になっているらしかった。
「え? う、うん。いつもニコニコしてるし、楽しそうだなぁって思ってたけど」
「ふーん……」
俺はラタにはリンゴを手渡す。彼はそれを両手で受け取ると、小さな口で噛り付いた。
「不思議な味だね、これ。甘くて、でもちょっと酸っぱい」
「ちと旬が外れてるんだが、でもまだ美味いだろ?」
「うん!」
世界樹に住む彼にとって、外の食べ物なんて初めてだろう。だが味の方は口にあったらしく、ラタは頬を緩ませた。
これも作られた感情なんだろうか。そう思うと、どうにも妙な気分になってしまう。
だからか、その話をする事が躊躇われて。
気付けば俺は別の話を――今までずっともやもやとしていた別の話を、ステフに振ってしまっていた。
「お前も苦労してそうだもんなぁ」
「え?」
「奴隷なんだろ? ステフは」
ステフは一瞬固まったが、すぐに無言で首を縦に振った。
「俺はこの王国から出たことが無くてな。だから想像でしか分からないんだが……。奴隷なんてな。嫌な言葉だぜ」
帝国での奴隷の扱いはあまり良くないと聞いている。ステフの両手の甲にある奴隷紋がその証拠だ。
その跡を見ていると、彼も苦労をしたんだろうと同情してしまう。
奴隷にさえなっていなければ、自分の人生を思うがままに生きられただろうに。
ティナの許しを得なければ話すこともできないステフ。この階層に来てティナと別れたからか、彼は普通に俺達と喋るようになっている。
今ここにいる彼が、奴隷でない本来の姿なんだろう。そう思えばこそ、彼が不憫に思えてならなかった。
「あんな高慢ちきな女の尻に敷かれてなぁ。このまま逃げちまったらどうだ? 俺だったらそうするね。どうだ、何なら手ぇ貸してやってもいいぞ」
だから俺は半分本気、半分冗談で、そんな事を口にしたのだ。
さっさと逃げてしまえば、奴隷だなんて顎で使われることも無いだろうと、そんな事を想像して。
「その言い方、止めて下さい」
半笑いで言った俺。だが、返ってきたのは低い声だった。
「ティナ様は貴方が思うような人じゃない。あの方は本当なら、こんな冒険者なんてしなくても、幸せに生きていける人なんです。それなのに、ティナ様は僕らを助けるために……それだけのために、ずっと必死で戦ってきたんです。今だって」
ステフはキッと俺を見る。今までどこか弱々しい印象だった彼に、急に現れた鋭い感情。
そこに俺は、奴隷が主人をかばう以上の何かが含まれているとすぐに察した。
「お前らを助けるため? それってのは……まさか、奴隷をって事か? 悪いがわけが分からねぇな。どういう事だ?」
「そ、それは――」
ステフはぐっと言葉を詰まらせる。言いたいけど言えない。そんな思いが透けて見え、俺は身を乗り出した。
「ユグドラシルも言ってただろ? ここでの記憶は無くなるってよ。言ったって俺はすぐ忘れるんだ。なら構う事無いだろ? 聞かせてくれよ、あいつが何をやらかそうとしてんのかを」
今スティア達は何かと戦っているらしく、《上からくるぞ! 気をつけろ!》だの《なんだこの攻撃は!?》とか騒いでいる。聞くなら今のうちだろう。
「まっ、それが本当だってんならな」
俺はどうしようか逡巡するステフの背中を、少しの挑発と共に押してやる。
「……分かりました。そこまで言うなら僕だって言わせて貰います」
するとステフは意外と簡単にその口を割る。俺は彼へ向き直り、真正面から向かい合った。
「ご存じでしょうけど、ルルレイアという国は三十年くらい前に興った国です。いくつもの小国を武力でもって併合した帝国ですけど、それらの小国の領土が帝国領となった時、領土を接収したり分割する事もなく、当時の王家の人間にそのまま任されたそうなんです」
「あー……つまり、例えばその小国が帝国に併合された時、小国の王家が帝国の伯爵家に変わって、国土がそのまま伯爵領になった、って感じか?」
「あ、はい。そんな感じです」
なるほど。確かに国を落として併合したと言っても、王家の人間を処刑して帝国の人間がそこを治める、なんて事になると色々問題があるだろうからな。
国柄の問題なんかもあるだろうし、武力で落としたなら民の反感も当然ある。処刑した為政者が支持されていたなら尚更だ。
今までの体制を維持したまま併合できたなら、それが一番楽なのは間違いない。
「ティナ様が住んでいた国も、昔帝国に併合された国だったのですが……その国は奴隷制度が無い国だったそうなんです」
だが帝国の領土となれば、帝国の法が敷かれることとなる。
当初は動揺もあったらしいが、しかし人間適応するもので、その旧小国にもステフのような奴隷が徐々に増えて行ったそうだ。
結果、奴隷制度は今ではもう完全に根付いてしまった。しかし当時を知る貴族達権力者からすると、どうしても好意的には捉えられなかったそうだ。
「中には無理やり奴隷落ちさせられるような人もいるので……。その、この王国から攫って来たような人だとか。まあ、その、僕もそうなんですけど」
ステフの言葉に俺の眉がぴくりと動く。彼は俺の左腕をちらりと見ると、
「エイクさん、オーレンドルフ領の人ですよね」
そうはっきりと口にした。
「僕も昔、オーレンドルフに住んでいたんです。でもまあ、その……子供の頃に親に売られまして」
彼は俺の答えを待たず、話を続けていく。
「ですが当時の僕は痩せっぽちでチビで、全然役に立たなくて。あちこちに買われ売られして、最終的にはティナ様のもとに買われたんです」
ステフは俺の左腕にちょこちょこと視線を向けていた。きっとこの刺青が天秤山賊団の証だと知っていたんだろう。
あの領じゃ俺達の存在は、そこそこ知られていたからな。
「ティナ様は小さい頃からあの性格でしてね。みすぼらしい僕の姿を見て大層憤慨しまして。奴隷制度を無くしてやる! って言って、そのまま今も。皇帝に直訴するなら功績が必要だって、家を飛び出しちゃいまして」
で、ほっとけなくて僕も一緒に。
そう言ってステフは照れくさそうに笑った。
「すまん」
俺は頭を下げた。
「エ、エイクさん?」
「酷い勘違いだったみたいだ。何も知らず悪い事を言った。この通りだ」
ステフが少し慌てるが、しかしこれが頭を下げずにいられようか。
奴隷制度を無くすために活動してるなんて、たったの二人だってのに見上げた奴らじゃねぇか。
根性がある。それに、皇帝に一発かましてやろうという気概も気に入った。
「い、いいんですよっ、誤解される事はよくありますしっ。その、エイクさんがティナ様の事あまり良く思ってなかったみたいだったので、だから誤解は解いておこうかと――」
慌てたステフがそう言い始めるも、
《おいステフッ! 勝手に何を話しているんだ! 私にも全て聞こえているんだぞっ! 余計な事を喋るんじゃない!》
「うわっ!? ティナ様!? す、すいません、すいません!」
丁度タイミングよく向こうの戦闘も終わったようだ。
ぺこぺこと虚空に向かって頭を下げているステフ。それを見ながら俺はパンと膝を打った。
「ティナ、お前にも悪かった。たったの二人で奴隷制度を無くそうなんて、全くどうして面白れぇじゃねぇか。俺は気に入ったぜ」
《……フン。お前に気に入られても嬉しくもない。それにそんな事を言うが、お前もどうせ絵空事だとか思っているんだろう》
きっと今まで多くの人間にそう言われてきたんだろうな。
お前も適当な事を言っているんだろうと、信じられない気持ちは分かる。
「おいおい不貞腐れんなよ。別に嘘は言ってねぇ。それに絵空事とも思ってねぇぞ。なぁマリア」
《あ? 何だよ》
だがよ、何とかする手が無いでもないだろう?
「お前帝国にちょちょっと行って、皇帝に奴隷制度やめねぇと天罰が下るとか、適当な事言って来いよ。こんな事手伝ってやってんだ。そんくらい安いだろ?」
《はあ!?》
こっちはマリアに強制連行された結果、こうして命を張っているのだ。帝国に足を運ぶぐらいどうって事無いだろう。
そう軽く思ったものの、向こうから返ってきたのは怒声だった。
《馬鹿言ってんじゃねぇよ! お前、それで俺が殺されたらどうすんだ!》
「はぁ? お前、殺したって死なねぇじゃねぇか」
《殺したら死ぬわバカタレ! 俺はゾンビじゃねぇんだよ!》
「憎まれっ子世にはばかるって言葉知らねぇのか?」
《おいコラァッ!! どういう意味だそりゃあ!》
俺の妙案に、「ふざけんのも大概にしやがれ!」とマリアは大層ご立腹だった。
ふざけている気は微塵も無いんだが、しかしそうなるとどうするか。
「奴隷を無くす、か……。他にいい案はねぇもんかなぁ。どっかの大聖女様は毛の先程も役に立たねぇしなぁ」
《チッ!》
激しい舌打ちを返されつつ、俺はあごを撫でながら何かないかと思案する。
そんな俺を、ステフは不思議そうな目で見つめてくる。
「エイクさん。あの、どうして僕らを助けようとしてくれるんですか?」
俺は彼の瞳に目を向ける。
――エイクちゃん。どうして、私を助けてくれたの?
そのしょぼくれた顔がどうしてか、昔のあいつを思い出させた。
その時負った右頬の古傷がむず痒く、俺は指先でこりこりと掻く。あの時はどうにも照れくさくて、ガキだった俺は「知らねぇよっ」なんて返したのだったか。
《ステフ、甘い考えは止めろ。そいつは人のために力を尽くすなど、馬鹿馬鹿しいと切って捨てた男だぞ。期待などするな、本気なわけがない》
「ティナ様。でも――」
《それに、そいつには私達に協力する理由がない。どうぜ戯言だ。もう放っておけ》
確かに俺は昨日、ティナへそんな事を言った。だがな、それはちっとばかし語弊があるぞ。
ガキの頃は言えなかった台詞だが、今なら俺は胸張って言える。
「理由ならあるぜ」
《……なんだと?》
「それに、俺は誰かのために動きたくないなんて言ってねぇ。看板掲げて宣伝して、知らねぇ奴のために働くなんて御免被るって、そう言ってんだよ。だが自分の仲間や気に入った相手なら話は別だ。誰だって普通そうだろが?」
俺はステフと拗ねたような声を出すティナを、からからと笑い飛ばした。
「何で助けてくれるかって、そんなもん一々聞くんじゃねぇよ。俺はお前らを好ましく思った。だから手を貸してやりたいって思った。それ以外の理由なんてあるもんかよ」
二人はそれに言葉を失う。ぽかんと口を開いているステフ。
周囲かそれとも≪感覚共有≫か。笑ったような小さな吐息が、どこからか聞こえたような気がした。