252.第四階層下層 火口に住まう難敵
マグマの中央を伸びる溶岩の上を、俺達は警戒しながら歩いて行く。ごつごつとした不安定な足場だが、幸い道幅は広く、十数メートル程の広さがあった。
細い道だったなら、不意にバランスを崩してマグマへ――なんて事があったかもしれない。だがこうも広ければそう言った状況は稀だろう。
広い足場が幸いし、マグマへ落ちたなんて事故はない。また第二階層のように、敵が大挙して襲って来た、と言ったことも無い。
この暑さと不安定な足場。そして仲間が減った今、その点は良かったと思う。
だが良かったのは、本当にその点だけだった。
「ゴアァァァァッ!!」
「キュァァァァッ!!」
行く手を阻むように現れたのは、火炎を身にまとう巨大なトカゲ――フレイムドレイク。赤黒い皮膚を持つ二匹の敵は、威嚇するように咆哮を上げた。
口には人間の太もも程もある、鋭い牙がずらりと並ぶ。奴の感情を表すように、背中の炎が勢いを増して噴き上げた。
四足だと言うのに高さは俺達と変わらない。威嚇に頭をもたげれば、三メートルを優に超えた。
さっきは一匹だけだったのに、今度はそんなのが仲良く並び、俺達の行く手に立ち塞がる。
先頭のデュポが慌てて下がってくる。同時にバドが最前列へ駆けた。
「この二匹、鳴き声が違うな! きっとオスとメスだ! 番か!? 怪物でも番を作るのか! ははは、これは面白いっ!」
オーリがどうでも良い情報を嬉しそうに叫ぶ。だがな、どうせならもっと有益な情報をくれよ。戦闘の役に立つ奴をよ!
「そんな事は今どうでもいいだろうが! 他に良い情報はねぇのかオーリ!」
「どうでもいい事はないぞ、大将! こういうのはオスから倒すんだ! メスを先に倒すとオスの逆鱗に触れて手が付けられなくなる! それにメスの方が大きく強いから、倒すのが困難だしな! オスが倒れれば逃げるメスもいる!」
流石オーリだぜ! 俺は信じてたぞ、ああ最初からな!
「まあこれは魔物の事で、怪物じゃどうなるか分からんけどな! 是非試してみてくれ、はっはっは!」
やっぱ役に立たねぇじゃねぇか! はっはっはじぇねぇよいい加減ぶん殴るぞ!
「くそっ、とにかく左の小さい方からやるぞ! 右の方はアレス、時間を稼いでくれ!」
「承知した」
アレスも盾技を修めており、防御能力は非常に高い。元々実力が高い事もあり、引き付け役なら一人で十分こなせるだろう。
だが、あいつは純粋な盾役じゃない。そして今俺達の目の前にいる相手は、巨大なフレイムドレイクなのだ。
これを倒すと言うのなら、バド以上に適任な盾役はいなかった。
バドは壁盾を構えオスの前に立つ。その体からは既に白い靄が立ち上っていた。
「ゴアァァァァッ!!」
フレイムドレイクの咆哮が空気をビリビリと震わす。
小さい方と言っても、人間からすればあまりにも巨大な相手だ。前に立つバドがまるで小人のようにすら見えてしまう。
だが相手はそんな体躯の差など気にしちゃくれない。フレイムドレイクは巌のような前足を振り上げ、バド目がけて振り下ろす。対してバドも壁盾を上に向け、これを真正面から迎え撃った。
岩盤がバキバキと砕ける音と共に、激しい金属音が洞窟内に響き渡る。
人一人など簡単に潰れたと思わせる巨大な衝撃音。普通ならぺしゃんこになった人間の、成れの果てがそこにあっただろう。
だが。バドは依然としてそこに、二本の足で立っていた。
足は膝ほどまで足場にめり込んでいる。しかしバドはそれでもなお、ギリギリと音を立てながら巨大なトカゲと力比べを演じていた。
「いいぞ、バド殿!」
ガザが叫ぶ。バドの盾は小さな白い輝きを放っている。”練精盾”だろう。
バドなら奴を確実に抑えられると思ってはいたが、しかしあれは下級精技だ。
盾技でも基本的なあの技で、あんな超重量の攻撃を防ぐとは、付き合いが長い俺でも舌を巻く。
「行くぞデュポッ!!」
「ガッテン承知ぃ!」
攻撃を受け止められ、フレイムドレイクは前足を浮かせた状態で硬直している。その隙を突いてガザとデュポが地面を蹴った。
二人はバドの両脇を抜け、露になった敵の腹部へ駆けて行く。既に二人の体からも白いオーラが立ち上っていた。
「”双破連撃”ッ! おらららららぁっ!」
まず仕掛けたのはデュポだ。彼は輝く双剣を連続で相手の腹部へ叩きつけた。
”双破連撃”は破壊力を増した小剣技。つまり剣技”破砕撃”の小剣番だ。
フレイムドレイクの全身はぶ厚い皮で覆われている。更に炎をまとっており、迂闊に近寄る事はできなかった。
しかし腹部は比較的柔らかく、炎も無い。つまり腹部は奴の明確な弱点だった。
「ギャオォォォォーッ!!」
デュポの繰り出した技にフレイムドレイクは苦悶の声を上げる。奴は痛みに悶えるように、一瞬ぐいと顎を上げた。
それを見逃すガザではなかった。
「ハァァーッ!」
ガザはダンと地面を蹴り付ける。彼の体は射られた矢のように、勢いよく上へと跳ね飛んだ。
狙いは剥き出しになった喉元。ガザは目映く輝く右足を、そこへ思いきり叩きつけた。
「”飛翔裂波”!」
精を推進力に転化し、一瞬で超速に至る瞬足の蹴撃。フレイムドレイクの喉元はべこりとへこみ、口からは血の代わりに黒い霧がぶわりと噴き出した。
あの巨体がぐらりと揺れる。
これはやったか?
そう思うも、オーリの口から警戒が飛んだ。
「まだだ! そいつはもっとやれるはずだ! さあ来い! どうした! お前の力を見せてみろぉっ!」
「おめぇはどっちの味方なんだバカ!」
「デュポ、目を離すな!」
振り返り文句を言うデュポ。これを諫めるガザだったが、同時に敵の体にも異変があった。体の炎が急激に燃え始めたのだ。
フレイムドレイクが大きく顎を引き、大口を開く。
「後ろに下がれ! 来るぞっ!」
俺が声を飛ばしたのと、奴の口から炎が噴き出たのはほぼ同時だった。
「ちぃっ!」
「わちゃちゃちゃちゃっ!」
フレイムドレイクは引いた顎を前へ突き出し、ガザ達目がけて炎を浴びせる。
だっとその場から退避するガザとデュポ。間一髪炎のブレスを避けた二人は、バドの隣まで戻ってくる。
目の前は一瞬で炎の海と化した。だがフレイムドレイクはそれをドスドスと踏み越えて、再び三人へ襲い掛かって行った。
奴の動きにはまだキレがある。先程の攻撃は完全に入っていたが、どうやら敵のタフさが勝ったらしい。
フレイムドレイクは口から黒い霧を漏らしながらも、激しい咆哮を上げながら、三人へまた激しい炎を吐き出した。
やはりブレスは厄介だ。手こずる三人に、俺は一人で戦うアレスの様子をチラリと見る。
「むぅ! 随分と活きが良いトカゲだ!」
アレスはもう一匹のフレイムドレイクを上手く引き付けている。
彼は自分に襲い掛かる腕や牙を器用に避けつつ、ハルバードで軽くちょっかいをかけながら立ち回っていた。
本気で切りかからないのは敵を激昂させないためだ。
相手は怪物。完全に怒らせると、思わぬ行動をしてくる可能性もあるからな。
アレスはかなり慎重に立ち回っている。余裕があるようにも見えるが、しかし聞こえてくる音は岩盤が砕けたり、激しい咆哮だったりと、心臓に悪い音ばかりだ。
なるべく早くオスを片付けたいところだと、俺は隣に立つステフに顔を向けた。
「ステフ、こいつをやる。奴に上手い事ちょっかいをかけてくれ」
「これは――」
「”疾風の刃”の魔法陣だ。使い切りだから使ったら捨てて良いぞ」
懐から出した羊皮紙をステフに手渡す。使い方に関してはもう説明済みだ。
「さっきも言ったが、真っすぐにしか魔法が飛ばないから射線に注意しろよ。奴の体のどこかに当たればそれでいい。判断は任せる」
「……分かりました。任せて下さい」
「よし、それじゃあ――」
俺達も援護に回るぞ。そう言いかけた俺だったが、
「おっちゃん! あそこ見ろあそこっ!」
俺の服を引っ張るラタに、言葉途中で今度はそちらに目が向いた。
ラタはぼこりぼこりと泡立つマグマを指差している。その先を見ると、何か大きな物がマグマの中からゆっくりとせり上がってくるのが見えた。
「な、なんじゃありゃ!?」
「さっき言っただろ! ラーヴァヒッポだよあれ!」
どろりとしたマグマを割って、そこから橙色の何かが姿を現す。その橙色は全身をてらてらと輝かせていて、まるで生物の様相をしていない。
だがそいつの頭には、よく見れば小さな二つの耳がついていた。そして奴は自分が怪物である事を主張するように、ギョロリと瞼を開いたのだ。
俺はこの階層の怪物について、事前にラタから情報を聞いていた。
彼が言うには、この階層にはフレイムドレイクとヴォルケノバット、そしてラーヴァヒッポが生息していると言う。
名前を聞いただけでは分からないため、更にラタから聞いてみると、フレイムドレイクは火をまとった大トカゲ、ヴォルケノバットはこうもりと、何となく敵の姿を予想できた。
だがラーヴァヒッポ――つまりマグマの中にいるカバだ――など、現実に照らしても、どんな生態なのか今一想像ができなかった。
だから俺はそいつを、マグマの近くに生息している怪物なんだろうな、と想像していた。だがまさか全身潜っているとは予想外もいい所だ。
あんなマグマの中に生き物が生息してるなんて普通思わないじゃん! 俺は悪くねぇ! 俺は悪くねぇ!
「来るよおっちゃん!」
ラタが言うが早いか、ラーヴァヒッポはがぱりとそのでかい口を開く。
人間を軽々と飲み込めそうなほど開かれたそれ。
俺は既に、懐に手を突っ込みながら駆けだしていた。
フレイムドレイクと戦う三人に向けられていたラーヴァヒッポの口。そこから一抱えもある溶岩の塊が勢いよく飛び出した。
その塊は足場の溶岩とは違い赤々と燃えている。蹴り飛ばされたボールのように、溶岩弾は三人目がけて飛んで行った。
「”岩盤の大盾”!」
その射線に割り込み、魔法陣を地面に当てて口にする。
ズンと競り立った岩盤へ溶岩弾がぶち当たる。凄まじい衝撃に”岩盤の大盾”がビリビリと震えた。
だが衝撃を逃がすため、”岩盤の大盾”には手前に傾斜をつけているのだ。
見上げれば、衝突しただろう溶岩弾が上空へ飛んで行くのが見えた。
よし、これならラーヴァヒッポの攻撃はしばらく受けても問題ないな。
ざまあ見ろカバめ! お前はそこで歯噛みでもしてろ!
「バド殿、あれを使うぞ!」
やれやれと後ろを向いた時、俺の耳にそんな声が飛び込んでくる。見ればガザが上に飛んだ溶岩弾を指差して、そしてバドに向かって駆け出していた。
バドはぐっと盾を構える。そして、ジャンプしてきたガザを溶岩弾目がけて弾き飛ばしてしまった。
「せぇぇぇやぁッ! ”練精蹴”ッ!」
宙を飛んだガザは失速した溶岩弾に追いつくと、それをオーバーヘッドで蹴り飛ばす。
溶岩弾は軌道を変え、ある場所へ一直線に飛んで行く。
「グガァァァア――」
溶岩弾はまさかのフレイムドレイクの横顔にぶち当たる。ブレスを吐こうと頭をもたげていたドレイクは、力のこもらない声をあげながら、ゆっくりと横に倒れていった。
「よっしゃ今だ! この野郎俺の尻尾に火ィ点けやがって! 覚悟しやがれ!」
「待て待て! 倒す前によく観察させろ! うおおおおーっ!」
これにデュポとバド、そしてオーリが群がっていく。フレイムドレイクの背の炎は、既に消火したように燃え尽きていた。
恐らく相手にはもう力が残っていないのだろうな。なら俺達はラーヴァヒッポの追撃に注意しておくとしよう。
「あの、エイクさん。あれ、僕達も追撃しなくて良いんですか?」
彼らの様子を見ていた俺に、駆け寄ってきたステフが遠慮がちに問いかけてくる。
だがあの様子なら、後は止めを刺すだけのはず。その後アレスの方へ助力に行くだろうし、なら俺達には他にやるべき事をやろう。
「ありゃ終わっただろ、もうほっとけ。それより俺達はあのカバ野郎を何とかしないとな」
マグマの上にはまだカバが顔を覗せている。マグマで周囲を守られている以上、流石に接近戦で叩くのは無理だ。
あれを倒すには魔法が使える俺達がやるのが一番良いだろう。
「とりあえず練習がてらステフがやってみるか? ”岩盤の大盾”に隠れてりゃ奴の攻撃も当たらないだろうしな」
「は、はぁ……」
後ろからはまだわぁわぁと声が聞こえてくる。その声が妙に楽しそうだったからだろうか、ステフが俺へ返した言葉には、少なくない困惑が混じっていた。
まあ俺も、あんな倒し方するとは思わなかったよ。
溶岩蹴り飛ばして足大丈夫だったのかとか、なぜそんな楽しそうなのかとか。
色々思う事はあるが、さておき今は目の前の敵を倒そう。
俺とステフは”岩盤の大盾”を盾にして、ラーヴァヒッポに魔法を放つ。奴は見た目通り鈍重で、魔法を避ける事が全く無かった。
反撃と溶岩弾を吐き出してくるものの、こちらには優秀な盾がある。結局魔法を四回浴びせたところで、奴は黒い霧となって消えて行った。
「よし、ならあいつらの援護に行くぞ」
「分かりました!」
後ろからは未だに大きな咆哮と、叫ぶような声が轟いている。
もう一体のフレイムドレイクは、先ほどのオスより一回りは大きい。振り返ればガザやアレスの攻撃に対し、奴は激しく抵抗して前腕を狂ったように振り回していた。
俺とステフは仲間の援護に走り出す。それは丁度フレイムドレイクが炎を吐き出そうと、頭をもたげたところだった。