250.第三階層とラタトクス
翌朝、バドが用意した朝食――謎果実を使ったサンドイッチにサラダ、スープだった。味は意外にもいけた――で腹を満たした俺達は、第三階層へ挑もうと、今また大きな洞の前に集まっていた。
十分眠れたからか、それとも妙な果実のせいか。はたまたマンドレイクのおかげかもしれないが、疲労は全く感じない。
皆も同じようで足取り確かに、大きな洞をくぐって行く。
洞の中はまた一筋の明かりも無い暗闇で、ただ真っすぐな道がある。
これは今までと同じだ。だから俺は、抜けた先もまた森の中なんだろうと、何となくそう思っていたのだが。
「……また、癖の強そうな階層だなぁおい」
そこにあった光景は予想に反した意外なもので、俺達は周囲にきょろきょろと目を向けていた。
「これが……第三階層、だと?」
「なーんもねぇなぁ」
魔窟に入って以降テンションの高かったオーリも、これには困惑を隠せないようだ。何せ今まで森だったのが、今度は一面の荒野だったのだから。
「どうやら怪物もいないようですわね」
「そのようだな。臭いもまるでしない」
周囲の音に集中していたスティアがゆっくりと目を開ける。上を向きひくひくと鼻を動かしていたガザも、どこか残念そうにそう言った。
こんな場所でまた大勢のエルフにでも襲われたら厄介だったが、どうやらそれは無いようだ。そこはまあ安心だが、しかし同時におかしくも思う。
何せここは見渡す限りの荒野だ。敵の一匹も見えないと言うのは、明らかに異常な事態だった。
土色に広がる不毛の地で、きょろきょろと周囲を伺う俺達。
だがこの二人だけは何かを察したらしい。
「ふん。なるほど、ここか」
「そのようですな」
そんな意味深な台詞を口にするマリアとアレスに、皆の視線が集まった。
「まりちん、どういう事?」
「ん? ホシちゃんは分からねぇか。ユグドラシルの奴が言ってただろ? ここを管理してる奴がいるってな」
丸い目を向けるホシに、マリアは小さく笑う。
「ここにいるみたいだぜ。……ほら」
そして俺達の目の前を指差した。
そこには最初何もなかった。だが目を凝らして見ていると、徐々に変化が現れる。ゆっくりと、小さな光が集まってきたのだ。
淡い光はどんどんと集まって、次第に大きくなっていく。そして子供程の大きさとなると、突然パッと弾けて飛んだ。
目映い輝きに目をつむる。次に俺が瞼を開けた時、そこにはいつの間にか、二人の子供が立っていた。
「どもどもー!」
「皆さん、初めましてです!」
一人は陽気に片手をあげて、一人はぺこりとおしゃまに。ふわふわの髪の毛を揺らしながら、二人は人懐っこい笑みを浮かべている。
なぜこんな場所に子供が。そう思うも、その疑問はすぐに晴れた。
二人の頭には丸い耳。そして背中にはリスのような、丸く大きな尻尾があったのだから。
「この子達が、ラタトクス……でしたか?」
「だよだよ!」
「ですです!」
スティアが頬に片手を当てて不思議そうな声を出すと、二人の子供は楽しそうに笑う。ぱっと見人間の子供と変わらない。リスのような耳と尻尾がなければそうだとは思わなかっただろう。
「これがそのラタトクスか。何か、想像してたのと違うな」
精霊モドキと聞いて何か神聖な感じの奴を想像していたのに、会ってみればただの子供とは。予想外もいい所だな。
二人は非常に似ているが、一人は男の子でもう片方は女の子のようだ。
男の子は白のシャツに袖のないモスグリーンのベストと、それに合わせたショートパンツ。
女の子は白のブラウスに、胸の上までのモスグリーンのワンピースに黒のレギンス。
男の子はショートカット、女の子はミディアム。髪の長さこそ違うが、どちらも瞳と同じ栗色で、顔立ちも非常によく似ている。
恰好までも似ている二人に、双子のような印象を受ける。精霊に双子とかいるかは知らんけど。
「子供だ子供! ちんちくりんだ!」
「おいおい、お前だって子供だろ!?」
「そうです! 子供差別です!」
精神年齢の方はどうやらホシと同程度みたいだ。やっぱガキンチョか。
早速わちゃわちゃと戯れ始める子供三人に、皆の緊張の糸が切れたのが分かった。
「あたしはホシだよ! アンタ達は?」
そんな空気を気にもせず、子供は明るい声で話し続ける。
ホシの問いに、二人はニッと白い歯を見せた。
「僕はラタ!」
「私はクス!」
ぴょこりとポーズを取る二人。
『二人合わせてラタトクスでーす!』
ああなるほど。ラタとクスでラタトクスってか。やかましいわ。
得意満面にポーズを取るラタとクス。だが突然の事に皆は言葉も出ず、ぽかんと口を開いてこれを見ていた。
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突然目の前に広がった荒野。そして現れたガキンチョ二人。予想外の事態に、とにかく状況が分からない。
と言う事で、俺達は世界樹の管理番であるラタトクス――じゃねぇ。ラタとクスに詳しい事を聞こうと、警戒を緩め、適当に集まり話をしていた。
普通、魔窟の中で無防備に話をするなど危険極まりない事だ。しかしそう呑気にしていられるのにはわけがあった。
「しっかし魔窟だってのに怪物がいねぇとはなぁ」
「この階層の役目は別にありますですので!」
俺の言葉にクスが元気な声を上げる。
ラタとクスが言うには、この階層には怪物が全くいないのだそうだ。
「そ、その役目とは一体何なんだ!? 早く教えてくれ! 早く、早く! はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
「オーリ、黙って」
「ふごっ……!」
クスに鼻息荒く詰め寄るオーリ。予想通りコルツに鉄拳を落とされ、彼はバタリとその場に倒れた。
魔族達は手際よくオーリを縄で縛り始める。手慣れすぎてて何ともはやだ。詰め寄られたクスも、何とも言えない顔でその様子を眺めていた。
猿轡まで噛まされ地面に転がるオーリに思う。彼が疑問に思う通り、階層全体に敵がいないと言うのは、やはり魔窟的にはあり得ないんだろうと。
どうも理由があるようだが、その点も含めて何も分からない。
ならとにもかくにも情報だ。こんな場所だからこそ、その価値が高いのは間違いない。ユグドラシルの奴は全然役に立たないしな。
あの野郎、あれから何度か話しかけたが、一切反応を返さないのだ。これではわざわざ≪感覚共有≫を使ってやった意味が無い。
ここでラタとクスに合えたのは、実に丁度良いタイミングだった。
「階層に役目……? そんなもの、聞いた事もありませんが」
「ユグドラシル殿の言っていた、何とかと言うもののためではないか? 確か――」
スティアとティナも何かぼそぼそと話をしている。やはり皆、気になる事があるようだ。
はてさて一体何から聞けばいいだろう、俺は腕を組み、うーむと唸った。
「よーよーおっちゃん! アンタら世界樹の浄化に来たんだろ?」
だがそうこうしていると、ラタの方から話しかけて来た。
目の前でニーッと白い歯を見せるラタ。その笑い方はわんぱく坊主と言ったところか。ホシと気が合いそうだな。
そのホシは何をしてるかといえば、ビタンビタンと跳ねるオーリを指差して笑っていた。実に楽しそうである。
「そういやユグドラシルの奴が、何かそんな事言ってたな。えーっと……何だったっけか」
「えーっ。よく知らないでここまで来たのかよぉ。呑気だなぁ」
呆れたようにラタが言うが、呑気なのは俺達ではなくユグドラシルの奴だろう。聞きたい事も説明せずぶん投げやがったんだからな。全く勘弁して欲しいぜ。
「それを聞くために来たのですわよ。貴方達に聞けと言って、ユグドラシルは詳しい事を何も答えてくれませんでしたからね」
「確か、浄化……何とかと、そんな事を言っていたが。怪物を倒す事と、何か違うのだろうか?」
スティアが肩をすくめて見せると、ティナも思い出すように眉間にしわを寄せる。
「何だよそれぇ。いい加減だなぁ……。ま、それならしょうがないか」
「そう言うこった。ちゃっちゃと説明してくれや。このままじゃ一生先に進めねぇ」
ラタはやれやれと両手を広げる。そこに口を挟んだのはマリアだった。
そちらを見れば彼女の傍にホシや魔族達の姿もある。そしてクスも。
マリアは「ほれお前もだ」と言ってクスの背中を軽く押す。クスはラタの隣まで行くと、彼にちらと視線を送った。
「皆さまはあまりここの事をご存じないようですから――」
「僕達が説明してしんぜよう! 感謝するよーに!」
そして俺達に囲まれつつ、二人は楽しそうに説明を始めた。
まず彼らが話し出したのは、俺が口にした疑問に対してだった。
「さっきそこのねーちゃんが言ってたけどさ。神様の力を浄化することと世界樹を浄化することが、どうもごっちゃになってるみたいだな。言葉は同じだけど、でも意味がちょっと違うんだぜ!」
「神様の力を浄化することとは、世界樹が作った神獣を倒すことなのです。でも世界樹の浄化とは、簡単に言うと、内部にいる神獣達の処理のことを言いますです!」
大きな尻尾を振りながら、二人は元気にはきはき喋る。
「んん? でも、怪物を倒す事がオドの浄化に繋がるのですわよね? 意味は同じなのでは無いですか?」
「怪物って神獣のことか?」
「オドって神様の力のことなのです?」
「そうですわ」
スティアが疑問を口にするも、
「違うんだなー、姉ちゃん」
「違うんですの、お姉さま」
ちっちっち、とラタは指を振り、ふるふるとクスは首を振る。
どっちもいい笑顔だ。
「世界樹の浄化ってのは、内部にいる神獣を全滅させる事なんだぜ!」
「内部の神獣を一掃する。つまり、世界樹の大清掃というわけなのです!」
「な、何だとっ!? そんな事ができるのかっ!? あのような強力な怪物が跋扈しているというのに!」
自慢げに言うラタとクス。だがそんな事が可能なのか。同様に思ったのだろう、ティナも声を張り上げていた。
彼女の気持ちはよく分かる。俺もあのエルフラッシュは流石に堪えたからな。
「できるんだなー」
「できるんですます!」
だがラタとクスはできると言う。つまり、戦って倒すとか、そういう方法ではないのかもしれないな。
「で、それは一体どんな方法なのだ? まさかお前達が戦う、などとは言わないだろうが」
「この子達、そんなに強そうには見えませんしね」
「だなぁ。オーリの方が強いだろ、たぶん」
魔族達は唸りながらビタンビタンと跳ねるオーリに横目を向ける。そして一斉にため息を吐いた。
「何言ってるんだよ、僕達が戦えるわけないじゃん! そうじゃなくて、別の奴を戦わせるんだよ!」
「そうですます! この世界樹のいっちばん上といっちばん下! そこにはおーっきな神獣がいるのです!」
両手を広げ、ラタとクスが大慌てで声を上げる。
「要するに、それを世界樹の怪物達にけしかける……と。そう言う事ですか?」
「そうなんだぜ! そいつを世界樹に解き放てば――」
「神獣達は一網打尽! あっという間に浄化の完了なのです!」
そしてスティアの思案声に、二人はそうだと喜びの声を上げた。
なるほどな、それがユグドラシルの言っていたもの。つまり――
「それが浄化ステムシってやつか」
「浄化システムですわ貴方様」
そ、そんな食い気味に突っ込まなくてもいいじゃん。何よ。システムなんて言葉知らないわよ! 悪かったわね、ふーんだ!
「そんな簡単にできる事なの?」
「簡単かどうかと言われたら……」
「簡単じゃないと言いますか……」
だがホシがこてりと小首を傾げれば、ラタとクスは耳をへにょりと丸める。
「結構大変と言うか……すっごく大変というか……」
「なので手伝って欲しいと言うのが、私達の気持ちでございますです……」
背中を丸め、眉を八の字にする二人。その態度から、ひどく申しわけなく思っている気持ちが溢れている。
目の前で縮こまる二人に、マリアは不満そうに鼻を鳴らす。
「ユグドラシルの奴は浄化システムが働いてない、なんて言ってたが……。つまるところ、世界樹内部のオドが濃くなりすぎて、お前らの手に負えなくなったって事なんだな?」
「そ、そうなんだよ!」
「そ、そうなんですます!」
ラタとクスはぱっと顔を上げ、こくこくと首を縦に振った。だがそれ、オドを吸収してる側の世界樹が知らないと駄目なんじゃないのか?
世界樹の奴がオドを吸収し過ぎた結果が今だと言うなら、責任はこいつらにではなく、世界樹にこそあるだろう。
何となく上の無茶ぶりで苦労する部下の構図が頭に浮かんだ。
こいつらも随分不憫な奴らみたいだ。苦労してんなぁおい。
「そちらの不始末ではあるが……。マリア様、どう致しますか」
「どう致すも何も決まってんだろ。なぁ?」
アレスに聞かれ、マリアは俺達の顔をぐるりと見回す。
そりゃ聞かれるまでもない。乗り掛かった舟――いや。ここまで来た以上、もう船には乗っちまった後なのだ。ここで断るという選択肢は無いだろう。
それに、こんな口をへの字にしているガキンチョ二人残して、さあ帰ろうというわけにもいかんしな。
「まぁ、これはやるっきゃねぇだろ」
「それでこそ貴方様ですわ!」
「やろう、やろう!」
俺が頭を掻きながら言えば、スティアとホシもにこりと笑う。
隣のバドも両腕を上げて、ぐっと力こぶを作る仕草を見せた。
「ふ、エイク殿がやると言うなら、無論俺達もそれに加わろう。それにその巨大な怪物と言うものを、個人的には是非見てみたい」
「ですね。一体どんな敵なのか、私も非常に興味があります」
「俺はねぇけど……でも大将がやるってんなら力を貸すぜ!」
「ムフー! ムフフー!」
魔族達もやる気のようだ。オーリも激しくビタンビタンと跳ねている。
で、最後はこいつらだが。俺達の視線が集まると、ティナはぐっと胸を張った。
「当然、私達も力を貸すぞ。困っている幼子二人を見て、知らぬふりなどできないからな」
何を思うのかじろりと俺を見るティナと、反してにこりと笑みを見せるステフ。
つまり全員参加と言うわけだ。
「な?」
「ふ、仕方ありませんな」
これにマリアがニヤリと笑えば、アレスも軽い笑みを見せた。
「皆、ありがとな!」
「ありがとうございますです!」
ラタとクスは大喜びだ。ぴょんぴょんと跳ねながら俺達に礼を言う。
子供の様にはしゃぐ二人に、皆の顔にも笑顔が浮かんだ。
「どうかしましたか? 貴方様」
「ん?」
だが、俺はそれがどこか非常に不自然に映った。
ラタとクスの表情と仕草は本当に嬉しそうだ。だがその内から感じられる感情が、どうにもそれと合っていないような気がしたのだ。
相手が精霊だからなのか、それは判然としない。それにラタとクスの笑顔も本物にしか見えなかった。
俺の気のせいかもしれないが。しかしどうも違和感を覚えてしまう。
「いや……何でもない」
「そうですか?」
スティアにはそう答えたものの、その違和感はずっと俺に付きまとう事になる。
結局その感覚は正しかったのだが、しかしその理由がなぜか分かったのは、それからもっと後の事だった。