249.分かり合えない二人
誤字報告下さった方、ありがとうございます。
「最初、私はランクEが戦力になどなるかと思っていた。だが蓋を開けてみれば何だ。皆、私達以上の実力者だっただと? ……こんなふざけた話があるか。人を馬鹿にするにも程があるだろうっ」
ティナは表情を苦々しく歪める。俺からすれば些細な話と思うが、しかし目の前の彼女から放たれるのは仄かな怒りだった。
そんな目を吊り上げるような話じゃないと思うがねぇ。騙されたとでも思っているんだろうか。
「馬鹿になんてしてねぇよ。んな悪趣味な事をする趣味はねぇし、そんな事して遊んでる程暇でもねぇ」
「なら、なぜランクを上げない」
「面倒臭ぇ」
俺達はランクDに上がる条件を殆どクリアしている。残るは実技試験だけだが、面倒なので受けていなかった。
それにパーティランクも現状B。加えて少し前に大海嘯を抑えた事を評価され、それより上げるなんて話もあると、以前ギルドで聞いている。
冒険者ギルドから受けられる支援は、個人ランクとパーティランクのどちらか高い方が適用される。つまり個人のランクをDに上げたところで何の恩恵も無いのである。
無駄な事をわざわざやる程、俺は冒険者というものに思い入れは無い。そもそもランクを上げずにいる事だって、他人に批難される理由にはならないだろう。
「大体ランクEだからって、弱いと思い込んでたのはそっちだろ。ランクなんて絶対的なもんでもないだろうに」
「程度と言うものがあるだろう! ランクEが自分達より強いなどと、普通思えるかっ!」
ステフが慌ててしーっと人差し指を立てる。ティナはそれにはっとした後、バツが悪そうに口をつぐんだ。
全く何なんだ、怒鳴るような事でもなかろうに。誰か起きたらどうすんだ。皆疲れてんだぞ。
渋い顔で黙ったティナ。だが顔からは、納得がいかないと言う感情がありありと浮かんでいる。
「ランクの高さとは強さの証明だ。だからこそ冒険者は皆、ランクを上げる事を目指しているのだ。ランクが実力を正しく反映している物だと言うのは冒険者の常識だ。なのに――」
「俺達みたいにランクを上げない奴もいるんじゃないのか?」
「いるものかっ! ランクを上げないメリットなど何もないのだからな! ……貴様はランクで実力を測った私達に落ち度があると言ったが、私は何も間違ってはいない。お前達がおかしいのだっ」
そんなもんかねぇ。ま、言ってる事は分かったけども。
とは言え彼女の言いたい肝心な事が、俺には何も分からなかった。
「ねぇ」
睨むティナと見つめ返す俺。俺達の話に少し間が開くと、そこにホシの不思議そうな声が飛び込んできた。
「結局何が言いたいの?」
きょろりと向けられたあどけない瞳に、ティナはうっと言葉を飲み込んだ。
ホシも気付いていたらしい。こいつはぽやんとしているようで、物事の核心を突く事も多いのだ。
「俺達の実力がランクと違うってのは分かった。だが、だからどうした。俺達は他人にそんな風に睨まれるような覚えはないぞ。何か迷惑でも掛けたんなら別だがな」
俺もホシの追撃に参加する。するとティナはどこか悔しそうに両拳をぎゅっと握り締めた。
俺とホシが見つめる中、ティナは俯き口を真一文字に結んでいる。険悪な雰囲気に隣のステフはさっきからおろおろしっぱなしだ。
しばらく待っても何も言わないティナ。このまま話が終わるか。そう思い始めた時、彼女はやっとその口を開いたのだが。
「力のある者が力を隠すなどあってはならない事だ。強き者は弱き者を助ける務めがある。お前達は、その責任から逃げているだけだろうっ」
彼女は突然そんな事を言い出したのだ。
「マリア様の護衛も、貴様達は嫌がっていた。確かにマリア様はお強い。だが聖女としての役目を果たそうとするあの方を、お前達はお助けしたいと思わないのか?」
ティナの眉間には深いしわが刻まれている。自分の言う事が正しく、俺達が間違っている。そんな感情がはっきりと伝わってくる。
そりゃ力があれば誰かを助けられると言うのは理屈としては正しい。
「馬鹿馬鹿しい」
だが俺は、そんな彼女を鼻で笑った。
「強いなら弱い奴を理由もなく助けろってか? そんなもんやりたい奴だけでやってればいいだろ。他人に強制するんじゃねぇ」
「なんだと?」
低い声を出すティナ。そんな彼女を俺はじろりと見る。
「聞くがな。お前、どこか良い所のお嬢様だろう?」
雑にカマをかけてみると、ティナはうっと言葉を詰まらせた。
立ち振る舞いは洗練され、口調はお堅い。
そして極めつけは今の台詞。以前聞いた貴族のノブレスなんちゃらとかいう、ごく自然に平民を見下す糞みたいな思想を思い出させる。
黙ったティナに俺はフンと鼻を鳴らす。
「ならもう一つ聞くぞ。お前はその弱い立場の人間に、実際になった事があるのか?」
「そんなもの――」
「一週間以上何も食わなかった経験があるか? 木の皮を煮て食った事は? その辺に生えてる草を奪い合って食った事は?」
反論しようとしたティナ。だが次いで放った俺の言葉に、その言葉を飲み込んだ。
無いだろうよ、お前のような人間にはな。
俺は隣でティナを見上げる、ホシの頭に手を置いた。
「俺やコイツなんかはな、強くならなきゃ生きられなかったんだよ。何もせずにのうのうと飯食って寝ていられる連中とは違ってな」
弱い奴を力のある奴が助ける。何て素晴らしいことだろう。
そんな理屈がまかり通る世の中ならば、空腹で幻覚を見てうめき声を上げる奴もいないだろうし、病気を治せず死んで行く子供もいないだろうし、人を攫って奴隷にするような奴もいないんだろうな。
クソくらえだ。
「仲間や自分のために磨いた力を、そのためだけに使って何が悪い?」
自分が助けたいと思った相手だったなら、そいつを助ける事に迷いはない。
だが自分から力をひけらかして、群がってきた奴を助けろなんて冗談じゃない。
俺達は生きるため強くなろうとしたのだ。それは決して慈善事業をするためなんかじゃあない。
誰にも頼れなかったから、自身が強くならざるを得なかったのだ。
「だ、だが! 弱者のために力を振るう事に、どうして理由がいる!? 苦しむ民――いや、人がいたとして、それでもお前達は無視を決め込むと、そう言うのか!?」
きっと彼女は誰かに助けられながら生きて来たんだろう。
手を差し伸べられる事を当然のように受け入れて来た彼女。
誰にも助けて貰えず、自分達だけで生きる事を強いられた俺達。
片や恵まれた環境で育った人間。
片や底辺で育った人間。
意見をどれだけ言い合おうと、分かり合えるはずが無かった。
「お前の言う事はご立派だがな」
ティナが何にイラついているのか知らないが、しかしこの話はこちらにとっても楽しい話じゃない。
辟易した俺はフンと鼻から息を吐き、最後の言葉を吐き捨てる。
「奴隷をアゴで使ってる奴に言われたくねぇよ」
これが最後に交わした言葉となり、ティナは唇を噛み締めた後、俺に背を向けて離れて行った。
どうしてかステフだけがその場に残り、立ったまま俺を見つめている。彼はティナに呼ばれてすぐにその後を追って行ったが、彼の悲しそうな瞳が一体どんな意味を持っていたのか、今の俺には分からないままだった。
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番を交代し寝床に入ったティナ。しかし彼女は先程から寝付くことが出来ず、目を閉じたままずっと悶々としていた。
この第二階層での戦いは、彼女にとってかなり厳しいものだった。体は未だに疲労で重い。精神的な疲れも相まって、見張り番をしていた時など常に眠気と戦っていたくらいだ。
そんな彼女がしかし今、いざ眠ろうとしても寝付けないのには理由がある。
先ほどの会話があまりにも腹立たしく、いら立ちが眠気を越えてしまったからだ。
(くそっ、あの男め。好き放題に言ってくれたものだ)
二日前に顔を合わせた、ランクEの四人組。ランクE冒険者と言うのは、まだ一人前未満の見習いに毛が生えた程度の者達だ。
聖女の護衛など彼らには不可能。そう考えたティナは、聖女直々に選んだ彼らをある程度立てつつも、有事に戦うのは自分達だと、重い責任を感じながらここまでマリアに付いて来た。
しかしこの世界樹に入ってから、彼女は知ることになった。
彼らの本当の実力と、そして自分の気負いが間抜けな独り相撲だった事を。
普段ならむっとした程度だっただろう。しかし聖女の護衛をしているという重責と重い疲労が引き金となり、彼女はエイクに不満をぶちまけてしまう。
結果相手を怒らせてしまい、自分も余計にむしゃくしゃする羽目になった。
そこに突っかかったのが自分だと言うばつの悪さも加わって、背中越しに感じる相手の気配から逃げるように、彼女はブランケットに顔をうずめた。
(あの男の言った事は本当なんだろうか。木の皮を食べたなんて……。どんな味がするんだろう。やっぱり……不味いんだろうな)
先程聞いたエイクの言葉が頭の中でぐるぐると回る。
そんな生活を送っている平民がいたなんて知らなかった。
彼がそんなに困窮した環境で生きて来た人間だと思わなかった。
ティナはそんな事を考えるが、しかしその思考は徐々に別の方向へ流れて行く。
(そんな生活、奴隷より悪いんじゃないか。奴隷だって毎日の食事くらい……)
彼女は自分の隣で眠るステフに目を向ける。
彼は自分の奴隷である。普段なら自分より先に眠ることは絶対に無いが、しかし今彼は緩やかに目を閉じて、規則正しい呼吸を繰り返していた。
彼の寝顔を見てティナはふっと笑う。
しかしそれもすぐに沈んだ感情に変わった。
(こんなところで何をしているんだ私は。これじゃいつまで経っても実現なんてできっこない)
不意に今まで自分が歩んできた道が思い出される。
ティナには幼い頃よりずっと抱く、一つの大きな夢があった。
それは帝国の理不尽を正すと言う、彼女にとっては正しさしかない夢だった。
しかし説得を試みても、貴族らは己の保身からか立つことを拒否し、彼女の両親ですらこれに首を振る始末。
弱者を見捨てる権力者の姿に閉口した彼女は、皆の反対を振り切り、冒険者となる事を決断した。
皇帝は生粋の武人。だからか己の身一つで武勲を立てた者には、立場によらず過分な報奨を与える事もあると言う。
帝国が大陸南部を統一してから三十年。幸か不幸か大きな戦の気配はない。
軍では到底武勲など望めないが、しかし多種多様な依頼がある冒険者ならば、それに値する依頼もあるのではないか。
自分の力で功を立て、皇帝に直訴してでも念願を果たす。そんな思いを胸に秘め、彼女は手柄の匂いを探りながら、今まで研鑽を続けてきた。
気づけばランクBまで昇格し、冒険者の中でも――むろん帝国内に限るが――その名を知られるようになってきたティナとステフ。
ランクBとは冒険者にとって一つの到達点。腕っぷし一つで上がる事の出来る、最高位のランクである。
AやSとなるためには実力の他、それと認められる偉業を成す必要があった。
そろそろ大きな手柄を立てたい。そう思っていた矢先、帝国が王国へ攻め入ると聞き、参戦を決めたのが今から一年半程前の事だった。
国境近くで帝国軍と一触即発となったのは、王国軍の第三師団。彼女はここで第三師団長の首級を上げ、武勲を立てようと思っていた。
しかしこの時は結局軍事的な衝突は起こらず終わる。ティナの目論見は叶わぬまま、帝国軍は国境から引く事となってしまったのだ。
しかしならばとティナが次に考えたのは、王国軍への参戦であった。
睨み合いはしたものの、帝国と王国の衝突は起きなかった。ならば帝国出身だろうと、高ランク冒険者である自分達の志願を断る可能性は低いはずだ。
聖魔大戦に参戦し、魔王の首級を上げてやる。そうして彼女は王国領内へ入ったが、しかし最前線へ向かう道中聞こえてきたのは魔王封印の報せだった。
空回りに終わり燻っていたティナ。だがそんな時、今度は聖女が護衛を募っていると聞き、彼女は一目散に飛びついた。
ここで何か手柄を立てなければ、はるばる王国まで来た意味が無い。必死に声を上げた結果護衛に加わる事となり、今度こそはと付いて来た。
しかしそこで見たものは、自分達が一番弱いと言う、非常に厳しい現実だった。
(いや、駄目だ。世界樹なんてものすら出て来たのだ。こんな機会はもう一生に一度たりとも無いはずだ。ここで頑張らずにいつ頑張るのだっ。頑張れジャスティーナ、落ち込んでいる暇はないぞ。奴隷解放の日はもうすぐだっ)
必死に自分へエールを送る。
しばらくそうしてブランケットの中でもぞもぞとしていると、背後で男がぼそぼそと呟いている声が聞こえて来た。
何だろうと思わず聞き耳を立てる。しかし次の瞬間強烈な睡魔が襲ってきて、彼女はあっけなく夢の中へ引きずり込まれて行く。
「……寝た?」
「ああ。全く、明日もあるんだから早く寝ろってんだよな」
これはエイクの魔法、”微睡みの雲”によるものだったのだが。眠りに落ちていくティナの耳には、もはやそんな会話は届いてはいなかった。