245.世界樹内部へ②
世界樹の中へ入って二時間ほど探索した俺達は、大きな木の根元にぽっかり口を開いた、人が通れそうな程の洞を発見していた。
世界樹の内部に入った時の事を思い出す。恐らく次の階に移る場所だろう。
《おお、ご苦労じゃったな。その辺は休憩所にしとるからの、しばし休むが良い》
ユグドラシルの言う所によれば、他の魔窟同様、階層を移動する場所の周囲は怪物が出ないそうだ。
加えて、周辺の木になっている実は食えるらしく、疲労回復にも役立つそうだ。
日照りに雨とはこの事か。そんなわけで、流石に疲れを感じていた俺達は、その場で少しばかりと休憩を取っていた。
「舐めていたわけではないが……流石に、少し疲れたな……」
ティナは草の上に腰を下ろし、疲れたように何事かぼそぼそと一人呟いている。
ランクAパーティーと豪語するだけあって、彼女達はここまで大きな怪我を負う事は無かった。
ただ流石に無傷とはいかず、道中何度か傷薬を塗っていた。
こんな前情報のない場所で、敵も多い中ずっと先頭で戦っていたのだ。肉体もさることながら、精神的な疲れも蓄積しているだろう。
肩で息をしているティナ。近くに座るステフも疲れた様子だが、しかし主を心配するくらいは余裕があるらしく、ティナへ労しそうな目を向けていた。
「変なのいっぱいいた! ここ面白いね!」
「全くだな。歯ごたえがあって鍛錬には良い場所だ」
反対にホシは楽しそうだ。ガザ共々思う存分暴れられて、随分とご機嫌な様子である。
疲れた様子も全くない。魔族のガザはともかく、ホシはあの小さな体にどれだけ力が詰まっているんだ。呆れてしまうね。おっちゃんはちょっと疲れたよ。
「お疲れ様です。貴方様」
座って休憩していると、スティアがそう声を掛けて来る。彼女は当然のように俺の隣にすとんと腰を下ろした。
バドも少し遅れてやってくる。彼は今程せっせと取っていた実を腕に山と抱えていた。
お一つどうぞと差し出す彼に、礼を言ってそれを受け取る。歪でぼこぼことした、赤や黄色のまだら模様。見たことも無い果物だ。
毒がありそうな見た目なんだけど、食えんのかこれ。少し不安だ。
「随分と敵に遭遇しましたわね。この数はわたくしもあまり経験がありませんわ」
「へぇ、そうなのか」
「ランクEやFなどの、もっと弱い怪物なら別ですけれどね」
スティアはそう言うが、疲れた様子は全く見られない。いつも通りの涼しい顔で、汗の一つもかいていなかった。
俺達の近くに座って果実にかじりつき始めたバドもまた、疲れた様子はどこにも無い。彼の涼しい顔を見ながら、俺も倣って噛り付いた。
果物は少し甘酸っぱく、それでいて辛さも感じられる不思議なものだった。
美味いかどうかはノーコメント。健康に良さそう、と言えば分かるだろうか。
スティアも一口かじったが無言。ただ、バドはうんと一つ頷いた後、持っていた果実をシャドウへころころと入れていた。
「ちなみに、今まで出て来た怪物はランクで言うとどのくらいだと思う?」
俺はその微妙な果物を咀嚼しながら、道中気になっていた事をスティアへ振ってみる。すると彼女は視線を外してんー、と考えた後、
「今までの様子ですと、ランクCかBくらいはありそうですわね」
と答えた。
「あの魔法を撃ってきた鷹は?」
「あれはランクBだと思います。先程のように群れてくると、討伐難度はAになるかもしれませんわね」
そう言って彼女は理由を説明し始めた。
「空の敵は対処法が限られます。下から攻撃して倒すよりありませんが、しかしあの早さでは魔法を当てるにも難しい……。倒すのに難儀する敵は大体高ランクになりますから」
それは理路整然とした分かりやすいものだった。彼女は最後に、まあ私の所感ですけれどね、と軽く笑った。
だが俺は言われて納得した。ホシは投石で倒していたが、あれはマリアの謎魔法があってこそだ。
そうで無ければ俺のように、精技か魔法を使うしかないはずだからな。
倒しにくさが強さに直結するのは当然だ。奴らはタフさこそ無かったが、そもそも当たらなければタフさなど、考える以前の問題だ。
当たらなければどうと言う事はない、とどっかの偉人も言ってたからな。面倒な話である。
「入ってすぐにランクBか。こりゃ確実にAはいるな」
「でしょうねぇ」
バドもこくこくと首を縦に振る。ここはまだ最初の階層だ。先に進めば確実に、これより強い敵が出るだろう。
以前タイマンで戦ったオークキングを思い出す。あれが群れを成してきたと想像すると、流石にぶるりと体が震えた。
奴とはタイマンでほぼ互角だった。今はマンドレイクを食って強くなっているが、それでも楽に勝てるような相手とは思えなかった。
分かっちゃいたが、えらい場所に来ちまったようだ。情けない話だが、こりゃ仲間達の力に期待するしかねぇな。
ぐるりとパーティーの面子を見る。魔族達と談笑をしているホシ、座り込んでいるティナ達、そしてアレスと何か話をしているマリア。
そのうち疲労を滲ませているのはティナとステフ、そして俺くらいだ。
俺は最後に一口かじり、芯をポイと放り投げた。
「やれやれ、仲間が頼もしいってのは心強いね。こんなわけの分からん場所は特にな」
俺は今まで通り後ろに下がっている事にしよう。人間出来る事とできない事がある。できない奴が出しゃばっても良い事なんて何一つ無いのだ。
これは別に恥でも何でもない。じゃなけりゃ適材適所なんて言葉はこの世に存在しなかったろう。
「悪いが俺はこのまま後方支援に徹させて貰うぜ。前に出るのは厳しそうだ」
「まあそうですか! その方がわたくしも助かりますわ!」
スティアはそう嬉しそうに言う。それは俺を守る必要がない……つまり、暗に弱いと言っているのか。
少し捻くれた俺が内心ひょこりと頭をもたげるが――
「貴方様の視野は誰よりも広いですからね。こういう何が起こるか分からない場所では、貴方様に警戒をしていて頂けると安心して戦えますわっ!」
そう言ってスティアは胸元で両手を合わせた。
俺の≪感覚共有≫には、常に発動している感情の共有がある。
効果は微弱なものの自動で発動している影響で、周囲の生物の感情を常に読み取る事ができるのだが、これにより敵が隠れている場所や、攻撃のタイミング何かも察する事ができるのだ。
俺の視野が人より広いのはこのためなのだが、
「貴方様が後方支援をして下されば、戦闘に集中できます。心強い事この上ないですわ。ね? バド」
彼女もバドも、それが心強いのだと言う。にこにこと笑うスティアと、こくりと頷くバド。
……全く、少し妬ましく思ったのが馬鹿みたいじゃねぇか。
何となくスティアの頬を軽く引っ張ってみる。
「うにぃ~っ!?」
彼女は変な声を出した後、「急になんですの!?」と狼狽えていた。
全くよ、俺は元々山賊だぜ? 性根が捻くれてるってのに、真っすぐぶつかって来られると調子が狂っちまうんだよ。
頬に手を当てて声を上げるスティアに、俺はからからと笑う。そんな俺達に何事かと、周囲の皆も目を向けていた。
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少しの休憩を入れれば、俺の疲労は驚くほど取れた。これはあのおかしな果実の影響か、はたまた他の何かだろうか。
「おい、休憩はもう良いだろ? ほら立った立った」
マリアに急かされ皆が立ち上がる。ティナとステフもある程度は回復できた様だ。その立ち姿に疲労は見て取れなかった。
このまま行っても良いだろうか。少し考えた俺だったが、まあまだ入ったばかりの一階層だ。
ティナ達にも疲労は残っていないようだし、隊列を見直す程では無いだろうと、口出しは止めておくことにした。
「では参りましょうか」
スティアは皆の様子をぐるりと見た後、一番に洞の中へ入って行く。彼女の背中が暗闇に消えた後、俺達は順番にそれに続き洞をくぐった。
そこは世界樹の中へ入った時と同じ、ただただ真っすぐな暗闇があった。
前を歩くホシの背中も見えやしない。ただ大勢の気配だけがある洞の中を、皆口を閉ざして真っすぐ進む。
俺が行ったことのある魔窟では、どこも次の階層へ下りる階段があった。だがここはそんな物などないらしく、平坦な道がずっと続いていた。
数分程そのまま歩く。いつまで続くのかと思っていると突然視界が開け、俺は眩しさに目を細めた。
今度は明るい場所なのか。そう一瞬思うも、目が慣れてくれば、その階層もまた薄暗い森の中だとすぐに理解できた。
「また森の中か」
「まあ予想はできましたけれどね」
俺の呟きにスティアが応える。確かに期待を裏切ってはいないな。
ここで急に洞をくぐったら雪国だった、何て言われた方が困る。そんな馬鹿な事を考えつつ周囲の様子を見ていると、洞から最後尾のガザが顔を出した。
これで問題なく全員揃ったか。オーリがまた何やら騒いでいるが、まああいつは放っておこう。
「すーちゃんよろしく!」
「ええ、任されました」
「デュポ。アンタも、頼んだわね」
「ガッテン! 任せろ!」
ホシとコルツが先頭の二人に声を掛ける。これに二人も頼もしく返した。
危険地帯では斥候役がパーティーの生命線だ。敵の奇襲を許してしまえば最後、一瞬で一団が瓦解したなんて事も珍しくない。
その役目は地味ながら、皆の命を預かると言う、非常に重いものである。その点うちの斥候役は非常に優秀だった。
ただでさえ腕が良いってのに、耳は良いし目も良いし、性格も良けりゃ見た目も良い。何より出鱈目に強いのだから。
加えて今は鼻も良いデュポもいる。アリが入り込む隙間も無い。
「よっしゃ、それじゃさっさと先に進むぞ!」
マリアの声に促され、一団は再び歩き出す。森は下の階層と同様に、静かに俺達を迎えていた。
世界樹の第二階層。第一階層でさえ厳しかったのだ、ここがぬるいと言う事も無いだろう。
そう思えば、耳が痛くなるほどの静けさが、途端に不気味に思えてくる。
慎重に進み始めた二人の背に、俺達は足音を小さくして続く。
かさりかさりと下草が音を立てる。風の一つも吹かない森には、俺達が進む音しか響かなかった。
《そうそう、言い忘れておったがの》
突然ユグドラシルの声が聞こえる。
《そこにはにっくきあ奴らがいるはずじゃ。我の代わりにあ奴らを成敗してやってくれ。頼んだぞ》
にっくきあ奴らとは一体何だろう。俺達は足を止め、顔を見合わせる。
そこはかとなく嫌な予感がするのはきっと俺だけでは無いだろう。皆の顔にも困惑以外の感情が浮かんでいた。
ユグドラシルはその後口を閉ざしたため、結局それが何なのか分からなかった。俺達も俺達で聞くのがなぜか戸惑われ、その話はそこで終わってしまった。
ユグドラシルが憎いとまで言う相手だ。この世界樹の中に出てくる以上怪物なんだろうが、一体どんな奴なんだろう。
ユグドラシルは成敗してくれと言ったが、できるなら遭いたくない。
不安を抱えつつ俺達は森を進んで行く。
だがそんな願いはすぐに断たれる事になる。
「――皆様、ご注意を! 何かがこちらに向かって来ますわっ!」
俺は忘れていたが、ユグドラシルは言っていた。
あ奴”ら”と、複数形で言っていたのだ。
「ヤベェ、数が多い! 囲まれるぞ!」
スティアとデュポが焦ったような声を上げる。相手との距離が急速に詰まっているのだろうと察した俺は、すぐに声を張り上げる。
「スティア、デュポ、下がれ! バドは前に出ろ!」
敵に対し、すぐに陣形を整える。慌ただしく動き出す面々。
バドなら相手が何であろうとも、きっと防いでくれるだろう。俺はそんな思いから彼を前に出したのだ。
だが、それが誤りだったとすぐに理解することになった。
「あ、あれは――!?」
先頭で剣を抜いたティナが、困惑とも驚愕とも取れない声を上げる。
ユグドラシルが言っていた怪物か? そんな事を考えながら、俺もその視線を追う。
そこには二本足でこちらへ駆けて来る、いくつかの敵の姿があった。
「……んな馬鹿な」
だが一拍を置いて口から出たのは、現実を理解できない感情だった。
なぜなら俺の目に映ったのは、手に武器を持ち駆けてくる、エルフ達の姿だったのだから。