244.世界樹内部へ①
世界樹の洞から中へ入った俺達は、そこに広がる光景に足を止めた。
「これは……」
「なるほど、こういったタイプの魔窟ですか」
「木の中に木がある! あはは、変なの!」
皆が皆目を奪われ、きょろきょろと周囲を眺めている。俺もその例外に漏れず、その内の一人だった。
先程までいた洞の中は、一筋の明かりも無い、暗闇だけがある場所だった。
だが突然。本当に何の前触れもなく、急に視界が開けて。
気付けば俺達は下草の絨毯を踏んでいた。
目に飛び込んできたのは視界を覆い尽くす緑。大きな木が左右に並び、ずっと向こうまで続いている。まるで通路を作り出す壁だ。
上を見れば青い空がある。足元が草である事を除けば、まるで森を切り開いて作られた小さな街道のようだった。
「おお……! 何と言う、美しいっ!」
戸惑いを滲ませる俺達を尻目に、オーリだけは感動したように声を上げている。だがそう能天気ではいられない。ここはもう怪物が跋扈する危険地帯なのだ。
「スティア、前を頼む」
「お任せを。シャドウ、マッピングの道具を下さいまし」
周囲は鬱蒼としていて、いつ何が飛び出してくるか分からない。斥候を頼めば彼女は抑えた声を出し、シャドウがにゅうと手を伸ばした。
「前歩きながらで大丈夫か? 何なら俺がやるぞ?」
「いえいえ、慣れておりますので」
彼女はシャドウから道具を受け取りながらにこりと笑う。まあスティアはそのスタイルで長い事やって来ただろうからな。
良いと言っているし、そういう事ならマッピングも任せよう。
「そう言う事なら、俺も斥候やるっスよ」
二人で話していると、後ろからデュポが歩いて来た。
「姐さん程とはいかないけども、俺、鼻には自信があるっスから」
「だから姐さんと言うなっ」
ひくりと鼻を動かして彼は笑う。たぶんニヤリと笑ったんだろうが、牙がむき出しになってちょっと怖い。デュポの癖に。
スティアもそうだが魔族達は暗い所でも見える目を持っている。視界が悪いこの場所で、夜目が利く斥候役はかなり助かる。
更に二人とも耳が非常に良い。加えて鼻もとくれば安心して探索できそうだ。
「じゃあ隊列はどうするか――」
先頭は当然スティアとデュポの二人だ。となると、最後尾はガザとコルツで決まりだろう。
彼らも魔族で目と耳が良い。背後をつかれた場合、最も早く危険を察知できるはずだからな。
オーリは、まあ、何だ。興奮してるし警戒は無理だろうな。適当に後ろの方に配置して、いざという時にはまたコルツにでも黙らせて貰うとしようか。
魔族達の配置はこんなもんでいいだろう。
ちなみにロナは今ここにはいない。
マンドレイクを食べて珍しくやる気に満ちていたロナだったが、しかし彼女には戦闘経験が全くない。そんな者を、何が起こるか分からない危険地帯に連れて行くわけにはいかなかったからだ。
足手まといになるどころか、最悪命を落としかねない。それはロナ自身も分かっていたらしく、今は案内をしてくれたアルラウネと共に、世界樹の外で留守番中である。
今はあのマンドレイクの畑まで、二人で引き返している事だろう。洞の近くではまたあのアンヴァルが出てくるかもしれないからな。妥当な判断だった。
ここにいるのは自分の身を自分で守れる人間のみ。となれば隊列はかなり自由度が高そうだが。
まず初めに誰を前に置くかと、俺はあごを撫でる。すると、すっとティナが前に出て来た。
「彼女らの後ろには私とステフがつく。この魔窟がどの程度の難度か分からないからな……。まずは私達で様子を見よう」
彼女はそう言いながら、通り過ぎ様にこちらに横目を向ける。
「お前達にある程度の実力がある事は、今までを見ていれば何となく分かった。魔族を従えているくらいだからな。だが……やはり、まだ信用できん」
そしてふいと前を向き、さっさと前に歩いて行ってしまった。
後ろのステフが俺へ済まなそうな目を向けながら、その後に慌てて付いて行く。二人の背中を見ていると、後ろから揶揄うような笑い声が聞こえた。
「信用されてねぇってよ」
振り返れば、マリアがにやにやしながら茶々を入れてくる。だがそれに対して、俺はただ肩をすくめてだけ返した。
そりゃあ、あいつらとは昨日今日知り合った仲だ。こんな未知の場所で背中を預けられる程の信頼関係なんて、築けているわけがない。
つまりお互い様だってこった。
「あいつらも自分からお前の護衛を買って出たんだ。そろそろここらで一つ、役に立って貰おうじゃねぇか」
あの二人の実力を知るにはいい機会だろう。そして、こいつらにもいい加減働いてもらおうか。
俺はマリアにじっとりと視線を送る。
「あいつらはお前のために来たんだからな。サポートぐらいはしてやれよ?」
「……ふん、しょうがねぇな。まあいいぜ。ただ後ろに付いて行くのも飽きたからな。行くぞアレス」
「御意」
鼻を鳴らすも切り替えたのか、マリアはアレスを引き連れてティナ達の後ろに陣取った。
ならその後ろは俺、バド、ホシ、オーリで決まりだな。俺は長剣をシャドウに手渡して、受け取った矢筒と短剣を代わりに装備した。
「よし、そんじゃ行くぞ」
俺が最後に弓を受け取ると同時に、マリアがそう声を上げた。先頭のスティアがちらりと見たため、俺は頷いてそれに応える。
さて、三百年もの間放置されていた世界樹の魔窟とは、一体どんな場所だろうか。
普通の魔窟だったなら、そんなに放置されていたら確実に大海嘯が起きている。ここが特別な場所だから起きていないのか、それとも。
とにかく、それだけの危険があると想定して行くことにしよう。
「オーリ、静かにしておけよ」
「ガザ様の言う通りよ。あんまりうるさかったら縄で縛ってシャドウの中に突っ込むからね」
「な――!? そんな無体な事を!? 血も涙も無いぞ!」
「だから静かにして」
後ろで魔族三人がこそこそとそんな事を話している。こんな気が抜けた調子が終わるまで続いたなら、逆に良いんだろうけども。
目の前に広がるのは薄暗い緑深き樹海と、それを割るように伸びる一本の道。周囲は不自然なほど静まり返っている。
故に小声で話す内容も丸聞こえである。
彼らの会話に一つ息を吐く。そして進み始めた皆に続き、足を前に踏み出した。
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「はぁぁぁぁっ!」
ティナが長剣を振るうと、大蛇の首がずるりと落ちた。
敵はブシュウと黒い霧を噴き出し消えて行く。だが息をつく暇もなく、その後ろからもう一匹、牙を剥いて飛びかかって来る。
「ティナ様!」
間に割り込んだステフが盾で受け止める。蛇はガツンと派手な音を立て、それに激しくぶつかって行った。
十メートルは余裕で超える大蛇だ。ステフの体が僅かに押される。だが彼は低く腰を落とし、全く体勢を崩していなかった。
「はぁっ!」
押し返し、大蛇へ剣を飛ばす。だが蛇もこれを体をくねらせ交わし、再び牙を剥き出し襲って来る。
ステフは再び盾を前に、蛇を受け止めようとするが、
「シッ!」
そこへ走る銀の閃き。
アレスの斧槍が空を断てば、飛びかかった蛇の首もどすんと落ちた。
「アレスさん!」
「礼はいい。まだ戦いは終わっていない」
だが目の前にはまだ十程の大蛇が屯している。今にも飛びかからんと鎌首をもたげる怪物の群れ。
三人は油断なく武器を構え、これを迎え撃っていた。
世界樹の中に入ってから三十分程経っている。あれから俺達はもう何度目かという襲撃を受けていた。
想像通り、出てくる敵は皆手ごわい奴ばかりだ。今ティナ達と戦っている大蛇やでかい狼と言った、魔物でもいそうな敵から始まり、毒の花粉をまき散らす巨大な花や動く木――トレントと言うらしい――なんて変わり種までいる。
加えて生息している数が多いためか乱戦ばかりになっている。
今もまた森から現れた怪物が邪魔をして、俺達は先頭で大蛇と戦っている三人にまともな援護ができずにいた。
「あ! 何か来たよ!」
「今度は何だ!?」
森から迫るトレントの眉間に”烈火の投槍”をぶち込んだ俺の耳に、ホシの高い声が飛び込んでくる。
上を指すホシに空を見れば、大きな鷹のような怪物が飛んでいる姿が目に映った。
数は五。連中はこちらへ真っすぐに飛翔すると、俺達を眼下にホバリングをし始めた。
「ピィーッ!」
鷹達は警笛のような高い声を上げる。かと思えば、その場でバタバタと激しく羽ばたきをし始めた。
魔法か? そう思う俺の耳に、スティアの警告が響く。
「”疾風の刃”ですわ!」
言い切るが早いか、無数の”疾風の刃”が上空から降り注いで来た。
「うわーいっ!」
「うっひゃあっ!」
俺達は慌てて地面を蹴る。次の瞬間俺達のいた場所は、馬鹿みたいに土を巻き上げていた。
「やってくれんじゃねぇか――よっ!」
「お返しをくれてやるっス!」
俺とデュポは矢をつがえて空へと放つ。だが連中はまるで馬鹿にするかのように、スイスイと飛んでこれをかわす。
「チィ! やっぱ当たんねぇかっ」
距離がある上、奴らの動きは非常に素早い。ただ矢を放っただけでは到底当たりそうには無かった。
面倒な奴らが来たな、クソッ。
「うおぉぉぉっ!」
「せいっ!」
「何だこの怪物はっ! 何と美しい! コルツ、生け捕りにするぞっ!」
「無茶言わないで!」
後ろでは魔族達三人とバドが襲い来る大きな狼達を迎撃している。狼が狼をぶん殴っている光景は何かおかしなものを感じるが、ともかく向こうからの援護は無理そうだ。
前は大蛇で後ろは狼。そして上から鷹と来た。大歓迎で涙が出るね。
「えーちゃん、また来るよっ!」
俺が後ろの状況を見ている間に、連中はまた攻撃の体勢に入ったようだ。
休む暇も与えない気か。俺は敵を見上げつつ声を上げる。
「スティア頼む!」
「風の精霊よ、我が身を護り賜え!」
彼女はすぐに反応し、魔法の詠唱を始める。
「ピィーッ!」
「”風の障壁”!」
風の刃が降り注ぐのと、スティアの魔法が展開するのはほぼ同時だった。
こちらに向かって来た”疾風の刃”は俺達の手前で狙いを外し、少し離れた場所で土塊を激しく撒き上げる。
防御はこれで問題なさそうだ。となれば今度はこっちの番だろう。
俺は矢筒に手を伸ばし、四本の矢を弓につがえた。矢だけでなく弓にまで精をまとわせながら、俺は大きく弦を引いた。
「”流星翔”!」
手元を離れた四本の矢は、精を推進力に空を駆ける。中級精技は勿体ないが、奴らの動きが僅かに止まったこのタイミングを逃す手はない。
流星のように白い尾を引き敵へ向かう矢。これに連中は先程のように避けようとするが――
「しょうがねぇ、手ぇ貸してやるよ。ほいっとな!」
マリアがピッと指差せば、矢の速度は更に増した。突然空を裂くように飛んだ矢は、三匹の鷹を見事に捉え、その胴体に風穴を空けた。
黒い霧を噴き出しながら落ちて行く三匹の鷹。四つの矢で三匹仕留められれば上出来すぎる。
マリアが何をしたかは知らないが、結果良ければすべて良しだ。俺はふぅと息を吐きだした。
とは言え残りの二匹は未だに空に滞空している。どうしようかと思うものの、これに精技を使うのは流石に躊躇われた。
ここはまだ入ったばかりの階層で、体力にも限界と言うものがある。最初から飛ばせばすぐに息切れするだろう。
次は魔法で仕留めるか。そう思っていた俺の耳に、ホシの明るい声が聞こえた。
「ねぇねぇまりちん。これも、さっきみたいに早くできる?」
「お? おお、できるぞ。ちょい投げてみ?」
「うんっ!」
目を向けると、右手に石を握りしめたホシがいた。彼女は「いっくぞー!」とぐるぐる腕を回した後、「えいっ!」と声を上げて石をぶん投げた。
「ほらよっとぉ!」
それにマリアがピッと指を向ければ、ぐんと速度を増して飛んでいく。
「ピィーッ!?」
鷹もこれは避けきれず、ガツンと頭に食らい落ちて行った。
「おー、当たった当たった。良い腕してるぜホシちゃん」
「やったーっ!」
「凄いですわね!」
「おお! やるっスねぇ!」
ホシ達がわちゃわちゃと楽しげな声を上げている。確かにこれなら後一匹も問題なく倒す事ができるだろう。これなら消耗は少なさそうだ。
でもな。
石投げれば済むところを、中級精技まで使った俺は何なんだ。
戦闘の真っただ中だと言うのに明るい声を出す面々。その表情からは危機感と言うものを感じない。
「よーっし、もう一回行くぞーっ!」
「ホシさん、頑張って下さいまし!」
石を握りしめ再びぐるぐると腕を回すホシ。これもきっとあの鷹を仕留めてしまうんだろうなぁ。
頭をかきながら脱力するも、そんな俺には誰も目もくれちゃいなかった。
「やった! また当たった!」
「ホシさん、お見事!」