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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五章 黒き聖女と秘密の花園
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243.神獣の棲家

 俺達の前に立つ魔物、アンヴァル。その姿は恐ろしい敵として見ても、あまりにも美しかった。

 穢れ一つ無い白の被毛に、銀に輝く美しい鬣。薄暗い中でも光って見えるその立ち姿は、神々しさすら感じられた。


 アンヴァルはこちらを黙って見ており、その姿からは敵意があまり感じられない。

 だが俺の≪感覚共有センシズシェア≫は奴の感情をしっかりと伝えてくる。

 その胸の内にあるのは激しい高揚感。目の前の魔物が非常に興奮している事が、俺は手に取るように分かっていた。


「皆、注意しろ。こいつ、かなり興奮してるぞ。……もしかしたら世界樹を縄張りにしてたのかもしれん」


 俺達一行の最後尾にいたのはティナとステフだ。アンヴァルに後ろを取られた今、二人が最前でアンヴァルと向き合う事になっている。

 その間隔は十数メートル。ひとたび戦闘となれば、無いに等しい距離だった。


「……マリア様。奴を刺激しないよう、ゆっくりと後退して下さい」


 二人は武器に手を掛けながらじりじりと後退してくる。だがそのすぐ後ろにいたマリアはその場から全く動く気配がない。


「心配いらねぇよ。こいつは襲うために来たわけじゃねぇ。なぁ?」

「マ、マリア様!?」


 逆にマリアは一歩踏み出した。ティナとステフはこれに慌てるが、しかしマリアは動じない。それどころかアンヴァルを見上げて楽しそうな声を上げた。


「お前らは知らねぇだろうが、アンヴァルってのは神が乗る馬なんだぜ。つまり神を従えし俺のために、こうして馳せ参じたってわけだ」


 ふっと髪を払うマリア。お前神に仕えてるんじゃねぇのか。立場が逆転してんぞ。


「なあ? アンヴァル」


 アンヴァルは顔を僅かに下げ、マリアに目を向ける。だがその後アンヴァルはすいと視線を外し、俺達の方に目を向けた。

 かと思えば、


「ブヒヒヒーンッ!!」


 後ろ足で立ち上がり、いななきを上げたのだ。

 アンヴァルの周囲に突然バチバチと電撃が走る。


「”破砕の雷火(ライトニングブレイク)”――! いけないっ!」

「任せろ!」


 ハッとスティアが声を上げる。俺はすぐさま懐に手を伸ばした。

 立ち上がりながら前足を駆けるように動かすアンヴァル。弾ける雷撃は瞬く間に増えていき、バチバチと弾ける音も、まるで雷雲のような重低音を鳴らし始めた。


「ブル――ヒヒヒヒーンッ!」


 アンヴァルが再び高くいななく。俺は取り出した羊皮紙に魔力を籠めた。


「”青き甲の守護者ブルーシェルガーディアン”――ッ!」


 周囲に青い水の膜が張るや否や、無数の雷撃が降り注いだ。


「うぉぉおっ!?」

「くぅ――っ!」


 目を開けていられない程の稲光が俺達を襲う。あまりの光に現実と真っ白な世界が激しく入れ替わる。

 俺達はその光が止まるまで、身を低くしながらも、地面に足が張り付いたようにその場に立ち続ける。数秒か、それとも数十秒だっただろうか。


 激しく鳴り続ける電撃がぱたりと止んだ。身を低くしていた俺達は、そろそろと丸めていた背中を伸ばす。

 そこにいた皆は誰も喋らない。だが、倒れているような者は一人もいなかった。


 ”青き甲の守護者ブルーシェルガーディアン”。厚い水の膜を周囲に張って身を守る、水の中級魔法(ノーマルマジック)だ。

 その水は柔軟性が非常に高く、魔法の他にも斬撃打撃を吸収するという特徴がある、高性能の防御壁である。


 刺突などの貫通攻撃に弱いという明確な弱点はあるが、しかし防御能力はかなり高い。火や雷に対しても、その効果は抜群だった。

 作っておいて良かったが、これは一回きりの使い捨てだな。魔法の衝撃に耐えられずビリビリに破れた羊皮紙を、俺はくしゃりと潰して放り投げた。


「あの雷撃が下級ビギナーだって? 冗談も大概にして欲しいね」

「アンヴァルが風の精霊馬と言われる所以ですわ。風魔法は非常に強力……お気を付け下さいまし」


 いきなりぶっ放してくるくらいだから相当自信があるんだろうよ。

 俺達は武器を抜きながら奴の動きを注意深く見据える。だがどうしてか目の前の敵はその場に静かに立っており、再び襲ってくるような事は無かった。


 一体全体どうした事だと俺が不思議に思った時だ。

 俺の≪感覚共有センシズシェア≫が奴の心に、ある一つの感情が浮かんだ事を察知した。


(焦り? どういう事だ――)


 そう思うも、またしても激しい突風が吹く。俺達が一瞬目を閉じたその後には、どこにもアンヴァルの姿は無くなっていた。


「……消え、た?」


 ティナがぽつりと溢す。俺達も周囲を伺うが、それらしい姿はどこにも無かった。


「マリアさんを迎えに来たのでは?」

「もしかしたら、聖女の性格が歪み過ぎてて怒ったのかもしれねぇな」

「おいコラっ! なに勝手な事言ってやがる!」


 俺とスティアが小声で話していると、聞こえていたらしくマリアが怒鳴ってきた。


「フンッ、あいつは見定めに来たんだよ。自分に相応しいかどうかをな」


 さ、行くぞ。そう言ってマリアはすたすたと歩き出す。

 見定めに来た? 相応しい? 一体何がと問い質したい。

 だが俺達を置き去りにして、マリアとアレスはさっさと世界樹に向かって行ってしまう。

 だんだんと小さくなる二人の背中に、俺は思わず手を伸ばした。


「お、おい。待てよ!」

「早く来ねぇと置いてくぞー」


 だが俺達の困惑など知った事かと、マリアは振り返りもしなかった。

 こうなったら説明を求めても無駄だろう。俺がどうすると視線を向けると、スティアもバドも肩をすくめて返した。


「何が何だか分かりませんが……。とにかく、ここでアンヴァルとやり合わなくて良かったと思うしかないかと」


 スティアはSランクの翼竜ワイバーンを一人で倒せる実力者だ。そんな彼女にこうも言わせるアンヴァルは、一体どれだけ強かったんだろう。

 確かに彼女の言う通りだと、俺はほっと息を吐く。剣を鞘に納めると、握っていた手はしっとりと濡れていた。


「少し戦ってみたかったが……まあ、スティア殿の言う通りだな。相当の強さをあの魔物から感じた」


 手汗を腰で吹いていると、ガザがそんな事を言い出した。あんなのと戦いたかったとか正気かよ。俺は冗談でもそんな事言えんわ。


「貴方が一人で戦うと言うのなら止めませんけれど。怪我をしても今度は助けませんわよ?」

「ぐっ……!?」


 スティアがじろりと目を向けると、ガザは怯んだように一歩後退した。

 怪我をしたガザを助けたのは、数か月前とは言えまだ記憶に新しい。しかしこれにロナがくすくすと笑えば、まいったとガザも頭に手を置く。

 あれを笑い話にできる程度には、時間が経っていたようだ。


「大将、それよりも」

「ああ、分かってる。幸先良いのか悪いのか分からねぇが、とにかくだ。ここまで来て引き返すって選択肢は無いからな。俺達も行くぞ」


 オーリがこちらに目を向けたため、俺はくいとあごをしゃくり、マリア達の背中を指す。

 あのバカ、本当に俺達を置いて行く勢いで歩いてやがる。俺達を連れて来たのはアイツなのに、置いて行くとかどうなんだ。


 小さくなったマリアの背中を、俺達は早足で追いかける。その小さな背中はすぐに目の前に迫り、マリアは不敵に笑う横顔を見せた。


 対して世界樹はいまだに遠く、眼前に高く聳え立っている。

 先程までは雄大なその姿に感心するほどだった。だが今はその巨大な姿が、俺には不吉なものに見えて仕方がなかった。



 ------------------



 その後は別段何もなく、世界樹の根元に辿り着いた俺達。巨木の根と言うだけあって、その太さは人間の大きさを遥かに超えていた。

 あちこちに張り巡らされた巨大な根。そんな内一つを登って進むと、ぽっかり口を開けたうろが一つあった。


 バドですら余裕で入れる大きさのうろ。試しに覗き込んでみたものの、不思議と中は暗闇に満ち、何も見えなかった。

 そんな不可思議なうろを前にして、俺達は踏み込むことを躊躇していたが、


「ハーッ! ハーッ! す、凄いぞこれは何と言う事だぁっ! ウホホホッ!」

「うほうほーっ!」


 そんな俺達を尻目に大騒ぎをしている男が一人いた。

 オーリはこのうろを目にして以来、この調子で一人はしゃぎまくっている。さっきからウホウホ大興奮しているが、狼じゃなくてゴリラだったんだろうか。

 ついでにホシもゴリラ化してるが、アレは放っておこう。いつもの事だ。


「おい、何なんだあいつは?」

「何なのでしょうねぇ」

「何だかすみません……」


 流石にマリアも困惑顔である。聞かれたスティアもため息を吐き、ロナも肩を落としていた。

 とは言え、なぜこんなにも彼がハッスルしているのかは想像できる事なんだが。

 俺はデュポに目を向ける。彼も困り顔でこちらを見た。


「やっぱりここは魔窟ダンジョンだって事っスね……」


 普段オーリは冷静に状況を分析するような、落ち着いた性格をしている男だ。だが本職が魔窟ダンジョン研究者である彼は、こと魔窟ダンジョンの事になると、テンションが振り切れてしまうらしいのだ。


 俺も初めて目にしたが、まあ、中々に酷い有様だ。

 木のうろを目の前にして反復横跳びしたり幹に上りついたりしている姿は、やんわりと言って大変気持ちが悪かった。


「ちょっとオーリ、いい加減にして。動きが気色悪い」

「ぐえっ!?」


 没頭し、ひたすらカサカサと動き回るオーリ。だがそんな彼の頭に、コルツは当然のように大剣の腹を叩きつけた。

 オーリはその場にバタリと倒れる。これでやっと静かになった――と言って良いのだろうか。倒れたオーリが少し哀れだ。


「オーリさんのあの反応なら間違いないと思いますけど。でも、どうして世界樹の中が魔窟ダンジョンなんでしょうね?」

「まあ怪物モンスターが出ると聞いて、予想はできた事だがな」


 ロナとガザがそんな会話をしている。だがこういう時は、知っていそうな奴に聞くのが一番手っ取り早い。


「ユグドラシル! どうなんだ?」

《そうじゃのう。魔窟ダンジョンと言うとあれじゃろ? 精霊が作っとるアレじゃろ?》


 俺が声を上げれば、向こうから声が返ってくる。だがユグドラシルも正確に分かっていないのか、返ってきたのはふわっとした答えだった。

 精霊が作っとるアレじゃ何も分からん。その答えはどうなんだと思っていると、その間にスティアが声を上げた。


「そうですわ。でも、どうして世界樹が同じく魔窟ダンジョンに?」


 スティアはユグドラシルの言う事が正しいと、当然のように口にした。だがこれって、まだ未解明の部分じゃないだろうか。

 魔窟ダンジョンが精霊が作ってるアレだったなんて、俺は聞いたことも無いぞ。


「な、何だとッ!? 精霊が作っているとはどういう事だッ!?」


 それは現役研究者も同様だったようだ。オーリはガバッと顔を上げ、スティアの方を目を丸くして凝視した。

 スティアを見るオーリの目が怖い。さっきのマンドレイクみたいだ。


《それは魔窟ダンジョンがどうやって作られているかという話になるんじゃがのう。そんな話、お主ら聞きたいか?》

「是非ッ! お願いするッ!」

《そうか? 別に面白いもんでもないんじゃがのー》


 血走った眼で叫ぶオーリに、ユグドラシルは面倒臭そうに言葉を返す。

 もしユグドラシルが今ここにいたら、絶対掴みかかられてただろうな。


《お主らが魔窟ダンジョンと呼ぶ場所じゃがの、あれは神の力が充満しとる場所でな。それを消費するために、精霊があれこれしとるんじゃよ。神獣を作ったり、空間を歪めたりの。で、世界樹の方はさっき言ったじゃろ? 神の力を消費するために神獣を作っとると。神獣は世界樹の内部で作られる。なら当然こっちも内部の空間を広げるために、空間を歪めて拡張しておる。つまり似たようなものと言う事じゃ》


 あまりにも簡素すぎる説明に唖然としてしまうが、だが簡素過ぎる故に俺でもすぐに理解が出来た。

 魔窟ダンジョンは精霊がオドを消費して作り上げている場所で、世界樹はユグドラシル自身がオドを消費して魔窟ダンジョン化させていると。

 魔窟ダンジョンを作っているのが精霊か世界樹かの違いはあるが、それを除けば仕組みは同じと言うわけだ。


 初めて知る真相にオーリはわなわな震えているが、しかしそれ、ここを出ると記憶から消えるんだよなぁ。可哀想に。

 まあ面倒臭くなりそうだから、今は黙っておこう。


「ではこの中は魔窟ダンジョンと同じだと、そういう事か……」


 難しい顔で腕を組んだのはティナだ。彼女の懸念は当然のものだった。


 どうやって神獣の駆除をするかと思いきや、魔窟ダンジョンに入ってしろと言う。

 ルーデイルの町にあったファング魔窟ダンジョンでは、罠を無限に設置する怪物モンスターがいた。

 ならばこの世界樹内部にだって、そんな怪物モンスターがいてもおかしくない。もしかしたらそれ以上に厄介な何かがいるかもしれないんだからな。


「なぁに心配いらねぇよ。この大聖女様が付いてるんだ、大船に乗った気でいろよ」


 これをマリアが一笑に付すが、言葉を返す気にはなれなかった。

 何が起きるか分からない場所。だから魔窟ダンジョンは異界なんて呼ばれているのだ。

 今まで魔窟ダンジョンにあまり縁がなかった俺ですら、その危険性が分かってしまう。

 俺が頭をがりがり掻いていると、ローブを誰かが引っ張った。


「あたし! あたしもいるよ!」


 見るとホシが満面の笑みで俺を見上げていた。

 頭をぐりぐりと撫でてやると、うきゃーと嬉しそうな声を上げる。そんな光景に雰囲気が少し和んだような気がした。


「大将! 早く! 早く行こう! というか行って良いか!?」


 だがそんな事には我関せず、オーリが目をキラつかせ、鼻息荒く声も荒げる。

 見れば尻尾はちぎれんばかりにブンブンと振られている。なるほど、こう言う所は犬っぽいな。ってどうでもいいわ。


「勝手に行こうとするんじゃねぇよ……」


 目を爛々と輝かせるオーリに、俺はそうとだけしか返せなかった。

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[一言] 聖女に品格がないから切れたんじゃないのか
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