242.風の精霊馬
誤字報告下さった方、ありがとうございます。
結果から言って、マンドレイクのスープは非常に美味かった。
バドが用意したマンドレイクのポタージュスープ。橙色のスープに具がごろりと入っている、見た目は非常に良いものだった。
だが実際入っているのはアレである。人のような顔を持ち、人の言葉を吐く謎のニンジン型野菜生物。
見た目は美味そうでも到底ごまかす事などできない。最初口にするときは流石にかなりの抵抗感があった。
皆もスープの器を受け取ったはいいが、完全に手が止まっていた。顔にははっきりと、これを食べるのか? と書いてあった。
しかも割り当てが一人マンドレイク一本のため量も多い。大ジョッキ一杯分以上ある。
和気あいあいと食事とはいかない。
小鍋程の器を前にして、そんな空気が皆の間に漂っていた。
だがそんな中、例外がたった一人だけいた。
そう、デュポの奴である。
彼は器を受け取った瞬間、躊躇いの欠片も見せず、即座にスプーンを口へと運んだ。そして「何だこりゃ美味ぇぇぇぇっ!!」と叫んだのだ。
そこからはもう怒涛の勢いだった。彼は器にかじりつくような勢いで、スープを口へと掻き込み始めたのだ。
皆の視線を一身に浴びていると言うのに、それを気にする素振りも無い。スプーンを使うのももどかしいと言った様子で、ガツガツとスープを流し込んで行く。
やばい物でも入っていそうだが、しかしその様子はあまりにも美味そうで。
俺もごくりと喉を動かすと、意を決して一口、口に含んでみたのだ。
その瞬間口内に広がったのは、独特の風味と濃厚な甘み。ほっくりとしたその実を噛めば、芳醇な香りが鼻の奥にガツンと届く。
今まで味わった事のないその美味は、俺の理性を一瞬で刈り取った。
明確な意識があったのは最初の一口まで。気付いた時には既に、スープは一滴も無くなってしまっていた。ついでに目の前にあったはずのパンや肉なんかも。
あのジジイみたいなセクハラ野菜がここまで美味い物だとは。目の前にある空の器に敗北感すら覚えたほどである。
皆も同様だったらしく、呆然と手元に視線を落としている。どうにも納得が行かない気持ちは十分すぎる程分かってしまった。
ともあれ無事に食べる事が出来たため、準備ができたと言うわけだ。一番最初に立ち上がったのはマリアだった。
「よし、もう一杯食いたい気もするが、こんな場所で時間食ってても仕方がねぇ。さっさと行くぞ」
彼女は俺達をぐるりと見て、言い聞かせるようにそう言った。
その点については異論はない。だがその前にと、俺は皆の顔を見回した。
「ちょっと待ってくれ。こいつを食えば強くなるって話だっただろ? 俺は特に何も感じないが、何か変わったか?」
俺は立ち上がり自分の体に意識を向ける。確かに体が軽くなったような感じはある。が、それだけ。
それ以上は、特に何も感じなかったのだ。
「わたくしも、特には何も」
「あたしもー」
次いで立ち上がったスティアとホシも、何もないと答えを返す。目を向ければエプロン姿のバドも、首をふるふると横に振った。
「……俺も何もないな」
「俺もだ」
「私も」
魔族達も拍子抜けしたような声を上げる。
「まあ美味かったから良いんじゃねぇ?」
「そういう問題じゃないでしょ……」
デュポだけは明るい声を出していたが、これにはコルツもため息を吐いていた。
そりゃそうだ。俺達は美味いものを食べたくて、あんな珍妙な生物を口にしたわけじゃない。安全を少しでも確保するために意を決して食べたのだから。
だが残念ながら皆が皆、一様に首を横に振っている。という事は、やはりいい加減な情報だったのだ。
ユグドラシルもマンドレイクについては情報があやふやだったところがあったし、そもそも呼び名すら知らなかった。
そこまで信じてなかったが、結局眉唾物だったか。少しの落胆を覚えつつ、俺が呆れた時だった。
「そ、そんな事はありませんっ!」
大きな声が皆の答えを否定する。誰かと見れば、珍しい事もあるものだ。
そこにいたのはロナだった。
「ロナ? どうした?」
「ガザ様は何も感じないんですか!? この感覚を!」
不思議そうに目を向けたガザ。だがこれをロナは心外だとでも言うように目を丸くした。
「すごい躍動感を感じます。今までにない何か熱い躍動感を。力……なんだろう、湧いて来てます確実に、着実に、私の中に。中途半端じゃなくて、とにかく最高まで高めてやったぜみたいな」
「何言ってんだロナ?」
「畑の向こうにはまだ沢山のマンドレイクがいます。もうお終いじゃない。信じましょう。そしてもっと食べましょう。沢山食べれば効果が現れるかもしれません。絶対に諦めないで下さい!」
「どうしたロナ!?」
急にべらべらと熱く語りだしたロナに、魔族達は困惑気味だ。マンドレイクを食って頭でもやられたんだろうか。あの見た目だ、副作用があっても頷ける。
いや食っちまった以上そうだと言われても困るけども。他人事じゃない。
「いや、その魔族の言う事は私にも分かる」
変な様子のロナに困惑していると、後ろから別の声が上がる。
ティナだった。
「体の内から湧き上がるような、そんな強い感覚があるのだ。力が漲るような……。まるで自分が別人になったような錯覚すら覚える」
彼女は握った拳に目を落とす。その視線は興奮もあったが、しかし何か不思議なものを見るような、そんな感情も含まれていた。
ロナもぶんぶんと首を縦に振っている。彼女らにはそんな効果が出ているらしい。なら俺達に出ないのは一体どういう事だろう。
性別――じゃないか。スティア達は何もないと言っているんだし。
「ステフはどうだ? 何か感じるか?」
俺が聞くと、彼もやや興奮気味にこくこくと首を縦に振っていた。彼にも効果が出ているらしい。
効果が出るには何か条件でもあるんだろうか。俺がそう思い始めた時だった。
「ふん……なるほどな。どうやら内勁を向上させる効果があるらしいな、この野菜共には」
マリアが面白そうな声を上げ、皆の視線を集めた。
「内勁の向上、ですか?」
「ああ。今効果があるって言った奴は、内勁の鍛え方が甘いんだろ。だから強くなったように感じたんだ。そこのタヌキはそもそもが戦わねぇな? だから一番効果を感じてハイになったんだろ」
ティナの質問にマリアは得意そうに答える。なるほど、内勁の向上か。俺は体内で精を少し練ってみる。すると確かに、いつもよりスムーズに練る事ができた。
「内勁が向上しているというのであれば、確かにユグドラシルが言ったように、身体能力も向上しそうですわね」
スティアも同じように確かめたのか、静かに目を閉じた後にそう口を開く。バドもこくりとそれを肯定した。
目を向ければ魔族達も頷き合っている。彼らも効果が実感できたようだ。
ホシだけは「んー?」と首を傾げているが、コイツは元々精を使っていないし、そもそも本人が分かってないから気にするだけ無駄だろう。
とにかく、こいつらの戦力が強化されたと言うのなら心強い事この上ない。一先ずの安心に俺はあごを撫でた。
これから行くのは世界樹なんて言うわけの分からない場所だ。仲間ならいくら強かろうと困る事はない。
とは言え完全に未知の場所である。何があるか分からないのだから、気を引き締めて行くとしよう。
確認し終えた俺達は、またアルラウネの案内で世界樹へと歩き出す。
だがそんな俺達を見る他のアルラウネ達の視線には、どこか祈るような感情が込められている。そこに俺はどうも嫌な予感がしてならなかった。
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畑を過ぎると再び花園が現れた。そこをひたすら真っすぐに歩いて行くと、遠くに巨大な何かが立っているのが見えて来た。
それは崖の間にみっちりと詰まるような形で聳え立っている。見上げると遠くに枝葉が茂っているのが見えた。
一体どのくらいの大きさなんだろう。この距離では想像もできないが、かと言って近づけば、もっと分からなくなりそうにも思える。
あんな大樹がこんな崖下に立っているなんて、一体誰が思うだろう。まさに現世は夢想よりも奇縁あり、だ。これからそこへ向かおうという状況もな。
「これが世界樹。随分と大きな木ですわねぇ」
「そうですね……。こんなに大きな木、初めて見ます……」
スティアが感心したような声を上げると、それに続いてロナが呆けたような声を返した。
この二人、実は結構仲が良いんだよな。食事の後片付けなんかをよく一緒にしているから自然とこうなったんだろうが、だがそれだけじゃない。
それ以上にロナのあまりの無害さ加減が、スティアの魔族嫌いを薄れさせてくれたんだろう。俺はそう思っていた。
もしロナがいなかったら、まだスティアと魔族達との間には固さが残ったままだったかもしれない。そう考えれば、ロナがいてくれたことは本当に幸いだった。
右足を引きずったようにして歩くロナと、その隣に立つスティア。二人の間隔は肩が触れ合う程に、近いものになっていた。
そんな二人と同様に、他の面々も世界樹の姿に興味津々な様子で、ぼそぼそと何やら言葉を交わしている。
だがそれは大きいな、とか、信じられないとか、まあそんなありきたりなものである。
「随分と育ってるじゃねぇか。ま、三百年物の世界樹だ。こんくらいあっても不思議じゃあねぇな」
だから俺は後ろから聞こえたマリアのこんな呟きが、余計に際立って聞こえたんだろう。
「不思議じゃないって……。お前、世界樹の事、何か知ってるのか?」
「はぁ? 違ぇよ。三百年も経ってたら、こんくらいデカくても当然だろって、そういうこった。エイク、お前だってそう思うだろ?」
後ろを向くと、嘲笑うような笑みと共にそんな言葉が返ってくる。だが俺はその答えに、どうしてか納得ができなかった。
普通の樹木だって樹齢三百年なんてものはある。だがあんな馬鹿でかくなるような木は一つとして無い。
そう考えるとマリアの返した言葉はどうにも違和感を覚えるものだった。
それにそもそもの話、ここに何かがあると、こいつが予感した事もそうだ。
マリアがそうとさえ言わなければ、俺達はミゼナで一泊した後、また東へ旅立っていたはずなのだ。
一体この場の何がマリアに存在を気付かせたんだろう。
結界だろうか。それとも、もしかしたら目の前に聳えるこいつなのか。
「お前、何か隠してねぇか? 例えば――」
俺はマリアへ向き直る。そして次の言葉を話そうとした時だった。
「うおっ!? な、何だ!?」
世界樹の方向から凄まじい風が吹き、突如として俺達の間を駆け抜けて行く。
「きゃあっ!」
「くっ!?」
「ありゃりゃりゃりゃっ」
突然の事に皆声を上げ、体勢を崩される。ホシなんかころころと転がっていき、バドに首根っこを掴まれていたくらいだ。
俺も、倒れそうになったアルラウネを支えて踏ん張るのが精一杯だった。周囲の様子なんて見ている余裕は無かった。
「な、何だこの突風は? あまりにも不自然な――」
腰を落とし耐えていたティナが皆を代表するように声を漏らす。
「後ろですわ!」
だがそんな困惑は、スティアの声に切り裂かれた。
険のある彼女の声に、皆は弾かれたように振り返る。そこには果たして、一匹の馬の姿があった。
その馬は真っ白な毛並みと銀の鬣を持つ、非常に大きな馬だった。
一体いつからそこにいたのか。そう思えてしまう程、そいつは突然俺達の目の前に現れたのだ。
あまりにもそれは出し抜けだった。だがそれ以上に、その馬が放つ圧倒的な気配に、俺達は身じろぎ一つできないでいた。
「これは見事な」
「ああ」
マリアとアレスはそんな事を呑気に言っているが、俺はと言えばそんな状況じゃ全くない。
少しでも動こうものなら襲い掛からんとばかりの重圧が体に圧し掛かってくる。
一目見ただけでこの馬が、とてつも無く危険なものだとはっきりと分かってしまった。
「アンヴァル……!? なぜこんな場所に――っ!」
スティアが小さく声を上げる。彼女はこいつの事を知っているらしい。
だが俺はその名前に全く心当たりがなかった。
「スティア、あいつは何だ? 知ってるのか?」
「風の精霊馬、アンヴァル……! Sランクの魔物ですわ! でも人前に姿を現すのはごくごく稀なはず……!」
珍しく口調に余裕がない。だがSランクと聞いて、すぐにそのわけを理解した。
俺は少し前、Aランクの怪物、オークキングと戦った。あの時はほぼ互角であり、土の神剣”地女神の抱擁”の力を借りなければ倒すことはできなかった。
だが今目の前にいるのは、それをも超えるSランクの魔物。スティアやバド達はともかく、俺の手に負える相手では到底無かった。
冷や汗が背中を滑り落ちる。そんな俺達の事を、目の前の魔物アンヴァルはどこか品定めでもするように、その場でじっと見つめていた。