241.セクハラ野郎
突然現れた畑に皆無言になる。そりゃそうだよ。崖の下にこんな花園がと思っていたら、急に目の前に畑がドンだ。
非現実的な光景に見入っていたのに、突然現実で殴りつけられた気分だ。
神秘もクソもありゃしねぇ。俺はそいつを名指しで呼んだ。
「おいユグドラシル! 何でこんな場所に畑があるんだよっ!」
《何を言っとる。そこは我の実がなる畑じゃぞ? 無ければ困るじゃろうが》
「は? 畑に実がなる? ……世界樹になるんじゃねぇのか!?」
するとわけの分からない話が返ってきて、俺は思わず声を荒げた。
今聞こえた声はユグドラシルのものだ。普段は魔族達にかけている≪感覚共有≫だが、彼らを外に出した以上、かけ続けている意味はない。
なのでその代わりに、世界樹に近づく事のできないユグドラシルへ、聴覚の共有をかけていたのだ。
ちなみにこの共有はここにいる全員にかけている。だからこの会話は皆の耳に届いてもいる。
で、なぜ彼女が世界樹に近づく事ができないかと言えば、理由は単純だった。
彼女は世界樹ユグドラシルの分体である。その彼女が近づけば、一つに戻ろうとする力が働くのだそうだ。
本体は彼女ではなく世界樹の方だ。つまりユグドラシルの方が世界樹へ吸収される形になるが、一度一つに戻ってしまうと彼女の自意識は消えてしまうとの事。
だがこれはユグドラシルも世界樹自身も望んでいない。そのため彼女自身は世界樹に近づく事もしないそうだ。
そしてそんな彼女に変わり、世界樹の世話をする存在と言うのが彼女達。この緑色をした不可思議な人間、アルラウネ達というわけだ。
だが畑に実とはこれ如何に。神秘もここまで来るとギャグにしか思えん。
「おら、こうして突っ立ってても仕方がねぇ。ここが実の取れる場所だってんなら、さっさと行こうぜ」
マリアとアレスは気にも留めず、さっさと前に歩いて行く。だが気持ちが付いて行かず、皆はその背中を立ち尽くしたまま見送っていた。
俺もまたその内の一人だったのだが、隣のアルラウネが突然俺の手を取ったかと思えば、笑顔で俺を引っ張って畑へと連れて行こうとする。
抵抗する気もなく、俺の足は自然と畑へと向かった。
「あ、待って貴方様っ!」
それを見てスティアも慌てて俺の手を取る。後ろの連中もこれに釣られるように、困惑を滲ませながら付いて来た。
アルラウネが先導し、畑の真ん中を並んで歩く。すると周囲のアルラウネ達が皆、こちらに目を向けてくる。
珍しい客も来たものだ。
彼女達の表情からは、そんな感情と強い好奇心が見て取れた。
「~~~~~!」
その畑の中央付近まで来た時、俺の手を引くアルラウネが声を上げた。皆の足がピタリと止まる。
ここでユグドラシルの実を取れと言う事なんだろうか。だが畑から生えているのは葉っぱのみで、実のようなものが何も見えなかった。
「ユグドラシルの実って、どうやって取るんだ?」
これを引っこ抜けと言うのだろうか。皆を代表して聞いてみる。
するとアルラウネはニコリと笑顔を見せた後、膝を折ってその葉っぱに両手を伸ばし、うーんと力任せに引っこ抜いた。
するとどうだろう。葉っぱの先に、ニンジンのような物がくっついていた。
だがそれはニンジンのようでニンジンではない。何せ爺さんのような人間の顔がそこにくっ付いていたのだから。
「な、何だこりゃ!?」
俺は思わず声を上げる。だがそれと同時に、その物体がくわと目を見開いた。
「おうおう姉ちゃん、相変わらず色っぺえな! 今度おっぱい揉ませてくれや! げっへっへっへ! がはっ!」
そして言いたい事だけを言って、天に召されて行った。
何なんだこのセクハラ野郎。もうわけが分からんぞ。
「な、何なのだこいつは……」
「あっはっはっは! 何この野菜!」
ホシだけは爆笑してるが、こんなもん普通の感覚じゃ全く笑えねぇよ。その証拠にホシ以外笑ってねぇもん。
ティナは心底嫌そうな顔をしているし、あのマリアでさえ難しい表情で口を真一文字に結んでいる。
「これ、もしかしてマンドレイクでは?」
「マンドレイク?」
困惑しきりの空気の中、思いついたように口にしたのはスティアだった。
「マンドラゴラ、とも言いますが。何でも、不老不死や延命長寿の薬になる、貴重な植物らしいですわ」
形の良いあごに手を当てていた彼女は、一旦そこで言葉を切り、そのマンドレイクに向けていた顔を上げた。
「どうも引き抜いた時に絶叫を上げるとか、それを聞いた者の魂を抜くとか、そんな話がありまして」
「た、魂だぁ? ……でも今は何とも無かったぞ? なぁ?」
俺はその場の皆に視線を向ける。皆は真顔だったり困惑顔だったりしているが、気分が悪そうな者は見当たらなかった。
被害と言えば、酔っぱらいのエロオヤジみたいな事言って勝手に死んでいった、マンドレイクと思われるそいつだけだ。
俺が視線をスティアに戻すと、彼女も困ったように眉を八の字にした。
「あくまでも逸話ですから。実在するかどうかすら怪しいものですし」
つまり話に尾ひれがついた可能性があると言う事か。なら話半分で聞いていいだろうが、だが不老不死はともかく延命長寿という話は、ユグドラシルが言っていた万病に効くという内容に近い気がするな。
「本人に聞いてみた方が早いんじゃない?」
「だな。どうなんだ? ユグドラシル」
ホシに促され本人に聞いてみる。すると向こうからは不思議そうな声が返ってきた。
《マンドレイク……? 我は聞いた事無いがなぁ。それはユグドラシルの実。それ以上でもそれ以下でもない、はずじゃが》
そこはかとなく自信が無さそうである。なんで自分の事なのに分からねぇんだよ。
結局何も分からないって事かい、役に立たねぇな。
「駄目みたいだな」
俺は発案者に目を向ける。だがどうしてか、こちらに向くホシの目は、呆れたような感情を湛えていた。
何だよその顔は。文句は俺じゃなくユグドラシルに言え。
「何だよ。しょうがないだろ? 本人が知らんって言ってんだから」
「違う! だから本人に聞いてみたらって言ってるじゃん!」
俺が言えば、ホシはぷくっと頬を膨らませる。だが本人って、ユグドラシルの事だろうが。他に誰がいるんだよ。
ホシが何を言っているのか分からず、俺は首を捻る。するとホシはしびれを切らしたらしい。
先ほどアルラウネがやったように、目の前にあった葉っぱを、片手ですぽんと引っこ抜いてしまったのだ。
「あんただーれ?」
「おうおう可愛い嬢ちゃん、アメちゃんやるからこっちに――あ? 俺はマンドレイクっつーナイスガぐふっ!」
そいつは先ほどと同じように目を見開き、べらべらと喋り始めたが、ホシの質問に律儀に答えながら死んでいった。何なんだ。
だがそれで、やっとホシの言いたい事が分かった。本人ってそっちね。そもそも人としてカウントしてなかったわ、そんな珍妙な生物。いや、生物なのかこれ。
「やっぱマンドレイクみたいだな」
「ですわねぇ」
《おお、初めて知ったわ。なるほどのぉ》
本人からの宣言なら間違いない。何でユグドラシルが知らないんだという疑問はあるが、そこを考えても仕方ないな。
「そ、それなら、その声を聞くと魂が取られると言う話は本当なのかっ」
じゃあ抜くか、と思い始めた時、すこし怯えた様子で声を上げたのはティナだった。
そういやそんな話もあったなと思うも、
《そいつらは下らん事を言って死んでいくだけじゃから、何も危険はないぞ。まあ遺言みたいなもんじゃから、付き合ってやってくれい》
「わ、分かった……」
そんな気の抜けるような答えが返ってきて、彼女は安堵の息を吐いていた。
「じゃあ早速抜いてみるか」
俺は皆の顔を見回す。すると、最初に動いたのはバドだった。
彼は目の前の葉っぱを引っこ抜く。その先にはやはり顔が付いており、すぐにくわと目を見開いた。よく見るとちょっと目が血走ってて怖いな。
「おうおうおう! 何抜いとんじゃワレ! ぼーっとし腐ってんじゃねぇぞ木偶の坊が! 元に戻さんかい! がふっ!」
もう戻しても手遅れだと思うが、それについてはどうなんだろう。
木偶の坊と言われたからか、少しショックを受けているバドから視線を外し、俺も目の前の葉っぱに手を伸ばす。
女に対してはセクハラ、男へは暴言か。だがあの程度の暴言を受けるくらいならどうってことは無いな。可愛いもんだ。
「よっ……ん?」
俺はえいやと引っこ抜く。だが目の前にあった顔つきに戸惑いの声が漏れた。
「ノホホホーッ! わたくしの名前はニンジン・コーライ! わたくしを引き抜いた幸運にむせび泣くが良いですなーッ! ノホホホーッ! あふんっ!」
そいつはぴょこぴょこと体を左右に振りながら胡散臭い表情で高笑いしたかと思えば、急にがくりと力尽きた。しかもスゲェ満足そうな顔で。
……何だよ。俺のこの腹立たしい気持ちは一体どこにぶつければいいんだよ!
だらりと体を弛緩させたマンドレイクに、何とも言えない怒りが募る。だがそんな俺とバドの様子を見た皆は、無事だと確信したんだろう。思い思いに目の前の葉っぱを引っこ抜き始めた。
俺の次に抜いたのはアレスだ。一応聖女の護衛である彼だ、マリアより先にと思ったんだろう。
くわと目を見開いて彼を見たマンドレイクは、
「あっ……。スイヤセン旦那、あっしはしがない野菜でして。へっへっへ……ここはどうか見逃してはぐっ!」
そう言ってやはり死んでいった。何であんなに下手なんだよ。俺やバドとはえらい違いじゃねーか。
つーか今、自分で野菜って言ったよな? 実じゃねぇのか? 何なんだマジで。
次に抜いたのはスティアだった。目を開いたマンドレイクは、彼女の顔をジロリと見る。
「おう美人の嬢ちゃん! 俺におっぱい揉ま――せる程ねぇな。強く生きろよ、応援してるぜ……! ふぐっ!」
「何なんですのっ! 何なんですのこのクソ野菜がっ! 大きなお世話ですわよぉーっ!」
だがマンドレイクの放った一言は、スティアの逆鱗に触れてしまった。彼女は息絶えたマンドレイクを地面に叩きつけ、怒声を浴びせている。
触らぬ神に祟りなしだ。俺はそっと視線を外した。
その後も周囲から「この犬っころが!」とか、「凛々しい姉ちゃんグヘヘヘ」だの、怒声と下品な声があちこちから聞こえて来た。
ちなみにぱっと見判定の難しいロナやコルツも、「俺にモフらせてくれやゲヘヘ」としっかりセクハラされていた。アイツらどうやって見分けてんだと、妙に感心してしまったのは内緒である。
皆心に少しばかりのダメージを負いつつも、無事自分の分を引っこ抜く。
ここからはバドの出番だった。
畑から少し離れた場所で、早速とバドは準備を始める。全身鎧を手際よく脱ぐと戦闘服であるエプロンをさっとかけ、手早くマンドレイクの調理に入った。
スティアも彼の手伝いをするらしく、珍しくエプロンをかけている。何だか包丁を持つ彼女の表情が怖いが、ま、まあ気にしないでおこう。うむ。
「マンドレイクって美味いのかね?」
デュポはまた先ほどと同じ疑問を口にする。
スティアに聞いた時はすげなく返されたその言葉。だが事がここに至った今、皆が同じ事を考えていたはずだ。
何たって、食べるのがあのセクハラエロ野菜なのだ。しかも人の顔がついているという、不気味極まりない代物だ。
バドの横に積まれている、横たわったマンドレイク。どう見ても美味そうには見えやしない。
時刻は丁度昼前だが、見ていると腹が減るどころか不安しか募らない。こんな状況でも食う前提でその台詞を口にできるデュポの心が強すぎる。
「なぁ、オーリはどう思う? 美味いと思うか?」
「俺に聞くな……」
「コルツ――」
「だからって私に聞かないで」
デュポの明るい声に、魔族達のやけに平坦な声が対照的に聞こえてくる。
もしかしてエルフ達が駆除を止めたのは、この野菜を食べたくないからだったのではないか。そう思わざるを得ない状況が、俺達の目の前にはあった。
「このゲス野菜共っ! 形も残さずみじん切りにしてくれるっ! この! このぉっ!」
スティアの怒声が周囲に響く。彼女は怒りをぶつけるように、マンドレイクを手際よく刻んで行く。
そんな光景を見て俺は、不安がより一層増していくのだった。