27.王都にて 白羽の矢
イーノ・モルト・バージェスは珍しく焦っていた。
普段はあまりにも冷静沈着であることから、部下に”鉄仮面団長”などと陰で言われている彼。しかし実のところ本来の性格は、鉄仮面と言われていることに人知れずニヤニヤしたり、王子と変な顔を突き合わせたりと、意外と茶目っ気のあるものである。
公務において素顔を隠し鉄仮面などと呼ばれているのは、ひとえに親友である王子の側近として相応しくあろうという仮の姿でしかなかった。
そんな彼だが、今王城の廊下を歩く様子は、いつも見せる余裕綽々と言ったものではない。随分と忙しなく歩くその姿は、普段の彼からは想像できるものではなく、その証拠に、今もすれ違った者が二、三度見直すほどだった。
彼がこんな状態になってしまった理由はただ一つ。王子に対して随分と格好をつけて説教をした割に、あれから一週間ほど経つというのにまだ第三師団長の捜索隊を送り出せていないためだった。
いや、送り出すどころですらない、と言った方がいい。候補者が一人として捕まらず、捜索隊の編成すらままならない状態であったのだから。
思わぬところで躓いたイーノは、自分が想定していたよりも難解であった任務に毎日頭を痛める羽目になったのである。
当初彼は、エイクに対して比較的当たりの柔らかかった印象のある人物を、騎士団の中から選べば良いと思っていた。
そしてエイクを連れ戻すという都合上、強制でなく己の意思で任務を果たそうという意欲のある人間が望ましいとも考えおり、あくまでも相手の意思を尊重するように注意を払っていた。
だが、である。これと言った者に声をかけても、予想に反してその全員に良い顔をされなかった。
当然首を縦に振る者がいるはずも無く、いまだに捜索隊0名のまま今日を迎えているのであった。
イーノが王子に抱いている感情は、親愛という情である。それは兵と王子という主従関係でなく、親友、家族と言ったものに非常に近い。
そのため彼はこの任務が騎士にとってどう捉えられるかを、真の意味で正確に理解できていなかった。
パレードの成功によって興奮収まらぬ今、騎士達の忠誠心はこれ以上なく高まり青天井となっていた。そんな者達が、この国を離れ出奔した師団長を探してくれなどと言われれば、どう思うだろうか。
ともすれば左遷されるようなものだ。そんな話に首を縦に振るはずが無いのも当然だった。
誰かしら受けてくれるだろうと言うイーノの甘い見通しは、彼らの強い忠誠心によって見事に断ち切られたのである。
また、それを後押しする問題も一つあった。最近、エイクが出奔したのは王子の政策に反対し離反したのだという噂が、まことしやかに王城内で流れていたことだ。
そもそも王子は今のところ、政策など何も打ち出していない。なので全くのデマなのだが、これが騎士団のみならず軍の間でも非常に問題視されており、もともと低かったエイクへの好感がより低く、マイナスがさらに底抜けになっているような始末だった。
実はこの噂、イーノの父デュミナスが聖皇教会からの依頼を受けて適当に流したものであるのだが、流した張本人が想像していた以上に効果覿面であった。
あまりの効果のありようから、自浄作用が殆ど効いていない事実を自ら暴いてしまったデュミナス本人が頭を抱えてしまったほどである。
遅々として進まない状況にイーノは焦燥感を覚え始める。あれから顔を合わせるたびに「まだ? ねぇまだ? まだ編成できてないの? いつできるの?」と、嬉々として後ろから撃ち抜いてくる王子の態度もまたイーノの神経を逆撫でし、追い打ちをかけていた。
騎士の忠誠と父親の策、親友の憎たらしい態度というトリプルコンボによって、日を追うごとにじわじわと追い詰められていくイーノ。
そんな彼が今日たどり着いた答え。それは、「希望者がいないのであれば、希望するようにしてしまおう」というものであった。彼はどちらかと言えばSだった。
さて、そんな考えにシフトしていたイーノの目に映った哀れな子羊は、近衛騎士として戦前から勤めている彼、オディロン・メイノスだった。
イーノの視線を感じてそちらを向いてしまったオディロンに、もはや逃げ場は何処にも無かった。合掌。
オディロンはイーノがつかつかと近寄る様にどこか鬼気迫るものを感じたが、まさか上司を目の前に背を向けて逃げるわけにもいかない。後ずさりかけた足を揃え直し、嫌な予感を胸にしまい込み、その場で待ち構える。
徐々に近寄ってくる上司の表情はいつものようにほどよく引き締まり、誠実さを伺わせるものだ。しかし今日に限ってはどこか冷たくも感じるそれは、オディロンの顔を引きつらせるのに十分な迫力があった。
「メイノス。少し話があるのですが構いませんか?」
「……はい」
断るわけにもいかず首肯するオディロン。イーノはそれを満足そうに眺めていた。
「すでに聞き及んでいることと思いますが。現在、出奔した第三師団長殿の捜索隊に加わる者を探しているのです」
「……そのようですね」
「それで、貴方が適任かと思ったのですが、どうでしょうか?」
「私が、ですか?」
「ええ」
任務を言い渡されるかと思いきや、しないか、と問われた彼は拍子抜けしてしまった。
当然その答えは否。考える素振りすら見せずオディロンは首を横に振った。
「いえ、許可して頂けるのでしたら、私は辞退します」
「そうですか」
その時だ。鉄仮面などと言われるイーノがにっこりと微笑んだのだ。
それにオディロンは硬直した。イーノがそのような表情をするのを初めて見たのだ。
騎士達の間で、目の前の男が笑顔を見せることがあるか賭けの対象にすらなっているのである。もはや異常事態であった。
オディロンは目の前に立つ男の初めて見るにこやかな笑顔を見て、これから自分の身に何かよくないことが起きるのだと、この時はっきり理解した。
「時にメイノス。以前、エイク殿に手合わせを申し入れられたことがあったようですね」
その言葉に彼はビクリと反応した。確かに何年か前に一度だけ、手合わせをしたことがあったからだ。
「はい。確かに、一度だけ」
「随分と一方的な試合だったと聞きました。貴方程の腕を持つ騎士がいるということを誇らしく思いますよ」
「光栄です。ですが、まだ団長殿には及ばないかと」
「そんなことはありませんよ。何せ私ではエイク殿を相手に、”あそこまで”一方的な試合などできそうにありませんからね」
イーノが発した言葉に当時のことを鮮明に思い出し、オディロンの顔に緊張が走った。
このオディロン・メイノスという男は、メイノス男爵の三男坊である。
三男ということで、生まれると同時に家督を継ぐことができないと決定付けられたにも関わらず、彼はそれを妬むこともなく歪むこともなく、非常に真っ直ぐに育っていった。
それは幼き日に見た、栄光ある王宮騎士団の雄姿に抱いた憧憬の念による影響だったことは間違いない。
彼は騎士団に入団することを夢見て幼い頃から研鑽に励み、そして見事に最難関とされる近衛騎士団への入団を若くして果たし、宿願を成就させた。
彼にとって近衛騎士団に所属していることは誇りであり、己の全てであった。
しかし五年前、魔族の襲来によって王都が陥落目前となり、彼は王子や幼き王女の護衛として共に落ち延びることとなる。
彼の近衛騎士としての誇りはその瞬間無残にも砕け散りかけた。だが、辛うじて己を失うことなく済んだのは、共にある王家の存在であった。
王子王女を守るという忠節によって、彼はその誇りを辛うじて失わずに済んだのだ。
だからこそオディロンは彼らを守り抜くことを固く誓い、心に復讐の大火を燃やしつつも王都を後にすることができたのだ。
だがしばらくして、彼のその誇りをまた踏みにじろうかという者達が現れる。それがエイクら山賊団であった。
彼らは愚かにも王子一行に襲い掛かり、逆に討ち取られ吸収されるというなんともお粗末な結末を迎えることとなる。
しかし魔族によって苦汁をなめさせられた者達にとっては水に流すことなど到底できず、そんな扱いで終わらせるなど到底我慢ができるものではなかった。
魔族らの襲撃により灯された、胸に逆巻く憎しみの炎。その感情は彼ら騎士達に、エイクたち元山賊一味に対して、徹底的な排斥行為を行わせた。
そしてこれが、エイクに対する悪感情を周囲にも深く根付かせる事態を引き起こすこととなる。
「自分にだけ支援魔法をかければ、私にもできるとは思いますが、ね」
エイクに手合わせを申し込まれたオディロンは、徹底的に叩き潰せと言う周囲の言によって、自分に支援魔法をかけさせてその試合に臨んだのだ。
当然その結果は圧倒的であり、エイクの攻め手を一つ一つ丹念に潰して行ったうえで、攻める手段を失った彼を完膚なきまでに叩きのめすという、力の差をまざまざと見せ付けるものであった。
その結果はエイク個人だけでなく元山賊団を笑いものにする格好の話題となり、それによって生まれた大きな溝は五年が経った今でもついぞ埋まることが無かった。
「まあ、私ならそんな公正でない勝負はする気になりませんが、ね」
「……団長。私は――」
「神聖アインシュバルツ王宮騎士団の誇りにかけて。どんな相手だろうと、公明正大に。たとえそれが我々を襲ってきた山賊一味だったとしても。我々の行動一つ一つに、この国の在り様を……民を、王を、政治を、気高さを。全てを見ることができるのですから」
ゆっくりと信条を語るイーノを、オディロンは真っ直ぐに見つめていた。
すでにイーノの表情は先ほどの怪しい笑みでなく真剣なものに変わっていたが、イーノを真っ直ぐに見つめているはずのオディロンはそのことに気づかずにいた。
「我々は、この国の剣であり盾である。しかしそれと同時に鏡でもあることを、貴方は自覚しなければなりません」
「鏡……」
「我ら王宮騎士は、王家に絶対の忠誠を誓う人間で構成されている。ならばその行動は、王家の意向に沿ったものでなければならない。それは我々自身よりも恐らく、騎士以外の方々のほうが強く思っていることでしょう。それも意識的にではなく、無意識に」
イーノはふぅと息を継ぐ。そのことが彼ら二人を戦時どれだけ悩ませたことか、この様子ではきっと、目の前の男は想像だにしなかったのだろう。
「あなた方の行動は第一師団、第二師団にも火をつけ、エイク殿らの排斥に駆り立てたのです。第二師団は幸いジェナス殿の采配もあって、彼らと良い関係を結ぶことができましたが……。この未曽有の戦火の中、軍部が反目し合っているということがどれだけこの国にとって不利益か、貴方は少しでも考えましたか? それが王子をどれだけ苦悩させたか、奔走させたか。どれだけ国に被害を与えたのか――貴方は理解しているのですか?」
王家に忠誠を誓う者が、王家の意思に反する行動を取っていたという事実。それを突き付けられ、オディロンは言葉を失った。
五年前、理不尽にも見せつけられた陥落してゆく王都の光景。騎士としての責務を果たすこともできず、それに背を向けなければならない無力な自分。
そんな現実を抱え荒み果てた彼の心が向かった先は、かつて見た栄光の騎士団の再現ではなく、忌むべき山賊への排斥行為だった。
そんな彼の心を、目の前に立つ男は逃がさぬようにしっかりと捕らえる。
彼の言葉はオディロンが誇りとして抱く騎士としての矜持をこれでもかというほどズタズタに切り裂いた。しかし同時にじんわりと染み入り、オディロンの胸にすとんと落ちた。
「わ、私は――」
「理解、していなかったのでしょうね。……騎士として己の感情を優先させるなど、本来あってはならないこと。どんな理由があろうと、己でなく忠節を。それが近衛騎士たる貴方への、私のただ一つの望みです」
イーノの言葉。それはオディロンが幼き日に憧れた騎士の高潔さであり、志した精神そのものであった。
今までも自分の理想と現実の乖離を感じることはあった。しかし魔族との激しい戦いのさなか、それに目を向けようとしたことはなかった。
だが確かにこうして己の行動を顧みれば、とてもではないが騎士として胸を張れるものではない。
いつからか歪んでしまっていた彼の信念が、イーノの言葉によってまた真っ直ぐになろうとしていた。
「――分かりました。私がお受けします」
少し間があった後、オディロンはイーノの視線を真っ直ぐに受け止めながら口を開く。
オディロンの決意に対し、イーノは凛とした表情で頷きそれに応えた。
今オディロンの目には、栄光ある神聖アインシュバルツ王宮騎士団を率いる長である、気高い男の姿がはっきりと映し出されていることだろう。
しかしその男が内心、うまくいった! これで肩の荷が下りるぜヒャホイ! とほくそ笑んでいることまで見抜くことができなかったのは、イーノにとっても彼にとっても幸いなことだったのは、きっと間違いないだろう。