240.秘密の花園
「で、じゃ。こうして出会えた事も何かの縁。お主らに一つ頼みがあるんじゃが」
あらかたの話が終わった後。意味深な台詞を吐いて、ユグドラシルが期待するような目を向けて来た。
「その頼み、凄ぇ聞きたくないんだが」
「な、なぜじゃ!? 我、まだ何も言うとらんぞ!?」
俺が渋い声を出せば、ユグドラシルは慌てた声を上げる。だが何を言うかなぞ簡単に想像ができようものだ。
皆の視線が集まる中、俺はじっとりと目の前の少女を見つめた。
「そんなもん、聞かなくても誰だって分かる話だ。どうせその神獣だとか言う奴を倒して来いって言うんだろ?」
「な、何!? お主、まさか我の思考を読んだのかっ!?」
そんなもん読まなくても分かるわい。さっきの話を聞いて、そう思わない奴がどこにいるんだよ。
そして、名前からして厄介そうな相手をいきなり倒せと言われ、喜ぶ奴がいない事も然りだ。
「し、しかし! お主ら人間は神獣を倒しておるはずじゃろ!? 精霊の神獣を倒して、なぜ我の神獣は倒さん!? 差別か!?」
「ん?」
俺の呆れた様子にユグドラシルは足をバタつかせながら大声を出す。だがその内容に引っ掛かり、俺は首を傾げた。
「精霊の神獣? お前、一体何の事を言ってんだ?」
「しらばっくれる気か!? 我は知っとるぞ、お主ら人間が精霊の神獣を倒しておる事をな! これを見てもしらを切れるか!?」
彼女はそんな事を言いつつ、俺に何かをぽいと放り投げた。それを片手で受け取った俺は、手の平を開いて目を落とす。
果たしてそこにあった物は、黒い小さな石だった。
「魔石? まさか彼女の言う神獣と言うのは――」
「怪物だ!」
俺の手の中を覗き込んだスティアとホシが声を上げる。なるほどな、そういう事かい。
俺が顔を上げると、得意そうな顔をするユグドラシルが目に入った。
「精霊だけを優遇しようなどと、そうはいかんぞ。当然やってくれるんじゃろ?」
「うーむ……」
ユグドラシルの言っていた神獣という生物。つまりはそれは、俺達が怪物と呼んでいるものだったのだ。
神獣なんて聞いてどんな超生物だと思っていたが、一応知らない生き物ではなかったらしい。とは言っても怪物だってわけの分からない生物だ。
安請け合いをしても良いものかと、俺は腕を組み、どうしたもんかと悩む。
「どうすっかなぁ」
「ですが貴方様。今までの話を聞くと、やっておいた方がよろしいかと思いますが……?」
「あたし、やってみたい!」
俺とユグドラシルの間に漂っている微妙な空気。そこに、困ったような顔をしたスティアと楽しそうなホシが口を挟んでくる。
「そ、そうじゃろ? 普通そうじゃよなっ!?」
それを見たユグドラシルも嬉しそうに声を上げた。
「こんな話を聞いておいて拒否するとはな。男のくせに、随分と情けない事だな」
ティナもまた俺をじろりと眺めてくる。更に言えば、ずっと黙って俺の隣に立っていた緑の女も、俺にすがるような目を向けていた。
おいおい、味方はいねぇのかよ。居たたまれず頭を掻く。
とはいえ俺は、自分の考えをすぐに曲げるつもりは無かった。
「お前らそう言うけどな。世界樹の怪物がどんな奴なのか、俺達は全く分からないんだぞ? 世界樹なんてもんが生み出すんだ、きっと凶悪な奴に違いない。そう、Sランク相当のがごろごろいやがるに決まってる。こんな少数で対処できると本気で思っていやがるのか?」
「む……そ、それは、確かに分からないが――」
「面白そう!!」
俺の言葉にはっとして、ティナはごにょごにょと言葉を漏らす。だがこれにもホシはキラキラと目を輝かせる。今にも走って行きそうな勢いだ。
うーん、参った。どうせやるならもっと人手が欲しい所だ。話をすれば喜びそうなエルフ達なんかうってつけなんだが、流石にこいつが許しそうにないしなぁ。
結界の問題もあるしなぁと悩みつつ、俺はユグドラシルをちらりと見る。
彼女はその視線を受けて、何かを思いついたのか口を開いた。
「確かにお主の言う通り、神獣は非常に強い。神の力を糧に作り上げた奴らじゃからの。特に我は長い間、吸収した神の力を浄化する事ができなかった。数もかなりのものとなるじゃろう」
ほらな。何も考えず突っ込んで行っていいもんじゃ無いんだよ。
悪い話ばかりが目の前に積まれていく。だがそんな不安を消すように、ユグドラシルはふっと笑った。
「そんなお主らに朗報じゃ。長い間人間が寄り付かなかったからの、我の実が大量に余っておる。我の実はもともと、食した者の身体能力を限界以上に引き上げる効果があるのじゃ。これを食せばお主達も相応の強さになれるじゃろう。浄化の助けに好きなだけ使うが良い」
彼女が言うにはユグドラシルの実は、そもそも神獣駆除の助けに使うためのものだったそうな。
ユグドラシルはこれで解決だとばかりに何度も頷く。だがそれにどれだけの効果があるかは分からない以上、それならいいかとは単純に言えなかった。
俺は一人腕を組み唸る。
そうしていると、前に誰かがすっと立った。
「心配ない、エイク殿」
顔を上げると、アレスだった。
「ここにはマリア様もおられる。心配なぞ無用だ。それに、何かあれば私が必ず貴殿を守ろう。案ずることは無い」
彼はまるで動かない表情で、当然のように言い放った。後ろではマリアが笑いをかみ殺すような顔を見せていた。
いや別に……守って貰いたいわけじゃねぇんだが。闇雲に突っ込んで大丈夫なのか考えてるわけであってなぁ……。
つーか、なんでそんな事言われなきゃならんのだ。しかも男に。
俺はおっさんだぞ? こいつ、俺を女と勘違いしてるんじゃねぇだろうな。
「わー……アレスさんカッコイイ。惚れちゃいそうー」
俺は呆れたように口から漏らす。台詞は完全に棒読みだ。
「……私に衆道の気は無いぞ」
「俺だってねぇよ馬鹿!」
だが奴は大真面目に返してきて、俺は大声で怒鳴り返した。
冗談が通じねえのかこの男は。これじゃ俺がその気があるみたいじゃねぇかっ。
妻だっていた事あんだぞ? 俺はノンケだよアホ! スティアもショックを受けたような顔すんじゃねぇ!
「お前にその気があるかどうかは今は置いておくがよ」
「ねぇって言ってるだろが! 蒸し返すな!」
憤慨する俺と表情を変えないアレス。そんな二人の間に、マリアが肩をすくめて割り込んでくる。
「戦力に問題があるってんなら、丁度いいじゃねえか。なあエイク」
「……何だよ」
彼女は右の口角を上げて、不敵な笑みで俺を見た。その笑みはいつも通りの不穏なもので、俺の眉間にしわが寄る。
だがそんな気持ちになど配慮をする奴ではない。マリアは周囲の耳など気にもせず、腕を組んでこう言い放ったのだ。
「お前の足元にいる五人組、そろそろ出してやれよ。お前が後生大事に匿ってる連中だ。多少は役に立つんだろ?」
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ユグドラシルとの話を終え、俺達はあの謁見の間を後にした。
話し合いの結果は推して知るべし。拒否したい俺と、賛成派の多数。多数決では端から勝負にならなかった。
今は色取り取りの花が咲き誇る道を、目的の場所に向かって皆で歩いていた。
「随分と平和そうな場所ですわねぇ……」
「そうですね……何て奇麗な場所なんでしょう。この芳しい匂いなんて、思わずうっとりしてしまいますよね」
「確かに、良い香りですわねぇ」
先頭を歩くスティアと魔族の一人、ロナの話し声が聞こえる。
ここは人の住む町ではない。だからだろう、スティアは完全に気を緩めておらず、微かに警戒しているように見える。
しかしロナの方は対照的に、珍しい光景に目を奪われ、周囲へきょろきょろと顔を向けている。その様子はいつもの通りの、のんびりとしたものだった。
マリアに魔族達の事を看破されてしまった後、俺はあの場で彼ら五人を、シャドウの中から皆の前へと連れ出した。
彼らを初めて見た者達の反応は二つに分かれた。マリアとアレスは興味深そうに彼らを見つめ、そしてティナとステフはと言えば、思わず武器に手をかける程には驚いた様子だった。
今ティナ達は俺達の最後尾についている。だが背中越しにでも、彼らが未だに警戒している事が伝わってくる。
とは言えその反応は当然である。今しばらく様子を見ようと、俺はあまり気にしない事にしていた。
「ここがあの崖の下だなんて、この景色からは信じられませんわよね」
「本当ですね。皆さんの会話こそ聞いていましたけど、私は実際に自分の目で見ていませんから、ここが崖下だなんてちょっと信じられないです。どこかの広大な花園にいるようにしか思えませんよ」
「花園……。ええ、そうでしょうね。実際に目にしたわたくしでも、狐につままれたような感覚ですから」
スティアとロナの会話はゆっくりと続いている。
山頂の崖幅は二十メートルくらいだったが、俺達が今いる場所はかなり広い空間になっている。
こんな所に大きな花園があるなんて、普通誰も考えつかないだろう。しかもここは深い崖下だと言うのに、不思議とかなりの明るさもあった。
これも結界とやらの効果なんだろうか。まるで信じられない光景に、二人の気持ちは俺にもよく分かった。
「長い間誰も立ち入ることの無かった秘密の花園。悠久の時を世界樹に抱かれ、誰一人すら知る者は無し、ですか」
「おっ、詩人っスねぇ! それよりも姐さん、ユグドラシルの実って美味いんスかね?」
「知らん! と言うか姐さんは止めろ、デュポ!」
二人に混じり、デュポの話し声も聞こえてくる。これから死地に向かうかもしれないと言うのに、随分呑気なものだ。ユグドラシルの実の味なんて、俺は気にする余裕も無かったぞ。
「まさかあの世界樹で戦う事になるとはな。ふふ、久々に腕が鳴るというものだ」
「あたしも楽しみ! どんな敵がいるのかなあ?」
「行ってみてのお楽しみ、ですね。……今からわくわくします」
反対に、随分と物騒な話をしている連中もいる。ガザとホシ、コルツの三人は、今からもう戦う気満々である。
どんな敵がいるかも分からないと言うのに、その点すら連中にとっては楽しみの一つのようだ。
楽観的と言えばいいのか好戦的と言えばいいのか。恐らく後者だろうが、どちらにせよこちらについては、俺には理解できない感情だった。
「全く、呑気な連中は羨ましいね。これからどんな目に遭うかも分からんって言うのに」
「その気持ちには同意せざるを得ないな。だが、とは言えそれも強者の証なのかもしれないな。俺には全くないものだ。理解はできないが……しかし、羨ましさが無いと言ったら嘘になる」
俺の呟きにはすぐ後ろにいたオーリが応えた。
彼は魔族軍の一員として戦ったが、しかし本来は魔窟研究者だ。剣の握り方も見様見真似の彼にとって、戦士の性など理解しがたいものだろう。
だが同時にその逞しさが羨ましくも映る。オーリはそう言って羨望の視線をガザ達へ向けていた。
その気持ちは俺にも分かる。強大な敵を前にして、頼もしく立つ仲間の姿を何度羨ましく思った事か。
強い人間に憧れを抱くと言うのは、人間なら普通の感情だ。これが戦いに身を置いている立場なら尚更だった。
「随分面白ぇ連中じゃねぇか。こんな連中を隠していたとはなぁ」
かけられた声に振り返る。そこにはニヤつく笑みを浮かべたマリアがいた。
「実力も高そうだ。お前よりよっぽど頼りになるんじゃねぇのか?」
「けっ、んなこたぁ分かってるよ。俺はあいつらに任せて、後ろでのんびりさせてもらうさ」
「おいおい、拗ねるんじゃねぇよ。お前だって十分戦えるじゃねぇか。体よくサボろうったってそうはいかねぇぞ」
そう返すマリアに肩をすくめて、俺は再び前を向く。口に出しては言わないが、しかし戦力になるなどと言われても、俺はそれを手放しで喜べるような人生を送ってはいなかった。
山賊をやっていた頃は自分の実力には自信があった。あり過ぎたと言っても良い。
しかし先の聖魔大戦では、騎士オディロンに鼻をぽきりとへし折られ、王子にも負け続けで、誰かに勝ったと言う記憶が殆ど無かった。
研鑽は今でも続けている。しかし周りにいるのは類稀な実力者ばかりだ。それを目の当たりにしていると、自分の成長が果たしてあるのか今一実感が薄かった。
「~~~~?」
未だに俺達に付いてくる緑の女。彼女――アルラウネという種族らしい――は、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
どうしたの? とか、そんな感じだろうな。俺は首を軽く横に振る。
こんなもの、恰好悪すぎて人になんぞ言えやしねぇよ。
おっさんだろうと人間だ。流石にプライドはあるのだ。
カッコつけたって良いじゃないか、おっさんだもの。
……何か違うな。余計恰好悪い気がする。
「あら? あれは――」
「えっ!? こ、こんなに人が!?」
益体も無い事を考えていた、そんな時。スティアとロナの声が重なり、そちらに視線が向く。
「は? 何だこりゃあ……」
そこで見えた光景に、俺も思わず声が漏れる。
そこにあったのは、俺の隣にいる女に似た、沢山のアルラウネ達の姿。そして土剥き出しの広い場所だった。
剥き出しの土には沢山の畝が奇麗にそろって並んでおり、向こうまでずっと続いている。
そんな場所でアルラウネ達はうろうろと、畝の様子を見ながら歩いていた。
そう。つまり、アルラウネ達が畑の世話をしていたのである。
これを見て俺達は呆然とする。花畑が急にただの畑である。何と言葉にすればいいのか良いのか分からない。
しかし皆の心はきっと、今一つになっているはずだ。
美しい庭園を抜けた先が農家だなんて、色々と台無しじゃねぇかよ、と。