239.エルフの罪過
「て、天眼の軍師ネロスだぁ!? 本当かそれ!?」
「何じゃ、信じとらんのか? 事実じゃぞ、純然たるな」
俺が声を上げると、ユグドラシルは不服そうな表情を見せた。
別に疑っちゃいない。だが知られざる英雄の軌跡を知って、声をあげずにいられようか。
「あの伝説に謳われた英雄がこんな場所にいたなんて、にわかには信じられませんけれど」
「我に嘘を言うメリットは無いぞ。本当の事を言うメリットはあるがな」
得意そうに胸を張るユグドラシル。だがなぜこうもネロスの事を自慢したいのだろう。何か理由がありそうだが、それが俺には分からない。
皆が困惑していると、それが伝わったのだろう。ユグドラシルは、ぐっと身を乗りだした。
「先ほども言ったがネロスは我が父も同然。我をこの場所に植え、育て、結界で守り、最後の時まで我と共にいてくれたのじゃからな。我が今こうしてあるのは全てネロスのおかげ。我はそう思うておる」
そう言うユグドラシルは本当に嬉しそうで。
彼女がネロスを父と慕っている事が、その表情だけでよく分かった。
「父を自慢するのは子の特権じゃろ? ふふん」
だが急に見せた自慢げな顔にイラッとする。
何なんだこいつ。妙に人間臭いな。木の癖に。
「当時我は魔族を追い出し人族の国になった場所で、確か……何じゃったか。まあ、一番人の集まる場所に植えられようとしていたのじゃ」
これはたぶん王都のことだな。そう思いつつも黙って話を聞く。
「じゃがの、ネロスはそれに反対したのじゃ。いつかきっと、それが災いの火種になるからとの」
「災いの火種? ああ、エルフとの仲が悪くなるとかか?」
エルフ達は確か世界樹を探していたはずだ。人族が占有していたらきっと争う事になるだろう。
そう思ったのだが、どうしてかユグドラシルは突然眉を吊り上げた。
「ち、違うわ戯けが! 我は豊穣の象徴! つまり、土地を豊かにする力を有しておるのじゃ! それに、我になる実は万病を癒すと言われておる! それを巡っての争いじゃっ!」
土地を豊かにし、万病を癒す実をつける木。そんな物があるならば、確かにそれを欲する人間達がこぞって求める事になるだろう。
三百年前の王国は崩壊したところからの再建だった。莫大な富を生み出す木があるなどと知られたら最後、間違いなく周辺国から攻め込まれていたはずだ。
ネロスはそれを危惧し、世界樹の苗を持ち逃げしたってわけか。それは英断だったと思うが、しかしよくそんな国宝レベル――いや、それ以上のものを盗み出せたもんだ。
ネロスってもしかして盗賊だったりしたんだろうか?
俺があごを撫でていると、マリアが楽しそうに口を挟む。
「へぇ。それって本当に万病に効くのか?」
「知らん。我が人間の事なんぞ知るはずないじゃろ? まあ森人族共はありがたがってたがの」
なんだそりゃ。結局どんな効果があるのか分からんって事か。
何も効果がない実にそんな効能があるなんて話になったら、火種なんて可愛いもんじゃない。ただの疫病神だろ。
「だがこんな場所に世界樹があるなんて、エルフ達が知ったらどう思うだろうな? なあバド」
エルフ達の事を思い出し、俺はバドに視線を向ける。
彼らは昔、世界樹と共に生きていたそうだ。だが世界樹が失われた今、もうそれは過去の話。そう言って寂しそうに笑うエルフ達を、俺も目にした事があった。
ならここの事を教えれば喜ぶかもしれないな。
俺はただ、そんな軽い気持ちで口にしただけだったのだが。
だがこの言葉が騒ぎを招くとは、俺は全く思ってもいなかった。
「な!? き、貴様、まさか――森人族共の知り合いかっ!?」
「え? あ、ああ。まあな」
ユグドラシルが突然、恐ろしいものでも見るような表情でこちらを見たのだ。
どうしてそんな反応をするんだろうと思いつつも、俺は躊躇いがちに首肯する。
するとユグドラシルはがたりと音を立て、勢いよく立ち上がった。
「まさか、我の事を森人族共に密告するつもりかっ!? ならん! ならんぞっ! あ奴らに捕まったら最後、我は今度こそ本当に枯れてしまうっ!」
激しく首を横に振りながら、絶望の表情を浮かべるユグドラシル。
「嫌じゃあ! もう森人族になんぞに関りとうないっ! 後生じゃ! 見逃してくれぇっ!」
そして自分自身を隠すように体を丸め、懇願するように声を上げたのだ。
「な、何だ? どうしたんだ一体」
「何かわけありのようですが……」
これに俺達は困惑しきりだ。俺達はエルフ達が世界樹の存在を望んでいた事しか知らない。だから口にしたと言うのに、相手からはこの激しい拒絶だ。
何か理由があったんだろうが、それが分からない以上、どう反応して良いか全く分からない。
顔を見合わせる俺達。するとそれを拒否と取ったのか、少女の声が震え始めた。
「わ、我はこの星に残る神の力を浄化する役割があるのじゃっ! もし我が本当に枯れてしまったら、困るのはそちらじゃぞ!? 凶悪な魔物が増えても良いと言うのか!? この星が消えても良いというのかっ!? 折角助けてやろうと言うのに、この恩知らずめっ!」
何が何だか分からんうちに、更におかしな情報が積まれていく。
どうしたもんかと困る俺達。そんな中ただ一人、この男だけが動いた。
彼はすっと前に出ると、フルフェイスヘルムに両手を伸ばす。そして兜をすぽんと脱ぎ去った。
褐色の肌に短く切った白髪、そして特徴的な長い耳が露になる。
これを見て、ユグドラシルは零れそうなほど大きく目を剥いた。
「な、なにぃぃぃっ!? 森人族じゃとぉぉぉぉっ!?」
その場に響き渡る悲鳴のような声。ユグドラシルはあまりの衝撃からか、その場にころりとひっくり返った。
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その後、ユグドラシルを宥めるのには難儀をした。バドをここから追い出せと騒ぎ始めた彼女は、こちらの言う事を一切聞いてくれなかったのだ。
バドもバドで出て行こうとするものだから、これにホシが「ばどちんをいじめるな! この子供ババア!」と憤慨し、ユグドラシルも「誰が子供ババアじゃ! ちんちくりんが!」と応酬。
ホシが掴みかかろうとするものだから、もう大変な騒ぎとなった。
解決策が見つからず、焦っていた俺達。だがこれを見かねてか、ぽつりと言ったステフの一言がこれを一気に解決した。
「結界から出れば記憶が無くなるんじゃ……?」
エルフに伝えようとしても、記憶が無くなればできるはずもない。ユグドラシルはそこで小さく「あっ」と漏らした。
忘れてんじゃねぇよと言いたいが、どうやらそれだけ焦っていたのだろう。
その後落ち着いた彼女に対し、バドには危険がない事や、そもそもエルフに伝えるかどうかは話次第だと説得し、今また彼女は玉座にちんまりと座っていた。
「さて、それで我と森人族との関係じゃったな」
こほんと小さく咳ばらいをするユグドラシル。だがさっきまで子供の様に泣き喚いていたため、威厳もへったくれも無い。
「先ほど、神の力を浄化すると言っていましたが……それは一体?」
「うむ。ならばそこから話そう」
スティアが聞けば、彼女はこくりと頷いて返した。
「かつてこの世は創造主であらせられる、創造神様の手によって作られた。世界は無事に形成され、そこで生命もこの通り根付いておる。じゃから万事無事に世界が作られた――と思うじゃろう? じゃが決してそうでは無いんじゃ」
そうして彼女は話し出す。彼女――世界樹がこの世に存在する意味を。
この世界を作り出した創造神。だがその力は強大に過ぎ、神の力が濃く残る世界となってしまった。
世界に残った神の力は生まれた生命に影響を及ぼし、本質を大きく変えていく。
例えば、動物が魔物に。
例えば、ただの草花が傷を癒す薬草に。
そして俺達人間もまた、その例外ではなかった。
「もともと人にはマナ何てものは無かった。じゃが神の力に影響を受けたお主らは、マナを生成する器官をその体に宿すようになった。マナというものは、お主ら人が神の力の影響で変質し、その過程で生み出されたものなのじゃ。まるで神の力を模倣するようにな」
マナとはつまり、俺達が魔法を行使する時に使う魔力の事。これが神の模倣だとユグドラシルは言う。
神の力って奴が色々な影響を及ぼしている、というのは分かった。だがこれが一体何か問題なんだろうか。
そう聞けば、彼女は首を横に振った。
「可能性の話として、お主ら人が神の力を振るうようにでもなったらどうする。そんな奴がこの世界を消してやる、なんて思ったら、この世界は明日にでも無くなるぞ?」
「そ、それは困るが……流石にそんな事を思う人間はいないだろう? 自分も消えてしまうのだし」
ティナはそう困惑交じりに返すが、
「それが人間である可能性は? もしかしたら、魔物が思うかもしれんぞ? 知能なんぞ無い虫だの、もしかしたら単細胞生物が気まぐれに行うかもしれん」
そんな言葉を返されて、彼女は言葉を失った。
なるほど。まあ可能性の話なら、あり得ない事では無いんだろうな。単細胞生物ってのが何を指すのかは知らんが。
口を閉ざした俺達に、彼女はにやりと笑みを見せる。
「そんな事態を憂慮して、神は神の力の浄化を行う事にした。それが精霊や我、世界樹の存在なのじゃ」
彼女の言葉によれば、世界樹は神の力の浄化機関なのだそうだ。
世界中に拡散する神の力を世界樹はその身に取り込んで、あるものを作って消費する。そうしてこの世界から神の力を無くそうと、そういうわけだそうだ。
「精霊もそうなんですの?」
「うむ。大昔には精霊なんぞ、この世界にはおらんかったんじゃ。じゃが世界樹だけでは効率が悪いと、神がこの世界に放ったらしい。あ奴らはあ奴らで勝手にやっとるみたいじゃがの」
スティアの疑問にけろりと答えるユグドラシル。こういった話は、博識の彼女にとって興味の尽きないものだろう。
スティアは更に質問を重ねる。
「それ、エルフ達は知っているんですの?」
「知らんじゃろう。我から説明したことも無いしの」
おいおい、これは大発見なんじゃねぇのか。精霊の存在意義なんて誰も知らない事だろう。世に発表すれば名前が後世に残るかもしれないな! スゲェじゃん!
――って、ここから出たら記憶無くなるんだったわ。ならどうでも良いか。大して興味もないしな俺は。後世に名前が残るとかクソ程どうでもいい。
「ちなみにその神の力ってのは、俺達がオドって呼んでる奴の事だ。お前らは魔力って言うとオドもマナも一括りにしてるが、実際は全然違うもんだからな。神の力と人の力じゃ、比較にならねぇのはお前らでも流石に分かるだろ?」
と、なぜだかここでマリアが得そうな顔を見せた。よく分からないが鼻につく。
「なんでお前が得意そうなんだよ」
「そりゃ俺は大聖女だからな」
突っ込めば、やはり意味の分からない言葉が返ってきた。
大聖女って一体何なんだよ。まあそりゃ聖女だから神には仕えてるんだろうけどさぁ。
「それで、貴方が枯れると言ったのは、一体全体どういうわけなんですの?」
「それじゃっ! よく聞いてくれたの! あの忌々しい森人族共めっ!」
バドがびくりと体を揺らすが、そんな事など目に入らない様子で、ユグドラシルは玉座のひじ掛けをドンと拳で叩いた。
「我はの、神の力を消費して、神獣を生み出しておるんじゃ! その神獣を森人族共が倒す! そうして神の力を浄化するサイクルを生み出していたのじゃ! じゃがあ奴らめ、世界樹の生み出す神獣は神の力が生み出したもの――つまり、神が生み出したに等しき尊い生物だとか何とか言いよって、積極的に倒すのを止めくさったのじゃっ!」
止めくさったとは穏やかじゃないですね。ともかく俺達はその話に耳を傾ける。
彼女の話では、エルフとは元々この世界の人間ではなく、精霊のような存在だったらしい。
世界樹が生み出した神獣を倒し、オドを浄化する。昔はそうして役目を忠実にこなしていたそうだ。
だがこの世界で暮らすうちに、エルフの思考が徐々に精霊から人間寄りになっていった。これをユグドラシルは、この世界で生きる中で、エルフ達が徐々に世界に適用していったのではないかと、苦虫を噛んだような顔で言っていた。
ともあれエルフは役目を忘れ、世界樹を神聖視し、神獣を倒す事を止めた。これにより世界樹は神獣に内部を荒らされ、枯れる事になったと言う。
「でもよ、それならエルフ達に説明すれば済んだ話なんじゃないのか?」
「あ奴ら我の話なんぞ聞きゃあせん! はいはい、何て言っておいて、ちょちょっと少し倒しただけで満足しよる! 結果がこの有様じゃ!」
軽く言った俺に対し、彼女は短い足をバタバタさせながら、噛み付くような態度を見せる。
「創造神様に作って頂いたと言うのに、役目も果たせずこの様よ……! 我の気持ちが分かるか!? なぁ分かるじゃろう!?」
終いにはもう半泣きだ。これには俺達も首を縦に振らざるを得なかった。
まあ言っている内容が正しいなら、失望するのも頷ける。
しかしエルフ達、世界樹が無くなった事を随分悔やんでいたようだが、自分達が原因だと分かったら、一体どんな顔をするんだろう。
がっくりと肩を落とすバドはいつもながら真顔だ。俺はそれを横目で見つつ、そんな事を思ってしまった。