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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第五章 黒き聖女と秘密の花園
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237.偽りの希望

 ホゥ、ホゥ、と、どこかでフクロウが鳴いている。

 今日は曇夜くもりよ。月明かりの届かぬ町を、しっとりとした暗闇が包み込んでいる。


 もし王都などの都市ならば、大通りに立ち並ぶ街灯で明るさもあっただろう。

 しかしこの田舎の町に、そんな高価なものがあるはずもない。

 この町にあるのは、あまりにも小さなか細い光。衛兵達が持つランタンの、仄かな明かりだけだった。


 昼の長閑さは消え失せて、ミゼナは今、静けさに包まれている。加えて時期はもう冬間近だ。巡回に歩く衛兵達は皆、白い息を吐いている。

 明かりも無い、静まり返った冬の町。そんな時分に出歩くなど、誰しも御免被りたい事のはずだった。


 ところがだ。そんな中で、ある建物の陰から一つ、何かが素早く飛び出した。

 陰から陰へ飛ぶように、闇に紛れて走るそれ。巡回中の衛兵が、何かとそちらに明かりを向ける。しかし彼が目を向けた時、そこには何の姿も無かった。


 僅かに首を傾げるも、しかし気のせいと思い直して、衛兵は再び歩き出す。

 そんな彼の後方をローブの男が走って行ったのだが、結局彼がそれに気づく事は無かったのだった。


 戦時、ミゼナが”赤蛇”の手を借りると決めた時、この判断は町を守る衛兵達の耳にも当然入ることになった。

 悪人の手を借りるなど言語道断と、はね付けようとした彼ら。しかし、なら魔族からこの町を守れるのかと問われれば、首を縦に振ることはできなかった。


 ここに配属されているのは、十人の衛兵とそれを率いる一人の騎士だけだ。魔族が襲ってなど来れば一たまりも無いだろう。

 しかしここはヴァイスマン領の端の方に位置する、ごく平凡な田舎の町。主要な町を守るため、彼らの主である領主から、これ以上戦力を割く事はできないと言い渡されていたのである。


 ”赤蛇”からは、自分達の事を領主の耳に入れたなら、協力はおろか略奪も厭わないと脅される事態にもなってしまう。

 結局彼らは目の前に迫る現実に、首を縦に振るしかなかったのであった。


 町を守るため”赤蛇”の提案を受け入れたミゼナの町。しかし戦争が終わった今、それは町の脅威になり変わった。

 受け入れてしまった事の罪悪感から、衛兵達は非常に緊張感をもって巡回に当たっていた。奴らがいつ約束を違え、仕掛けて来ないかと危惧をして。


 だがそのローブの男はそんな警備をものともせず、衛兵達の目をかいくぐり、音も無く町を駆け抜けて行く。

 彼が目指すは代官の屋敷。この機会を逃す手は無いと、風のように町を走る。


 代官の屋敷は二人の衛兵が守っていた。一人は正門を。一人は塀の周りを巡回して。

 こんな夜中だと言うのに、二人の顔はきりりと凛々しい。背筋を伸ばし、一瞬たりとも隙を見せまいと、そんな意思が誰の目にも見て取れた。


 しかしローブの男は暗闇を味方に、二人の死角から代官屋敷へ近づき、そしてするりと塀を越え、裏口から中へと入っていく。

 男の手により開いたドアは、音も無くまた静かに閉まる。代官屋敷の周囲には何もなかったように警戒を行う、衛兵達の姿だけが残っていた。



 ------------------



「一体どうしたんだ、こんな夜更けに。しかも裏から入って来るなんて……。裏口の鍵は確かにかけていたと思ったけど」


 代官屋敷の暗い廊下で、二人の男が歩いている。一人はこの屋敷の主、ミゼナ代官のライン・ルッテン。そしてその後ろを歩いているのは、先程忍び込んだローブ姿の男である。


 ラインはランプ片手に客室に向かう。日の変わった夜に突然訪れた客に、彼の声は迷惑そうな音を隠していなかった。


「すまん、勝手に開けさせてもらった」

「おまっ! ……はぁ~っ」


 対して悪くもなさそうに返す相手。深夜に来ただけでなく、裏口の鍵を勝手に開けて入っても来たらしい。

 これに一瞬渋い顔をするラインだったが、寝室にまで押し入ってきた相手だ。言っても無駄な事に気付いたらしい。


 隣で寝ていた妻には悪い事をした。男を見て悲鳴を上げた妻――実際は男に口をふさがれ、くぐもった声を上げただけだったが――を不憫に思いつつ、諦めの嘆息を吐きながらラインは客室のドアを開けたのだった。


「まさか代官の屋敷に忍び込むとはね。犯罪者として捕まえて欲しいのかい? トビアス」


 ローブの彼、ミゼナギルドマスターのトビアスは、すでにフードを脱いでいた。

 至極当然の事だが、他人の家に勝手に入るなど、非難されて然るべき行為だ。しかも寝ている時間である。

 盗人と勘違いをされて切りかかられたとて、文句など言えない事だろう。


 だがこれを貴族相手にした場合はそんなものでは到底済まない。普通に罪人として捕縛される程の蛮行である。相手によっては最悪首が飛ぶ事にもなるだろう。

 トビアスもそんな事は承知であり、バツが悪そうに弁明をした。


「仕方が無かったのだ。どこに奴らの目があるか分からんのだからな」

「”赤蛇”か……。でも、だとしてもだよ。密会をするならするで、他にも方法があっただろうに」


 しかしラインもこれに言い返す。寝ていたところを叩き起こされ、彼は今機嫌が悪かった。


 姿も寝間着に薄いガウンと、客と会うような恰好をしていない。

 更に暖炉の火はもう消えており、客室もかなり冷え込んでいる。

 なぜ眠っているところを無理やり起こされ、寝間着で寒さに震えなければいけないのか。

 状況を考えれば怒るなと言うのが無理な相談だった。


 ちなみに、ライン・ルッテンと言う男は男爵家の当主であるが、平民と談笑したり畑仕事なども行うという、貴族然としていない男である。

 ミゼナで生まれ、ミゼナで育ち、ミゼナ代官となったライン。四十八年もこの町で暮らした彼は、いい意味で田舎に染まっていた。


 長閑な場所で育った故か、性格は非常に温厚。そんな彼がここまで機嫌が悪いのは、なかなかに珍しい事である。

 まったくと文句を言いながら、ラインは脇に積んだ薪を暖炉に放り投げて行く。そして魔法で火を点け、小さな明かりをその目に映す。

 そんな時だった。


「急ぎの要件だったのだ。これをお前に見せたくてな。俺の部下が持ち帰ってきた、聖女様からの手紙だ」

「――なんだって?」


 背にかけられた思わぬ言葉に、彼ははっと振り向いた。

 トビアスが懐から取り出した小さな羊皮紙。それを受け取ったラインは素早く目を通し、そして大きく開いた目でトビアスを見た。


「これはっ! これは……本当の事、かい?」


 その手紙には、ラインにとって信じ難い内容が記されていた。最初嬉しそうに声を上げるも、だんだんと疑惑の音が強くなる。

 しかし目の前に立つトビアスが首を縦に振るのを見て、ラインはくしゃりと顔を歪めた。その表情は、色々な感情が綯い交ぜになったものだった。


「……どうした? この町が解放される日が近いかもしれんのだぞ?」


 これにトビアスは眉をひそめる。彼はラインが喜ぶと思い込んでいたのだ。

 それなのに見せたのは複雑な感情である。思わぬ反応にラインの考えが分からず、トビアスはその場に立ち尽くした。


「……少し。座って話そう」


 そんな彼を前にして、ラインはトビアスへソファへ座るように促したのだった。


 深夜の暗く寒い部屋で、二人は向かってソファに腰かける。テーブルに揺らめくランプの火が、二人の表情を仄かに照らしている。


「二日前に、シーラさんがこの屋敷に来たんだ。話があると言ってね」


 背中を丸め、膝の上で手を組むライン。彼はおもむろに口を開き、トビアスへ話を切り出した。

 しかしトビアスは彼が何を言いたいか分からない。話をせかすようにして、彼の言葉に割り込んだ。


「薬師のシーラ婆さんか? それが一体どうした」

「彼女はね、何かを隠すように持ってきたんだよ。最初は何かと僕も思ったさ。いや、今でもちょっと信じられないんだけれども」


 しかしラインはどうにも回りくどく話をする。苛立ち始めたトビアスは、腕をこまねいたまま、指で腕をトントンと叩き始めた。

 当然前に座るラインが見えないはずもない。彼は観念したように、はぁと息を吐き出した。


「持ってきたのは、何と金貨だよ。12枚も持ってここにやって来たんだ」

「は? 何だって?」

「だから、金貨を12枚も、だよ」


 その言葉を飲み込むのに、トビアスは数秒を要した。金貨など普通、平民が一枚でも持っているのが稀なのだ。


「あのババア、ため込んでいたのかっ! 皆が苦しい時に!」


 結果、彼は明後日の方向にそれを理解し、憤りを滲ませ立ち上がる。多分こうなるだろうなと思っていたラインは、それを穏やかに手で制した。

 トビアスは悪い人間ではない。しかし気が短く結論を急ぎ過ぎる嫌いがあった。


「違う。違うよトビアス。いつも言っているが早合点は君の悪い癖だ。いいから座るんだ、詳しく説明するから」


 ラインは努めて穏やかに、目の前の相手の怒りが収まるのを待つ。トビアスが渋々と言った様子でまたソファに腰を下ろすのを見た後に、一呼吸おいて、ラインは事の次第を説明し始めた。


 なぜシーラがそんな大金を持っていたのか。そのわけは二日前にさかのぼる。

 その日の日中の事だ。この町では見ない顔の集団がシーラの店に訪れて、生命の秘薬(ポーション)を大量に買って行ったのだ。


 五等級を四つ。そして、店では半ば置物のようになっていた、何十年物かと言う三等級の物すらもだ。


 思いもせず突然手に入った大金に、シーラは内心大変焦ったそうだ。だが身の丈に合わない大金がポンと懐に入れば誰でもそうなるだろう。

 シーラもまたその例に漏れず、何も手につかず、その日は慌てて店を閉めたのだそうだ。


 しかしその後、少し冷静になった彼女は思った。この金を使えばもしかしたら、”赤蛇”の支配から逃れられるかもしれない、と。

 大金を持つことが怖くもなったシーラは、そうしてすぐに行動に移す。自然体を装い、しかし誰にも見つからないように、代官の屋敷へと向かったのだ。


「僕も色々と売り払えば、金貨をいくらか融通できる。そうすれば奴らの言う30枚まで後数枚くらいにはなるだろう。殆どの物を手放す事にはなるけれど、でも町には代えられないしね。不足分はこの町の者全員に協力してもらえばあるいは……。そう思っていた所、今度は君がここに来た。これを持ってね」


 ラインはテーブルに置かれた聖女からの手紙に視線を向ける。”赤蛇”からの解放に動き出そうとした瞬間、突如現れたもう一つの選択肢。

 ラインは決まりかけていた心を大きく揺さぶられていた。


 一方のトビアスは、薬を買ったという者の話を聞いて、二人の姿を思い出していた。

 ランクAパーティのティナとステフ。この辺りでは名を聞かないが、ランクAともなれば生命の秘薬(ポーション)を買うくらいの金は出せるだろう。


 そして思う。そんな彼らもまた聖女と共に、”赤蛇”討伐に加わるそうだと、部下から報告があった事を。


「代官。討伐するぞ」


 トビアスは断言する。ラインが迷ったような顔を上げた。


「金貨30枚なんて金を出せば、この町は何も残らんだろう。そんな状態で何かあれば、最悪死人が出るぞ」

「それは。それは、そうかもしれないが。しかし少しの間だけなら――」


 不測の事態は常に考えておかなければならない。代官である彼なら尚更だ。

 弱々しく否定を返すラインに、トビアスは強気に言葉をかぶせる。


「それに金を奴らに渡したとして、それで終わりと言う保証もない。初め、この町を襲うと言っていた奴らだ。そのまま用済みと始末される事もあり得るだろう」


 トビアスは自分の娘の事を思い出していた。

 相手は脅迫まがいの方法でこの村に契約を促した無法者達だ。仮に言われた通りに金貨を出したとて、大人しく引く可能性は恐らく低い。


 金貨30枚なんて出しても解放されるか分からないし、聖女様に頼むのが一番よね。

 少し前、何を思ったのかそう言ったシルヴィアに、トビアスは現実が見えるようになったかと、娘の成長を感じたものだ。


「今娘が連絡役として、聖女様の傍に付いている。向こうも所用があるらしいが、それが終わり次第、連中へ仕掛けるタイミングを娘経由で連絡するらしい」

「シルヴィアちゃんが? そうか……。何と言うか……大丈夫なのかい?」

「どういう意味だ」

「い、いやっ! 何でもないよ。何でも」


 引き取った当初はわがままが目立ち、思い通りにならないと癇癪を起こしていたシルヴィア。それが良く育ったものだと、トビアスは感動すら覚えていた。

 だがそれを知るラインが水を差して来て、彼はじろりと睨んで返す。ラインは慌てて、出かかった「信じても良いのか」という言葉を飲み込んだ。


「それと生命の秘薬(ポーション)を買った者だが、ランクAパーティ――ランクBの二人だな。二日前にギルドの前で騒いでいた連中だ。聖女様と共に協力すると連絡があった」

「ほ、本当かい?」

「ああ。お前は知っているかどうか分からないから言うが、ランクBというのは冒険者の中では上澄みの中の更に上澄みだ。俺も現役時代ランクCが限界だった。化け物みたいな連中さ」


 ラインは腕を組んで唸り声を上げる。金を払っても解放されない可能性については、彼も考えてはいた事だ。

 自信満々のトビアスと聖女の手紙。そしてランクB冒険者の存在もあって、彼の考えは徐々に討伐方向へと傾いていく。


 結局ラインがトビアスへ頭を下げたことにより、町は”赤蛇”討伐へ乗り出すこととなる。

 やっと”赤蛇”から解放される。そんな希望を胸に、トビアスとラインは握手を交わしたのだった。



 だがトビアスは知らなかった。

 その生命の秘薬(ポーション)が購入される際、自分の娘がその場に居合わせた事を。

 自分の部下は聖女に接触などしておらず、ティナとステフにも会っていないと言う事を。

 今この町にいない自分の娘が、今一体どこにいるのかと言う事も。


「代官、大丈夫だ。聖女様が手伝うと言ってくれている。魔王封印の立役者がいるのだ、必ず上手く行く」


 蛇が既に彼らの命を絡めとろうと忍び寄っている事を、トビアスは何も知らなかった。

 知らぬまま事態はゆっくりと動いていく。


 彼らが”赤蛇”とぶつかり合うまで、後六日。

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