232.傲慢不遜は嵐の予兆か
結局門を塞いでいた連中はアレスの前に腰を抜かし、戦うどころではなくなってしまった。となればテストは不合格で、その場をどかざるを得なくなる。
腰を抜かした五人はわたわたとその場を素直に譲ったが、しかし横を通り過ぎる時に間近で見たギルドマスターの表情があまりにも悔しそうに歪んでいて、それがどうにも俺の頭には、強く印象に残っていた。
「全く面倒臭ぇ奴らだったぜ。何なんだよどいつもこいつもよぉ」
とは言えもう終わった事だ。町から出て十分程経った頃、誰の目も無くなった事で、マリアは大あくびをこきながらブー垂れ始める。
全く、付いたり剥がれたり忙しいメッキだぜ。
俺は呆れて肩をすくむ。だが同行する事になった二人には大事だったようだ。
「マ、マリア――様?」
ティナが口をぱくぱくと動かす。後ろのステフも同様に、目を丸くして口をポカンと開けていた。
「こいつ、これが素なんだよ。お前らが想像しているような奴じゃねぇからな。関わった事を後悔してももう遅えぞ」
「な……!?」
こいつらはもう護衛として付いて来てしまった。ならば一蓮托生である。
俺がぶっちゃければ、ティナは信じられないものを見るような目を向ける。だがスティアもバドも、ティナへ憐れむ様な視線を向けていた。
「こんなアバズレに自分から引っ掛かって行くなんてな。ご愁傷さんだ」
「おっとお杖が滑った」
「ぐほっ!」
みぞおちに杖を突き立てられ、胸から空気が飛び出した。体を折る俺に素早く近寄ったマリアは、俺の首を横から抱き込んだ。
「だーれがアバズレだ! この超絶美少女を捕まえて言う台詞か! おお!?」
「痛てててて! やめろ馬鹿、離せ!」
「誰が馬鹿だ! この溢れ出る高貴な知性が分からねぇか!?」
「溢れてんのはテメェの欲望だけだろうがっ!」
マリアが俺にヘッドロックをかけている間も、ティナ達二人は立ち尽くし何も言わない。
聖女が清廉な存在と信じる連中には、こいつの真実は残酷に過ぎたようだ。
ばたばたと暴れる俺をマリアはぱっと離す。
その顔を見れば小馬鹿にしたような表情を浮かべていた。
「ま、お前みてぇな匹夫には分からんよな、この俺の素晴らしさが」
「やかましいわ!」
「えーちゃん、匹夫って何?」
俺が怒鳴り返すと、ホシがくりくりの目を向けてくる。
「教養のねぇ卑しい身分の奴の事だぜ、ホシちゃん」
「ならあたしも匹夫だ! ひっぷっぷー!」
「喜ぶな!」
叱り飛ばすも、ホシはあははと笑って走って行ってしまった。駄目だこりゃ。
ちなみにお前は匹夫じゃなくて匹婦だぞ。女だからな。まあ読み方は変わらんけども。
「マリアさん、ちょっとそれは聞き捨てなりませんわね」
楽しそうなホシに呆れていると、今度はスティアが割って入る。
「教養など無くてもエイク様は素晴らしい方ですわ。訂正して下さいまし!」
「ちょっと待って?」
匹夫は認めちゃうんだ。褒めるのかけなすのか、どっちかにしてくれない?
そんな真剣な顔で言われると流石に傷つくんだけど。
下らない事を話し合う俺達を、ティナはただ呆然と見ていた。
だが少し間を置いたことで、ふと疑問に思ったらしい。
「あ、あの、マリア様。疑問なのですが、なぜあのような演技を? 演技などしなくとも、貴方様は紛う事なき聖女なのでしょう。わざわざ仮面をつける必要は無いと思うのですが」
そんな事をクソ真面目に言い出した。
大した理由なんてねぇよ。そう思う俺の目の前で、マリアはまた聖女の微笑みを作り、ティナと向き合う。
「わたくしは神にお仕えする身の上でございます。民を救済するという使命を帯び、各地を旅しているのです。この国に参りましたのもそのため……。わたくしは自身の使命を果たすため、神の御名の元、皆の前では聖女として、多くの方に祝福を授けんと己を律しているのです」
「な、なるほど。そんな使命が……」
ティナは合点がいったようにふーむと唸る。こいつ素直すぎるんじゃねぇか。まんまと煙に巻かれてんじゃねーよ。
「んな事言ってるが、こいつの目当ては金だとかの即物的なもんだからな。清楚で奇麗な女ってのは、大体男にちやほやされるだろ?」
「匹夫アタック!!」
「ぐは!?」
誤解を解こうと説明すれば、マリアの尻が飛んできて吹き飛ばされる。
だから匹夫じゃねぇっての! 妙に推してくるの止めろや!
「うるせぇな! 俺は清楚に振舞って自分の可愛さを見せびらかす! 男は鼻の下を伸ばして供物を捧げる! Win-Winだろうが!」
どこがWin-Winなのか理解に苦しむ。見ろ、これが聖女の本性だ。自分の利益を追求する事に余念がない。いっそ清々しいくらいだ。
これは護衛であるアレスも当然知っている。私は関係ないですよと言った顔で立っているが、知っていて黙認しているのだから大概だ。
護衛騎士なら諫めるとかしても良いと思うんだが。
ティナはぽかんと立ち尽くしている。これにマリアはにやりと笑う。
聖女らしからぬ悪どい笑み。この顔を教会の連中に見せたなら、一体どんな反応をするのだろう。
一瞬それを想像する。だが俺はすぐに、きっとどうにもならないだろうなと、尻もちを突きながら頭を振った。
マリアはこんなだが、しかしそれでも国に認められている、本物の聖女なのだ。
つまり、それに相応しい功績を打ち立てたと言う事に他ならない。性格はアレだが、今は脇に置く。
その功績を考えた時。そして、その奇跡を実際に目の当たりにした者達の事を考えた時。
こいつが例え普段どんな表情を見せようと、聖女であるという事実はどうしたって揺るがない。俺にはそう思えてしまった。
魔族との戦争、聖魔大戦。こいつがいなければ俺達はきっと、今でも魔王と戦い続けていただろうからな。
「えーちゃん大丈夫?」
「貴方様、お怪我は?」
「大丈夫だ。まったく、無茶苦茶やりやがる」
奴に吹き飛ばされた俺の周りに三人が集まってくる。俺は尻を叩きながらバドの手を取り立ち上がった。
目をやれば俺を指差して笑うマリアと、それを何とも言えない表情で見るティナ達が映る。
マリアとアレスの実力は知っている。こいつらもスティア達同様の化け物連中だ。だからこれから向かう先は知らないが、そう危険な事にはならないだろう。
俺はそんな事を漠然と思っていた。
だがそれは、感じる不安を否定したかったからかもしれない。
こいつら二人では頭数が足りなかった。だから俺達を引き込もうと思った。
それだけであって欲しいと。
だがもしそれ以上の何かがあったなら――。
マリアはいつものように楽しそうに笑っている。その顔を見ていると、どうしてか俺の不安は膨らんでいく一方だった。
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冒険者ギルドに引き返したギルドマスタートビアスは、自室に戻って早々、いら立たしげな声を吐き出した。
「くっ……何なのだあいつらは! こちらの要求をあざ笑うように跳ね除けるとは、気に入らんっ!」
拳でドンと机を打つ。すると机上のインク瓶がことりと跳び、横にぱたりと倒れてしまう。
書類を黒に染め、床にも黒い斑点を作り始めた光景に、シルヴィアの取り巻き達は慌ててその場に駆け寄った。
「で、でもパパ。どうするの? あんなの私らじゃどうにもできないし……」
「むぅ……」
シルヴィアは弱り切った声で父親の背中に目を向ける。だがこれを受けるトビアスも、眉間にしわを寄せていた。
彼の脳裏には、先ほどの光景が鮮明にこびりついていた。
あのハルバードを構えた男の威圧は、筆舌に尽くしがたい凄まじいものだった。
戦うつもりの無かった彼も、冷や汗が止まらなかった程だ。一筋縄でいかない事は明白だった。
だが、だからこそ彼らの力を借りる必要がある。
同時にトビアスはそう思わされてもいた。
「どうする。このままでは計画が……」
頭をいら立たし気に搔きながら、トビアスは部屋をぐるぐると歩き回り始める。
この町を食い物にせんと企む集団、”赤蛇”。彼らは戦争の際、金銭を対価としてこの町の守護を引き受けていた。
その額は一月当たり金貨3枚。もし傭兵団などに頼んだ場合なら、魔族相手を加味しても金貨1枚程度で済む話だったろう。
あまりにも足元を見られたこの話。しかし他に頼りは無いと町はこれを飲み、”赤蛇”の庇護下に入る事を受け入れた。
結果、彼らの力によってこの町は魔族の手から免れ、無事に今を過ごす事が出来ている。
だが話はここで終わりでは無かった。
戦争が終わった後も、”赤蛇”はこの町に金銭を要求してきたのだ。彼らとの縁を切りたい町は交渉に臨んだが、ならばと金貨30枚を要求してきた。
こんな小さな町にそんな余裕などあるはずが無い。今も尚どうするか、彼らは悩み続けていた。
「聖女と”赤蛇”をぶつける事ができれば、連中を排除できるかも知れんと言うのに……」
トビアスもまたそんな人間の内の一人。
余計な動きを見せれば”赤蛇”に察知されるかもしれない。動くに動けず悩んでいたそんな時、聖女が護衛を募っていると聞き、彼はこれにピンときた。
この偶然を利用して、聖女に”赤蛇”討伐を依頼しようと考えたのだ。
ギルドから働きかけたのではなく、聖女から護衛を集めたとなれば、ギルドが近づいても不自然ではない。
トビアスの信頼する人間を聖女の護衛に雇わせて、こっそりと町の現状をつづった手紙を渡すつもりだった。
聖女と名乗る人物ならば、困っている人間を放置すまい。
彼はこれを天啓だと思った。
しかし彼の思う通りに事は運ばず、聖女は町を出て行ってしまった。
「このままではマリア様は行ってしまわれる……! くそ、何とか”赤蛇”共に感づかれないよう接触しなければ……!」
この千載一遇の好機を逃せば、町は”赤蛇”に搾取され尽くし、干上がってしまうだろう。
トビアスはこの町のギルドマスターになって長い。冒険者の長という責任感もあったが、それ以上に愛着の方が勝っていた。
何としてもこの状況を打破したい。まずはそのキーマンを抑えなければ。
トビアスは零れたインクや書類を片付ける男達へ顔を向ける。
「おい、そんなものはどうでも良い! とにかくお前達は、マリア様がどこへ行ったか抑えて来い! 早く行けっ!」
トビアスに目を向けた男達は顔を見合わせた後、ちらりとシルヴィアの方にも目を向ける。
「そういう事だから、よろしくね~」
『はい』
男達は立ち上がり、ドカドカと足音荒く部屋を出て行った。
その背中にシルヴィアはふりふりと手を振っていた。
シルヴィアは内心ほっとしていた。
あの聖女の護衛が放った闘気は常軌を逸していた。まともにぶつかれば”赤蛇”とて無事には済まないだろう。
父の見立ては正しい。それに加えて彼女には一つ、不安に思う事もあった。
(あのオヤジ……ランクEなんて言ってたけど、どうにも嫌な予感がしたのよね。さっさと行ってくれて良かったわ)
父は夢にも思っていないだろう。自分の行動が既に筒抜けだと言う事を。
先ほど出て行った四人は、この情報を”赤蛇”の頭、ガモンのもとへ持って行くだろう。
トビアスの命運は既に”赤蛇”に絡め取られている。未だに悩み続ける父をチラリと見て、シルヴィアはふぅと息を吐いた。
(ごめんねパパ。孤児の私を育ててくれた事は感謝してるけど、でも私、何かといえば怒鳴り散らす貴方の事、あんまり好きじゃなかったの)
良心の呵責など欠片もない謝罪を心の中で呟きながら、シルヴィアは窓から外を見下ろした。
そこには先ほど出て行った四人の男達の背中が見える。彼らの姿は既に小さく、豆粒のようになっていた。